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心の休憩室 ~ 人間関係・親子関係・仕事の悩み・お金の悩み・スピリチュアル等

NLP(神経言語プログラミング)の観点から心の問題や人間の悩みに
ついていろいろと書いています、又精神的に疲れた方、人間関係で
悩んでいる方等、よろしければどうぞこちらのブログにお気軽にご来訪下さい。

 

皆さんこんにちは、

約一年ぶりに久々にブログの更新となります。

 

現在、私は、すでに退院はしておりますが脳梗塞の後遺症で、口を使ってうまく喋る事が出来ず

伝えたたい事も上手く伝わらず、時々いらっとする事もありますがそれ以外は

食事管理も順調で薬も毎日欠かさず飲んでおりなるべく再発しないように気を付けております。

ただ上手くしゃべれないからと言って全く口を閉ざすとなると一向に改善が望めないので

出来るだけ喋るように発生練習は続けていくつもりです。

 

これを読んでくださる読者の皆さんはどうぞこれからも応援よろしくお願いします。

 

今回は、自分自身脳梗塞になって気づいた事があるのですが

実際私も二度目の脳梗塞にかかった時、一時期相当に落ち込んでいました、

そして今現在も喋りが儘ならない為、精神的にも落ち込みが激しく

気持ち的に又うつが再発したのではと思っております。

この時喋りがきついが為、自分のつらい気持ちや苦しい思いを伝えられないという事が

こんなにもどかしく苦しく感じたことはありませんでした。

 

一時期は酷い絶望感でいっぱいでした

 

しかし、同時に「仮にもコーチを名乗っている癖にそんな事でどうする!しっかりしろ!頑張れ!」

と自分を励まし自分を鼓舞して辛く苦しいリハビリを耐えきることが出来ました。

 

ただ自分には知識としてセルフコーチングの知識もあったので

 

自ら目標設定(ゴール設定)し目標を定める事によってリハビリにも耐えることが出来ました。

要は、自分の頭の中にゴールのイメージが明確にできたおかげでもあります。

そして何処を改善し何処を直したらいいか作業療法士や理学療法士のフィードバックを受け、時には課題を熟しながら

ゆっくりそして確実に少しずつ改善にむかっていきました、

(※ それでも100%完璧とまでには全快はせず幾ばくかの後遺症(全体の1~2割程度)は、のこってしまいました)

 

ただ自分と同じように脳梗塞に掛かったり又それ以外の病気で体が不自由になったりした場合

本当に心の底から絶望しきっている人は良くなったとときの事をイメージできずにいます。

 

(例えば他の病気や怪我の後遺症で自分の足で歩けなくなったり

中には、事故等で、下半身がマヒ状態になり車いすを使っている人もいるでしょう。)

 

そんな時コーチングでよりよい方向性に導いてあげようとしても100%失敗します。

それもそうだと思います。よく考えてみて下さい。

心が完全に絶望感で一杯になったら最終的には、死と言う道を選ばざるをえなくなります。

それはSNS等で誹謗中傷を受けた人達も同じ気持ちのはずです。

 

そんな時かえってコーチングや又はアドバイス・助言等は、かえって害になる場合もあるのです。

 

話は、少々変わりますが

最近よく芸能人の

自殺が話題になってますが

例えば役者の 三浦春馬さんや

最近では 女優の竹内結子さん

同じく女優の芦名星さん

又はSNSの誹謗中傷を受け自ら死を選んだ

プロレスラーの木村花さん等

 

立て続けに自殺でなくなっていますが

例え芸能人やタレントと言えども私たちと何ら変わる事のない一人の人間です。

芸能人だからこそ人には言えない悩みもあったのでしょう

誹謗中傷を書き込んだ人は、ほんの軽い気持ちで書いたのかもしれませんが

文章でまるでストレス解消等面白半分に誰かを叩くような誹謗中傷の文章はもう金輪際やめた方がいいと思います

何気に気軽に相手を軽くたたいたような文章であっても、

その文章ですっかり真に受けて一人の人間を自殺に追い込むこともあると言う事も

覚えておいてください

そして一度SNSによって拡散(バズル)された記事や・問題のある動画等は

一度拡散(バズル)したらもう取り返しがつかないというのも覚えておいてください。

文章は、書いた本人が即座に消しでもしない限りいつまでも半永久的に残ってしまう事も忘れないでください。

 

