抗がん剤治療5クール終了計17で野球だと3回表終了まだそこ例えるんじゃなかった
体重は4月の胃切除で5キロの臓物を取り除き68キロになって以降、食事量減と抗がん剤治療で減少し先生から66キロキープと言われたけど、ちょっと無理で64キロラインかまもなく、3回裏6クール目のドセタキセル点滴+TS-1経口の併用療法がスタートそろそろ副作用にも身体が慣れて楽に対応できたらいいんだけどなぁ
さて甲州道ジョギングは甲斐国の上野原までたどり着いたんだけど次の目的地の大月が最高気温37℃くらいの灼熱の日が連日続いてて走るのは、いや歩くのさえ、とてもとても無理なので、先に北国街道を攻めるべく軽井沢へ向かいます中山道の荒川、東海道の多摩川は自分にとってルビコン川的な存在これを越えると、街道ジョギングの気合のギアが一段上がります
北陸新幹線を軽井沢で下車してしなの鉄道長野行きに乗り換えて西のスタート地点に向かいますしなの鉄道に乗るのは初めてだこの線路自体は、30年前に上野からの夜行スキー列車で碓氷峠越えして通ったの思い出すこの辺はビール飲んで峠の釜めし食べてた頃か
2駅目の信濃追分駅で下車中山道ジョギングで、軽井沢〜追分間は走ってるのでワープだしかしこの"warp"って単語、宇宙戦艦ヤマトのワープ航法と一般相対性理論の「歪んだ時空」 "warped spacetime" でしか聞いたことがないともあれ、最初のワープは衝撃的だった
信濃追分駅から北に向かうと典型的な軽井沢の風景道の両サイドには別荘が建っていて、いい感じまさにこの地を世界的に有名にしたショーが名付けた「屋根のない病院」ですよねリタイヤ後は、この地に別荘買って6~9月くらい住んでみたいけど、冬場の管理とか庭の手入れとか大変そうで腰が引けてしまうそういうことが苦にならない人が住んでるんだろうな
軽井沢町立軽井沢西部小学校今年の児童数は377人で各学年2クラスずつって想像よりも多いねぇ別荘が本宅っていう家のお子さんがけっこう多いのかもしれない都会の空気や気候風土になじめない子供たちにとっても、転地療養とまでいかなくても絶好の環境だ
信濃追分の標高は1003m気温は22℃でメチャクチャ涼しいこれは、この周辺をクルクル周回で走りたい下界に降りたくないと一瞬よろめいたけど、やはりこれは街道ジョギングという修行なのだダイバ・ダッタの魂を受け継ぐため否が応でも街道を進まないと
追分宿が過ぎると中山道と北国街道の分岐点中山道ジョギングでは左に曲がってすごい急坂を下って佐久から立科に向かったんだけど、今回、右の北国街道に向かい、その後国道18号に沿って進みます芭蕉翁も信州更科で名月を見る「更科紀行」で右の北国街道から戻って来た
突如シャーロック・ホームズ像出現「ワトソン君、何で私はここにいるんだね」調の翻訳でホームズ全集を完結させた延原謙さんがここ信濃追分に別荘を建て「ホームズ庵」と名付けたことにちなみこの地に像が建てられたいい機会なので「緋色の研究」から読み始めてみよう
グランドエクシブ軽井沢はリゾートトラストが運営する会員制リゾートホテル最上位サンクチュアリ・ヴィラムセオのスーパースイートで会員権780万円諸経費100万で13泊
国道18号線を下って行くと、恐らく天明3(1783)年の浅間山大噴火で焼けた後240年間手つかずで形成された原生林見かけは平穏に見えるけれど、地下の根が水を奪い合い、頭上の葉が日光を奪い合い、弱い木が倒されて新しい株が育っていく極めて厳しい世界だそれが240年続き、現在は平衡状態になってるけど、常に環境は変わり競争条件は変化し続ける
御代田町まで降りて来ると、龍神まつり再臨この地方の「龍神三郎伝説」をモチーフに1982年に観光協会主催で開始され、その後、町民総参加のおまつりに発展現在の龍神は3代目で長さ45m弟の幸福を妬んだ兄二人に洞窟の奈落に落とされた三郎は、地底で龍に変身し地上に現れ黒雲を呼び嵐を起こした後嫁と共に諏訪湖で龍神となり、仲良く暮らしたそうな
浅間山(標高2568m)が半分位見えた芭蕉翁は1688年8月下旬に「更科紀行」の江戸へ向かう路のこの辺で恐らく台風の嵐に遭い「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」と詠んだ推敲で、草稿段階の「秋風や石吹きおろす浅間山」から、風速レベルを「吹きおろす」→「吹き落とす」→「吹き飛ばす」と2ランクアップしたのが印象的相当激しい暴風だったんだ
そして小諸市に入ります境界の標高は780m神戸の摩耶山702mよりも高くまだまだ高原状態だ気温は25℃このコースを選んで大正解で気持ち良いジョギングが続きますというわけで、軽井沢追分から北国街道を西へ着々と進んでいくきむきむなのであったしかしそうは問屋が卸さないことは、これまでのトラックレコードからして自明なことではあった