*** 離山通り(旧中山道) ***
気まぐれ311-1/311-2(23年9月)の続きです。軽井沢は中山道六十九次18番の宿場。1800年代終わり頃に避暑地軽井沢が始まります。そして明仁皇太子と美智子さまがランデブー(1957年@軽井沢会テニスコート/O)&結婚され(59年)もっと有名になっちゃうのね。
離山通りは軽井沢のメインストリート=軽井沢銀座/O(旧中山道)。楽しいお店たちがたくさんなのだけど、ここで遊んでると日が暮れちゃうので自転車は通り過ぎちゃいます。
/明仁上皇=あきひと・じょうこう(1933-)。美智子上皇后=じょうこうごう(正田美智子/しょうだ・みちこ/1934-)。離山通り=はなれやま・どおり。手織り田中ハウス軽井沢。軽井沢写真館
*** カフェひと休み ***
サイクリングしてると喉が渇くのね。いい感じのカフェを見つけたのでひと休み(追い星/お店を閉めました)。テラスでアイスコーヒーをいただきます。空いてたし、せっかくなのでセルフもね♪
*** 宣教師ショーさん ***
ショーさんは避暑地軽井沢の恩人みたいよ。彼は聖公会がカナダから派遣した宣教師。リウマチを患い、暑い東京を避けて軽井沢を訪たところ、めちゃお気に入りになりました。で、軽井沢初の外国人別荘を建てたらその後避暑別荘地として名高くなったというワケなのね。
記念館と礼拝堂の違いがわかりにくかったので今回しっかりお勉強(⇒)ショーハウス記念館=彼が建てた別荘@1888。ショー記念礼拝堂/O=彼が建てた教会@1895(現役です/日本聖公会)
/聖公会=せいこうかい(イングランド国教会の教派)。ショー=アレクサンダー・クロフト・ショー(1846-1902)。
*** 風情豊かな二手橋 ***
いい感じの橋でしょ? 江戸時代、この橋は軽井沢宿の(江戸側の)境界。江戸に旅立つ(一夜をともにした?)お客さんを飯盛女がここで見送って二手に分かれたのでこの名前がついたのだとか。
中山道1番板橋宿でも書いたけど(ルポ83)幸薄い遊女のお話になると、いつもなんだか思い入れしてしまいます。私の前世、室町や江戸の遊女だったのかもしれないわね。
/二手橋=にてばし。飯盛女=めしもりおんな
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次回は素敵な旧三笠ホテルを訪ねたあと、ホテル鹿島ノ森で蕎麦粉クレープのランチです。
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