少々話が脱線してしまいましたが

自殺された

三浦春馬さん

竹内結子さん

芦名星さん

又はSNSの誹謗中傷を受け自ら死を選んだ

プロレスラーの木村花さん

 

謹んでお悔やみとご冥福をお祈りいたします。

そして下記に紹介差せて頂いた書籍もSNS の誹謗中傷についての危険性について様々切り口で書かれております。

 

よろしければ一度手に取ってお読み頂けたら幸いです。

 

 

 

 

 

そして

まわりの誰かが心が疲弊しきっていて絶望感が漂う人が居たら

相手に寄り添うような雰囲気で相手の話を聞いてカウンセリングをしてあげてください。

 

この時、アドバイスや助言を言うのはやめてください。

アドバイスではなく話を聴く事だけに集中して下さい

その時所々に

相槌を打ったり

「そうか」とか

「辛いよね」とか

「苦労したね」とか

「頑張たんだね」

「その様に思ってたんだね」と

言う様に言ってあげて下さい

 

これらの言葉には相手を自分の中で相手を勝手にジャッジする要素がないからです。

これだけでも立派なカウンセリングの基礎になります。

なにも言ってあげることが見つからなくても黙って傍に寄り添って付いててくれるだけでも

絶望してる人にとっては救いになることもあります。

 

今病気で苦しんでいたり何かで絶望するような事態になっても

世間には必ず助けてくれる人が居ます。

 

どうか一人で抱え込まずにもしこの人だったら否定せずに真正面から、

受け止めてもらえるような、信頼できる人がいたら勇気をもってその人に悩みを話してみませんか?

 

それでは、本日はここまでとします

 

貴方に寄り添うコーチ

本間義昌でした。

 

皆さんこんにちは

 

私が脳梗塞で入院してから、約二ヶ月半が経とうとしております、

 

その間これを、読んでくれている人はどの様におすごしですか?

 

私もまさか、ここまで入院が長引くとは思ってもおらず

現在懸命にリハビリを行なっており、一歩一歩、直実に回復改善に向かって来ておりますありがとうございます(^。^)。

 

病院の人たちも非常に良くしてくれております。その事に対して感謝申し上げます。

 

病院のスタッフ・看護婦・看護師・リハビリの人たちも良くしてくれております。

その事に対しても感謝とお礼を申し上げます。

 

さてこうして入院して二ヶ月半もの間思う事は

一度脳梗塞の様な脳の病気にかかったら懸命にリハビリに励まないと

回復・改善は難しい事。

 

それともう一つは、健康に対する意識とリスクについて考えさせ

られました。

何故ならば、歴史的に見ても人間の寿命が医学と医療の進歩によって潡々、

寿命が伸びて来てるという事です。

 

もし、人間の寿命が伸びれば、それだけ医療費のリスクが高まります。

その備えを怠ったって病気になったものは長生きの恩恵に恵まれない。

と言う非常に、残念な結果が待ち受けているかもしれません

 

長い間人間にとって人はいずれ確実に死ぬにしても、

出来るだけ長生きしたいと言うのは、ある意味人類共通の夢であり悲願だったと思います。

 

しかし科学技術も進歩し高度な医療によって長寿による恩恵を、

うけるか、お金が無いが為に長寿による恩恵にあやかれ無いか?

その転換期が来ているのかもしれません。

 

 

その事を、実はライフシフトという本は、こう指摘してます。

詳しくは、下記の要約をお読み下さい。

※ 活字が苦手な方は漫画版や超訳版も出版されておりますので最低限の概要を

掴むには良いのではないのでしょうか?

