ラジオ!Yotsugi Busters!! -27ページ目

葛飾は芸能人の町

今日も僕はいつものように我が町の隣である「立石」へと散歩に行った。

立石はこの辺の下町の中でアーケードに囲まれ、にぎやかな商店街が構える風情あふれる町。アドマチック天国でも紹介され、意外に飲み屋などが立ち並んでいることが判明し、さらには映画「間宮兄弟」のロケにも使われました。僕の大好きな町の一つです。

2004年ぐらいのときはよくYotsugi Bustersがアーケードの中にある飲み屋の「笑笑」で飲んだり吐いたりして出入り禁止を食らいそうになったり、そこから5軒くらい挟んだ先にある焼き肉屋「牛繁」では私、オハラが2003年ごろに失恋罰ゲームを決行し変質者の格好で入店して完全出入り禁止を食らってしまったりとこの町には思い出が一杯です。

さて、僕の現在の日課は立石をぐるりとパトロールしたあと、町の平和を確認したのちにサンマルクカフェに入って本を読むことである。現在、僕が読んでいるのは桜井章一さんの「突破力」という本です。帯には「死ぬ気で生きろ」と書いてあります。これはなかなか強烈な本ですね。

ここの店員さんは下町のカフェにしてはかわいい子が多く、彼女達が汗水たらして接客をする姿を見ながら啜るアイスカフェラテはまさに格別。僕はいつもの喫煙席に座り、早速一服。

しばらくすると、右隣に金髪JKと母親のペアが座ってきました。今時のJKはいったいどんな会話をするのかと興味津々の僕はしばらく本を読む振りをしながら聞く耳を立てていた。

「あのねぇ~、○○ちゃんがねぇ~、うちが~…」ととりあえず舌足らずなしゃべり方が基本のようだ。そして「私」の代わりに「うち」とと京都弁を使うのがみそ。しかもこの場合の「うち」は本来の発音と違ってアクセントが頭にはなく至って平坦に発音。

言葉は進化するものだ。昔は違った言葉遣いをすると「やめなさい」と親にしかられたものだが、今は親も公認。なかなか柔軟な世の中だ。

しかしいくら聞いてても中身のある話が出てこなかったため本を読むことへ意識を戻した。すると今度は左隣にちょっと年上の背の高いお姉さんが座った。彼女の亜麻色の長い髪を風が優しく包む様に見とれつつ僕の視線は次に彼女の着ているターコイズとライトグリーンの中間のような、とにかく緑色のトップからこんもりふくれあがる形の良い胸へと移って行った。

ボーイ、参ったね。

僕はグリーンのトップスをうまく着こなす女性が大好きなんだ。癒しの色、まさに女性に癒しを求めている僕にはたまらないね。彼女が僕の隣に腰を下ろすと僕は条件反射的に息を大きく吸い込む、彼女のにおいを存分に体内に取込むためだ。しかし、彼女は至って無臭だった。どうやら香水には頼らないタイプらしい。だが、彼女がその亜麻色の長い髪を大胆に結うときに彼女の髪から一陣の柔らかな風に乗って僕の鼻孔を通り過ぎた。猛暑により必死に体温を下げようと毛穴から分泌した彼女の汗をたっぷりとしみ込んだ甘い香りが僕の鼻から肺へと抜けて行った。

ボーイ、参ったね。

ああ、彼女が横で吹かしているLuciaのタバコの副流煙ですら僕には愛おしい。これぞ、カフェの至福の一時、見知らぬ女性との無言の絡み合いである。

しかし先ほどからなにやら大声でしゃべる輩が3つ挟んだ奥のテーブルにいるのがとても気になる。「ガハハ」と大声をあげて男三人で笑っている。ただでさえ声がでかい。

うーむ、カフェはおしゃべりを楽しむ場所でもあるが、いささかうるさいなあ。「そういえば、あの事務所って江頭さんがいるとこでしょ?」「NSCがさ~」などとお笑いのことを熱っぽく冗談を交えながら語っている。業界人か?こんな下町に?しかもこの声はなんだか聞き覚えがあるなあ。

