2024年10月のこと・・

食べ物を口に出来るようになった母、合わせてリハビリも始まった。

個室でバスルームはあるが、トイレはベッドサイドのポータブル。

トイレは小用のみ(大はストーマ)、それ以外はベッドで過ごす。

リハビリ室への移動は車椅子、リハビリ室でバーを使って歩く練習。それも息切れなどもあり、何より本人のやる気の無さもあり(私が母を見ていて感じた事だが、動く事のリハビリの重要性を感じてないように思えた、そんな態度だった)なかなか・・である。

1度だけ母のリハビリを見学したことがあった、、

あんた、殿様ですかい!?的な(母の)態度だった。

病室へ(見舞いに)行くと、入って来た者(私だったり、ねぇちゃんだったり)の顔を見る、無言で。しかも、「何しに来たん?、何の用事?」的な表情で。こちらを一瞥して、TV画面に視線を移す、無言で。病室を出る時も、TV画面を見たままだったり無言の事も。

見舞いに行ったりするのが迷惑なんか?

ちぃとは感謝せえや!と、ついつい思ってしまう。

感謝の見返りを求めているわけではないが、親しき仲にも礼儀あり・・じゃない?

今はさほどでもないが、この時は、マジで腹立った、正直。

今思う事、母は今世で人として生きるのは初めてだったのかも知れないということ。前世では人以外だったのかも知れない。

人間初めてなら仕方ないか・・

この頃、転院先探しが同時進行していた。

今日、1月17日、母の葬儀を執り行いました。

笑いあり、涙あり、しめやかに・・・

等とはいかず、あの母のことですから・・

笑いあり、笑いあり、衝撃の事実発覚あり、な見送りの日となりました。

まず、ねぇちゃんの事を書いておこう。

ねぇちゃんは、度々書いているけど、母の妹(11歳差)

私や弟にとっては戸籍上は叔母。

私とねぇちゃんは11歳差。

私と上の弟は7歳差、下の弟は10歳差。

私達姉弟は父親が違う。

私が「ねぇちゃん」と呼ぶのは、当然と言えば当然、じいちゃんばぁちゃん(母とねぇちゃんの両親)とねぇちゃんの元で一緒に育った。

私の上の弟、下の弟、母がネグレクトした度にその尻拭いはねぇちゃんの元に降りかかる。

ねぇちゃんは成績優秀な高校卒、就職も結構良いところに内定してた。それを棒に振らなければならないような事を母がやらかす。

子守やら参観日やら・・母親的なことを余儀なくされる。

事実、上の弟は幼き頃、ねぇちゃんを母親とおもってたそうだ。

そして、この上の弟、かなりとぼけた野郎で、、

私を姉と認識したのは、私の結婚式(私25歳、弟18歳)だと言うことが今日解った。

それまで私はねぇちゃんの妹で、つまり、母(母の事は自分の母親と認識はしていた)の妹が私だったらしい。

母の妹ねぇちゃんが自分の母親で、その妹が私(実の姉)

あぁ~!!!ややこしい~!!

それを18歳頃に気付いたって、、おかしくね?

因みに下の弟は幼少期には3姉弟のl認識はあったそうだ。

私達3姉弟はねぇちゃんに足を向けて寝てはならんのだ!

さて、食べられるようになった母は病院食が気に入らないと言う

我が儘期に入る。

病院食をお気に召す人もも少ないとは思うが、、

母の仕事は(母88歳、現役で仕事してた)病院で入院食を作ってた。なのに、、自分に出された食事にケチをつける・・と言う。

好き嫌いも結構あったにはあったが。

姪っ子への電話攻撃が始まったのだ。

アレを買ってこい、コレを買ってこい、アレが食べたい、コレが食べたい、、

病院で出される食事は、ステントがズレたりしない為や病状を鑑みて作られている。

だから、貴方の好き勝手には出来ないの!

時には、「食べてもえぇって、先生が言うた」と嘘や、

「見つかったら言われる(ダメだと言われる)けぇ、隠して持って来い」などと言って姪っ子を困らせる。

○○は、何処何処のもの、などと、まぁ、細かく指示も入る。

姪っ子はこの頃、市中のスーパーやら何やらを自転車飛ばして走り回ってた。

持って行けば持って行ったで、「違う!これじゃない!」などと

ダメだしも入るのは当然の事。

この頃のねぇちゃん家では電話のベルが鳴るたび皆が疲弊し、ドンヨリとした負の空気の中に居た。

後に疲れ果てた姪っ子に代わりその業務は甥っ子の任務となるが、その状況は尚も続く。。

これは、まだ2024年10月のことである。

母も考えている、私や弟にそう言う電話をすれば怒られるのは解ってるので、姪っ子(ねぇちゃん家)に電話する。

本当に食べたかったのかどうかも解らない、

そうやって電話する事で構って欲しかったのかも知れない。

誰かに構って貰ったり、誰かと関わったりする事で自分の存在価値を認識したかったのかも知れない。

私には弟が二人いるが3人共それぞれの父親、そして母はネグレクトだと思う。

子どもを置いて自分だけ逃げ出した後始末をその度にねぇちゃん

(私も弟も「ねぇちゃん」と呼んでいるが、戸籍上は母の妹で、私達には叔母)が担った。つづく・・・