ELECTROCUTICA(エレクトロキューティカ)初のシングル『ARCA(アルカ)』が届いた。
『ARCA』は昨年のクリスマスに動画が公開され、動画同様、CDの盤面にも雪の結晶があしらわれたハイ・ジャケ買い・クオリティ←なんだその単語。な1枚。
「高品質なCDを低画質でお送りします(泣)」 ちょうど去年の今頃にニコニコ動画で楽曲を聴いてアルバムを買い集め、最新情報を逃したくないがためにツイッターのアカウントをとり、2010年一番聴いたCDベスト3はすべてELECTROCUTICAのものだった。
しかし新作が発表される毎に、これまでのようにブログ記事にすることが出来なくなってしまった。
ELECTROCUTICA作品は1曲1曲の世界観および感情を伝える音の表現力が高い。音色、拍子ひとつひとつに詰め込まれた情報量がべらぼうに多く、楽曲の完成度も高いが、同時に音楽としての敷居も高かった。
そして聴く・読むに加え、文字でありながら“鑑賞する”ことでさらに楽曲の意味を深めている芸術作品のような深い歌詞。
自分の言葉を埋める隙間が見つけられず、おのれの文章力ではキューティカの楽曲に値する感想を表現することは出来ないと諦めるようになった。
さらに今作のコンセプト及び歌詞の意味するところはディレクターの
喜多嶋時透(きたじましずか)氏のブログ にて丁寧な解説がされているので、「ああ、今回も私に書けることなんざ何もないわ、必要もないわ、かえって無粋だ」と昨日まで感想を綴る事を投げていた。
でも書きたくなってしまった。
シングル盤『ARCA』は『Prelude(inst.)』2分足らずのインスト曲が1曲目にあって2曲目に『ARCA』が流れる。
『ARCA』にも言えるのだが『Prelude(inst.)』で展開される懐かしい電子の音と最新の電子の音の重なり。
新しいとされていた電子音にいつしか歴史が生まれ、いまや携帯の着メロよりも貧相な音数と音色になぜ心を揺さぶられてしまうのか?
「ファミコン世代だから」という理由だけでは片付けられない何かが潜んでいる気がするのだが…うーん。
『ARCA』はニコニコ動画で公開されているものと素人耳でもわかる大きな違いは始まりかたと力強くなったヴォーカルの声色だろうか。
高音質であること、なにより『Prelude(inst.)』から『ARCA』へつながる瞬間の高揚感が『ARCA』単品では味わえない相当なものだった。
客船(かれ)には触れない 僕らの楽園(アルカ) 宝物(ディア=dear)を狙う おいでよ 星彩(ほし)の乱雨(ランプ) 未図(みず)のワルツ 止まない 譲らない 揺るがない メロディ そういえば音楽があたえてくれる「うれしい」が自分がブログを文章を綴るはじまりだった。
それから10数年経って、また新しい「うれしい」がくすぶっていた気持に言葉を送り込んでくれて、また文章を綴ることができた。
それが私にとってのARCA(アルカ)なのだろう。
その贋歌(うた)は 聞きたくない 忘れないで 君の消せない冒険譚(ストーリー) 僕ら 終わらないさ 秘密の基地(すみか) 変わらないよ いつでも 鳴り響いて 成り続ける 負けない 果てない どこにもない“アルカ” 「おいしい話などに興味は無い。おいしいものは自分でつくりたい。」
ELECTROCUTICAはずっと自主制作であり続けるという昨年末の公式ツイッターでの最後の言葉。
昨年4枚のCDを発表し、活動の幅知名度共に拡大したELECTROCUTICA、そしてボーカロイドを使った音楽。
ニコニコ動画で人気のアマチュアによるボーカロイド曲を集めたオムニバスアルバムがオリコンチャートにもランクインすることも珍しくなくなり、世間に受け入れられると同時に、機械の声に対する嫌悪や批判、そして胸が痛む出来事もあった。
この歌詞が商業音楽では成しえない、第三者の私利私欲等の混じり気のない、褪せず、媚びず、押しつぶされない作品を作るという意思表明が強く伝わってくると同時に、作り手と聴き手が想いを最短距離で交わすことが出来る私の好きなニコニコ動画という場を表しているようでとてもうれしい。
今年もおいしい音楽を手にお皿を持って並んで待っています。
◆ELECTROCUTICA『ARCA』とらのあな通販ページ http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0010/25/94/040010259417.html ◆「CDを絶対に購入したいあなたはフォロー必須」ELECTROCUTICA公式ツイッター http://twitter.com/ELECTROCUTICA