僕はおそるおそる、顔を上げてそのテーブルの方へと目線を向けた。すると…

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※写真はイメージです。

これは、お笑い芸人の「兵動大樹」さんではないか!?トレードマークのハンチング、眼鏡はかけていなかったが、まさしく兵動さんだと思う。じゃなかったら相当なそっくりさんだ。先ほどからずっとお笑い芸人の話もしてるし、芸人さん特有のしゃべり声の大きさからほぼ間違いないだろう。

ああ、立石もついに芸能人がやってくるような大きな町になったんだな。でも、残念ながら気づいてるのが僕だけのようだ。隣のお笑いには精通してるはずのJKですら気づいてない。

ここぞとばかりに僕はYotsugi Bustersのラジオの宣伝をしようと思ったが、最悪なことに僕はYotsugi Bustersのメンバーなのに、Ytown B's特製キャップをもっていないのだ。今日それを被ってさえいれば…

かなり長居をしたが、兵動さんたちは至って丁寧に自分たちの飲んだグラスをさげて、「ごちそうさまです」と店員さんにお辞儀をすると出て行った。店員さんも若い女性二人だったが、どうやら気づいていない様子。

あれはやっぱり違う人かな?でも間違いは無いと思うが。僕は兵動さんを「すべらないはなし」でしか見たことが無いが彼の話はとても面白い。うーん、フジテレビでバイトをしたときもずいぶんたくさんの芸能人さんと出会ったが、まさかこんな地元で会うとはなあ。

みんな、おいでよ葛飾へ!

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落ち込んでるのは、何も君だけじゃないよ。

さて、帰国したはいいが、僕も仕事を探さねばならない。何をしようか?

グラフィックデザインを勉強したが、正直僕はグラフィックデザイナーとしてやっていける自信がない。グラフィックデザインの仕事を調べてみたが、ほとんどの人が給料が安くて将来性がないと述べている。しまいには人が嫌いになる、人生が嫌になるとまで書いてある。

サービス残業当たり前、精神的にも肉体的にも過酷。グラフィックデザイナーとしての定年は実際35手前くらいまで、それ以降は独立するなりアートディレクターになるなりしないと永遠に安月給のままでこき使われいつか体を壊して終わり。

不況のあおりを完全に受けており、仕事の単価が安くなり、リストラも目立つ。まあこれは何もグラフィックデザイン業界だけに言えることじゃなく今日ではすべての仕事に言えることだろう。

いったい自分に何が出来て、何をしたら良いのだろうと毎日悩んでいる。子供の頃はテレビに出たり有名人になったりロック歌手になれたらいいなあなんて憧れたことはあるが、今ではそれすら色あせて見える、まあそんなチャンスは回ってこないだろうが、万一それが回って来てもなんだか怖い気がする、お笑い芸人みたいに使い捨てで終わってしまいそうだ。

でもこうやって将来に不安を持っている人間は正直僕だけじゃなく誰もが持っている気がする。不思議なもので自分以外の人間は誰もが大人でしっかりしていて一人前の人間に見える。「ああ、俺はダメだ。俺もあいつみたいにしっかりしなきゃな」といつも心で自分の至らなさを反省している。でも、腹を割って話してみるとたいてい誰もが同じ悩みを抱えている。

僕は今仕事を持ってないから、リストラされる恐怖はない。でも考えてみたら大学を卒業してそのまま会社に就職し、何年も勤めてきた会社にある日突然「君はいらない」と言われたら、想像しただけで膝が崩れ落ちそうになる。とくに大学卒業してそのまま仕事にありつけた人たちはきついだろう。それこそこの世の終わりのような気分に陥るだろう。

