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大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

こんな新聞記事があがっていました。


『スマホ禁じずいっそ活用 授業でアプリ、連絡はLINE 』


これに対して問題点を指摘したくなる人もいるでしょう。


そして確かに問題点もあるでしょうし、まだ出てきていない潜在的問題点とも言えるものもあるでしょう。


でも、実際に問題が起こる前から必死に脳に汗かいて考えている暇があれば、いったん良いものは良いと受け入れて取り入れて、実際に問題が起こったら今度こそ本気で脳に汗をかいていけば良いという典型例なような気がしますね。


時代は進みます。


その流れに乗っていくことは時に危険でも大事なこともあります。


良い方向に向かってほしいですね~。
また今回も記事からスタートして書いていきますね。


そこで今回は『教職という職業の本当の時給は高いのだろうか?』ということについて書いていこうと思います。



●表向きの額しか見ないのでは意味がない●
こんなまとめ記事がありました。
『日本の公的ブラック企業『教職』の情けない実態』


何をもってブラック企業というのかは個人差があると思います。


「長時間働いているのに全然給料がもらえない」「勤務時間があまりにも長過ぎる」などがブラック企業の典型でしょうか?


僕自身そういったものに賛同する気は全くありませんが、勤務時間が長いと感じるかどうかはその人のモチベーションにも大きく依存するとは思っています。


僕の日常は、
「朝9時くらいから仕事が始まり、まとまった休憩時間もなく他の校舎への移動も含めて夜10時くらいまで仕事をし、11時くらいに家につき夜ご飯を食べ、その後、次の日のための仕事の準備が残っていれば午前2~3時くらいまで仕事をする」
といったものです。


もちろんこれが毎日ではありませんが、だいたいこんな感じです。


僕の場合は土曜も仕事はしていますし、日曜も時折仕事が入ります。


まぁ自分で言うのもなんですけど、給与はもらっているものの、結構ハードな仕事な方だと思います。


世間的には給与は良い方なんですが、自分では「もっとあってもいいだろ!」と思ってしまうことも正直あります。


とはいえブラックだとまでは思いません。


それは自分自身で好きでやっている仕事だから、そして使命感を持ってやれている仕事だからというのがありますね。


逆に言えば、いくら短い時間でもいくら良い給料でも、納得できないのであれば、ブラックと言ってしまう可能性は十分にあると思います。


視点を変えて言えば、『自分自身の本当の時給を計算したときにそれに本当に納得できるかが重要』だと思います。


いわゆる『人的資本』ってやつですね。


正直言って、いくら表面上の給料が高くても、人的資本を考えた場合、自分の本当の時給というものが非常に低ければ不満も出てくると思います。


そういった意味では、そのような不満が出やすい典型例が最初に挙げた「教職」という仕事ではないかなと思います。


親側からすれば、教師にはどこまでも頑張ってほしいと思っていると思います。


その一方で、教師側かすれば、「教師とはいえ人間だ!」と思っていると思います。


そして、日本人ならではなんでしょうか? いろんな業務を教師という本来教えることが専門の人に押し付けることによって、勤務時間も長くなる上に、教えることに専念できない状況になっていると思います。