また後にライフシフト2も後に販売されたのでよろしければこちらも読んで頂ければ幸いです。

 


 

 

 

 

 

 

 

これによると

 

これからを生きる私たちは、長寿化の進行により、100年以上生きる時代、

すなわち100年ライフを過ごす事となる。

 

また現在では、人々が単に長く生きるだけでなく、健康に長く生きるようになると予測する研究者が増えています。

詳しくは下記に紹介する書籍に詳しく書かれておりますのでよろしければご参照ください。

 

 

そしてこれから起こる変化とは…

 

100年ライフを過ごす新しい人生の節目と転機が出現し、

今までの従来の生き方3ステージと言う名のロールモデルの人生が終わる.

3ステージの人生とは?

すなわち,学生として学ぶ「教育」→ 社会に出て働く「仕事」→ 定年退職して老後を過ごす「引退」

 

つまり「教育→仕事→引退」と言う、

従来の生き方の見本(ロールモデル)と言う人生から、

「マルチステージ」の人生へと様変わりするようになります。

人生のマルチステージ化するとは?

 

生涯に2つ、もしくは3つのキャリア等

を持つようになり、まだ見ぬ新しい未知のステージが誕生する

 

それに伴い、引退後の資金問題にとどまらず、

スキル、健康、人間関係、老後問題や介護の問題といった「見えない資産・負産」を

どのように育てまた見えない負産と言った物を回避するか?

 

 

育て育んでいくか又は負産とと言うリスクをどうやって極力回避するかという問題に、

直面するというのが著者の見方であります。

 

生き方の見本とも言えるロールモデルも殆ど存在しない中で、

新しい生き方に対しての実験がこれから活発になることは間違いない。

また、生涯を通じて「変身」又は、

変わり続ける覚悟が問われる時代が来たと言ってもよいと思います。

 

今後どんな時代が訪れ、どんな生き方を模索すればいいのか。

その際、どのような有形、無形の資産が重要性を増すのか、

 

どんな人間関係を築いていけばいいのか。

企業や政府が取り組むべき本当の課題は何か。

 

本書は、こういったテーマと向き合うための手がかりを、

豊富な「人生のケーススタディー」とともに教えてくれる一冊であります。

 

読み進めるにつれ、「自分は何を大切にしてどんな価値観で生きているのか」

「何を人生の土台にしたいのか」と自問せずにはいられない一冊だと思います。

 

ざっと要約を説明しましたが

自分も病気をして本当に人ごとではなく人生100年時代に突入して

生き方の見本ともいうべきロールモデルの無い、通用しなくなった時代の

突入は避けては通れない事だとおもいます。

今までのロールモデルが通用しなくなった、

これからの自分の人生をいかにデザインして

生きるかこれから入院の間じっくりと考えてみたいと思っております。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

あなたのコーチ

本間義昌でした。

 

それでは

みなさんこんにちは

 

今病院でこれを書いております。

 

実は、二度目の脳梗塞に掛かってしまい又病院に入院する羽目に、

なってしまいました.

 

入院日は先月8月10日で丁度入院してから一ヶ月たちます、

 

以前一度目の脳梗塞では、右手だけでしたが

 

 

 

今回は、左手と左足に左半分半ば麻痺の状態になり、

今は、殆ど車椅子で病院の中を移動しております、

※ (看護婦や看護士その他病院のスタッフがつきそいですが、トイレや風呂までは、勘弁して欲しいと言いたい処ですが、

まあ歩行が困難になっていますから、仕方ないと言えば、其れ迄ですが(泣))

 

加えて、言葉の方も少し呂律がまわなくなって上手く

 

 

話せなくなってしまい、若干の言語障害もあります。

 

 

特に、言いにくい単語や、言い出しにくいワードが

会話の時に上手く上接に、喋る事が、

出来ないもどかしさは、正直辛いです。

 

 

リハビリも左手のリハビリと左足のリハビリは専門の、作業療法士さんと理学療法士さんと他に、言語学療法士さんが専門でリハビリの指導をしてくれています。

※ みんな優しくていい人達ばかりです

 

 

リハビリする事で、少しでも回復に、向かって頑張って行けたらと思います。

 

暫くは、入院はが長引きそうなのでその間は、入院中の闘病生活等をレポートの様に、

時々記事にしていきたいとおもいます。

 

