「ヨタロウ会」ブログ読者の皆様へ


小中陽太郎氏の最近の書評掲載とお亡くなりなった、いいだもも氏への追悼文を転載いたします。とても興味深い内容です。ぜひともお読みになってくださいませ。



                         〔書評〕

橋爪大三郎+大澤真幸『ふしぎなキリスト教―日本人の神様とGODは何が違うか?』(講談社現代新書)
              (『本のひろば』9月号掲載)


 著者のおふたりは「自分で読み直して笑った」とあるが、どうしてどうして骨っぽい本である。大澤が聞き手で、橋爪が答えるという形式だが、それは橋爪がキリスト者であるだけで、ときにふたりの立場は逆転する。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を一神教という縦軸でとらえる。問題意識は、いつにかかって一神教とは何か、さらに近代とは何であるか? 返す刀で日本はなぜこんなにプリミティブな多神教のままなのか、それは「異民族があまりいなくて、自然の背後にいるさまざまな神を拝んでいればすむから」というわけで、真理を求めて冒涜をおそれず、宗教を理性的に論じている。
 そこで以下、評者も冒涜を恐れず。
 ふたりは、紛うことなきマックス・ウエーバー学派であり、ユダヤ教については、ウエーバーの「古代ユダヤ教」を下敷きとし、キリスト教は丸山眞男で補強している。ユダヤ教には「原罪」の意識はないそうだ。大胆な例を示せば、橋爪は「イスラエルの民はいじめられっ子の心理がある、ひとりっ子だ」とも。ニーチェみたいだ。「ヨブ記」を通してユダヤ教の根本は「試練」と総括する。
 ところで、もし神が存在するなら、そのうえなぜ預言者がいるのか? ここで卓抜な比喩――もし神が全能なら「天に大きな拡声器をつけて、みなさん、わたしのいうことをききなさい」と放送すればいい。しかし、神は預言者を通してしか語らないのである。イスラム教についてここでふれる余裕と力量はわたしにはないが、評者はパレスチナの詩人ダルウイーシュの深い聖書理解に驚いたことがある(『壁に描く』書肆山田)。「三者をつなぐのは……ほとんど同一性双子である。偶像崇拝の禁止であるが、ユダヤ教には原罪の観念はない。その中でキリスト教が近代世界を制したのは、法律を守る自由があったから」という。
 「神の者は神に、カイゼルの者ものカイゼルに」ということなのであろうか。
 おふたりは、つづいてイエスの譬え話の不可解さを突く(放蕩息子の帰宅など)。なかでも理屈に合わないと指摘するのは、イエスがせっかく話をしているのに、姉はおさんどん、妹は足許で聞き惚れるマルタとマリア(母マリアではない)の話」である。ふたりはマリアが美女だったからだろうと、のんきなことを言っておられる。ちがう。
 評者も参戦させていただくと、ここは男女の性差を表わしているのであります。男性、とくに大学の先生は皿なんか洗わない。もっと大事なことがあるからだ。たとえば、この書評を書くことである、とまあ、私は妻に言う。イエスは皿を洗う女性にもそうしなさいと励ましたのである。以上、「もしドラ」ならぬ「もし上野千鶴子が聖書を読んだら」でした。
 さて、肝心要のキリストである。ここでの不思議は、1に「復活」、2に処女懐胎、3に「三位一体」である。橋爪は三位一体をマトリョーシカ(ロシアの入れ子人形)で説明する。そして、「これは解離性同一性障害」ではないかと言ってのける。何たる大胆さ!
 しかし、聖霊については「パウロの書簡を神の言葉(聖書)にするためである」と解釈するのである。
 ところで、本書と同時期に上梓された門脇佳吉(能や道元に詳しいカトリックの神父)によると「パウロは手紙を書くときに聖霊に教えられた言葉で語り」とある。ふたりの解釈と真逆である。パウロは神の拡声器? さあ、どちらだ。
 これを書きつつ、被災したアジア学院に農業を研修中のミャンマー人の牧師の説教を聞く機会があった。ミャンマーの貧困を紹介したあと、かれは『使徒言行録』のパウロについて語った。夢枕にマケドニア人が立って「come and help us」といった箇所である。評者もマケドニア(ユーゴの)に行ったが、なにもなくて湖で魚を焼いて食べた。さて、このときの有名なパウロの幻は、人間マケドニア人の言葉だが、パウロは、イエスにマケドニア宣教を召されたと信じた。神が語ったのでもなければ、かれが神になったのでもない。人間である。すなわち「聖霊は人による行動の呼びかけである」というのがベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の神学である。
 さて、ヤマはこれからだ。
 おふたりは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にたどりつき、カルヴァンの予定調和がなぜ勤勉を生んだかを説く。ここでの疑問――。
 「自分たちが学期初めに成績は決めてある、と言ったら、学生は勉強しないでなまけるだろう、プロテスタントはなぜ働くのか」
 答え「勤勉なことは神の恩寵のあらわれです」
 この回答で橋爪は、まぎれもなくウエーバリアンとなる。さらに大澤も「ここから神学や哲学や科学やジャーナリズムが生まれた」という。しかし、西欧的近代沈没の秋、「ノイラートの船」(会場で応急処理をする)か、「ノアの箱船」か、地球号あやうし。


                     追悼「いいだ、ここがロドスだ」
             (『映画芸術』2011Summer掲載)


