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大学受験 英語勉強法 〜灘高&京大卒 塾講師からの指南〜

中学受験に失敗…その後懸命に努力し高校受験で灘高に合格! 一時燃え尽き症候群で苦しむも再起し京大合格! 今ではその経験を活かし、塾・予備校講師として主に高校生・浪人生に英語を教える日々。そんな講師が具体的な大学受験の英語勉強法を提示する。

ちょっと悲しいニュース記事から始めていきます。


そこで今回は『本当の自分で勝負できる力量と心意気を持ってほしい』ということについて書いていこうと思います。



●ウソで塗り固めた人生なんて悲しい●
こんな記事があがっていました。


『「国公立大出身98%」実は14%=「進学会」に措置命令―消費者庁』


むむむっ一体何なんだこれは…。


実は塾にしても予備校にしても「学歴詐称」は非常に多い世界なように思います。


どこの誰がという話になると、いろいろ問題が起こりそうなので、そういった話はしませんが、確かに詐称している人は多くいます。


まぁ実際問題、すでに講師をやっていると、学歴はおまけみたいなもんで、講師職をやっていく上で、会社的にはそんなに大きな意味はありません。


ただ、生徒から見た場合、「東大英語」を担当している先生が東大出身であるのと、明治大出身であるのを比べた場合、残念ながら前者の方がどこか説得力があるように聞こえてしまうわけですね…。


これは人間の悲しい性だと思います。


とはいえ、大きくウソをついていくことは「詐欺」と言われても仕方ないので、やはりダメですね。


最近よく、「学校の先生が自分の子供の入学式のために、勤めている学校の始業式を欠席している」とかいろいろ学校の先生に対する風当たりが厳しいところもあります。


ただ、いくら先生とは言っても一人間です。


自分の子供は誰よりも大事にしたいし、聖人君子たれみたいな風潮に大きなプレッシャーも感じるわけです。


「先生」と名のつく職業でも一人間であるということを忘れずに接してほしいなと思っています。


とはいえ、ウソはいけません。


残念ながら、塾講師・予備校講師として自信を持てない学歴なら、極論ですが、もう1回大学に行ってでも学歴を手に入れれば良いじゃないですか。


別に全く不可能なわけではありません。


逆にウソをつかなくてもいくらでもやっていける分野はありますから、そういった分野で頑張っていくという道だってあります。


こんな悲しいニュースが出ると、また教職の人に対して冷ややかな目が来るのではないかと、ちょっと悲しくなりますね。


本当の自分で勝負できる力量と心意気を持ってほしいですね!
ちょっと偉そうな感じで、でも自戒の念を込めて書いていきます。


そこで今回は『年齢を理由に学べる可能性を消すな! 年を重ねていることを味方に付けて学んでいこう』ということについて書いていこうと思います。



●年齢は最大の味方●
たまに「もう僕/私は○○歳だから頭の回転も悪くなったし、物覚えも悪くなったし、もう勉強は不向きですわ~」なんてもったいさすぎる発言をしている人に出くわします。


まぁこう言っている僕自身同じようなことを思うことがあります(笑) 自戒の念を込めて書きます…(笑)


正直10代のときに感じていたような、「見たものは即効で頭に入る、理解できる、そして使える」なんていう便利な頭脳はもはやありません。


大学生から始めた塾講師ですが、最初の方は90分の授業1回で全員の名前を、その子が座っている位置と共に覚えれたものです。


映像として記憶する分覚えやすかったというのが強いとは思いますが。


それが今となっては残念なぐらい1回では覚えることができません。


本当に退化したな~としみじみ感じます。


でもここで「年だから仕方ないか~」なんて言っていたらもったいなすぎます。


なぜか? それは単純な理由からです。


年齢を重ねるのと共に経験も増えます。


思考できる範囲が広くなっていきます。思考の客観性も高くなっていきます。


そしてその場面場面で出くわす状況に応じて臨機応変に対応できるだけの経験値を持っています。


これって非常に素晴らしい能力だと思うんですよね~。


確かに瞬発性は消えたかもしれない。


でもその分だけ深みが増したのであれば、昔とトントンかそれ以上だと思います。


僕の場合で言えば、上記のように瞬間に覚えることができなくなった分、1人1人の振る舞い方に注目して、そこからその子の性格などを分析できるようになってきました。


そして今ではそれが僕の最大の強みだと思います。


まぁこれは僕の性格に依存している力である可能性も高いですし、何年も「行動⇔性格」の相関関係を意識して見てきたからというのもあると思います。


この詳細はおいとくことにして…どうであれ、各人、年をとればとるほど思考力の面で向上はしているはずです。


でも、こういったものをうまく使っていない人に多数出くわします。


最初に書いたように、年齢を言い訳に自分自身の能力に勝手に限界を見出してしまっている人たちがそうですね…。


きっと勘違いしているだけだと思うんですよね。


「自分は年齢を重ねた。だから瞬発性は消えてしまったから、丸暗記ものはツラくなった。でもその分だけ思考するものは得意になっているはず」というのが本当だと思います。


それを一言に圧縮して悪い面しか見ないのはあまりにもったいないです。


そうやって口にしていることはどんどん現実化しちゃいますからね。


僕はよく生徒に言います。


『周りのどんな人間が自分能力を否定しようとも、自分自身だけでも自分の能力を信じ続け頑張れ。じゃなかったら誰が信じるんだよ』と。


これは受験なら多浪生に当てはまることなんですよね。


1年間の最初は絶対に基礎から始まります。


多浪生であれば、何回も通ってきた基礎なわけですね。


だからこそ勝手に「こんなもんできるわ~」と思い込み、新しい発見があるかもしれない機会すらも捨ててしまっている子も多いです。


そこでも「何年も繰り返しているんだし、新しい視点から見てみよう」と心がけるだけでもずいぶん違うと思います。


『意識的に見ないことには絶対に意識的には見えてこない』と思います。


年を重ねていることを誇りに思って、自分自身の思考力の向上に期待して、どんどん新しいことを学んでいきたいですね!