タイトル 変な家

公開年

2024年

監督

石川淳一

脚本

丑尾健太郎

主演

間宮祥太朗

制作国

日本

 

本作は、人気ユーチューバーの雨穴が、違和感だらけの変な間取りの家の裏に隠された、驚愕の真相に迫る展開で話題を集めたYouTube動画をもとに、ミステリー小説仕立てとして書籍化したベストセラー小説「変な家」を映画化したもの。

YouTubeチャンネル「雨穴」は、性別年齢不詳の雨穴のとぼけた味わいと、建築士の栗原の頼れるおじさんという、ホームズとワトソンを思わせるコンビで事件の真相に迫る過程が面白く、1000万再生を超える人気となった。ちなみに雨穴は、ゆる~~く笑えるコンテンツに特化したWEBメディア「オモコロ」のウェブライター。素顔は完全非公開で、全身に黒タイツのようなものを着て、顔は土偶を思わせる白い石膏の様な仮面を被っている。

雨穴のチャンネルはオカルトタッチだが、どちらかというとヒトコワ系でいったん事件は解決するも、その後で衝撃の真相が明らかとなるという展開が多い。

私はYouTubeも小説版も見ていたので、正直言って「これをどうやって映画化するのだろう」と思っていたが、それぐらい、映画化に向いていない様に感じた。

独特な語り口と、斬新な内容で人気の雨穴さん

 

オカルト系ユーチューバーの雨男こと雨宮は、最近再生数が伸びていない事に悩んでいた。そんな時マネージャーの柳岡から買おうと思っている家の間取りがおかしいと相談を受ける。確かにキッチンの背後に妙な空間がある。半ば「ネタになるかも」と思った雨宮はオカルトネタの提供者でオカルトを始め多方面に詳しい建築士・栗原に相談。栗原は間取り図を一目見るなり、「2階の子供部屋もおかしい」と言い出す。確かに2階の子供部屋は、まるで中を見せたくないかのような構造になっていた。その事から栗原は、この家は殺人の為の家であると推測する。半信半疑の雨宮だったが、やがてその家の近くで死体遺棄事件が発生。死体の左手だけが無くなっていた事が判明した。

雨穴ならCRTディスプレイだが、雨宮はマックブックなど最新のパソコンを持っている。この辺は現代のユーチューバーなら当然だ。雨穴のミステリアスな部分が無くなっているが、これは仕方ない改変。それより栗原が登場するときのお約束

 

そこで私は、知人に相談することにした。

ツー・ツー

「はい。栗原です」

 

が無くなっているのはファンにとっては定番だけに残念。この辺りから、脚本の丑尾は雨穴のチャンネルをあまり見ていないことが推測される。

 

この間取りの動画をアップすると、久々にバズったが、「この家の事を知っている」という女性から連絡が来る。彼女は、4年前に埼玉で死んだ男の妻宮江柚希で、自分の夫・宮江恭一が殺された事件と、東京で起きた事件が似ていることに気が付き、調査したところ夫の遺体が遺棄された現場の近くに、似たような家がある事に気が付いたのだ。

二人は、東京の変な間取りの家を訪れることにする。そこへ栗原から電話がかかってくる。なんと、宮江恭一さんは結婚していいないというのだ。するとこの柚希は何者か?

柚希登場の件は、かなり整理されているが、これはややこしさを避けるためで問題ない。ただ、件の家に不法侵入するのはいただけない。売りに出ている以上は、内覧で見る事が出来るはずだし、内覧に供する前に徹底的に調べてきれいに掃除するはず。秘密の通路に気付かなかったり、血痕や爪でひっかいた跡などが残るはずがない。また正体がばれた後の柚希の反応は全く必要ない。いずれも脅かそうとした無意味な演出。ここ以外も本作はジャンプ・スケアを乱発しているが、これは最近流行らない手法だ。ジャンプ・スけアはここぞという時に使えば効果的だが、乱発すると観客は慣れてしまう。そもそもジャンプ・スケアは「脅かす」ものであって「怖がらせる」ものではない。

あの髪だらりは引いたが、それ以外は悪くなかった

 

その後柚希は雨宮の元を訪れ、自分があの家に住んでいた妻の妹であることを告白。行方不明となった姉・綾乃を探している最中に、雨宮の動画を見つけて連絡を取って来たのだ。柚希達片淵家では、先祖代々伝わる呪いと呪いを鎮めるための左手供養と呼ばれる儀式が行われており、あの家はそのために建てられた家だった。

以下、長くなるので原作との違いや疑問点をさっと書いてみる。なお、完全ネタバレなので、まだ未見の方はブラウザバックを推奨する。

映画本編を見ると明らかに片淵本家の外観は普通で、こんないびつな形状ではない

 

原作では、明治時代の当主・宗一郎が実の妹・千鶴と近親相姦の禁忌を起こしたことになっているが、映画ではまるっとカット。その影響から、原作だと清吉が起こした分家が重要な役割を果たすが、映画では完全にカットされている。それなのに何故か「本家」というセリフがやたら出てくるが?