正直言って、このような雑務が異常なほどに多い環境では、良い教師がなかなか生まれないのも仕方ないのかなと思います。


恐らく僕と同じだけのレベルの仕事をしようと思ったら、学校の先生では何倍も苦労すると思うからです。


別に能力面で言っているわけではなく、時間的な面で言っています。


まだまだ日本は教職に対する正確なイメージがないように思います。


確かに公務員ゆえ、良い給料・安定した仕事というイメージが強いかもしれませんが、それはあくまで表しか見ていない場合。


本当の人的資本まで考えた場合に、今の業務体系が本当に妥当か、今の給与が本当に妥当かをしっかり考えてほしいなと思います。


まだまだ教育にも課題が多いですね~。
有名人の言葉からの引用から始めていきますね。


そこで今回は『20歳だろうが80歳だろうが、とにかく学ぶことをやめてしまったものは老人である』について書いていこうと思います。



●人間誰しも好奇心を持っている●
ヘンリー・フォードの言葉にこんなのがあります。


『20歳だろうが80歳だろうが、とにかく学ぶことをやめてしまったものは老人である』


うん、まさにその通りですね。


僕の勝手な解釈ですが、人間は生きていくために好奇心を常に持っている存在だと思っています。


ただぼーっとしてサボっちゃうとすぐにそっちの方向に頭もいってしまうので、意図的に『好奇心を持って物事を見るということが大事だ』と自分自身に言い聞かせています。


簡単に言えば、広告でもぼーっと見るんではなく、「なぜこんな広告なんだろうか?」「何をターゲットにしているんだろうか?」と考えています。


もちろん僕は広告代理店の人間ではないですし、電通や博報堂に勤めているわけでもありませんから、詳しいことはわかりません。


でも自分なりに答えなき答えを求めて思考するわけですね。


もちろんずーっと何時間も同じテーマで考えるわけではありません。


ちょっと考えて「面白くないな」と思ったり「よくわからんな~」と思ったら、それはそこで打ち止め。


世の中歩いているといくらでも情報があるので、自分が関心の持てるものを一生懸命探します。


そうしているうちに無意識の中でも反応できるようになってくるわけですね。


そして僕は常に『物事を批判的に見る』ということを心がけているので、「これはこうすればもっとうまくいくのになー」なんて余計なお世話全開のことを考えたりします。


でも、それが自分の好奇心につながっているし、人の弱点や仕組みの弱点を早急に見つけることができるようになっている要因だと思います。


でも僕も人間です。


常にやる気があるわけではありません。


そんなやる気の出ないときにどうするか?


これは永遠の課題とも言えるほど難しいことです。


でも僕の中ではっきり決まっている答えは『やる気がないときこそまず始めてみろ』ということです。


実際にやってみて関心が湧かないときもあります。


そういうときはよほど早急にやらないといけない仕事以外は後回しにして、次の機会に回します。


幸か不幸かやることは山のようにあるので、一旦モチベーションの上がらないことに出くわしてそれを除外しても、いずれ近いうちにモチベーション高くできることに出会うわけですね。


でも、これも実際にやってみないと気付かないわけです。


ダラダラしているだけだったらそのままダラダラするだけです。


半強制的に自分が好奇心を持てる状況に追い込むことも時には必要だと思います。


ただ『やる気がない人にやる気を出してもらう』ことは自分自身にやる気を出させる以上に難しいことです。


正直、僕の中でこれに対する答えは出切っていません。


正直言って、一瞬でやる気が出るような決め台詞なんてないと思っています。


やる気がない人に出くわしたら、そのやる気のない状況に真摯に立ち向かうしかありません。


その子は一体なぜやる気がないのか?


やる気がないのは他の問題に気をとられているのか?


それとも、単に今やっていることに関心を持つことができないのか?


押し問答のようなことになるかもしれませんが、それでも一緒に話し合い、少しでもやる気を出せるポイントを見つけていく。


その際に時には厳しいことも言わないといけないかもしれません。


高校生だったらまだまだ意識していないであろうことを、まだ早いかなと思いながらも言わないといけないかもしれません。


こんこんと話し合う。


このことによってどこかに突破口を見つけるんですよね。


正直僕は塾講師だからできることかもしれませんが、「今日は面談して真剣に腹を割って話す日」なんて日を決めてしまって、強制的に真面目モードになることも大事だと思います。


普段はすぐ逃げてしまう子も絶対に逃がさない。


僕はその子に対して何を悩んでいるのか、何に対して踏ん切りが着かないのかを真剣に話し合っていきます。


まぁこんなことをしているから、僕の場合面談が長いんですけどね(笑)


でも、そうやって腹を割って話したことによって、それ以降明確に意見を出しやすくなります。


「この前これは約束したよな?」という話ができるようになる。


そんな中で自分自身の好奇心に気付いてくれればと思っています。


ん~なんともまとまりがないですね(笑)


でも僕の中での「人に対してやる気を出させるコツ」はこんなもんなんですよね。


あとは、以前書いたように『結果を褒めるのではなく、過程を褒める』ということを重視していきます。


『結果なんていずれ絶対ついてくる、その代わり過程で間違ってはいけない。そんな話を僕はするから信じてね』という関係をいかに早く構築するかが重要だと思っています。