「日本人は解雇されただけで自殺をするんだろ?」とイギリスで何度も笑われた。イギリスではある日突然「うちの会社は明日つぶれることになりました」と倒産することもあるし、ある人はこんなことを言った「お前がいくら会社に忠実であっても、会社はお前に忠実であるとは限らない、だからいつ首を切られても良いように心がけなくてはな」と。日本では無職の人間を哀れむどころか蔑む風潮がある、なんだかそれも虚しい気分だ。

考えれば考えるほど、どんどん悩みは深みにはまるものでいっそこういうことは考えない方が精神的にも肉体的にも自分のためである。だが、人間常に考えなくちゃ生きて行けない。人生は選択の連続である、人間いろんな場面であれかこれかを悩み選ばなきゃ行けない。こういうとき、たいして頭を使うことの出来ない人間はサイコロでも振って決めるしか能がないが、ちゃんと頭を使える人間は自分で考えてどうしたらいいか選択できる。

僕みたいな低学歴の人間が北海道大学出身の人とイギリスでしばらく一緒に英語を勉強したときがあった。こういう人間はやはり頭が冴えているというか、自分で物事を考える癖の持った人間だ。誰かに任せるということではなく自分で考えてどうしたらいいかを決める。こういうとき、ああ自分ももっと子供の頃から考える癖というものをつけておけばよかったなあと反省した。

僕は子供の頃から考えることが苦手でいつも他人に考えを委ねて来た。お兄ちゃんが食べてるものと同じものを注文したり、私立の中学に入るときもどこに入っていいかわからずとりあえず塾や親の薦める学校を選んだし、自分で決めたことが一つもない気がする。

こうして考えれば考えるほど自分には短所ばかりが目立ち、生きて行けるのかが不安になる。現にこの日記を書いているのは夜中の3時、不安で眠れないのである。

「東京ソナタ」という日本の映画を見たことはあるだろうか?中年の男がある日突然リストラされてハローワークに行くも、良い仕事は理想の仕事は見つからず結局ありつけたのはデパートの清掃員。父親としての尊厳も失ってしまった彼の家庭はやがて崩壊の一途をたどる…みたいな話。なんだかリアルすぎて見ていて怖かった。

いっそのこと、能天気になってみることを提唱してみよう。不安でいることは何も解決しない何事も前向きに考えなきゃいけない。

不安を抱いたり、怖かったり、至らないところがたくさんあったり、恋に破れたり、孤独だったり、そういうのは何も自分だけじゃないと思えば、救われるんじゃないだろうか。こうすればいいっていう答えはどこにもない、ただ救われる気がするだけだ。

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選択能力

最近どうもスカッとすることがなくて困っている。
うーん、何かこう「やったぞ!」「勝ったぞ!」みたいな達成感というかそんな感じ。
わだかまりが溜まっている一方だ。

やはり人間、どんな時もポジティブな状態が大事で、前向きでテンションが上がってるときは何をやってもうまく行く。たとえ失敗してもそんなテンションのときは全く気にしないし。こういったのが自信につながる。

うーむ、なんなのだろう。それこそ言葉も介さない昔の人はむしゃくしゃしたら適当なやつを見つけて殴ったりしてすっきりしたのだろうが、今の我々は理性に縛られてる、それはできない。

マージャンと一緒で勝ち続けるとなかなか負けない。麻雀って不思議なゲームだよね、連続で勝つとその人の勢いがなかなか止まらず勝ち続ける。こういうとき周りの人は安い手でもいいから上がって流れを変えるという作戦に出る。

そうだ、そろそろ僕も流れを変えないとな。でも具体的に何をすれば良いのだろうか…

人生は選択の連続。あれをとろうか、これをとろうか。
自由ってのは選択権を完全にゆだねられるが、人間おもしろいもので「何やっても良いよ」っていわれると逆に困る生き物だ。例えば、さんざん大学で論文のテーマをもっと自由にしてほしいなんて愚痴ってる学生が卒業論文で何でも良いと言われるととたんに何を書いて良いのかわからないと言い出す。

