2024年、今年はどうしたことだろうか?ここ10年は桜の開花が早くなり、3月中に開花、そして満開となって、入学式に桜のイメージがなくなっていた。ところが今年の桜は、横浜で4月1日に開花宣言が出され、満開が6日になった。小学校の入学式が4月5日なので、入学式に桜が舞う昔のイメージが蘇ってきた。

 3月31日に風邪だか、花粉症だかで、微熱がでた。5日にやっと平熱になったので、いつものGolf練習場にいった。その途中、逸見の通りの桜がまさに満開になっていた。それを見て6日の夜、妻に「大岡川に花見に行かないか」と誘う。「行ってもいい」というので、7日の日曜日に出掛けることになった。

 7日は日曜日だし、まさに満開の日なので、午後になると花見客が殺到すると予想されたので、9時半に家をでることにした。

 10年前かに行った時は、弘明寺駅で降りて行ったのだが、今回は1つ先の井土ヶ谷駅で降りた。駅の傍が大岡川かと思ったら、スマホの道案内で10分ほど歩かなければならなかった。100m先に赤い提灯が見え、大岡川と分かった。

 人通りが思ったほどなく、拍子抜けしたが、まだ時間が早かったせいだ。黄金町駅に向かっていくほどに花見客が増えてきた。前回行った時は、屋台が出ていたのだが、今年は1件もでていなかった。何故だろう?コロナでの中止、条例が変わった、と思ったが、時間が早すぎたためだった。

 黄金町駅周辺で地元の人たちが店をだしていた。柔道場が道場前で100円の甘酒を売っていたので買う。焼きそば、焼き鳥、ソーセージ、アイスの店もあったが、ラーメンかハンバーガーを食べたかったのでスルーする。黄金町駅付近を探したが食欲をそそる店がなかった。しばらく歩くと妻が、ココスがあるというので、そこでハンバーグを食べることにした。

 大岡川の桜は、両岸に競うようにびっしりと咲いていて見ごたえがある。川に垂れ下がり咲く桜、そして船やSAPでの花見もあり、川が花見の風情を倍加して、賑やかで楽しい。目黒川や皇居の桜も、川やお濠が引き立てているのだと思う。

 

 2月28日、母の法事で勝浦に行く。

 7時に家を出る。つばさ橋当たりで、ちょっと通勤渋滞があった。平日なので、トラックなどの車が多かった。左車線に入り、アクアラインの前から流れるようになった。

 いつもなら、高滝湖でトイレタイムになるのだが、2人ともトイレが近くなり、「海ほたる」でトイレタイムとなった。海ほたるの駐車場は、慣れないので、緊張する。ただ駐車場は空いていた。そして妻と運転を交代するために、ついでに高滝湖のパーキングエリアで再度トイレにいく。

 大多喜を過ぎて、勝浦市に入る頃になったら、妹から「今、どこ?」とのラインが入る。てっきり「勝浦駅に迎えに来て」というのかと思い、「もうすぐ勝浦」と返信する。折り返し、「後ろにいる」というから、「後ろに車がないのに?」と思いながら、走っていたら、しばらくして後ろに軽自動車がついていた。妹の車はスズキの普通車、と思ったが、車を変えたようだった。

 法事には、兄夫婦、私達夫婦、そして妹夫婦が出席した。母の法事に参加するのも、これが最後かも知れない、と思う。

 妹夫婦は、法事が終わってから、帰った。

 私達はそのあと「勝浦ビッグひな祭り」に行くことになった。車でベイシアに行き、車を置いて、歩いて行く。20分ぐらい歩いただろうか。神社の石段に1800体とも言われているお雛様が飾られていた。なかなか壮観だった。そこそこの観光客で賑わっていた。

 そこから車に戻り、車で勝浦市役所のそばにある、文化会館で、見た事のない大きさのお雛様をみた。

 勝浦ひな祭りは、私達が50台の頃にも、聞いたことがなかった。いつ頃始まったのか、と調べたら2001年からだった。20数年たって、すっかり人気が定着したようだ。

 翌日、10時ごろに帰路についた。

 

 2024年2月24日、赤羽さんの呼びかけで、医道の日本社の退職者が横浜で集まることになった。

 私は退職後の1~2年は、現役の何人かとゴルフをしたが、その後は新倉さん、西川さんと2、3回、会食したぐらいだった。会社仲間とは年賀状のやり取りだけで、会う事はなかった。

