タイトル ヘレディタリー 継承

公開年

2018年

監督

アリ・アスター

脚本

アリ・アスター

主演

トニ・コレット

制作国

アメリカ

 

本作は、家長として一家に君臨していた祖母の死をきっかけに、さまざまな恐怖に見舞われる一家を描いたホラー映画。それらの怪奇現象の陰に、悪魔の復活を図るグループの暗躍があったというサスペンス要素もある。監督・脚本は長編映画監督デビュー作となるアリ・アスター。

終盤まで悪霊と思しき存在も登場せず、直接脅かしてくるタイプのホラーではない。じわじわと精神を蝕んでいくのが本作の注目ポイントで、それだけに好みははっきりと分かれるが、ホラー好きなら一度は観るべきとも言われ、「2018年で最も怖いホラー」と評判になり、観客だけではなく批評家高い評価を受けた。一部で「21世紀最高のホラー」とも言われているが、さすがにこれはほめ過ぎ。と言うのも、本作は説明を放棄している系の映画だから、考察しないと何が起きているのかよく分からない。

相変わらず映像はすごい。ここだけで引き込まれる

 

映画は寝ている人形がいる、ミニチュア模型の部屋のアップから始まる。そこに突然父のスティーブが現れ、眠っている息子ピーターを起こして礼服を渡す。この導入部は、観客の先入観を巧みに突いたシーンだ。このミニチュアは母親のアニーが作ったもので、彼女はミニチュア制作が職業。

今日はアニーの母のエレンが亡くなり葬儀が行われる日。アニーは参列してくれた人に感謝しつつも「見知らぬ人がたくさん出席している」と述べる。なんてことないように思えるが、これがのちに重大な意味を持つようになる。

一家にはもう一人チャーリーと言う娘がいるが、彼女が葬儀の間もむしゃむしゃとチョコレートを食べているちょっと変わりもの。5.6歳ならともかく、彼女はもう13歳。とても大目に見られる歳ではないはずだが、誰も咎めず半ば放置されている。

母の死からアニーはグループ・カウンセリングに参加するが、その席で、エレンが解離性同一性障害を発症。父が統合失調症で餓死。兄が極度な被害妄想が原因で自殺。そして、自分も夢遊病に悩まされていることを告白する。奇行が目立つ娘のチャーリーを含め、この一家でまともなのはピーターと血の繋がりのないスティーブのみ。日本なら、お祓いを勧められるほど問題だらけの一家だが、勿論それには理由がある。

その後、ピーターが友達のパーティーに行く事になるが、アニーはチャーリーを連れていくことを強要。ティーンエイジのパーティーに13歳の妹を連れて行かせる事に異様さを感じるが、悲劇が突然起きてしまう。チョコ好きのチャーリーが食べたチョコケーキにナッツが入っていたのだ。ナッツアレルギーの彼女にこれは致命的。自分なら救急車を呼ぶが、発作を起こしたチャーリーを慌てて病院に連れていくピーター。しかし窓を開けて外に首を出したタイミングで電柱とすれ違い、彼女の首が捥げてしまう。衝撃を受けたピーターはそのまま家に帰るとベッドに入る。朝、アニーが車に乗るまで彼女の遺体はそのままとなっていた。アニーは葬儀の最中もずっと錯乱していた。ただ、ここで疑問なのはピーターは過失致死と死体遺棄の罪を犯している。あるいは危険運転致死罪が成立するかもしれない。アメリカでこの辺がどうなのか不明だが、いくら未成年でもさすがに無罪放免はないと思うが、映画を見ると罪に問われた様子はなく、学校にも普通に行っている。その後起こる怪奇現象よりも、この事の方が怖かった。

この事から、アニーとピーターは険悪な関係になってしまい、その事がアニーに更なる孤独感を生む悪循環に陥る。そこで、グループ・カウンセリングで知りあったジョーンという老女と仲よくなり、交霊会に参加すると、これは本物と思い込み、真夜中、アニーはスティーブとピーターを起こし交霊会を始めてしまう。一旦成功するが、スティーブによって儀式は中断される。しかしこの交礼会以降、ピーターは悪夢にうなされ少しずつ精神が病んでいく。

更にアニーは、屋根裏部屋で母の首のない腐乱死体を発見。そこから母の遺品を調べると、エレンはペイモンと呼ばれる悪魔を崇拝するカルト教団の代表で、ジョーンはエレンの側近だった。

アニーはスティーブに屋根裏のエレンの死体を見せるが、スティーブは夢遊病持ちのアニーがエレンの死体を墓から掘り返して屋根裏に遺棄したのだと思い込み、取り合わない。そこでアニーはチャーリーが残したスケッチブックを焼こうとするのだった。と言うのが大まかな粗筋。

 

以下はネタバレ全開なので、まだ見ていない人はブラウザバック推奨!

 

 

 

本作の粗筋をぶっちゃけて言うと、すべては序列9番の地獄の王とされる悪魔、ペイモンの復活を企む悪魔崇拝者の邪教集団の陰謀。エレンは教団のクイーンで、チャーリーは生まれた時からペイモンの魂を持っていたが、クイーンの血統をひく男子にしかペイモンの魂は宿らないので、チャーリーの体は用済みとなり捨てられ、ピーターの体が狙われたと言うもの。ラストでピーターの体には、もう彼の魂は宿してないという事になる。ラストで現れた怪しげな連中は、すべて教団の信者たち。

アニーは本能的にそのことに気付いて、エレンと距離を取ったりピーターを生むまいとしたり、夢遊病の中で焼き殺そうとしたりした。何故エレンの血統でペイモンの復活が出来るのかとか、アニーにペイモンの魂が宿らなかったのは何故かとか、アニーの兄に宿さなかったのは何故かとか、そのあたりは定かではない。そもそもエレンの血統がペイモンと何か関係があるのかは不明。

色々と突っ込み所はあるが、悪魔の復活を不気味な雰囲気の中で描いたのは、良かったと思う。物語の折々に、ミニチュア模型のカットが入るところが見せ方として面白かった。あれは、登場人物が誰かに操られている事を現せているんだろう。ただ、似たような映画として「ローズマリーの赤ちゃん」があるが、あちらに比べると、きわめて不親切な作りとなっていて、全く説明がされていないので今、何が起きているのかとか、そもそもラストは突然の出来事に、茫然としているようにも見えて、ペイモンが復活したのか分かりにくい。それにグラハム家はペイモンと関係があるようだが、暮らしぶりは平均よりやや上くらいだし、何らかの利益を得ている様に見えない。ここは、「かつては莫大な資産があったが、今は落ちぶれている」と言うセリフの一言で解決するはずだ。この辺りの詰めの甘さも目立つ。

「ミッド・サマー」でもあったが、アリ・アスターは宗教的なバックグラウンドを描くのが好きだが、その宗教観はキリスト教の価値観をバックにしていて、他の宗教、特に多神教などに理解が無いように見えるが、これは両親がユダヤ系と言うのも反映しているのかもしれない。

と、ここまで書いてふと思ったのだが、ひょっとしたら、アリ・アスターは悪魔の復活なんてどうでもよくて、家族の崩壊が描きたかったのではないか?それくらい精神的にも、バラバラになる家族の様子が丁寧に描写され、その分ホラー演出は終盤まで控えめだった。

ただ、個人的にこの監督はちょっと苦手。「ミッド・サマー」の時も感じたが、描写は丁寧だが説明は下手(と言うよりしない)だから、見ていてちょっとでも飽きると置いて行かれてしまう。その意味で、万人に勧められる映画ではないが、ハマる人にはむっちゃハマると思う。