それと当面の目標のゴールとしては、

左足に着ける補強具と杖を使って歩く練習をしているのですが、

最終的には、補強具も杖も無しで歩ける様になる事を、

当面のゴールにさせて頂きます。

※ (本当は、色々と目標設定したいんですけど、

まずは、一つに絞って、仮でも良いから目標のゴールを決めるべきだと、

思います。)

 

と言う訳で暫く入院中の間は、病院で記事を書こうと思います。

 

それと、お見舞いに来る事は基本的には、OKです

※  だれか、お見舞いに来てくれると嬉しいです。( ◠‿◠ )

 

因みに、入院先は、イムス横浜狩場脳神経外科病院

 

住所  神奈川県横浜市井土ヶ谷区狩場町218ー9

 

電話  045-721-3131

FAX  045-721-3113

 

面会時間

15:00~20:00
13:00~16:30
土曜日午後 休診

どうもこんんちは。

 

ブログの更新です

 

今回は毒親と言うカテゴリー

 

その中でも、過保護や過干渉について少し思うところがありますので

記事にさせて頂きます。

 

いきなりの結論で申し訳ないのですが

 

まず過保護説明しますと

過保護というのはわかりやすくシンプルに説明すると

 

例えば過保護な親は子供に対して色々と世話を焼いたり

甘やかしてしまうところがあるのですがそれが非常に行きすぎている

ところが問題です。

 

ひとりで出来るところも○○ちゃん」とかいい年の子供にむかってこのような物言いをする親もいますが

そのように子供に対してペットのように可愛がり

面倒みている状態ですがそれはあくまでも親のエゴからくる

献身であり本当の意味での子供の為を持っての行動では無いのです。

要は子供のペット化私物化する事でありでありもっと言えば親に依存させている事なんですね。

そこには子供の人格も考えや意思等どうでも良い親のエゴが

見え隠れしておりようにかんじとれます。

 

加えて過干渉というのは、意識的にしろ無意識であろうと

親が子供に対して

「おまえの為に行っているんだ」「貴方のためを思って」

「よかれと思って」

又は食事の時でも箸の上げ下ろしから肘をつくなと

重箱の隅でも突っつくような細かい指摘ばかりして

子供をあえて萎縮させることによって

子供を思い通りにコントロールする事をいいます。

 

親の方でその事でもいろんな弁明をしたりする親もいますが

共通して纏めてしまうと過干渉の親は子供の事を

人生も意思を認めていないし尊重もしていない

と言う事でもあります。

 

そこから導き出される本質的な問題は

そこから過保護も過干渉も子供の人生も意思も認めていないし

無意識化で相手のお互いの人生も自由も認め合ってもいないし

尊重も出来てないと言う事なんですね

 

もっと一言で言うと「子供の事は、信用できない」と言う事になります。

もし子供の

 

信用できないという事は親自身が子供に対する不安と恐れがあるんです。

だからこどもにたいしてそれが過保護であれ過干渉であれ

その根本には自分の不安を取り除きたいともう一つは

子供から安心を与えてもらいたいと言うのがあります、

 

お互いの人生も自由も認め合っていないと言うことは

悪い意味で、互いの事に囚われすぎて執着しすぎてしまい

諦めると言う事が出来ていないからなんです。

それが所謂「共依存」という形です。

 

例えば

親は子供に対し

俺の息子ならこうするべきとか

私の娘ならこうするべき

 

と言うような

様々な○○するべき

と言う、べき思考に陥っていませんか。

 

そしその事ですこしでも思い当たることがあれば

○○するべきという思考から自由になることだと思います。

それが、良い意味で、互いのことを諦めると言う事なんです。

 

もし例えば引きこもりに為っていても

先ずはじっくりと否定も肯定もせず

ニュートラルに話を聞く事だと思います

そうやって相手に寄り添う会話が出来てくればやがて

そこから少しづつ信頼関係が生まれくる物と思っています。

 

ひきこもりに関して参考になる書籍があります

読んでみて下さい

私も参考になりました。

 

 

 

 

 

 

そうして相手の自由を認め合い尊重ができる用になれば

良い意味で親子関係が少しづつ築いていけると思います。

 

