十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル -21ページ目

十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

いつも心に太陽を。

    

シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


本当は結婚するにあたり、お義母さんができる事も嬉しかったのに・・・

本当は仲良くしたかったのに・・・

辛い思いしかしなかった。


別居は私を正当化する為に、3人がギスギスしてしまうからこれでいいんだと思う一方で、親と子を引き離してしまった....

私が逆なら...

夫に逆に私の実の母の事を言われたら...

と心に常にひっかかり別居したにもかかわらずわだかまりが残っている事を私はシンボリックメソッドで自分の心を読み知っていた。

私には怒り悲しみ悔しさが別居しても残っていたのだ。


別居して、家庭菜園や漬物の方法はお義母さんに聞くわけにいかないと意地をはり、近所の方に教えてもらいにいった。


せっかくお義母さんがいるのに我が家の伝統、お義母さんのやり方を私は教えてもらおうと、学ぼうとせず東京にいた私がそのまま通用するとでも私は思っていたようだ。


時間は流れ、少しずつ私がご飯のおかずやベコベジ園の野菜を届けるようにとなっていった。


それでも3人でギスギスして暮らすなら別々がいいに決まっているさ。

と思っていた。


お義母さんは1人暮らししてから畑仕事はしなくなり、夫が近くで働いていると外へ出て夫の仕事ぶりをいつまでもみていたり、ゲートへ行ったり。

段々そのうち、もの忘れが多くなっていている事は、たまに会うお義母さんの様子から判断できた。

それでも別々が幸せと思った。

もう、あんな思い嫌だと思った。


お義母さんを家に呼び食事をすると「1食1飯の恩義」と言ってお茶碗を流しにさげ洗うようになっても、私の心は固まっていた。

どうして、右も左もわからい同居していた時にしてくれなかったの?

有り難たいと思わない❗と心で思っていた。


お義母さんは、忘れっぽくなり寂しいのが重なったからか、忙しいとわかっている小麦収穫時期でも夫に買い物を頼む電話をかけたり、私も買い物の時間がないので、家に呼び有るもので食事を済ませてもらったりしていた。


そんな別居生活の俗に言う、ス―プのさめない距離は続いていた。


それは朝6時前から1本の電話がかかってきた日のこと・・・


続きは長男の嫁8へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤










シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


お義母さんが、出ていって二人だけの生活は始まった。

私はお義母さんの家にはいっさい行かず、夫が2キロ位離れたお義母さんの安否を確認しにいっていた。

夫の兄弟からも親戚からもお義母さんの1人暮らしになった事にご意見はバンバン。

お義母さんは自分のしたことは別にして1人暮らしになった事に対し私の悪口をバンバン。


親子なら言い合っても、他人は言い合ってしまえば最後。

修正が効かなくなる。と私は思っていて

だから言えずにストレスがたまる。


お正月、お盆に家に呼んで来ては、相変わらず小言。

やっぱりこのお義母さんと一緒は無理だと思っていた。


3ヶ月くらいしてやっとシチューやカレー、煮物をたまにお義母さんの安否にいく夫に持たせることができるようになった。


続きは長男の嫁7へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤



シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


私は考えに考え決断をした。

この家を出よう。

夫と2人で出ようと話した。


実は東京にいる時からお義母さんの性格を聞いていて、やるだけやって無理な時は二人で家を

出ようと話していたのだ。


夫は家を探すと私に伝え同時にお義母さんに出て行く事を話したらしい。


とにかく出ようとした時、子犬が野良猫に頭から食べられそうになっている所を発見。

病院に連れていき命を繋ぎ家の中でお世話をし、家を出るのが延期になってしまった。


そうこうしている間にお義母さんが会話のない食事中に出て行くと言ってきた。

夫は「わかった」とひと言。


北海道に引っ越し3ヶ月くらいしたある日、お義母さんは夫に手伝ってもらい荷物を車に運び始めた。

寂しいからと夫が可愛がっていた猫2匹も連れていこうと引っ越し準備をしている。


私は手伝わず寝室で体育座り。

涙が止まらなかった。

今なら間に合う。

今なら。

私が謝れば。


私は謝れず・・・・


お義母さんを呼び戻すことはできなかった。

もう3人の暮らしは限界だったのだ。


夫には「したことは必ずかえってくるからな」と言われた。


結局、世間では東京から嫁が来てその嫁が姑を出した。とされた。

私は後ろ指をさされても、同居でギスギスするよりも別居した方がそれぞれ幸せと夫に話した。


夫は嫁をコントロール出来ないやつと人が集まる所へいくたび言われたらしい。


あの時、1つだけ感謝したのは私達だったはずがお義母さんが出ると決めた事。

この農場を守る為。

息子を大事に思うがゆえ。

私達が出ていき全ての農機械、道具があるこの家に通うより、お義母さんが出て行くことが賢明と判断された事を私はすぐに理解した。


続きは長男の嫁6へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