 埴谷雄高は、いいだももの『斥候よ、夜はなお長きや』(1961年)発表直後、この長大な長編をすばやく読破し、まったく的確にこう評した。
 「よく調べられているその(登場人物の)意見が広く調べられたが故にとめどなくのべられているという段階を超えて、内発するところの一種のとめどない饒舌にまで発達する事態がこのような作者に起これば、全く新しい大きさを持った作品を吾国の文学にも期待し得るようになるのであろう」(『日本読書新聞』1961年9月4日)
 わたしは、「斥候よ」を奉職する芦別の廃校にある研究室に寄贈したため、日比谷中央図書館の蔵書印のあるものを世田谷・尾山台の区民図書館(館外帯出禁止)に来て手にすると、開巻劈頭、老人党党首として最期を全うした豊頬、オールバックの白皙の青年像が飛び込んできた。それに、ここから歩いて数分のところに居住する安岡章太郎が「跋」を書いているのが懐かしい。
 さて本書は、周知のようにゾルゲ事件をモデルにしてその周囲の人物の心象風景を描いているとされるが、いま読むとゾルゲや尾崎そのものを描くというより、ほぼ語り手であるところの「白線帽で、乳房コンプレックス」の番場健二の展開する「悪霊論」「魯迅論」といったほうが実情に近い。それより、銀座にあったというドイツ・バー「ラインゴールド」に去来する人物は影絵のように美しいといおうか。
 1932年のベルリンのホテルを舞台に、失意のバレリーナ、グレタ・ガルボと宝石泥棒の男爵(ジョン・バリモア)ら5人の男女のたった1日を描いた「グランドホテル」は、のち「グランドホテル形式」という映画用語の語源となった名作だが、「斥候よ」は、その構成において、また主人公が止めどなく語ることにおいて、その影響下にある、というのが私見である。
 ことのついでにコラム作者として言わせてもらえば、ヘルツェンが送ったとかいう「ツアーの族をも掃滅し」とか、「一人娘とやるときにゃ……」の春歌まで、さながら昭和学生愛唱歌集である。これは作中、番場の友人の令嬢たちが、きらいなものを列挙する遊びで「キング(講談社)美談集」と書く教養と一致する。
 この韜晦癖は、このあと小田実に勧められて読んだ『モダン日本の原思想』(1963年)において顕著である。いま、遠く芦別の書庫から飛んできた水色の表紙を繰り、常総同盟布川支部からの手紙「原点はどこに存在するか」を繰ると、横瀬夜雨の詩が出てくる。

  お才あれ見よ
  越後の雁が
  とんできたにとまただまされて

 そして、この雁は実は谷川雁である。

  おれたちの水素は/母の血にかけてきのこ雲とはなさぬ  (なんたる先見の明!)
  片輪者よ みなしごよ 売笑婦よ/おれたちはそのためにうまれた/そのために死ぬ  のだ                              (谷川雁)

 これにたいして、いいだは断固「労働者よ、農民よ」とよびかけるのが正しいというのだ。いまのフクシマをみると、それがないことに気づく。
 つぎは同時代としてのいいだもも――。
 1965年8月14日、べ平連の徹夜ティーチイン第2部の冒頭、司会の無着成恭が「天皇の命令でまた戦争するか、自由に語りあいましょう」といった途端に弁士中止。翌朝そろって抗議に行ったわたしたちに、編成課長ばばこういちは「でも放送の司会者として、あの放送は公平さを欠く」といったときである。いいだが書いている。
 「元NHKの小中さんは間髪を入れず、でも無着さんは放送局のアナウンサーではない、フリーの出演者だといったのです」。NHKにいたことで、ほめられただ一つの例だ。ばばはそののち辞表を出してフリーになった。
 いいだは、戦後の共産党から最晩年の老人党に至るまで、徹底した党マニアとされているが、わたしはそれを疑っている。
 べ平連最大の危機は、1969年に小田が『文芸』に発表した「冷え物」が差別小説だとして突然、批判されたときといわれている。関西から学生がやってきて批判し、べ平連内部の青年たちが真剣に悩んだ。これが時期的に、いいだももたちが共労党を結成したころとあって、べ平連フラクが造反したといわれるが、かれらはむしろ何とかこの問題を自分たちの問題としようとしたのだ。わたしは、当時『現代の眼』で小説「ふぁっく」を連載中で、そこでこれを取り上げ、鶴見俊輔から「小説によって運動の硬直化を救った希有な作品」とほめられたんだか、ひやかされたのかわからない評を得た。
 わたしとしては、来日したジェーン・フォンダの講演で、京都べ平連がイラスト入りガリ版のチラシで「ジェーンのハダカは平和のシンボル」と書いた。それに対し、フォンダが「ハダカで平和はこない」とかみつき、ときならぬ徹夜討論会となったことがテーマだった、タイトルの「ふぁっく」は朝日が広告拒否した意味とは違って、ジェーンの「ファック・ジ・アーミー」からとったのに。
 わたしは、フォンダのジーンズの脚をみながら、どうしてもバーバレラのプラスティックからこぼれ落ちた乳房を思わずにはいられなかった。納得できないのは、そのあとジェーンはいいだももを凌ぐ浩瀚な自伝を書いたが(2006年)、上下巻併せて千頁を越える自伝のどこを探しても、べ平連の徹夜討論も、横浜の軍港で中村敦夫や戸井十月が右翼の水兵に向かって体をはってジェーンを守った話も出てきやしない、その代わり夫テッド・ターナーの浮気ばかり(ぼくはのち彼とあった)。ハダカで平和が来るか来ないか、わたしにはわからない。でも、すくなくともジェーンのハダカでは平和はこないさ。
 「ファック」はジェーンが帰ればそれで終わりだが、「冷え者」のほうは幾晩も議論した。それが巷間、共労党のフラク活動だ、とされた。火付け役の座付き作者として、彼らの名誉のために言っておくが、いいだも武藤一羊も栗原幸夫もけっして、べ平連を壊す気持ちも手段もなかった。あったとしたら笠井潔たちだろうが、かれらは文学的すぎた。いいだにそれだけの力はなかったということは、いいだの名誉か不名誉かわからない。すくなくとも彼らはべ平連を愛し、その力を実感し、それを守ろうとしていた。そうでなければ1973年に、ベトナム協定仮調印がおこなわれ、べ平連解散論がうまれたとき、かれらがあんなに熱心に存続を主張するはずはない。やめよう、と言ったのは京都の鶴見俊輔であり、わたしだった。
 鶴見俊輔は、運動の惰性化をおそれ、わたしはベトナム戦争は終わるのだから、反対もやめようと言ったのだ。武藤が激しい口調で難詰した。「そんなにやめたければ自分だけやめろ」。ああ、どうしてそうしなかったのだろう。それは、わたしが、いいだや武藤を、小田と同じくらい好きだったからなのに。当時は吉川勇一だって……。一瞬おそかった。
 いいだももが死んだとき、玲子夫人は、50年代にいいだが書いた一篇の詩をそっと棺におさめた。

