竹内瑞穂。変態という文化 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

高峰秀子

 

以前、谷崎潤一郎の発禁本『颷風:ひょうふう(1910)三田文学』の戦後復刻版(1950)を読んだことがある。主人公は日本画家の俊才・直彦、六代目(尾上菊五郎)似の美貌の持ち主、道楽恋愛には淡白だったが吉原に無理強いされ、その道に開眼するばかりかほとんどセックス依存症に。

 

一念発起して性欲を断つものの目眩、昏倒、顔面にチックが起きるなど画業が手につかず、これではいかぬと静養をかねてスケッチ旅にでかける。美貌ゆえ旅先で待ち受けるさまざまな誘惑をかわしつつ半年後、ようやく吉原にたどり着いた直彦だったが… といった20代の文豪谷崎による、いわば恐るべき性欲小説です。

 

谷崎潤一郎 原作 映画 刺青

 

むきだしの変態小説で以来、谷崎は「なんでこんな作品を書いたのだろう」というのがずっと気にかかっていた。同様に、大正末に『一銭銅貨(1923)』でデビューした江戸川乱歩は本格ミステリから、やがて『人間椅子(1925)』や『芋虫(1929)』といった変格ミステリへ、あるいは変態小説へと舵をきる

 

もともと「変態」という言葉は「常態」の反語として「ヤゴからトンボへと変態する」といった風に用いられていたものが、西欧から精神病理学などの研究が移入され、それが一般社会に膾炙する過程で、現在持ちられる性的錯誤といった「変態」様に変化していったもののようである。

 

谷崎潤一郎:颷風(1950)啓明社

 

明治末から大正、昭和初期にかけて、精神学者フロイドやロンブローゾ『天才論』の登場とその影響。またプロレタリア文学の挫折から権力への抵抗としての「退廃文学への逃避」といったさまざまな要因が、発酵するごとくエログロ・ナンセンスな時代相を現出させていくのである。

 

明治期からの変態という概念の変容がもたらしたものと考えるといかにも興味深いものがあり、そうした時代をスタートとして谷崎潤一郎は『刺青(1910)』から『卍(1928)』へと、その変態小説を昇華洗練させていく。竹内瑞穂『変態という文化—近代日本の小さな革命』によって長年の謎の一端が解けたかも。

 

竹内瑞穂:変態という文化(2014)ひつじ書房