堀江宏「月刊ライカ」 | mizusumashi-tei みずすまし亭通信
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 堀江宏主幹:月刊ライカ(1934-35)アルス
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ライカの傑作Ⅲ型の時代だろうか? ライカ一台で家が一軒買えた。ライカのロゴマークとともに誇らしく掲げられた「月刊ライカ」のタイトルはゆるぎない自信にあふれている。国内のカメラ技術者は欧州研修を重ね工夫開発をくり返し「ライカに追いつき追い越せ」と猛追したが、相変わらずライカの背中ははるか遠くにかすんでいた。この時代ニッコール・レンズの開発に腐心した(われらが地元出身の)砂山角野の奮闘は以前ご紹介した。

カメラを街に持ち出し気軽に撮影できるというのは、私たちにとって(おそらくエポックメイキングなほどの)大きな事件だった。周辺のなにげない風景やポートレートを、レリーズするだけでピクチャー(影)を手にすることができる。自身が切りとった風景を客観視し相対化するという行為のくり返しは、確実に思考そのものを変容させた(はずだ)。対象に触発(つまり主観という衝動によって)レリーズし、その結果を客観するのだから。

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デジタルの時代が始まるまで、フィルムの現像や印画紙への焼付けは日常でしたからね。こうした広告は多少の変化こそあれ、最近までほとんど変わらなかった。のですが、デジタル以降はまったき斜陽です。

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 朝の通勤風景
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またしてもカレー。ながら、胚芽米入り。胚芽米袋ラベルシールは以前、福祉施設の依頼でデザインした。施設入居者の作業商品として手詰めされている。街中のイベントで販売していた。