前の記事でこれを題材にして書かせて頂きましたが。

 

川崎児童殺傷事件、死亡した容疑者は川崎市の51歳男

 

この例でみても容疑者の男は長年にわたって引きこもりになってたようです。

おそらく容疑者の男は家庭内での差別を受けていてやがて、

セルフネグレクトに陥りそれが引きこもりと化してしまったのではとおもいます。

 

※ ただ引きこもりだからと行って人を刺し殺して良いと言う理屈はあり経ませんが。

 

むかし

愛情の反対は無関心だときいたことがあります

 

ただ一ついえる事は。容疑者の男は親や周りの人特に叔父や叔母からも半ば無関心のように扱われてしまい

引き取ったは良いがまるで、仕方なく引き取って、食事等もおそらく仕方なく飼ってやっている

動物に餌でも与えてやっているような無関心さを持っていたのかもしれません。その為本人は、誰にも愛情をもらえず

非常に愛情不足の人間になってしまった事だけは確かだと思います。

もし事件を起こす前に、ひきこもりの支援カウンセラー等にでも自分の鬱屈した闇を自己開示して話す勇気がもてたらと

おもうと非常に残念で為りません。

 

 

人はうみの親であれ育てた人であれ、根本ところでは、磯偽りの無い愛情が欲しいのです。

その為まともな人間に育てる為には子供と言う一人の人格をきちんと

認めきちんとした適切な愛情を与えられる人です

すなわち

誉めるときはきちんと誉めてあげる

叱るときはきちんと叱ってあげる(但し怒りにまかせて怒るのは駄目)

時には。大丈夫、貴方だったら出来るよと言うような勇気を与える言葉を与えてあげる

そして自分がもしなにか自分が子供に対して、間違ったことをしていたら子供にもきちんと謝る勇気をもつ

そして法律に触れる事は、辞めようね、と子供に注意する事。

 

人は言葉一つで相手に希望を与えたり勇気を奮い起こさせたり、明るい言葉をいって人をほっとさせるように

相手を喜ばせたり、時には笑わせたりする事もあれば

 

言葉一つで

相手を怒らせたり、悲しませたり、絶望に追い落としたり場合によっては、

言葉一つで相手を自殺に追いやってしまう事もあります

 

 

もしこのような健全な形できちんとした愛情を与える事が出来たならば

この男は辛い人生を歩んでいたとしてもこのような事件を起こす事なく、思いとどまっていたかもしれません。

だた、どうとらえてもこの容疑者の男は極度の人間不信と愛情不足が絡んで

このような痛ましい事件を起こしてしまったと考えられます。

 

と言う訳で今回過保護と過干渉それと川崎児童殺傷事件に

ついて思うことを記事にしてみました

 

この記事はどうでしたか?

 

それでは今日のところはこのへんで

 

最後までお読み頂ありがとうございました

 

それでは。

どうもこんにちは

 

ブログの更新です

 

今日は皆さんも既にご存じの方も多いと思いますが

 

令和の入って早々に非常にやり切れない居たたまれない凄惨な事件が起こってしまいました

 

神奈川建」川崎市の登戸駅付近で凄惨な殺傷事件があったのです。

 

詳しい詳細は

 

下記のリンクをご覧になれば分りますが

 

川崎児童殺傷事件、死亡した容疑者は川崎市の51歳男

幼気な子供を次から次へと包丁で刺し事が終わったあと自らも
首を切って自殺その後病院での死亡が確認されたそうです
 
正直目を覆いたくなるほどの凄惨な状況だったのだと思います。
 
結局今回の事件で犯行に及んだ男も含めて3人犠牲者が出てしまいました
 
犯行に及んだ男はともかくとして
 
他の2人の犠牲者には謹んでご冥福をお祈り申し上げます

今となっては男は既に死亡しているので
犯行に及んだ動機も不明のままですし
裁判にかけるにも既に裁判にかけようがなく
もはや正当に裁いて死刑にする事も出来なく為ってしまったのですから
憤り・やるせなさ・様々な不条理・等いろんな思いがあると思います
 
