2024年10月のこと・・

病状の説明、治療計画、何が必要か何が出来るか、伴うリスク、

考えられるリスクを承知でそれらをやるのかなどの必要性、

余命、等々何回かDrと話した。

何枚かの承諾書にもサインした。

本人の「食べたい」と言う思いだけは叶えてあげようということで、

ステント留置にトライしてみることとなる。

勿論、やってみないと留置出来るかどうか・・のトライで。

十二指腸部分に無事ステント留置。

その他の処置は無しで。当然だわ。

膵臓に関してはもう出来る事など無いのだが、腎臓やら肺やらを何とかするなんて望まない。

本人の希望する「口から食べる」だけで十分、いや、十分過ぎるくらいじゃわ。

Dr「それで(今までと同じように)食べれるかと言うと・・それは・・」

私「十分です、数日でも数回でも食べれるだけで上等ですヮ」

ステントがズレたりしてももう2度目は無い。

なのに、、である・・

少し元気の出た母はやらかし始める。

いや、元気が出たのかどうかなんて本当のところ私には解らん。

痛さや辛さ、胸の内なんて本人しか知らない事、私には解らん、

解ろうとしない、解りたくないのかも知れん。

今思う、

「もう一寸、相手のこと思えんのかな?」

私の口から出る母を象徴する言葉。事実、かなり周りは振り回されている。が、私の人生では無いので知る由も無し。

この時の母の病名と言うか状態は、

膵Carによるイレウス

母は「私は十二指腸潰瘍じゃったんかな?」と、後で聞いてきた。

膵臓が炎症を起こして、(膵臓は左側にあるので)十二指腸、左の腎臓、左の肺が弱ってる、、と説明しといた。

このタイトルの意味・・

おばぁちゃんの見送りの時のタイトル(私の健忘録)が

「寝ずの番」だった。

文字通り、最後の見送りの時の「寝ずの番」

今回、真っ只中の母の見送り、、それは、

「寝てばっかりで、時々思い出したように番」となっている。

私の健忘録としてボチボチと残しておこうと思う。

 

2024年9月末、母が入院となる。

その数ヶ月前より「物が食べれない」的な症状があった。

食欲はあるのだが、(胃が)いっぱいになる感じ?

確かに食べる量は減ったと姪っ子は感じてたらしい。

姪っ子は、母と一緒に食事に行ったりをしていたので。

胃カメラの画像を見た、十二指腸が完全に詰まっている。

十二指腸部分にポリープ的なものが3つ、そこを完全に塞いでいた。胃の中は胃液などで満杯、胃のものが腸には流れない状態だった。

更に検査をすれば膵癌(末期に近い状態)がわかる。

念の為、十二指腸部分のポリープを生険に出せば、Car見つかる。膵Carの浸潤と思われる。

更に(膵臓が左側に位置するため)左の腎臓、左の肺も機能不充分。それらの処置と合わせ、十二指腸部分にステント留置をとる。

そこまでの処置はかかりつけであった国立医療センターで。

母は、ここで直腸CarのOPEをしてもらいストーマとなる(6年前)

国立医療センターで出来ることは全てやっていただけたら、当然転院である。

そして転院が10月末、そこから終末になるであろう緩和ケアの病院への転院の為の家族面談が12月クリスマスの前週。

年内は難しいかな?年明けかな?と心づもりしている矢先、

インフルなど含め感染症の猛威で医療関係諸々逼迫し、

母も病室の移動を余儀なくされ、ようやく緩和ケアの病院への転院が終末には出来そうかな・・と言う時に母は旅立ちました。

突っ込みどころ満載の「寝てばっかりで、時々思い出したように番」

を追って記していこうと思う。

 

休日と言っても普段より何かと忙しいのだが(気持ちだけ)・・

数日前、台所周りを掃除したので、今日はトイレの掃除。

本日の掃除はこれにて終了。

ストーブ調理中の黒豆を眺めてるだけで満足気分。

 

↑酒粕ペーストを作り、

 

 

↑味噌と混ぜ混ぜ

 

 

↑ゆで卵を包み

 

 

↑煮玉子風に。

 

 

↑すりおろしと粗みじん切りのレンコンでハッシュドレンコン

 

 

↑1個98円の柚を見つけたので、ゆず大根
絞った後の種の部分で柚ポン酢

 

 

↑酒粕ペーストとレーズンでラムレーズン擬き

 

 

↑ミニミニ慈姑の素揚げ
ねぇちゃんに慈姑を貰った日、ねぇちゃん地域は慈姑の産地で
これが学校給食のメニューなんだと。

 

 

↑トマトのマリネ
慈姑のお返しに。

 

 

↑あまりにもニホンザルだったピーマンのヘタ
ピザ用のピーマンを切るのだが(パン屋さんでパートしてます)
切り落としたヘタの所がお猿さんに見えて可愛かったので
ラップに包んで連れて帰ったと言う。。
 
先週18日に緩和ケアの病院へ家族面談に行って来た。
転院は年明けだろうな・・と、勝手に思っている。
10月の時点で、今年の誕生日は来ないだろうと思ったが、
今日28日は、母の87歳の誕生日。
わからんもんだな。。