  ゆうぐれ――野のはてでまばたきするのは……
  白い吐息のように走り去るのは……だれ?
  遠いお母さんのすみれ色? 夕咲きのフローラ?
  それとも――おきわすれられた黙りがちのかれ?

 もう、いいだももを饒舌だなぞとはいわせないぞ。寡黙ともいわないけれど。
 本稿執筆時、べ平連の当時の若者の出版記念会があった。黒川創に「いいだのことを書く、まいった」と言ったら、目顔で「あそこに孫がいる」と教えてくれた。仰天して飛んでいって、小柄な寡黙な青年に聞いた。
 「おじいさんて、どんなひと?」
 孫は、ゆかいな話を教えてくれた。
 「いつもおばあさんに怒られていました」
 「それはまたどうして」
 その答え。
 「いつも、食事の時間になってもテーブルの上にゲラを広げて赤を入れていたから」
 そうだ、マルクスなら、こう励ましたろう。
「いいだ、ここがロドスだ、ここで書け!」
(2011年6月、偲ぶ会の日に)

       2010中目黒教会伝道集会のおさそい



日時  5月8日(土)午後2時から4時

場所  日本基督教団中目黒教会  礼拝堂

入場料 無料


テーマ  「中目黒教会とアメリカ~その受難と復活」


アメリカのマンダーナ強制収容所を記録した宮武東洋の映画を通して日系人の歴史と真実を学びます。収容所は中目黒教会との深い関係がありました。


上映作品  「宮武東洋が覗いた時代」

お話     監督 すずきじゅんいち(榊原るみさんのご夫君)

       橋本明 「米軍日系人部隊の悲劇」著者

       中目黒教会関係者


祈祷     名誉牧師




中目黒教会マップ


ヨタロウ会-中目黒教会










ヨタロウ会-麦府3

ヨタロウ会-麦府2

ヨタロウ会-麦府1



2010年がスタートしました。本年もよろしくお願いいたします!


リーマンショックがジワジワと浸透し、不況のために自殺する人は年に3万人も超えたということです。こんな日本っておかしくないですか?2009年は政権交代という画期的な年でもありましたが、この不況の解決策は2010年にも引き継がれていくでしょう。


とにかく、今年こそは、労働者や庶民が不安もなく元気に過ごせる年になって欲しいと切に願っております。



さて、昨年末の「ヨタロウ会」は、12月28日(月)、自由が丘にある広東料理専門店の「麦府」で開催されました。


美食家の小中陽太郎ご夫妻のお勧めお店なので、コース料理の味は抜群、飲み放題付きにも関わらずお値段もリーズナブルで、とても素敵なお店でした。不況にピッタリのチョイスだったので、会員の方たちも安心してお料理を味わい、酒宴の席はいつものように盛り上がりました。


幹事の私的にも、「有馬記念」で馬券をスッテ大損したので、大変ありがたかったです!陽太郎先生、はるみ先生感謝MAX。


皆様も楽しんでいただけと確信しております。もし、ご意見があれば下のコメントをクリックして何でも結構ですから、書き込みお願いいたします。




【出席者】


●近藤節夫さん(エッセイスト)  

 東洋経済から出版された「知の現場」という著作に小中陽太郎先生のインタビュー記事が載っています。近藤さんならではの奥行きのあるインタビュー記事でした。ヨタロウ会の皆様もぜひとも書店てお求めになってみてください。

●木俣冬さん(映画、演劇ライター)

●大原雄(日本ペンクラブ理事)

●穂高健一(山岳作家)

●西原倭香(穂高氏夫人)

●尾嶋四朗(青萌堂代表)

●相場博也(創森社代表)

●堀 ただし(フリー編集者)

●高橋衛(フリー編集者)

●北岡和義(ジャーナリスト、日大教授)

●須藤甚一郎(目黒区議、芸能評論家)

●浅井清宏(フリー編集者)