 ただ私も79を過ぎ、残りも少なくなった。そして在籍したころの仲間は皆、辞めてしまった。そんな情報が入っていたので、誘いがあれば、昔のなかまと会っておきたいとの思いになっていた。

 そこに昨年12月16日に、赤羽さんから「森田君、西川さんと飲み会をするので、どうですか?」との誘いがあり、行くことになった。その時の盛り上がりで、赤羽さんから、来年に皆に声をかけるので、参加してください、と言われた。

 そして2月24日、17時に横浜のスカイビルの「響」での飲み会となった。

 響に入ってすぐ、鹿戸君の顔を見て、15年間の歳月がなかった気持になった。顔も声も変わらなかった。ただ髪はかなり寂しくなっていた。鹿戸君の隣にいた女性は奥さんで、医道でアルバイトをしていた、といっていたが、思い出せなかった。赤羽さん、森田君、西川さんは既に席についていた。

 楠山君、岡本君、津田君は遅れてきた。来るたびに、声を上げるほど、懐かしさが沸き上がってきた。ただ15年では顔はあまり変わらないが、体型がやはり太目になった人もいた。鹿戸君の奥さんは、医道にアルバイトで来ていたそうだが、覚えていなかった。「奥さんの輸血に行った」と聞いてびっくりした。

 楽しい時間の過ぎるのが速く、後ろ髪を引かれる思いで、21時過ぎての解散となった。もっと一人一人から会社を辞める前の苦労、転職してからの話を聴きたかった。

 

 2023年12月、今年もシャコバサボテンが咲きました。

 昨年の花が終わってから、茎節を少し短くして、外に置き放しにして、ただ水だけをやっただけでした。それなのに律儀に、昨年を上回る花を咲かせてくれました。有難く、感謝、感謝!

  5月4日、妻と称名寺に行く。妻が金沢区役所に3年ぐらい在籍したこともあり、近くに称名寺と言う有名な寺があるので、行きたい、と言っていた。横須賀に住んで45年、たった3駅でいけるのに、なかなか行きたいと思わなかった。コロナも終わり、天気も良く、「鎌倉殿の13人」の影響もあり、連休中に行くことにした。

 9時30分ごろ家を出る。文庫駅から16号を横切ると称名寺への案内版あった。住宅街を入り、坂を上がっていくと、左側に古い大きな門が現れた。

称名寺に入る門

 称名寺は金沢文庫駅から歩いて10分ぐらいの住宅街を入った所にあった。境内に入ったかと思ったら、道路を挟んで両脇にまだ住宅があった。50mほど進むと正式な門があった。門を入ると回りを緑に囲まれた大きな池と太鼓橋が現れた。池を渡る太鼓橋の前で、望遠をつけた数人のカメラマンがいた。水鳥でも狙っているみたいだった。池には大きな鯉やカメが沢山いた。水仙も咲いていた。

正門

太鼓橋に続き、池を渡る

称名寺本堂

池の周りには水仙が咲いていた

 称名寺は北条氏の一族である北条実時が創建した、と書かれていた。池は阿字ヶ池と言う池だった。本堂の前を右にいってみたら、広い草地が現れた。金沢三山と言われている小高い山が囲っていた。ハイキングができそうだったが、妻の膝の具合を考えて登らなかった。とにかくこの金沢区の町中に、こんな大きな自然が残っているのには、びっくりさせられた。

ビックリするほど静かで緑が溢れていた

 神奈川県立金沢文庫

 池の横の広場を通ってすぐ傍に神奈川県立金沢文庫があった。金沢文庫の地名になった博物館+図書館だ。200円を払って中に入る。神奈川県立だけあって、建物は新しく立派だった。来館者は連休中にもかかわらず空いていて、20名ぐらいだったろうか?金沢北条氏の肖像や弥勒菩薩の像などの国宝や重要無形文化財が収蔵されていた。

 金沢北条氏の読み方は、「かなざわ」ではなく「かなさわ」だった。また六浦は現在は海を全く感じられないが、鎌倉時代は海に面していて六浦の地名の由来だった。「いざ鎌倉」の時には、陸路ですぐの好立地だったため、北条氏の一族をここに配したようだ。鎌倉幕府にとって、経済面でも軍事面でも金沢北条氏は重要な役割を担っていたようだ。

