小島政二郎。長編小説 芥川龍之介 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

小島政二郎:静心なく 田中比左良 表紙絵 写

 

小島政二郎は鈴木三重吉の紹介で、結婚したばかりの芥川龍之介を訪問(大正7年)すると、芥川が亡くなる(昭和2年)までふたりは友人として親しく交流した。その小島政二郎晩年の評伝小説『芥川龍之介(1977)読売新聞社』は、小島による私小説的な目線で友人芥川の擦り切れいく姿を描きだしている。

 

昔、芥川龍之介の短編『雛』にいたく感心したことがあったが、幾度か読み返すうちに、銅版画を思わせるその細密な仕上がりに息苦しさを感じるようになってきた。芥川は志賀直哉を目指し小説家たらんとしたが、彼の資質は物語作家にあって「繊細すぎる性格には向かなかったのだ」と小島は回顧している。

 

 箱を出る顔忘れめや雛ひな二対つゐ  蕪村

 

まあ、申さば、内裏雛は女雛の冠の瓔珞やうらくにも珊瑚がはひつて居りますとか、男雛をびなの塩瀬しほぜの石帯せきたいにも定紋と替へ紋とが互違ひに繍ひになつて居りますとか、さう云ふ雛だつたのでございます。(芥川龍之介「雛」より)

 

小島によると、芥川は文章に「で」や「が」といった濁りのある仮名を嫌う彼の潔癖さを指摘、推敲に推敲を重ねないではいられず、推敲するほどに作品は息苦しくなっていった。

 

これまでいくつかの芥川龍之介論を紹介してきたが、本著と「彼は〝小説による松尾芭蕉〟になりたがっていたのだ」と記した橋本治編集『日本幻想文学集成(1991-94)国書刊行会』の橋本治によるあとがきが一番心に残っている。付け加えるなら講談社文芸文庫版の出久根達郎の解説もおすすめしたい。

 

イラストは小島政二郎『静心なく(1939)愛翠書房』の田中比左良よる表紙絵を写したもの。