十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル -20ページ目

十勝からLOVE 自然と共に生きるスタイル

いつも心に太陽を。

    

シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


「もういいじゃないですか。」発言から私の心の中ではお義母さんからお母さんへと気持ちが移っていった。


再同居してみると、母は薬の飲み忘れや物忘れが多い事を私は実感した。


以前の同居と母は変わった。

食事を済ませるとお茶碗を洗ってくれるようになったりできる事を手伝ってくれるようになった。

まさに私がシンボリックメソッドで学んだ私自身の心が変われば現実は変わるという現象でその事を身を持って体験している。


その家その家のやり方があるのに私は気分は新婚、やり方は東京でのやり方のままという意識で我が家のやり方を素直に聞いて受け入れようとしていなかった。

それどころか求めているばかりだったと思う。


ある時は、きんぴらを作ろうと人参とゴボウをだしていたら切っておいてくれた事もある。

私は嬉しくてしかたなかった。


あんなに嫌だったのに母が一緒のお風呂を使っても、リビングにいても私は一緒にいるのが普通になってきた。


母はいっさい小言を言わないばかりか、クチぐせになったように「陽子さんが野菜を沢山使ったおかずにしてくれて有難い」と言うようになった。


シンボリックの研修会で東京に行く事を母が知った時も「よかったね」とおこずかいまで持たせてくれた。


続きは長男の嫁11へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤

シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


ソファーから立ち家に帰ろうとするお義母さん

に私は言葉が溢れだした。


「お義母さん、もういいじゃないですか。」


するとお義母さんはソファーに座り直した。


「私も来て間もなかったのでいき届かなかっと思う。きっとこれからもだと思います。

1人にしてごめんなさい.....

今日から新しい家族になりませんか?

もういいでしょ。一緒に暮らしましょう」と

そんな内容の事を伝えた。

それは、私の奥底にある心の声が言葉になったと思う。これを専門用語を使うと潜在意識の声というのだ。


お義母さんは「有り難う」と言いながら頭を少しさげた。


もういいじゃないですか。

それは私が私自身にも言った心の底から溢れ出た言葉だと思う。


お義母さんが1人で住んでいる所は、夫が誕生日にプレゼントした鶏もいて餌やりもあり、そのままお母さんの別荘として使うことになり、

身の回りの物は鶏の餌やりついでに3人で少しずつ運ぶことにもなり、母は母の部屋でそのまま休んでもらった。


あんなに嫌だと思った同居が私が言い出し、その日から再開した。


続きは長男の嫁10へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤


シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です虹

北海道に引っ越す心境記事はこちらです。


私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。

私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。


それは朝6時前から1本の電話がかかってきた。

無言で乱れる息づかい。

私は直感でお義母さんと理解した。

「苦しい」と。一言。

私はパジャマに眼鏡で寝起きのまま、なりふり構わず夫の車に乗り込みお義母さんのもとへ駆けつけた。


お義母さんはベッドに寝たままだった。

血圧を何度計っても測定不可。

140位の頻脈。

顔色も悪く、私の手を握ってくる。

始めて握るお義母さんの手は小さく固かった。


私はかなり動揺した。

このまま死んでしまう?

もうお義母さんは1人暮らしは限界か?

頭の中をグルグル、葛藤する

「同居は無理、陽子落ちつけ落ちつくんだ」


救急車を呼び受診したが内服処方となった。


外来で処置を待っている間も、私は頭の中がグルグルグル。

「絶対もう同居はいや。無理だ」

「無理だよお―――――――」頭の中で叫んでいた。


深呼吸を何度もして私自身を落ち着かせた。

そしてとりあえず朝ご飯を食べていないので我が家に3人で帰り簡単にお粥を食べた。


実は前の晩、夫と仕事の方針を話し合い、お義母さんの話へと移り、同居は無理なのでいざと言うときはホ―ムに入れると話しもしていた。


お義母さんは北海道が地震で停電になった時も泊まらずに帰り、今回も帰ろうとしている。


お義母さんがソファーから立ち、帰ろうとしている瞬間までも「お義母さんは限界、けど同居は無理」と私はまだ葛藤していたが・・・・


まさか私のクチから、じつは心の奥底、潜在意識からの言葉を発することになるとは。。


続きは長男の嫁9へ。


百姓の妻&セラピスト陽子❤