更に、原作では正妻となっている女中の高間潮だが、当主の宗一郎との夜の営みはなく、本家の没落とともに精神を病んで自殺しているが、映画だと愛人になり正妻からいじめを受けて自殺したとなっている。この改変の影響は大きく、左手供養の意味が、原作では清吉の血を引く分家の縁者が殺害の対象となるが、映画だと誰でもいい事になっていて、本来の意味をなさなくなっている。また左手供養のはじまりが、原作では分家の第2夫人の志津子が、自分が産んだ子を跡継ぎにしようと、他の夫人が産んだ子を殺す為に、縁者を呪術師にしたことになっているが、映画では分家の存在そのものがカットされているので、呪術師の過去は描かれていない。

接客シーンがある事から、栗原の神秘性も薄れたように感じた

 

他の疑問点は多々あるが、一番の疑問は、中盤で左手供養の策略がばれて綾乃と慶太が本家に呼ばれた時、まだ赤ん坊のひろとを家に残している点。結局、桃弥がいたから事なきを得たが、彼が部屋を出るのは想定外でひろとは一人になるはずだった。これがどれだけ危険な事かは、子育て経験をしたことがあるのならお分かりのはずだが、あの若夫婦は能天気に出かけている。

終盤の因習村が目を引くが、物語の根底を生すような改変がされ、それがドミノ倒しのように後々帳尻を合わせるのに苦労している様に見える。本作を製作している共同テレビはフジテレビの子会社なので、地上波テレビでの放送出来るようにマイルドに改変したつもりが、その作業に追われ、様々な問題に目がいかなくなって脚本が雑になった印象だ。

ここは、「セクシー田中さん」騒動と同じで、設定の根幹を変えなきゃいけないのなら、映画化なんてするべきじゃない。

影の黒幕説もあるが、脚本家は何も考えていないと思う

 

粗筋で述べたとおり、本作の特に後半は突っ込み所の嵐。ここまで多いと映画に没入できないし、むしろ退屈して眠気を誘ってしまう。

前述の通り本作は、淡々とした会話劇で物語が進み、あまり膨らませる要素は少ないので、映画にあまり向いているとは言えない素材。どちらかと言えば、登場人物を色々と脚色できる「消えていくカナの日記」の方が、膨らませる事が出来るので映画に向いていると思う。それでも本作が選ばれたのは、電子版を含めて70万部ものベストセラーになったからで、いわゆる大人の事情という奴だ。この辺り、現在の邦画界は、映画化に向いている題材ではなく、とりあえず売れそうな題材に食指伸ばす事が分かる。ただ、映画も売れてなんぼなので、これ自体特段間違っていない。

ラストのチェンソーを振り回すシーンは、ふらふらしている様に見えて別の意味でひやひやした

 

ただ、その過程で、既に手垢どころか黴が生えている「因習村」を引っ張ってきたのはどうもいただけない。強大な権力を持つ旧家に支配された因習村という素材は、日本の法治が及ばないので、物語を作るうえで何かと便利。それ故租税乱造され、それだけで敬遠したくなる。ただ最近は、「ゲゲゲの秘密 鬼太郎誕生」や「黄龍の村」。映画ではないが「ガンニバル」等では斬新な工夫がみられるが、本作の因習村の様な黴が生えたような描写だと正直げんなりする。

威厳があって旧家の当主にはぴったりだが、ラストの行動は「あれでいいんか‼」

 

それとラストは雨宮側も柚希側も完全に蛇足。特に柚希側は、あれで綾乃と母親のそれまでの行動が意味不明となった。

しかし本作は大ヒットしている。私が見に行った時は、観客の大半は中高生。それも中学生が多かった。原作通り、近親相姦を入れればR指定は避けられず、R-15になったら主なターゲットをなくすことになる。だから絶対にR指定がかからないように作ったことは間違いないし、興行面を考えると仕方ない面はある。それに、大手の東宝と共同テレビが制作した時点で、改変は免れなかったのだろう。ただそれならミステリーに特化させるという方向もあったはずだ。本作はほぼミステリー要素はなく、中盤以降間取りの話すらどこかへ行ってしまっている。ただ間取りを中心とすると地味な話となり、興行面は失敗する可能性が高くなる。従って本作を否定する気はさらさらないが、因習村の描写も含めてもう少し何とかできなかったのかな?という気は強くしている。

何やら既視感があったが「探偵はBARにいる」と似ていないか?

 

これは全くの余談だが、原作は綾野暁の作画でコミカライズされている。この中では主人公を中性的に描き、男女を特定しずらくしている。特に感心したのは栗原と古民家カフェで待ち合わせるシーン。胡坐をかく栗原に対し、主人公は正座させる事でここでも性別不詳を貫いている。また主人公の名前は巧みな構成で完全に隠匿しているし、職業はオカルトライターでユーチューバーの部分が描いていない。こうすることで、原作の世界観を損なうことなく可視化に成功している。

これは更に余談だが、書籍化された時は自身のチャンネルでかなり取り上げていた雨月が、映画に関しては全く触れていない辺りに、現代の邦画界の闇を感じるのは私だけだろうか。

どちらとも取れそうに描いた主人公(上)と、栗原(下)若すぎるとの声もあったが、「変な絵」から推測すると、栗原はまだ30歳ぐらい