谷崎潤一郎と水島爾保布。人魚の嘆き・魔術師 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

水島爾保布

 

わが国にビアズリーが最初に紹介されたのは明治末ころ雑誌「白樺」誌上においてといわれている。丸善のPR誌『學鐙』大正5年4月号の表紙をビアズリーが飾っていることから、この頃にはある程度一般に知られ始めていたのだろう。

 

当時、ワイルド&ビアズリーに比肩された谷崎潤一郎&水島爾保布による挿絵本『人魚の嘆き・魔術師(1919)春陽堂』は2年前に出版された谷崎の六編入り短編集『人魚の嘆き(1917)春陽堂:名越国三郎挿絵』から二編を選び挿絵本として再編集されたもの。下部掲載の本著はその復刻版です。

 

人魚の嘆き・魔術師(2020)春陽堂書店

 

近年ようやく前田恭二による『文画双絶 畸人水島爾保布の生涯(2024)白水社』など幾冊かの出版によって、水島爾保布に対する再評価が始まろうとしている。画家・随筆&コラムニスト・トラベルライターでもある爾保布におうについては、幾度もとりあげたのでここでは繰り返さない。

 

 

人魚の嘆き・魔術師(2020)春陽堂書店

 

明治末から大正、そして昭和初期にかけて、谷崎潤一郎の初期作品や江戸川乱歩を基点としたエログロ文学の沸騰は、海外からの精神病理学的観点からみた「変態」の移入にあったらしい。20世紀は科学の時代であり、また心理学の時代でもあった。私たちは自身の心の分析に拘泥する。

 

その言語化(文学化)に腐心したのが『刺青(1910)新小説』を始まりとする谷崎潤一郎で、水島爾保布によって視覚化されたことによって社会を揺さぶり浸潤していった。その象徴的な作品のひとつといえる。