特に犠牲に合われた方やなくなった遺族の
 
悲しみ
憤り
犯人に対する怒り
 
 
それを思うと私としてもなんて身勝手な奴だと
男に対しての怒りしかわいてきません
 
改めて無念にもお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
 
ここから先は私の勝手な推測でしかないのですが
 
おそらくこの男は死にたかった要は自殺したかったんだとと推測します
だけど自分一人で死ぬのだけは嫌だったのでしょう
だから誰か道ずれが欲しいそうでないと自分は死ねないと言ったところでしょうか。
 
そしてこれも自分の勝手な推測だけで語ってしまうのですが
世間や世の中に対する恨み・不条理さ等も抱えていたのかもしれません
だとしたすれば、彼は非常に身勝手なルサンチマンであり
また同時に彼も又弱者で弱い人間だったのかもしれません

日本ではこれを

拡大自殺

言っているようです

 

参照としては下記の書籍が参考になります。

 

併せてこちらもお勧めします。

 

 

 

 

要するに自分は自殺したいけど1人で死ぬのだけは嫌だ。
だったら誰でも良いから何人か刺し殺してしまおう
そうすれば最悪警察に捕まり裁判にかけられても
何人も殺しているのだからまず死刑判決がおりるだろうと言う事です。
 
あとは、死刑施行の日まで拘置所で過ごしていればいずれ自分に
死刑施行の日が来て心置きなく死ねると言ったところだと思います
法律を逆手に使った他人を巻き込んだ自殺と言い換えても良いと思います。
 
ただ彼は犯行に及んだあと自ら首を切って自殺をはかっているのが
他の類似事件と違う所であります
 
※ 確かに確実に死ぬのなら首を切ってしまうのが
一番確実な死に方かもしれません(苦痛等は一先ず横において)
 
いずれにしても身勝手な犯行で子供の未来と可能性を奪いこれから先の遺族の幸せを
奪った事はとうてい許すこの出来ない事件だと思います。
 
もしこの言葉が犯行に及んだ男にあの世まで届いているのなら
私はこのように言いたい
 
「あなたは一連のこうした身勝手な事件を起こし事が済んだらとっとと自殺してあの世に行って
鬱憤が晴れたのかもしれませんが、ですがどれ程の正当性があろうとも贔屓目にみても
あなたの取った行動は。ゆされるべき事では無いと思います
あなたが起こした行動のせいでどれ多くの人が衝撃を受け悲しんだか
多くの人の心に深い傷を与えたか、それを少しでもその事をほんの一瞬でも思い描き想像する事が出来たならば
そして誰かたった一人でも良いからやけっぱちになる前に相談できる人がいなかったのか。
少なくとも誰れでも良いから誰かに相談する勇気があれば
このような凄惨で悲惨な事件は起きなかったと思います。
ただもしその事すらも想像する事も想像する余裕も無かったというのならば
それは自分の事だけしか考える事しかできていない非常に甘ったれた人間だと私は思います。
 
ただ少なくともいろいろな部分で孤独に陥りやけを起こしての犯行に及んだ事が事実だと
考えるとせめて誰でも良いから犯行に及ぶ前に祖段する勇気を持って欲しかったとも思います。
※ 犯した罪をとうてい許されるべき物では無いのですが!
この言葉が事件を起こした男の元に届くこと願います。
 
それと今後このような事件を起こさないようにするためにはどうすれば良いのか。
と言う事について興味深い記事を見つけました
宜しければそちらも読んでみると読んでみることを」お勧めします。
 
 
最後に一言
人の本当の強さとは
本当の強さとは人の弱さを理解し人の心の痛みを知ること
なぜならば、そのような人きっと
力強く前向きに生きていると思います。
そのような人こそ本当の意味で人に優しくもなれるし強さも兼ね備えていると私は思います。
 
今日は。色々と長くなってしまいました
でも改めて本当にこの事件はもしかしたら令和元年早々の歴史の1ページに残ってしまう
くらい犯罪史に残ってしまう事件では無いかと思い
 
この事件についての自分の見解等を
思ったことを記事にさせて頂きました。
 
それでは今日のところはこれで失礼します。

皆様こんにちは

ブログの更新です。

 

令和になってからそろそろ一月程立とうとしておりますが

どのようにおすごしでしょうか?