●浅井弥生(浅井夫人 サプリメント会社経営)

●渡辺勉(平原社代表)

●服部英樹(小中陽太郎先生の親友)

●小中陽太郎先生

●小中はるみ先生

●瀧澤篤朗(世界文化社)

●瀧澤陽子(競馬ライター、映画ライター、エッセイスト)


 と、合計19名で盛り上がりました。また今年の夏のヨタロウ会でお会いできるのを楽しみにしております。


ところで、小中陽太郎先生の近況は会の中でも出ました話題ですが、改めて、小中先生ご自身から掲載原稿が届きましたので、下記に転載いたします。




●平賀源内の小説を上梓



小説「翔べよ、」源内」を春に上梓、高松藩植物園跡の白金の国立自然園で源内手植えの虎の尾鈴掛を見たり、南方熊楠の文章から源内の癲狂の真否を探ったり多少の新発見有り、ただし小生の戯作癖が吉と出るか兇とでるでしょうか、それともべ平連より酔狂連、村上豊装丁(平原社、国際ペン東京大会2010)



週刊読書人 09/12/18 号に掲載 「われながらべ平連ですね」


池澤夏樹 カデナ 新潮社


さながら小田実の雄大な作品を読むこころ、これ池沢の筆力をたたえるもの。時代はベトナム戦争真っ盛りの1968年、米軍の嘉手納基地に巣くう獅子(シーサー?)心中の虫4人、フィリピン女性、ベトナム人、サイパンから引き揚げた青年。40年後の「べ平連」という作者へ40年前のべ平連から連帯の挨拶を!


女優岡田 茉莉子 岡田茉莉子 文藝春秋


東尋坊の廃船をめぐってさまよう男女(「女のみずうみ」。劇中劇のロケの監督は、なんと40年前の小生、そのときのカメラマンが前記脱走兵の記録を撮影したとは。
近親相姦から不倫まで登場人物名でなく、すべて「わたし」と言い、夫を吉田喜重とよぶ「水で描かれた物語」ならぬフィルムに生きた女の物語。


自由への道 サルトル 海老坂武 澤田直共訳 岩波文庫


サルトルがなによりも小説家であったことを証しする新訳。ユダヤ人の恋人の堕胎先を探しあぐねるこの小説の最大の魅力は、正直ということではないか。海老坂の解説が、モデルから時代背景、最後の地図にたるまでまるでグウグル地図のように立体的で長年の傾倒ぶりが伝わる。訳者の案内でいくつかの街角にたたずんだものには、青春の道標。

(小中陽太郎)




●東京地裁103号法廷



09121日東京地裁103号法廷。そこで繰り広げられたのは、沖縄を間に、アメリカが日本に押しつけた屈辱の歴史と、それに抵抗した人間たちの物語であった。

 わたしたちは、あのとき沖縄を見捨て、西山を放り出した。その償いにわたしはここにいる。あるワシントン特派員は「メディアの敗北」とまで呼んでいる(金平茂紀)。

弁護団長の清水英夫を先頭に外務省へ「沖縄密約文書」情報開示の請求にいったのは08年9月3日だったから、あれから1年たつ。あの日、最高裁は西山の賠償請求を「20年の除斥期間を過ぎている」と棄却した。米情報公開でさえ30年かかる、それを20年で除斥とは。

1971年12月7日、旧知の北岡和義(当時衆議院議員秘書)は、毎日新聞西山記者の入手した一通の秘密電報を衆議院質問にゆだねた。そこには沖縄返還回復補償費として日本側は400万ドル払うと書かれていた。その後額は32千万万ドルにふくれあがり、吉野の証言では諜報機関VOAの移転費用まで払わされていた)。宛先名から出所がわかった。わたしがなぜ宛先をのこしたか、問うと、北岡は、宛名を切り取ったら政府は、怪文書と無視したろう、と説明した。政府は、怪文書とするかわりに西山と事務官を公務員守秘義務違反で起訴、存在しないものを漏洩してどうして罪に問われるのか。司馬遼太郎が激怒したようにまったく本筋ではいない言いがかりにより、世論は一変した。わが身を切るようにして書いた澤地久枝の「密約を見れば当時の女性バッシングのすさまじさがわかる。そのことで世論も責任がある、とわたしはおもう。ただし今度の訴訟で弁護団は、 「この問題を西山事件から切り話すことにしました。」(小町谷育子)。そして沖縄からの原告代理人は、問うべきは「当事者の立場にありながら、情報から疎外され、決定の場から排除される、構造」(岡島実)、新崎盛暉は普天間基地移転はこの繰り返しと指摘している。

二〇年後琉球大我部政明は、「ユスカー文書」に吉野スナイダー調印文書を発見した。「ユスカー」の名は、わたしたちがべ平連といわれる運動を始める前、小田実からおしえられた。それは、正式名アメリカ民政府、実態は陸軍省である。

九一歳になった吉野文六局長は、「歴史の歪曲は外交の為にならない」と決意、「あのとき文書はスナイダー公使が持参、わたしが署名し、スナイダー正本はもちかえった」、とはっきり証言した。退廷の際、わたしは西山のとなりにいた。吉野は小さく手をのばした。

わたしはその刹那、真に恥ずべきアメリカ政府だ、とおもった。巨大な軍事力を持ちながら「財政難のせいで」(吉野)、アメリカの議会と沖縄県民を欺いた。情報公開法ぐらいで許すことは出来ない。