 地球の中華そば

 1時間ほど見学してから昼食にラーメンを食べることにする。文庫駅近くのラーメン店をスマホで探すと、1軒目は開店が11時30分なのに1人も並んでいなかった。そこから1~2分の2軒目の「地球の中華そば」には同じ11時30分開店で、20名以上が並んでいた。きっと有名で旨いと思い、40分ほど並ぶ。妻が横にいる人に聞いたら、お勧めは塩ラーメン、この店は最近、横浜から文庫に移ってきた、と言っていた。席は18ぐらいで、カウンターとテーブル席があった。950円で煮干し醤油ラーメンを食べる。まずまずだった。外にでたら、まだ20名ぐらいが並んでいた。

 昨年もアップしたが、今年もシャコバサボテンが満開になったのでアップする。それも昨年よりも大きくたっぷりと見事に花を咲かせた。

 昨年は、枯れたような状態からの見事な復活だったので、咲いただけで感激した。見にくいアヒルの子が見事な白鳥になったようだった。今年はやはり外に置きっぱなしだったけど、水やりだけはやっていた。葉も増え、大きくなったので、期待も大きくなった。蕾を持った段階で家に入れた。

 11月下旬から咲き始め、ベスト写真撮影のタイミングがわからないほど、日毎に咲く花が多くなり、連日、「素晴らしい」、「綺麗だ」、と褒め称えていた。一昨日も昨日ももう満開だと思って写真をとったが、12月3日の今日も、また一段と花が大きくなり、もう満開かと思い、きりがないのでアップすることにした。

2022-12-3shakobaXx           2022年12月

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  2021年12月



       2021年12月

 2022年のお盆は、私と妻がコロナに感染したため、勝浦には行けなかった。その代わりに10月7日から9日の2迫3日で、兄夫婦、妹、私達夫婦は、勝浦で会うことになった。従弟の詔ちゃんも来る予定であったが、仕事が入り、これなくなった。その代わりではないが、娘が孫を連れて横須賀に里帰りしていたので、一緒につれていくことになった。

  EV車での初めての遠出だった。勝浦まで往復200㎞ちょっとなので充電量は心配はないが、途中何があるか分からないので、満充電にしておく。道路は平日のせいか、渋滞は全くなかった。途中、高滝湖でトイレタイムを取り、運転を妻と交代する。

 ベイシアで兄夫婦と落合い、昼食をとり、夕食の食材を買う。

 勝浦の家は、また少し改修が行われていた。サッシが2重窓になっていたし、外には2台の乾燥機が置かれていた。

 8日は娘と孫を連れて、鴨川シーワールドに行く。近いと思ったが家から40分はかかった。鴨川シーワールドにきたのは、30年ぶりだろうか?コロナで賑わっていないと思ったが、天気も良く、土曜日のせいか、またコロナが一段落したせいか、かなり混んでいた。通常の土日に11時過ぎに着くと、駐車場に入れない車で道路が塞がるそうだ。イルカショウやシャチのショウも満席だった。孫にショウを見せるのが目的とはいえ、1歳では、何をみても分からない。ただ、泣きもせず、おとなしくしていた。私達にとって記念になった。

 

 

 8日、新官の漁港からは朝2時頃から船がでて、金目鯛の漁にでていた。船が戻ってきたときに見にいったが、大した漁獲ではなかった。金目鯛については、朝日新聞が1面トップで大きく取り上げていたので、大いに興味をもった。勝浦漁港の各組合では、金目鯛の漁について、禁漁区、禁漁期間、釣り方、魚の大小など多くの制限を設けた。その結果、勝浦漁港は全国一の金目鯛の漁獲量になった、との報道だった。夕食後に豊浜漁港の組合長の博行さんが来て、いろいろ話してくれたが、新聞の報道と現場とではかなり違っていた。

 9日、10時過ぎに、妹が勝浦駅から帰るので、送りついでに、帰路につく。冷凍された小ぶりの伊勢海老を20匹ちかく博行さんからもらったので、それをお土産とする。

 

 8月5日、車で妻を六浦に送った帰り、13時過ぎにゴルフ練習場に行く。10日ぶりにAさんと会う。130球ほど打って帰る。

 6日、11時30分、スマホの機種変の不具合で金沢八景のイオンに行く。メールアドレスがおかしくなったので、元に戻すのを頼んだのだが、ソフトバンクの店員が2時間もかかってもアドレスを元に戻すことができない。諦めて、イオンをでる。

