前回は、選考倍率が非常に高い高学歴チケットについて、そして、その競争に拘泥した人々が持ついくつかの問題について書き記した。
やはり、”過度に”「学歴プライド」を持つ人、そして「学歴コンプレックス」を持つ人は、それぞれ大きな問題を抱えていると言えるだろう。
まず、過度に学歴プライドを持つ人の問題とは何か。それは、学歴こそが1番の人の判断基準だと思っている点、そして学歴にとらわれ過ぎたために、その成功は自分の努力のおかげだけではないのにも拘らず、そうであると捉えている点である。
一つ目の点に関しては、過度に学歴コンプレックスを持つ人の問題にも関わるので、詳述はそこに譲ることにする。まあ、人生そんなに単純じゃないよ、ということである。
二つ目の点に関しては、マイケル・サンデルに代弁してもらおう。
彼らの入学が熱意と努力の賜物であるのは確かだとしても、彼らだけの手柄だとは言い切れない。入学へ至る努力を手助けしてくれた親や教師はどうなるのだろうか?自力ですべてをつくりあげたとは言えない才能や素質は?たまたま恵まれていた才能を育て、報いを与えてくれる社会で暮らしている幸運についてはどう考えればいいだろうか?
競争の激しい能力主義社会で努力と才能によって勝利を収める人々は、さまざまな恩恵を被っているのにもかかわらず、競争のせいでそれを忘れてしまいがちだ。能力主義が高じると、奮闘努力するうちに我を忘れ、与えられる恩恵などを目にも入らなくなってしまう。(p.27)
そして、過度に学歴コンプレックスを持つ人の問題とは何か。それは、学歴は人の評価の一基準でしかないのにも拘らず、それをあたかも全てであるかのように捉えている点である。
学歴は、言うなれば学校の5教科のうちのひと科目でしかない。
たとえば、学歴を国語だとし、東大合格を100点満点としてみよう。国語で100点を取ったとしたら、きっと褒められるだろう。しかし、そうすると今度聞きたいのは他の科目の点数である。
もし国語以外の教科の点数が全て20点だったらどうだろうか。その合計点は180点となるが、これは全教科40点を取った生徒よりも低いことになる。すなわち、国語というひと科目だけでみたら、満点の生徒の方が高いが、5教科でみた場合は、40点を取った生徒の方が合計点が高いのである。
人の評価も同じようなものではないだろうか。つまり、学歴という一基準だけで見られるほど甘いものではなく、学歴以外も含めた、すべての総合で見られるのではないだろうか。
補足として、これは双方に相通ずるものかもしれないが、それら問題の究極の源泉は、「行き過ぎた所属感の渇望」とも言えるだろう。言い換えれば、「学歴を過度にありがたがってる」ところに源泉があると考える。
過度な学歴プライドを持つ人は、自身の高学歴に優越感を持ち過ぎて、挙げ句の果てには、そうではない人々を軽蔑を含めて口撃し始める。そして、過度な学歴コンプレックスを持つ人も、自身の学歴に劣等感を持ち過ぎて、しまいには、高学歴の人々に嫉妬心を含めて悪口を言う。
ここまで、過度に学歴プライド・コンプレックスを持っている人々、双方の問題点とその源泉について述べてきた。では、この拗らせ人種の人々への処方箋は一体どんなものが良いのだろうか。
その答えは、複数の被評価軸を持つこと、そして、自分に自信を持つこと。この二つに尽きるだろう。
まず、複数の被評価軸を持つことに関しては、自分の好きなことや興味のあることをもっと伸ばすことによって達成することができる。
例えば、私は現在パスタ作りに凝っており、わざわざアルミフライパンを買って、作り方にも細心の注意を払いながら日々作っている。正直、下手にそこら辺の店に行くよりかは、自分で作った方が美味しいものが食べれると自負している。しかし、ここにおいて、私のパスタがうまいか、まずいかということは至極どうでもよく、パスタ(あるいは料理)も上手に作れるぞという、人から評価される箇所を新たに設けることが大切なのである。
このように、自分の新たな一面を磨くことによって、人から判断される場所を自ら構築していくことが重要であると考える。
つぎに、自分に自信を持つことに関しては、人と比べるのではなく、過去の自分と比べることで達成することができる。ただ、これは別にストイックに生きろ系の発言ではない。
例えば、今日は受験に向けて勉強しようと計画していたが、結局YouTubeを一日中見て過ごしたとする。これは、一見マイナスのように見えるが、過去の自分と比べることによって、それはプラスへと変化する。つまり、1日を意図していない使い方をしてしまったという焦りを得たのかもしれない。それから、一日中YouTubeをみたことによって、そのチャンネルについて詳しくなったのかもしれない。さらに、今日の天気、起こった出来事について知るという、新たな知識を得たのかもしれない。
このように、過去の自分と比べて、ほんの少しでも得たことがあるのなら、それは成長と呼ぶにふさわしく、これを基準に「歴代最強の自分」として自分に自信を持つことが重要であると考える。
複数の被評価軸を持つこと、自分に自信を持つこと。この二つを学歴に悩むすべての患者さんにお薬として処方します。
ところで、私はこれから学歴にこだわっていく生き方をしようと思うので、このブログはこれにて一旦休刊します。これまで執筆してきたものは、500年後くらいに古典として読んでもらうために、『ヨシフル・ヒスロディによる、現代社会に向けた短編思索集』という、厨二病感満載の名前に変えてそのまま残しておきます。また戻ってくるかも。
ではみなさん、さようなら
引用ページ数は、ハードカバー版のものであることにご留意ください。
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