11月8日、宜野湾の県民大会の夜、40年ぶりに嘉手納基地ゲートにたたずんだ。

帰営時間でつぎつぎに基地に駆け込む兵士の背中に小声でレノンのうたをうたった。40年前そう歌ったら本当に彼ら(脱走兵)は来た。

「ハッピークリスマス・ジョイン・アス」。









 「ヨタロウ会」幹事・瀧澤陽子が主催する「実験的表現舎」の第2弾ティーチインは「パリを語ろう!」です。フランスに造詣の深い作家の小中陽太郎氏にご登壇いただき、「わが青春のフランス映画」について語っていただきます。フランス映画がお好きな方にはたまらないトークイベントだと思います。下記をご参照の上、お友達をお誘いの上、ご参加のお申し込みをお待ちしております。
      
            

              
           
                   【パリを語ろう!】
      (小中陽太郎のわが青春のフランス映画)


「今年の秋、フランスの伝説的デザイナー、ココ・シャネルの生誕125年を記念した映画が日本中を席捲しております。シャーリー・マクレーン主演の「ココ・シャネル」と本場フランスから到来したオドレイ・トトゥ主演の「ココ・アヴァン・シャネル」です。また、来年のお正月には「シャネル&ストラヴィンスキー」というフランス映画も公開されます。シャネルといえば、高級服やアクセサリーを思い浮かべますが、実際のココ・シャネルは孤児院で育ち、貧しさと闘いながら、自分のブランドを立ち上げたのです。「人生がわかるのは、逆境のときよ」という名言を残したシャネル。華やかさの裏には一庶民の貧困と弱さが隠れている。今、不況の日本はなぜかそんなパリブームなのです。そこで、東京大学仏文科卒業、NHKで元敏腕ディレクターだった、フランスに造詣の深い作家の小中陽太郎氏にご登壇していただき、「わが青春のフランス映画」(「パリの屋根の下)から「シャレード」まで)やパリの魅力について、熱く語っていただくことになりました。「人はなぜパリに憧れるのか?」。秋が深まる日本、相変わらず不況連鎖は続くばかりですが、ロマンチックなパリの魅力を堪能しようではありませんか。」


【講師・パネラー】
  
小中陽太郎 (作家・日本ペンクラブ理事・星槎大学教授)
                                 プロフィール下記

【テーマ】 

「パリを語ろう」(わが思い出のフランス映画)


【司会】

瀧澤陽子(エッセイスト)

 小中陽太郎氏のトーク前に、10月初旬に旅してきたばかりのパリの報告を10分ほど話します。

【日時】

10月31日(土)PM2:00~

【場所】

船橋市勤労市民センター 第一会議室
    
 電話 047-425-2551

ヨタロウ会-勤労市民センター


【入場料】

もちろん無料です!

【お申し込みと予約】 


「実験的表現舎」代表・瀧澤陽子
            電話047-433-6499      
      ⇒   お申し込みメルアド



なお、詳細は瀧澤陽子オフィシャルサイトの



     ⇒  「パリを語ろう」わが青春のフランス映画  小中陽太郎講演会  

にも掲載しておりますので、こちらもご覧いただけると幸いです。


 
  【講師プロフィール】



ヨタロウ会-小中ポートレート


小中陽太郎(こなかようたろう) 作家、 日本ペンクラブ理事  星槎大学教授
 
「作家。日本ペンクラブ理事、星槎大学教授。 昭和9年、神戸市に生まれる。NHKを経て「ベ平連」に至る半生を、母の手記や日記を織り込んで小説『ラメール母』にまとめ、2004年6月平原社から上梓。1958年、東京大学フランス文学科を卒業、NHKテレビディレクターとなる。この間の経緯については『愛と別れ』(河出書房)、『王国の芸人たち』(講談社)、『不思議な箱のテレビ考』(駸駸堂)などに詳述。歴史、市民運動、教育問題などを題材にノンフィクションを発表する。初期の作品に『天誅組始末記』(大和書房)、『小説内申書裁判』(サンケイ出版)、『ぼくは人びとに会った』(日本評論社)などがある。現在、テレビのコメンテーターとして論陣をはり、今年20年目の西日本放送「おはようホットライン」のキャスターをつとめる。10月にオーストリアのリンツで開催される国際ペン大会で「源氏とアニメ」について報告予定」





    

小中陽太郎先生が、下記のイベントにご登場いたします!名古屋近辺の方はぜひともご参加お待ちしております!



  アメリカばんざい 上映会のご案内




貧困家庭の若者は軍隊に入るしか生きる術がない―、この実態が米軍兵士の供給源となり、 イラク撤退後もアフガンへの増派を進めるオバマ政権。

一方、自衛隊のイラク活動に下された違憲判決をすり抜けるかのような海賊対処法によって 海上自衛隊の海外派兵を強行する政府。そして今、年収200万円未満の労働者が1千万人を越えた日本。貧困層の拡大は戦争国家への布石なのか。  


同時上映

ベトナム戦争脱走兵  イントレピッド4人




2009.9.26()18:00開演

お話し    池住義憲(自衛隊イラク派兵差止訴訟の会代表・立教大学院教授)

解 説    小中陽太郎(作家・日本ペンクラブ理事・名古屋経済大学教授)

コーディネーター 津田秀一(アムネスティ・インターナショナル日本前理事)

