シンボリックメソッドを活用して東京から北海道に引っ越し、再婚した久保田陽子です
北海道に引っ越す心境記事はこちらです。
私が北海道に引っ越し1番辛かったのが嫁、姑関係でお義母さんからお母さんと思えるようになった経緯を書いていきます。
私の苦労話として、お母さんの悪口、捌け口を目的にして書いたわけでない事を先に記しておきます。
本当は結婚するにあたり、お義母さんができる事も嬉しかったのに・・・
本当は仲良くしたかったのに・・・
辛い思いしかしなかった。
別居は私を正当化する為に、3人がギスギスしてしまうからこれでいいんだと思う一方で、親と子を引き離してしまった....
私が逆なら...
夫に逆に私の実の母の事を言われたら...
と心に常にひっかかり別居したにもかかわらずわだかまりが残っている事を私はシンボリックメソッドで自分の心を読み知っていた。
私には怒り悲しみ悔しさが別居しても残っていたのだ。
別居して、家庭菜園や漬物の方法はお義母さんに聞くわけにいかないと意地をはり、近所の方に教えてもらいにいった。
せっかくお義母さんがいるのに我が家の伝統、お義母さんのやり方を私は教えてもらおうと、学ぼうとせず東京にいた私がそのまま通用するとでも私は思っていたようだ。
時間は流れ、少しずつ私がご飯のおかずやベコベジ園の野菜を届けるようにとなっていった。
それでも3人でギスギスして暮らすなら別々がいいに決まっているさ。
と思っていた。
お義母さんは1人暮らししてから畑仕事はしなくなり、夫が近くで働いていると外へ出て夫の仕事ぶりをいつまでもみていたり、ゲートへ行ったり。
段々そのうち、もの忘れが多くなっていている事は、たまに会うお義母さんの様子から判断できた。
それでも別々が幸せと思った。
もう、あんな思い嫌だと思った。
お義母さんを家に呼び食事をすると「1食1飯の恩義」と言ってお茶碗を流しにさげ洗うようになっても、私の心は固まっていた。
どうして、右も左もわからい同居していた時にしてくれなかったの?
有り難たいと思わない❗と心で思っていた。
お義母さんは、忘れっぽくなり寂しいのが重なったからか、忙しいとわかっている小麦収穫時期でも夫に買い物を頼む電話をかけたり、私も買い物の時間がないので、家に呼び有るもので食事を済ませてもらったりしていた。
そんな別居生活の俗に言う、ス―プのさめない距離は続いていた。
それは朝6時前から1本の電話がかかってきた日のこと・・・
続きは長男の嫁8へ。
百姓の妻&セラピスト陽子❤