そう、実は人間ってのはあらかじめ「これをやりなさい」と決められた方がやりやすいのだ。というより楽なのだ。実は正しい物を選択するってのは至難の業で特に物がありふれたこの時代は電化製品を選ぶにしてもメーカーごとにどこどこが優れてる、いや一方でこっちは違う機能がついてるなどと選択能力を麻痺させるように多くの商品が溢れ、消費者を困惑させている。

ただ正直にいうとこういうものは往々にしてそれなりの使いやすさや機能を持ってるのでどれを選んでも大きな損ってことは少ない。

まあ今の時代で言えばこれはすべてに当てはまることで、例えば付き合う相手にしても「うーん、この人顔はいまいちだけど、優しいからまあ良いか」とかそんな基準で選ぶ物だ。よく考えれば女の子に優しくするのは男としては当たり前で、最初は気に入られようと誰だっていい顔をする。

本来、社会に出る前に我々は選択能力というものを養うべきで、ただ与えられた宿題をこなすだけとか先生が黒板に書くことをノートに写すだけといった受け身な教育方法ではもちろん路頭に迷う人間が大人になって出るのは当然。

面倒くさいというのはようは頭を使うことを避けてる証拠で、人間はどんなときも頭を使って自分の未来を選択しなければならない。難しい物だね。

ちょっとずつこなしていこう。人間いきなりうまくはやれないさ。
少しずつ、賢い選択が出来ればそれで良いんじゃないか。何も僕らは予言者じゃないんだからどれを取ったら安全確実なんて思わないで、自分の頭をフルに使いそれで選択した道が結果的には間違っていたということであれば、それは悔いることは無いんじゃないか、そのとき自分は頭をフル回転したのだから。

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ベストハウス

昨日「ベストハウス123」で老化が以上に早く進んでしまう病気を持った少女の特集をみた。

彼女はイギリス人で13歳なのに顔がしわだらけ。

久々のイギリス英語を耳にして懐かしさを覚えると同時に、彼女の再現VTRのなかでその老化が原因でいじめられてるということが描かれていた。さすがはイギリス人、心が狭い。

さらにすごいと思ったのは彼女が住んでる近所の公園でインタビューをしてるときに「お、あの女がいるぞ!」と遠くからヤジをとばす輩が。さすがはイギリス人、あきらかにテレビカメラが回ってるとわかっているのにそれでもヤジを飛ばすそのノーフューチャー度は凄まじい。

イギリス人はどうも白人意識が強い人種だ。たぶん彼らは外国人が本当に嫌いなんだと思う。町を歩くと10代の連中に必ず「ニーハオマ!」とか「コニチワ!」とか「アチャー!カンフーやってみせろよ」と絡まれる。イギリスに長く滞在してると必ずこれに遭遇する。

なんだかその再現VTRをみてイギリスを思い出してしまった。イギリスは過酷な国だった。もう二度とあの国に長期滞在したいとは思わないしよほどの理由がない限り僕は戻らない。このVTRをみてもらえばたぶんみんなも少しはイギリス人の心の狭さが伺えたと思う。何せインタビュー中に平気で野次を飛ばす連中だ、ある意味で衝撃映像だったきがする。

でも、もちろんイギリス人は悪い人ばかりじゃない。貧富の差が激しくそういう貧しいエリアで育った人たちは道を外れた生き方になってしまうが、優しい人もいる。とくにこの彼女の友達はすばらしかった。そのヤジが飛ばされているとき必死で彼女の気をそらそうと「そういえば金曜日にさ…」とぎこちのない話題転換、なんだか僕はその様に泣けてきた。

老化が進み、あんなにきれいごとをいっていた旦那も「このモンスターが!」と娘を罵倒。旦那は離婚してしまった。さすがはイギリス人、ノーフューチャーな旦那だ。でもこれは当たり前、イギリスは離婚していない家庭の方が珍しい。