 

今日は趣向を変えて

 

ビジネス的な感じで書いていこうと思います。

その第一弾として先ずはネットで何かやるのであれば

ホームページを作るよりよりブログから先にやり始めた方簡単で良いと言う事です。

 

例えば私は日々こうしてブログを書いているのですが

やはりお客さんが読んでいて為になったり何らかの価値を感じて戴くような記事にしなければ

読んでいても詰まらない物のように思います。

 

かといって初めてのブログ初心者の人は、何を書いていけば良いのか?

悩みの種だと思います。

 

基本的に2つの戦略があります。

 

一つ 初めはジャンルにこだわらずにブログに書きたいことを書く

但し、違法性のある物他の何かに対して誹謗中傷のような記事を書くことはNGです・

アドセンスを張って広告収入で稼ぐ方法もいいと思います

 

この場合は一つの専門性にこだわらず

むしろ時事ネタ等等あまりジャンルを問わない記事の書き方が

書くこともやりやすいし自分の趣味から入っていっても

書きやすいと思います。いわば雑記ブログというやつです。

 

(注)但しその場合はブログのキャッチコピーやタイトル(特にタイトルは重要)は

良く考える必要があります。

例えば○○さんのブログと書いても何のブログなのとなるわけです

補足としてこのブログの明確な趣旨やこのようなブログですみたいな事は明記した方が良いと思います。

 

二つ 専門性の高いブログを書くと言う事。(アドセンス)を張って広告を貼ると言うのも良い

ただこちらの方は。ある程度その専門性がなければ中々ハードルが高いと思われます

ただ中にはあなたが持っている専門性よりも更にも下のレベル(例えば初心者向け等)の知識を

求めていらっしゃる人もおります

 

大体専門性の高いブログを作る人は。

自分自身を商品とする人達なのでこのような専門性の高いブログを公開します

又は芸能人等のブログもこれにあたります(市川海老蔵ブログ等)

(主にコンサルタント・コーチ・カウンセラー・セラピスト・ヒーラー等)

が自分自身を商品として専門性の高いブログを公開している訳です。

 

そのようなわけでネットで何かやりたいのであれば先にブログをつくり

手始めは雑記ブログがよろしいかと思います。

 

以上ですが如何でしたでしょうか。

 

それでは又よろしく

 

どうもこんにちは

 

令和の時代に入って最初の投稿です。

 

祝 令和

 

いろいろな意味で期待したい面もあり又不安な部分も

ありますが心機一転これからの時代を

駆け抜けようと思うところであります。

 

きょうは、簡単ながら取り合えずこの辺で

しつれいします

 

ありがとうございました。

 

PS ちょっと中々に興味深い本がありますので

よろしければ紹介させて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

これからの時代どのようにして生きれば良いか様々なヒントがかかれております

 

よろしければ参照してもよろしいかと思います。

 

それでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうもこんばんは

 

この記事をかいているのは

 

今10:30頃なので

 

いよいよ平成の世

が終わり

 

もうすぐ令和の時代が来ようとしています。

 

こうしてみると少しにさみしい感じもしないではないのですが、

 

やはり時代は、より良い未来の為に前にすすんでいかなければいけません

 

そしてよくも悪くも平成の時代は歴史的にみても

非常に平穏な時代だっと思います

※ 災害や事件等は別にしての話ですが

 

ただ少なくても戦争のない時代に生きられた事は

素直に感謝しなければならないとおもいます。

 

まもなく令和に元号が改められ

 

これからどんな時代がくるか

 

恐れや不安も在るかもしれませんが

 

きっと良い時代が来ることを信じて祈りたいとおもいます。

 

本日はこの辺で

 

ありがとうございました。

 

皆さんこんにちは、

 

いよいよ、令和の時代が

 

やってきます。

 

そこで、今日は、

 

令和の時代にこれからどんな時代になるのか、

 

大まかにですが語りたいと

 

思います。

 

平成の時代も

良くも悪くも

 

