新聞小説の愉しみ。印刷技術の変遷とともに | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

徳川美賀子

 

先週あたりから古い新聞小説の切抜きの整理をしていた。明治から昭和時代までの切抜きが相当数あって(困ったことに)押入の半分ほどを占領している。

 

もともとは暇つぶしに主に近代以降の印刷史を調べていたが、印刷技術が刷新されるたびに挿絵の世界も変革がもたらされるようで、やはり雑誌や新聞小説をたどっていくと幾分の理解ができてくる。となると、そうした古い作品も折々読むようになって、自然に大衆小説の歴史をたどる愉しみを覚えた。

 

最近製本した新聞小説から

 

菊池幽芳:小夜子(1923)大阪毎日新聞 鰭崎英朋 挿絵

富田常雄:潮来出島(1954)三社連合 富永健太郎 挿絵

 

渡邊霞亭:花咲く朝(1924)大阪時事新報 大橋月皎 挿絵

 

新聞は時代によって文字の大きさが変わり、活字が6〜7ポイントほど(現在の新聞活字の半分ほど)の時もあった。単純に現代の情報量の4倍ほども詰め込まれていたことになる。ただ、個人的には近年視力が低下がはなはだしく、新聞連載終了後に刊行される単行本化を探しては、新聞掲載の挿絵を対照して読むことが増えてきた。

 

印刷技術史→ 挿絵の変遷→ 大衆文化史は渾然不離の様相を呈し、富士青木ヶ原樹海に迷い込んだような状況に陥ってしまった。正直持て余しぎみながら、彷徨うことそれ自体が愉しいとなれば迷盲として進むしかない。

 

大衆小説などは、その時代時代の声なき需要に応えるように、より面白く読んでもらうべく作家たちは新しい表現)に苦心技巧をこらす。現代は長らくミステリによる筋立てが全盛で、作家たちはその隘路にそって新味を競わざるを得ない。エンタメという快楽世界は、気息が続く限りいつの時代も熾烈です。