【会場】ナゴヤボランティア・NPOセンター 

名古屋市中区栄1-23-13伏見ライフプラザ12※伏見通り沿い西側です/会場TEL052-222-5781

(地下鉄伏見駅6番出口より南へ500m、地下鉄大須観音駅4番出口より北へ400m)

Fee1000(事前予約orこのチラシ持参の方は800円/学生500)


主催:Stop the貧困戦争 実行委員会

●お申し込み(予約)先⇒hideichitsuda@hotmail.com (津田秀一)

電話申込み⇒090-3657-8392(津田)もしくは090-2770-8509(吉沢)

※事前予約の方はメールにお名前、参加人数、電話番号と懇親会に参加・不参加かをお知らせいただければ幸いです。 定員先着80名様


 ■後援 アムネスティ・インターナショナル日本 なごや栄グループ ■協賛 みその亭 ■実行委員 津田秀一/小中陽太郎/たかだ洋子/榑松佐一/黒田光太郎/滝沢彰/    濱田八郎/吉沢直樹/半田博子/田中妙子/木下一郎/白井えり子/笹野昌宏/笹野まち子/児玉克哉/

 


ヨタロウ会の皆様


今回の「ヨタロウ会」について、小中陽太郎氏からご感想が届きましたので、転載いたします。






        「4日おくれの二の丑に鰻を食うわけ」

                           小中陽太郎

「どうじゃ、あついのう、うなぎでもくうか」

 と源内先生

「まあ、うれしい、池の端?」

「いや、わしが宣伝を頼まれた店がある。ちと遠いが、千住小塚原の荒川端まで駕籠でもやるか」

 と、やってきたのは、芭蕉が奥の細道に旅立った千住大橋の手前、芒が土手になびいている。そこに、軒の傾いたような店があった。店先に、うなぎの「う」を大きく書いた暖簾が川風にそよぎ、その脇に、

「土用(どよう)の丑(うし)の日にはうなぎを食せば精力絶倫」

 

 あなうなぎ いづくの山の妹と背を 裂かれてのちに身を焦がすとは(鰻に寄る恋)


                           大田南畝


(以上、平原社刊「翔べよ、源内、丑の日提稿分より)

 というわけで、やってまいりました。南千住のよたろう会の詳細は、それぞれのブログで焼くなりしゃぶるなり存分に。




ヨタロウ会-ヨタロウかい尾花




    ヨタロウ会暑気払いの報告



8月4日午後4時から 夏の「ヨタロウ会」が開催されました。

小中陽太郎先生から、「猛暑はおいしい鰻を食べて乗り切ろう」というご提案に、幹事の私は大賛成しました。


会場は南千住の鰻の老舗「尾花」。一般の方から著名人まで愛されている超人気のお店です。確か、7年前にも「ヨタロウ会」の会場となったお店です。開店が4時で、鰻が無くなったら閉店ということで、ご案内には時間厳守とさせていただきました。


私が会場に到着したのが午後3時45分。まだシャッターが開いていないにも関わらず、お店の前にはたくさんのお客さまが並んでおりました。


この列にグループ単位で並んでいないと、一緒の席になれないということで、「ヨタロウ会」の会員の皆様は、かなりお時間にナーバスになられたようです。当日の出席予定者はほとんどがお並びいただいたのですが、青萠堂の尾嶋四朗さん、登山家、作家の穂高健一さんは2分ほど遅れていらしただけでも、同席が危ぶまれましたが、すぺり込みセーフ。


まるで、マリナーズのイチローの盗塁のような技で駆け込んでいただきました。


無事皆様がお席に着いたことだけで、幹事の私はホッとしました。


その甲斐があり、確かに鰻はおいしかった!うな重、蒲焼の美味だけでなく、鯉のあらい、う巻きも素晴らしかったです。


美味しいものを食べるのには、制約や努力が必要だと納得しました。


2次会は浅草に繰り出し、甘味喫茶の「梅園」であんみつやカキ氷でデザート。飲み足りない方たちは、小中陽太郎先生とモツ焼きへと。幹事の私とはるみ夫人グループは「ピーター」という喫茶店へと二手に別れました。


いずれにしても、皆さん、本当にお元気で良かった!良かった!


  なお、今回の「ヨタロウ会」について、穂高健一さんと近藤節夫さんがご自身の公式サイトのブログにて、詳細をご報告いただいておりますので、ぜひともご覧ください。



【穂高健一ワールド】

http://www.mr-kondoh.com/goikenban2.html



【知の狩人 知の旅人】



http://www.mr-kondoh.com/goikenban2.html

 



「ヨタロウ会出席者」


尾嶋四朗さん(青萠堂社長)

高橋 衛さん(フリー編集者)

堀 ただし さん(ヨタロウ会会長、フリー編集者)

渡辺勉さん(平原社社長)

相場博也さん相森社社長)

須藤甚一郎さん(目黒区議)

近藤節夫さん(エッセイスト)

穂高健一さん(登山家、作家)

難波純子さん(料理カメラマン)

瀧澤陽子(エッセイスト、ヨタロウ会幹事)


小中陽太郎先生、小中はるみ先生   はるみ先生のお友達の遠藤さんで 

 計13名の方が出席いたしました。










小中陽太郎氏から下記の講演会のお知らせがありました。ご興味のある方はぜひともご参加お待ちしております。とても意義のあるお話が聞けるのではないかと期待しております。