様々な出来事ありました

様々な事件や犯罪もあれば

 

大きなニュースもありそのニュースも

良いニュースもあれば悪いニュースもあったと

激動の時代でした。

 

しかしかってこの平成の世の中で

最も変わった事は、

 

人のコミニュケーションが多様化した事だと思っております。

 

1995年あたりから

インターネットが普及し始め

その後ネットを中心とした様々な

コミニュケーションが生まれた事による

特にSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)

によって人のコミニュケーションのあり方を根底から変えてしまいました

 

それによって今まで生涯出会うこともなかった筈の様々な人々と

繋がれるようになりましたが

 

その一方でSNS等による犯罪なども増えてしまったように思います

 

そしてこれからSNS等はますます発展していき

歴史の流れとしてはもう止まらないでしょう

 

だとしたらこれから先人は何に向い、どこに向かおうとしているのだろうか。

 

だからこそ、個々の人間性を見極める目線を持たなければならない

その上で余計コミニュケーションがより重要視されていくのではないかと思います

 

これからは良くも悪くも本当の意味でのコミニュケーション時代が来るのではないか。

 

それこそまさに精神性の時代でもあり心の時代と行っても過言ではないかと

思います。

 

ではその

 

精神性の時代?

 

心の時代?

 

てなに?

 

別にスピリチュアルな話ではないのですが。

 

具体的に言うと

 

1.相手に影響力とそれをもって人を心から納得させて動かして行く

 コミニュケーションスキル。

 

2.そしてそのコミニュケーションスキルでいろんな人に自分の話を聴いて戴く

 プレゼンテーションスキル

 

3.そして様々な人々にいろんな価値や商品・サービスをを提供し与える事が出来る

 マーケティングスキル及びセールスのスキル

 

4.そして人に寄り添い相手の話に共感出来る

 カウンセリングスキル

 

5.そして人をより良い未来に導いて上げられる

 コーチングスキル

 

これらのスキルはこれからの時代にどうしてもなくてなならない

必須のスキルになると思います

 

なぜなら今は、簡単にネットで不特定多数の人と繋がれるように

なってしまった為、コミニュケーションを通してその人の人間性を知らなければ

 

もし万が一にも出会ってはならない人と出会ってしまう危険もあるからです

中には良い人と出会って良かったと言う人もいると思いますが

たとえ僅かな確率でも良からぬ考えを持った人に出会う確率はゼロでは無いと思います。

 

私は、上に上げたこの5つのコミニュケーションを

 

対話力としたいと思います。

 

これからは良くも悪くも人と人のコミニュケーション

 

すなわち

 

 

本当の意味での「対話の時代」がやって来るとおもっております。

 

対話についてこのような書籍があります

 

 

 

 

 

 

 

どれも対話の事に関して深い洞察がなされた書籍です。

 

よろしければ手にとって紐解いてみてはいかがでしょうか。

 

それでは今日のところはこの辺で

 

ありがとうございます。

 

それでは

 

 

 

 

 

皆さんこんにちは

 

ブログを更新します。

 

 

平成の世もあと僅かになりましたね。

 

今思えば、平成という時代は、本当に

いろいろな意味で世の中が変わりゆく(良くも悪くも)

転換点の時代だったとおもいます。

 

特に1990 ~ 2001年等は

 

様々な事件やニュースもありました。

 

改めて平成という時代を振り返るにあたって

 

 

 

 

という本を紹介してみたいと思います。

 

自分も読んでみましたがマンガであるが故に

活字などでは分らない、わかりやすさというのはマンガの強みとも言えます

 

平成の30年を振り返るのに適した書だと思います

 

マンガだからこそ要所要所でポイントは押さえてあるので

 

子供から大人が読んでも勉強になると思います。

 

いずれにしても平成はもう少しで終焉を迎え令和の時代がきます。

 

そしてじぶんも新しい時代にいろいろ新しい事をチャレンジしていこうと考えております。

 

なにをやるかは、特に決めておりませんが、

いろいろな事を、チャレンジしていこうと

 

思っておりますので

 

これを読んでいる読者の皆様

 

どうぞよろしくお願いします。

 

それでは