2010年がスタートしました。本年もよろしくお願いいたします!
リーマンショックがジワジワと浸透し、不況のために自殺する人は年に3万人も超えたということです。こんな日本っておかしくないですか?2009年は政権交代という画期的な年でもありましたが、この不況の解決策は2010年にも引き継がれていくでしょう。
とにかく、今年こそは、労働者や庶民が不安もなく元気に過ごせる年になって欲しいと切に願っております。
さて、昨年末の「ヨタロウ会」は、12月28日(月)、自由が丘にある広東料理専門店の「麦府」で開催されました。
美食家の小中陽太郎ご夫妻のお勧めお店なので、コース料理の味は抜群、飲み放題付きにも関わらずお値段もリーズナブルで、とても素敵なお店でした。不況にピッタリのチョイスだったので、会員の方たちも安心してお料理を味わい、酒宴の席はいつものように盛り上がりました。
幹事の私的にも、「有馬記念」で馬券をスッテ大損したので、大変ありがたかったです!陽太郎先生、はるみ先生感謝MAX。
皆様も楽しんでいただけと確信しております。もし、ご意見があれば下のコメントをクリックして何でも結構ですから、書き込みお願いいたします。
【出席者】
●近藤節夫さん(エッセイスト)
東洋経済から出版された「知の現場」という著作に小中陽太郎先生のインタビュー記事が載っています。近藤さんならではの奥行きのあるインタビュー記事でした。ヨタロウ会の皆様もぜひとも書店てお求めになってみてください。
●木俣冬さん(映画、演劇ライター)
●大原雄(日本ペンクラブ理事)
●穂高健一(山岳作家)
●西原倭香(穂高氏夫人)
●尾嶋四朗(青萌堂代表)
●相場博也(創森社代表)
●堀 ただし(フリー編集者)
●高橋衛(フリー編集者)
●北岡和義(ジャーナリスト、日大教授)
●須藤甚一郎(目黒区議、芸能評論家)
●浅井清宏(フリー編集者)
●浅井弥生(浅井夫人 サプリメント会社経営)
●渡辺勉(平原社代表)
●服部英樹(小中陽太郎先生の親友)
●小中陽太郎先生
●小中はるみ先生
●瀧澤篤朗(世界文化社)
●瀧澤陽子(競馬ライター、映画ライター、エッセイスト)
と、合計19名で盛り上がりました。また今年の夏のヨタロウ会でお会いできるのを楽しみにしております。
ところで、小中陽太郎先生の近況は会の中でも出ました話題ですが、改めて、小中先生ご自身から掲載原稿が届きましたので、下記に転載いたします。
●平賀源内の小説を上梓
小説「翔べよ、」源内」を春に上梓、高松藩植物園跡の白金の国立自然園で源内手植えの虎の尾鈴掛を見たり、南方熊楠の文章から源内の癲狂の真否を探ったり多少の新発見有り、ただし小生の戯作癖が吉と出るか兇とでるでしょうか、それともべ平連より酔狂連、村上豊装丁(平原社、国際ペン東京大会2010)
●週刊読書人 09/12/18 号に掲載 「われながらべ平連ですね」
池澤夏樹 カデナ 新潮社
さながら小田実の雄大な作品を読むこころ、これ池沢の筆力をたたえるもの。時代はベトナム戦争真っ盛りの1968年、米軍の嘉手納基地に巣くう獅子(シーサー?)心中の虫4人、フィリピン女性、ベトナム人、サイパンから引き揚げた青年。40年後の「べ平連」という作者へ40年前のべ平連から連帯の挨拶を!