日本キリスト教団中目黒教会

伝道集会

2009年6月20日(土) P.M.2:00



「ローマまで歩いた日本人」

ペトロ岐部の殉教

お話:川村信三上智大学准教授

聞き手:小中陽太郎(中目黒教会)

オペラ「ペトロ岐部」鑑賞(抜粋)

作曲:原 嘉寿


(川村信三氏プロフィール)


1958年生まれ。関西学院、上智大学、教皇庁グレゴリアン大学を卒業。上智大学文学部史学科准教授、キリシタン史、とくにペトロ岐部など天正年間のキリシタン研究。



場所:中目黒教会


153-0063


目黒区目黒3-4-5


TEL:03-3713-4172



E-mail
nakame96@a00.itscom.net


※入場無料ですので、お時間のある方はお待ちしております。





    「憲法9条とベトナム研修生を巡って」   




榑松佐一(『トヨタの足元で ベトナム人研修生・奪われた人権』(風媒社)、拙著『小田実と歩いた世界 市民たちの青春』(講談社)を題材にしたシンポジウム(3月27日名古屋ボランティアNPOセンター)を開催した。(司会木村直樹)

ポスター(添付)はこの二人の名前によるが実はもう一人佐藤毅(元中日編集担当専務)が重要な参加者だった。佐藤は「護憲運動は政治的な問題ではないと思います。日本は『もう二度と戦争はしません、これからは平和国家でやります』と世界に約束したのですからそれを守るかどうかは、民族の節度、自覚の問題です。」(革新・愛知の会)として、ドラゴンズ相談役の多忙の中も草の根の講演を続けてきている人物である。わたしが勇気づけられるのは、草の根ではわれわれは多数派になれる、という確信とともに、9条を守る運動を国際的な約束ととらえる観点である。この見方は、今回のシンポのテーマにつながっている。さてこの5年を振り返って僕の話したこと。

シンポの母体は、今年で五年目の市民と言論実行委員会だが、この会の呼びかけ人の一人として、大切にしていることは、市民運動・労働組合・マスコミ企業人の連帯を構築することであった。

2004年イラクでの高遠菜穂子さん拘束の報に名古屋大に来ていたイラク人医師モハメド・ハッサンによる実行犯への呼びかけも、弁護士、労働組合、マスコミ関係者、ピースボートなどが一体となっての運動であり、それはまたイラク派兵違憲訴訟の勝訴への連帯へとつながった。

さらに私個人としても昨年末から今年初頭のイスラエル軍によるガザ侵攻にたいし、「岡本太郎さんのベトナム戦争当時の反戦広告の「殺すな」をかかげて、市民に訴えた(マスコミ9条の会ブログ参照)。

わたしと組合の出会いは、NHK退職にはじまる。おりしもNHKの芸能員(大阪放送合唱団など)の契約更改で、突然それまでの雇用契約が打ち切られ、契約社員とされた。芸術家(芸能員)は「日芸労」を結成、その後40年を超える戦い内突入した。芸術家、ひいてはフリー労働者の労働の実態を知らされ、「王国の芸人たち」として発表した。それがわたしと組合とのつながりのはじまり、それは市民運動からただひとりの全国革新懇話会世話人参加に連なる。わたしはそのことでべ平連内部から違和感をもたれたが、わたしはその路線も捨てなかった。それがのちの都知事候補に至るのは、拙著に詳述したとおりであるし、マスコミ9条の連帯にもつながる。この問題は、いわば今日の派遣社員の始まりであり、問題は今も東京第二国立劇場の合唱団でも発生している。

率直に言うと、市民運動には、自由な発想と自発性があるが、組織がない。労働組合は組織と力があるが、機動力に欠ける。この二つをあわせたら鬼に金棒だ。

さて、ベトナム研修生についてお話ししたい。榑松佐一氏を事務局長として、愛労連 は、この2年間に89件480人の外国人研修生・実習生の相談を受けてきた。

それによると、パスポートの取り上げ、強制貯金、外出制限、門限違反への罰金などの人権を無視した規則を押しつけ、これに違反すれば強制帰国となるばかりか、高額な保証補償金を没収するような契約になっている例が発覚している。国内の受け入れ機関は2年目からは各企業となるはずが、ほとんどの受け入れ団体が、二年目以降も企業から多額の管理費を徴収していた。ある団体は実習生一人当たり55、000円、さらにビザ更新などの実費をとられていた。その文が結局研修生に違法な形で天下されるのだが、。しかし研修生は強制送還を恐れ、泣き寝入りしてきた。

現在「外国人「研修・技能実習制度」の改善を含む入管法改正案が検討されているが、

経産省・財界への供給である在留期間5年への延長が盛り込まれている(実習期間は奨励で当面3年)。

一方5省の権限が入り乱れている団体への許認可・監督は一元化されていない。それに対し愛労連は意見書を提出、「派遣ビジネス化している受け入れ団体への指導・監督こそが最も重要であると」補強を求めている。

さて以上の3人の発表をうけて、会場のマスコミ、市民運動の参加者から、ベトナム戦争中のベトナム人との交流の様子などで活発な意見が交わされた。

正直言って市民運動は、脱走兵の援助までは直接連携はなかった。それはひとつには、社会主義国として、ベトナム側が友党や労働組合との連帯を優先したこと、他方、マスコミのスクープ合戦でベトナム当局側も、宣伝効果のあるある大マスコミを選別的に入国させたことを指摘した。それにたいして小田を中心としてわつぃたちは個別に各地でベトナム側と接触した。もっともわたしの意見に対して、元毎日新聞 論説委員の大橋弘氏から、大森実記者のハノイ報道をあげて、大森がいかにスクープのために努力したかと、強い反論があった。それはその通りだが、わたしはハノイ政府側の対応を語ったつもりである。     