こんなひどい境遇にいながらも彼女は母親にこう言った「ママ、産んでくれてありがとう」と。この一言はとても大きかった、なんと強い意志と愛を持った女子なのだ。私は涙した。

その後、彼女を日本に招待してスタジオに呼んだのだ。イギリス人は日本が大好きで誰もが一度は日本を訪れたいと思っている。彼女にとってこれはまたとない機会だろう。ここまではよかった、でも番組側はなんともむごい要求を突きつけた。

「整形をしてみないか?」それはたしかに彼女の夢でもあった。でも、これはカメラの前でやることじゃない。テレビ側の「いい絵が撮れる」という意図が丸見えだ。もちろんテレビ側が整形手術費用を出すのだろうが。惨い、僕は膝から崩れ落ちそうになった。彼女だってもちろん嬉々として「Yes」と言うのに決まってる、金のない家庭だし今まさにそのチャンスを目の前で提示されて…でも彼女はまだ13歳、テレビに踊らされてるとは思ってないのだろう。

ここだけはなっとくできない。整形するならよそでやればいいじゃないか?なぜそこにカメラが必要なのだ?それに僕は整形が彼女の人生を明るくするとは思えない。ビューティーコロシアムの時もそうだったけどテレビのさらし者にしてアフターケアはなし。その後、もしかしたら手術の後遺症が現れたり維持費が必要だったり、でもそれらはテレビはもう負担しない。やるだけやってあとは知らん顔なのだ。

どっかの貧しい国の田舎に学校を建てたはいいけど維持費が持つ訳はなくやむを得ず壊して無に返すなんてこともよくある話で。整形手術はその後の人生を大きく左右する一大事だ。僕はたぶん彼女が将来後悔すると踏んでいる。メイクアップアーティストになるのが彼女の夢だと言う。もしそのときに「自分らしさを大切にしなさい」なんて言われても整形をしていたら説得力がない。

彼女の顔はとても魅力的だった。そのままの自分でいいじゃないかと思う。奇麗な目をしてるし歯並びもいい。ただしわがあるだけで老けて見える、髪の毛は奇麗なつやのある黒色で青の瞳に映えてとても奇麗だった。

来週、整形手術の様子が流れるらしい。最後まで見届けようと思う。

カフェシーラカンスへいってきた

今日は留学で知り合った女性(仮にユイと呼称)と以前ブログで紹介した声優の朴 璐美さんのお店カフェシーラカンスへ行ってきました。

新井薬師前駅から歩くこと五分、一見見落としがちな小さなビルの二階にそのカフェは構えてあった。朴 璐美さんに会えることを期待していったのだが…おらず。

店員はボーズヘアーの料理長と若い兄ちゃんの二人。僕とユイは角の席に座り僕はロミチゲ、ユイはパスタを注文。店の雰囲気はなかなか女性オーナーがプロヂュースしたということもあり、落ち着いたしゃれた雰囲気、和んでもらうことに重点を置いているようで座り心地のいいソファ席なんかも常備。

店に入っていきなり飛び込んでくるのは中川翔子さんのお祝い花輪。しょこたんが来たこの空間のにおいを存分に吸い込みつつ、僕はユイとの久々の再会を喜びつつご飯を待った。

ほどなくしてロミチゲがとパスタが配膳された。小さな丸い鍋とご飯、チゲはどこかデミグラスソース仕立てな味わいで女性受けしそうな味付け、これがうまい。

しばらくすると客がちょこちょこと入ってきた。たぶん朴 璐美さんのファンの人だろうと思われる女子が多かった。結局業界人などは入ってこなかったが。僕らより先に居座りずっと一人でコーヒーをたしなんでいる横の席の女性が気になって仕方なかった。

20そこそこの女性でまあまあかわいかった。どうしてこんな若い女の子が一人でずっと粘っているのだろうと疑問に思ってると彼女は何やらホチキスでとじられている資料のようなものに目を通し始めた。

