神保朋世。横浜 弘明寺壁面の地獄絵図? | mizusumashi-tei みずすまし亭通信

神保朋世:創世の神とオキグルミ

 

 

蛇身の恋   句集 赤壁 表紙絵 原画(左)

 

昨日ブログ続き。上掲挿絵原画は戦時中、神保朋世(1902〜1994)の北海道に疎開していたころの挿絵のようだ。戦時中のつれづれに俳会を主宰(神保貞三郎名義)し、戦争で中絶した俳句雑誌『赤壁』の出版を再開する。上図右はその雑誌の表紙絵原画です。

 

藝術生活(1974.08)芸術生活社

 

雑誌『藝術生活(1974.08)芸術生活社』の特集「挿絵の黄金時代」に、越野周二『最後の浮世絵師 神保朋世』の経歴がやや詳しく書かれている。それによると、15歳ころ朝日新聞社に給仕として勤務するかたわら、鰭崎英朋に弟子入りし17〜18歳(大正末)のころには師の世話で『講談雑誌』に挿絵を描きだす。

 

24歳以降はスターダムにのりだすと、多い時では当時の総理大臣と同額の月1000円(岩田専太郎は倍の2000円)ほども稼いだ。このころに悪所通いを覚え、当時の大蔵大臣馬場鍈一の想い者の葭町芸者花奴と割りない仲になって7年間同棲すると、この間に芸者置屋「一の屋」を開業、経営が上手くいかず移転して「杵屋」を始めるが失敗し膨大な借金を抱える。

 

京都先斗町にてスケッチ 神保朋世 色紙

 

神保朋世:続 うき世絵ばなし(1968)芳賀書店

 

まぁ、この花街生活から、あの艶麗にして情感溢れる挿絵を育てたのだろう。なお、横浜にある高野山真言宗の古刹・弘明寺 ぐみょうじ の4mの壁面に地獄絵図を描いたと(随筆「窓四亭俗話」に)あるが、ネット検索でも確認できない。一度拝見したいと思うのだが、ご存知の方はいらっしゃいませんか?