 家に帰ってから咳が少し出て、ちょっと熱っぽい。体温計で熱を測ると36.8℃ほどあった。私にしては高い。コロナではないと思うが、来週の10日にゴルフが入っているし、14日からお盆で勝浦に行くので、念のため、内科クリニックに電話する。

 「PCR検査をしてもらいたい」というと「すぐこれますか?」というので、急いで向かう。クリニックの裏口から入り、2畳ほどの部屋のベッドに座る。しばらくすると看護師が感染防止の服をきて、問診をし、体温を計り、出ていく。医師はなかなかこない。40分ほど待っただろうか?医師が防御服を着て、簡単な問診と、聴診器で胸を診て出ていく。それから20分ぐらい待って看護師が試験管をみせ、これに唾を入れて、と言って出ていく。それから15分ぐらいして、看護師が来て、10ページほどの感染者のための「自宅・宿泊療養のしおり」をわたされる。検査結果は、翌日が日曜日なので、検査結果は8日、月曜日になると言われた。狭い部屋に1時間30分はいただろうか?重症だったら耐えられなかったろう。

 その日の夜に、Kさんから来週のゴルフコンペのメールが入っていた。Kさんに「ちょっと熱があり、咳がでたので、田浦内科にコロナの検査に行ってきた」と返信する。折り返しKさんから「実は私は4日、5日と微熱がありました。昨日はゴルフにいって体調は万全ですが、ちょっと心配なので、検査の結果を知らせてください」とのメールが入る。というのはKさんとDさんと私は、3日にゴルフに行き、車が一緒だったのだ。私がかかっていれば、Kさん、Dさんも感染の疑いがあるのだ。

 翌日8:30分に田浦内科より「陽性です」との連絡が入る。5日から15日まで自宅療養です、と言われる。ワクチンを4回打っているし、外で飲む事も、電車で出かけることも、多人数と接触する事も、ほとんどないので、私が感染するとは、信じられなかった。陽性がでた以上、「自宅療養のしおり」をみて、スマホで「神奈川県療養サポート」に登録する。午後になってから横須賀市の保健所より、簡単な質問と、配食サービスと酸素量をはかる器具(オキシメーター)の申し込みの案内がある。配食サービスは要らないと思ったが、妻が「申し込めば」いうので申し込む。オキシメーターは呼吸が苦しくなった時の指針になるので申し込む。

 Kさんに陽性であることを伝えると、Kさんは10数か所の医院に電話して、やっと追浜の医院でPCR検査を受けられた。すぐに検査の結果が出て、陽性、と診断された。一緒に行った奥さんも陽性だった。Kさんによれば、症状の経過から、Kさんから私に感染した、との推測だった。

 陽性になってから2日後、妻にも症状がでてきた。それは当然なことで、生活がすべて一緒なので、濃厚接触者が感染するのは当たり前だ。2人だけの生活で私だけ隔離するのは無理だ。

 配食サービスは感染届け出の4日後に届いた。こんなにたっぷりとあるとはびっくりした。5000円~7000円ぐらいありそうだった。レンジのごはんが10食分、レトルトカレーが3つ、赤いきつねが5個、鯖缶が8こ、ソーセージ、ポカリの粉末、ジュース、ティッシュ、トイレ用ペーパ、お菓子などだ。鯖缶は、夕食のおかずになり美味しかった。赤いキツネは、昼食。

 10日の平塚富士見でのゴルフは残念ながら断り、勝浦もいけなくなった。17日のゴルフコンペも欠席にした。

 5日間は、微熱と咳と痰があって、頭がすっきりせず動きが鈍く、ソファーでテレビを見ながら、うつらうつらしていた。その後は咳と痰が少なくなり、微熱が時々出る程度で動きやすくなってきた。ワクチンのせいか、後期高齢者としては軽症のようだ。

 明日は療養11日目になり、やっと無罪放免となるのだが、なんだかウイルスが無くなったような気がしない。まだ10%ぐらいウイルスが残っていそうな気がするのだが、皆さんに接触して大丈夫なのだろうか。妻はまだ5日ほど療養だ。

 5月11日、私がゴルフに行っている日に、和歌山にいる娘が孫を連れて里帰りしてきた。今回は約20日間、横須賀にいる。

 孫は人見知りをしないので、ジジ、ババの顔を見ても怖がらなかった。孫は7か月なのに10㎏近くあり、ずっしりと重たい。77歳の腕には10㎏の赤子を抱くのはなかなか厳しく、すぐ女房に渡してしまう。単なる10㎏の荷物と違って、落としてはいけないとの気持ちが強くて、恐る恐る持つので余計に重さが腕に効く。