さらに話題はマスコミの現状におよび、当時にくらべて今の市民運動の停滞について、アムネスティ日本理事の津田秀一(なんとわたしの予備校の弟子)から当時と比較して質問があった。

わたしの答え、現在のマスコミのニュース(かっての久米宏や田原総一朗から、みのもんたまで)が「代行民主主義的にガス抜きになっていること、インターネットなどで、人間と人間のつきあいが希薄になっているメディア優先時代であること、もう一つは、運動がベトナム戦争というような世界的なテーマではなくて、環境、年金、派遣などの個別化していることをあげた。

しかしグローバリゼーションや市場経済優先の政治の中で身近な生活防衛にも限界があるだろう。これが世界的な反乱にいたるかは世界経済の行方と密接な関係があるだろうが、やはり民衆の側の主体的な取り組みいかんではないか。

べ平連がマスコミの現場の人間を仲間と見てきたといったことに対し、会場から「パチンコのCMばかりしているマスコミに甘い」という当然の批判が出た。たしかに今のテレビのお笑いブームは残念だ。しかし責任は企業としてのテレビの経営であって、中で働く一人一人は、そのことに怒っている、かれらも同じ市民だ、彼らとの連帯ももっと追求すべきである、と強調した。この点については、東海テレビプロダクションの大西文一郎相談役に意見を聞いたことであった。

議論のなかでこんなことをおもった。これまでのアジアとの交流は平和運動や作家団体の連帯、また大マスコミの取材活動として行われてきた。それに対し未組織労働者との草の根の交流はやっと始まったばかりである。

派遣や研修生問題こそアジアの民衆同士の連帯のはじまりではないか、さもないとこの滔々たるグローバリゼーションの荒波に抗してアジアの労働者の人権を守ることは不可能だろう。

以下のことは会場では述べなかったので書いておきたい。

ベトナム戦争反対運動をとうしてさまざまの交流があった。平和委員会、作家同盟キリスト教団体、だが2002年小田と最後にベトナムを訪問した時、南ベトナム解放戦線が立てこもったクチ・トンネルにいった。25キロのトンネルだった。高齢の通訳がいった。

「私たちは「ここでベトナムの枯草剤、軍用犬とたたかった。いちばんつらいのはヘリからの放送だった。『あなた方の妻や子が待っています。さあ、早く壕から出てきなさい』と昼夜を分かたず空から呼びかける。そのとき私をたちを勇気づけたのは、NHKので相模原の市民たちが戦車をストップしているというニュースだったのですよ、ああ日本では私たちの戦いを知っていてくれる、と」。

相模原の座り込みをした山口幸夫は、それを聞き、帰国後、羽根田進という友好団体と農民たちを日本に招いた。

クチを訪ねた夕方、一人でサイゴン川の夕日を眺めていたら平和委員会のグエン副会長が寄ってきて、二人でベトナムビール「333」を飲んだ。うまいビールだった。

 これからベトナムの若い労働者との交流が始まるのだ。

PS.ベトナム民衆の交流について2,3の追記、

民間交流、研究につとめた以下の人たちの存在も紹介したい。

1、ベトナム戦争中、現地に滞在し、ハノイとソンタイを結ぶ幹線で、紅河堤防上の神跡を調査、80年以降民間信仰の考察を続けている高津茂星槎大学教授の地道な研究

2、2008年まで10年間、ホー・チ・ミン市のベトナム国立大学の日本語講師を務めた越充則

21世紀国際交流会を主宰している三進交易・羽根田新平とそのハノイ事務所長であるSanshin Trading Co., Ltd新妻東一などがおもいつく。

ヨタロウ会の皆様へ


小中陽太郎氏が下記の内容の出版記念シンポを開催いたします。名古屋ですが、とてもいい組み合わせなので、お時間のある方はぜひとも足をお運びいただければと思っております。どうかよろしくお願いいたします。            

                 

                  (記)


日頃お世話になっているみなさんへ

昨年11月に榑松と小中陽太郎さんが同時に本を出版しました。
これを記念して二人で何かやろうと話し合っていたところ
佐藤毅さん(元ドラゴンズ球団社長)の協力でシンポジウムの開催がきまりました。

たいへんお忙しいこととは思いますが、ぜひご参加いただければ幸いです。

出版記念シンポ
3
27()18:30
名古屋ボランティアNPOセンター


小中陽太郎
市民達の青春 小田実と歩いた世界
     講談社 0811月刊 1500(税別)

榑松佐一
トヨタの足元で
ベトナム人研修生・奪われた人権
      風媒社 0811月刊 1300(税別)


コーディネーター 佐藤毅(元ドラゴンズ球団社長)


資料代500円(本は別に予約をお願いします。)
お名前、書名、冊数を




メール kurematsu@airoren.gr.jp
またはFAXで 052-871-5618 へ

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  愛労連(愛知県労働組合総連合)
    事務局長   榑松 佐一
  ブログ愛労連
  
http://rodo110.cocolog-nifty.com/aichi/
  E-mail kurematsu@airoren.gr.jp
  〒456-0006
  愛知県名古屋市熱田区沢下町9-7 労働会館東館

  TEL 052-871-5433  FAX 052-871-5618
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