よくは確認できなかったが、おそらくそれは台本。つまりこの女性はもしかしたら声優かもしれない。声優はアニメのアフレコの時には現行を事前にもらい目を通すいわゆる台本チェックをするのだが、この女性はもしかすると声優なのかもしれない。

何たる奇遇、だが僕は「箐雄さんですか?」などとぶしつけな質問はできなかった。結局彼女は何者なのか謎のまま。

しかしながら、イギリスにいるときからずっと来たかったこのお店にようやく来ることができて僕は大満足、ユイもどうやらこのお店を気に入ってくれたらしく「また来よう」と嬉々としていっていた。

カフェシーラカンス、おすすめです。

http://www.cafe-c.la/

遺伝子を紡ぐ

日本に帰国してから早3週間が経過した。

空っぽだ…なんだろうこの空虚感は?
何か生産的なことをしなければいけないという衝動に駆られてはいるのだが。

とりあえず仕事を探さねばならないがその前に僕にはやることがある。
現在の僕は本を読み、日本で生きていくのに必要な知恵を蓄えることに専念している。

あとは遺伝子を後世に残すためにひっそりと「オハラ遺伝子テロリスト計画」を発動しようと考えている。

生き残るのに必要なのは「知恵と力」である。

夏しちゃってる?

夏は開放的な季節です。
女子の水着がみたい、誰もがそう思っているでしょう。

虎穴に入らないと虎の子を手に入れることはできません、水着ギャルをゲットしたくば「としまえん」に行きましょう。

今度Yotsugi Bustersでとしまえんにぶっ込もうと考えております。
ああ、夏っていいね。

さあ、肌を見せよう!開放的になろう!
普段は制服とか着てるバイト仲間の女の子が水着になるとすごく興奮するよね。

恋をしよう、一夏の経験をしよう。
若い時間は限られている。

そろばん

僕の母方の実家は目黒でずいぶん長いことやっている算盤塾。立地条件もあって結構昔は芸能人の息子や娘などが通っていたこともある。

そこの創始者つまり僕のおじいちゃんは僕が中学二年の時に亡くなってしまい、その算盤塾は息子つまり僕から見ればいとこのおじさんが先生をやっている。

おばあちゃんはまだ元気だけど最近では認知症になってしまって物忘れがひどくなった。それが故にどうやら家族に迷惑をかけているということをとことん気にするようになってしまい「ごめんよ~」とか「迷惑だよね~」とネガティブなことを言うようになってしまい、見ていてとてもかわいそうだ。

足も悪くなってしまい、家の階段を登るのがきついものだからいっそのこと家を改築しようということになった。もう50年以上も小さな古い家で一階は塾として構え、二階は住居として構えているそんな佇まい。

小さい頃はこの家に時々遊びに行ってはおじいちゃんとおばあちゃんに遊んでもらうのが大好きだった。その家ももうすぐ取り壊されてしまい、新しい家が建つ。

一旦家を空にしないといけないので、今日おばあちゃんが家にとまりに来た、しばらくはここで預かることとなった。「ごめんね、迷惑かけるね、じゃまだよね」なんてなんども弱々しく頭を下げるおばあちゃんをみているとなんだかやるせない気持ちになる。昔はいつもにこにこ笑っていて僕たちを優しく抱きしめてくれたおばあちゃんだったが、今ではその体がなんだか小さく見える。

今日おばあちゃんが実家を出る時、おばあちゃんは教室として使っている一階へ降り立ってしみじみとその教室に染み付いた思い出と年月をかみしめていたという。ずっと使い続けた木製の横長の机と傷だらけの腰掛。ささやかな白墨だらけの黒板、そこにおばあちゃんはチョークで「ありがとう」と書いて手を合わせたそうな。