 世間で孫は可愛いと言うが、私にとって初孫なので、どのような気持ちになるのか楽しみだった。兄貴の娘たちの子供を見てきたが、それとは違うようだ。

 孫は何故可愛いのだろうか。家族だからというのは勿論だが、赤ちゃんは、自然で、無垢で、言ってみればまるで子犬か子猫が可愛いのと同じかも知れない。1歳を過ぎると自我が芽生え、個性がでてくれが、赤ちゃんにはそれがない。お腹がすけば泣き、おしめが濡れていれば泣き、欲しいものは欲しい、我慢がないし、お愛想笑いもないし、寝たければさっさと寝るし、抱っこして欲しい時は抱っこだし、本当に自然のままだ。それが可愛いのかも知れない。

 とにかく毎日が忙しい。赤ちゃんを中心にすべてが回った。

 30日は、婿殿の両親との顔合わせのため、新宿で会食。久しぶりの西新宿の超高層ビル群に圧倒される。会食場所は、新宿野村ビルの50階の土佐料理の懐石料理だった。若い2人がセッティングしてくれた。

 

 孫たちが帰ったのは5月31日。羽田からの飛行機の方が、新幹線より速くて安いのだという。追浜まで車で送って行ったが、パフォーマンスというか、車のメーターなどの表示が消えて出てこなかった。動くには支障はないが、方向指示器の音ももでないし、スピードメーターも真っ暗で、方向指示器がついているのか、ブレーキランプがついているのか、後続の車が分かるのか、と不安になった。一応、指示器はでていたし、ブレーキランプはついていた。午後にゴルフの練習に行く時には、正常に戻っていた。接触不良のようだ。

 「孫は来て嬉しい、帰って嬉しい」というが、確かにそうかも知れないが、最近はラインがあるので、妻と娘はラインの動画で1時間でも2時間でも姿を見ながら会話しているので、10年前とは違うかもしれない。どちらにしてもまた老夫婦、二人だけの静かな生活が始まった。

  1月21日、13時過ぎに、妻の調査の送迎で横浜市大病院に行く。車で15分だ。

 ゴルフの練習は、腰の酷使を避けるために今日は休もうと思ったので、市大の駐車場に止め、調査が終わるのを待つ。妻の調査は1時間30分はかかる。病院で待っていてもしょうがないので、近くを散歩することにする。

 市大病院から日産自動車のカスタマーセンターを通り過ぎ、5分ほどの突き当りに海がある。海の近くまで行くと、歩道は通行止めになっていた。なんと堤防の嵩上げの工事をやっていて海にでられない。東京湾内だし、こんなとこまで大きな津波がくるかしら、と思ったのだが、スマホで調べてみたら、2019年9月の大型台風で堤防が壊され、その修復工事だった。海水が溢れ、近くの工場が浸水したとのことだった。知らなかった。

 
   向こうは通行止め

 通行止めなので少し戻って、工事現場を迂回して海に出る道を行く。東洋電機と言う会社があった。聞いたことがない会社だったが、これも調べてみたら、交通・産業・情報のリーディングカンパニーと出ていた。三菱自動車の保養所もあった。そこにテニスコートもあったが、ひと気がなかった。この時間、この辺りで、人に会うのが珍しいくらいだ。

 ぐるりと迂回したら海に出た。釣りをしている人が何人かいた。堤防沿いに進むと、ゴルフ練習場の跡地が見え、白い塀で囲っていた。ユンボが何台か動いている。そばによってみたら、杉田のゴルフ場が更地になっていた。倉庫になるとは聞いていた。

 杉田練習場は、料金が高くて2、3回しか練習したことがなかった。設備も立派だし、1万坪、打ちっぱなしの280yd、200打席もあり、採算は十分取れていたと思っていた。居抜きで、どこかの練習場の会社が買ったら良いのに、と思っていた。何時も行く練習場の社長に話したら、とてもとても手が届かないと言っていた。西武本体の業績が思わしくなく、売りに出されたと聞いた。豊島園遊園地もそうだ。この練習場の閉鎖で、何時も行く練習場が混むようになった。

 散歩の途中、妻からラインが入る。もう30分で終わると。

  

   更地になった                                         開発事業のお知らせ

 

  元の駐車場