女優岡田 茉莉子 岡田茉莉子 文藝春秋
東尋坊の廃船をめぐってさまよう男女(「女のみずうみ」。劇中劇のロケの監督は、なんと40年前の小生、そのときのカメラマンが前記脱走兵の記録を撮影したとは。
近親相姦から不倫まで登場人物名でなく、すべて「わたし」と言い、夫を吉田喜重とよぶ「水で描かれた物語」ならぬフィルムに生きた女の物語。
自由への道 サルトル 海老坂武 澤田直共訳 岩波文庫
サルトルがなによりも小説家であったことを証しする新訳。ユダヤ人の恋人の堕胎先を探しあぐねるこの小説の最大の魅力は、正直ということではないか。海老坂の解説が、モデルから時代背景、最後の地図にたるまでまるでグウグル地図のように立体的で長年の傾倒ぶりが伝わる。訳者の案内でいくつかの街角にたたずんだものには、青春の道標。
(小中陽太郎)
●東京地裁103号法廷
09年12月1日東京地裁103号法廷。そこで繰り広げられたのは、沖縄を間に、アメリカが日本に押しつけた屈辱の歴史と、それに抵抗した人間たちの物語であった。
わたしたちは、あのとき沖縄を見捨て、西山を放り出した。その償いにわたしはここにいる。あるワシントン特派員は「メディアの敗北」とまで呼んでいる(金平茂紀)。
弁護団長の清水英夫を先頭に外務省へ「沖縄密約文書」情報開示の請求にいったのは08年9月3日だったから、あれから1年たつ。あの日、最高裁は西山の賠償請求を「20年の除斥期間を過ぎている」と棄却した。米情報公開でさえ30年かかる、それを20年で除斥とは。
1971年12月7日、旧知の北岡和義(当時衆議院議員秘書)は、毎日新聞西山記者の入手した一通の秘密電報を衆議院質問にゆだねた。そこには沖縄返還回復補償費として日本側は400万ドル払うと書かれていた。(その後額は3億2千万万ドルにふくれあがり、吉野の証言では諜報機関VOAの移転費用まで払わされていた)。宛先名から出所がわかった。わたしがなぜ宛先をのこしたか、問うと、北岡は、宛名を切り取ったら政府は、怪文書と無視したろう、と説明した。政府は、怪文書とするかわりに西山と事務官を公務員守秘義務違反で起訴、存在しないものを漏洩してどうして罪に問われるのか。司馬遼太郎が激怒したようにまったく本筋ではいない言いがかりにより、世論は一変した。わが身を切るようにして書いた澤地久枝の「密約」を見れば当時の女性バッシングのすさまじさがわかる。そのことで世論も責任がある、とわたしはおもう。ただし今度の訴訟で弁護団は、 「この問題を西山事件から切り話すことにしました。」(小町谷育子)。そして沖縄からの原告代理人は、問うべきは「当事者の立場にありながら、情報から疎外され、決定の場から排除される、構造」(岡島実)、新崎盛暉は普天間基地移転はこの繰り返しと指摘している。
二〇年後琉球大我部政明は、「ユスカー文書」に吉野スナイダー調印文書を発見した。「ユスカー」の名は、わたしたちがべ平連といわれる運動を始める前、小田実からおしえられた。それは、正式名アメリカ民政府、実態は陸軍省である。
九一歳になった吉野文六局長は、「歴史の歪曲は外交の為にならない」と決意、「あのとき文書はスナイダー公使が持参、わたしが署名し、スナイダー正本はもちかえった」、とはっきり証言した。退廷の際、わたしは西山のとなりにいた。吉野は小さく手をのばした。
わたしはその刹那、真に恥ずべきアメリカ政府だ、とおもった。巨大な軍事力を持ちながら「財政難のせいで」(吉野)、アメリカの議会と沖縄県民を欺いた。情報公開法ぐらいで許すことは出来ない。
11月8日、宜野湾の県民大会の夜、40年ぶりに嘉手納基地ゲートにたたずんだ。
帰営時間でつぎつぎに基地に駆け込む兵士の背中に小声でレノンのうたをうたった。40年前そう歌ったら本当に彼ら(脱走兵)は来た。
「ハッピークリスマス・ジョイン・アス」。