時代が変わって、おばあちゃんの健康やいろいろな状況からやむを得ずの改築になってしまったが何十年も住んで使ってきた家を取り壊すのはだれだって悲しいものだろう。僕だってあの塾で小さい頃はいとこのお姉ちゃんやお兄ちゃんと遊んだものだ。

興味深いことに昨日今日とその教室で「パキ、ミシ」という奇妙な音が頻繁に聞こえるという。たぶんおじいちゃんが最後にもう一度見に来ているのだろうと言っていた。そりゃあそうだ、おじいちゃんはあそこの教壇に立ち何人もの生徒たちを何十年も教え続けてきたのだ。

僕はおじいちゃんをずっと尊敬している。小さい頃僕はおじいちゃんと人生ゲームで遊ぶのが大好きだった。おじいちゃんはいつでも僕と遊んでくれて仏のように優しい顔でニコニコと笑って僕たちをかわいがってくれた。遊び疲れておじいちゃんの大きなお腹の上に僕の小さな頭を乗っけて寝ようとするとおじいちゃんのお腹は大きく呼吸をするたびにまるでトトロのように膨らんでは引込み、僕はそれがなんだかおかしくていつもケラケラと笑っていた。

おじいちゃんは算盤の世界ではかなり有名な人だったらしい。かなり高齢でもハワイなどに時々出向いては現地の人たちに算盤を教えて国際的に算盤の素晴らしさを伝えていたと言っていた。小さい頃、おじいちゃんが現地の人とにっこりと笑って握手をしている写真を見たことがある。それに伴い、英語の勉強もNHKの番組やテープを聴いて頑張っていたということも聞いた。全く頭があがらない、あの歳で英語や新しいことにチャレンジしていただなんて。

僕はおじいちゃんおばあちゃんに何もしてあげていない。だが、恩返しをするチャンスが最近回ってきた。それはこの算盤塾のリニューアルに伴い、ホームページを作成したいと言っていた。やはり今の時代、算盤塾でもホームページは必需品のようだ。

もちろん、イギリス仕込みの僕のデザイン能力を活かしてやってあげるつもりだ。とりあえずあたらしい教室の完成を待とう。

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Next Generation

最近の子供は夏休みをあまり謳歌していない気がする。

塾や習い事…親の期待に応えるのに必死で、自分たちの生活を忘れてしまっている。

不景気で塾へいれさせるだけのお金を捻出できないから、自分の息子は将来いい大学に入れず路頭に迷う…

アフォか…

子供は本来元気に時間を忘れるほど遊ばなきゃだめだ。

僕は塾にいれられて小学生のころはほとんど遊ぶことができなかった。この時分に遊ばなくてどうする?

子供は遊びを通じて、協調性や人間関係の基礎を築くのだ。ずるをしたら喧嘩になる、仲間はずれは良くない、みんなで団結して何かをやり遂げる喜び…

たぶん10年後ぐらいにはきっと日本は大きく変わっていて、新しい世代が社会に出てくるだろう。高学歴、パソコン使えて当たり前、英語ペラペラetc

僕らの世代はたぶん切り捨てられると思う。とにかくいろんな意味でカオティックになるはずだ。

怖いねえ…

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Enjoy your life.

ポジティブな心を少しづつ取り戻している。人間やはりポジティブであるべきだ。

ポジティブな時にしか前向きで正しい決断ができないし、ネガティブなときはとかくほとんどがうまくいかない。

もっともっと人生を楽しむべきだ。「人生とはなんぞや」ではなく「人生で何が出来るか、何をするか」を考えなければならない。

人はとかく変わるのを受け入れないいきものだ。
だれだって今の現状に甘んじる方がはるかに楽だし、本当はポジティブになりたい、金持ちになりたい、才能を開花させたいと願ってるくせに今のネガティブで貧困で味気のない生活に甘んじている。

それは人間として当たり前、現状維持は人間のサガだ。そこを受け入れるところからまず始まる。

さあ、人生をもっと楽しもう。

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