Steve Lukather
「スティーブ・ルカサー」は、よしんどの理想のバンド「TOTO」のギタリストであり、優秀なスタジオミュージシャンである。そして、よしんどの理想のギタリストでもある。
彼はみんなに「ルーク」と呼ばれている。
ルークは20歳そこそこで、プロミュージシャンになった。「TOTO」の活動をしながら、スタジオミュージシャンとしてもひっぱりだこであった。(例えばマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のギターソロ以外のギターは、ルークが弾いている。)
彼が、売れっ子になったのは、あらゆるジャンルのギターをこなし、望まれるギタープレイを一回で決められるほどの実力を持った人だったからだ。
ただ、彼はロックミュージシャンとして認められたかったので、スタジオミュージシャンとしての仕事は、だんだんと減らしていったようだ。
そして、「TOTO」のリーダーだった「ジェフ・ポーカロ」が亡くなった後は、実質上のリーダーとしてバンドを引っ張っていた。
ギタリストは「目立ちたがり」が多いので、やたらと早弾きしたり、派手なテクニックを使ったりする人が多いが、ルークはそういうことをして、曲を「ぶちこわしたり」は絶対にしない。
曲を一番引き立たせるプレイをしている。
もちろん早弾きしたりもするが、まずは「どう弾いたら、この曲がより良くなるか」を考えているように思う。そういうことができる人は少ない。
その考え方に、よしんどは感心し、自分もそうありたいと思う。
ただ、実際のルークは、とんでもなくギターが上手い人なので、そこらへんのギタリストよりも早弾きもすごいし、派手なテクニックも持っている。
でも、それを使うかどうかは「曲次第」なのである。
ギターが主旋律を担当し、中心になって演奏するような曲では、まさに「やりたい放題」。とても真似できない。
ルークのテクニックについていくことは、よしんどには無理なので、彼のプレイで真似できるところは、いかに曲を生かすプレイを心がけるか、ということぐらいである。
GGC
今回は、よしんどのオヤジの近況について。
よしんのどのオヤジは、仕事をしていたときは、よしんどから見ると「パチンコ、マージャン以外は興味なし」「無趣味」「何をしてるときが楽しいのか、わからない」という風に感じられる人であった。
ただ、「酒」は大好きで、晩酌は欠かさない人、というイメージが強かった(酒に関しては今も変わらないが。)。
ところが、退職してから、余程時間を持て余すようになったのか、少しずつアクティブになってきた。
一番びっくりしたのは、「地元の祭り」に参加し始めたときだった。
それまでは、地元の祭りの日でも、普通に仕事に行き、普通に帰ってきていたので、「ああ、この人はこういう事にも興味がないんだな」「ちょっと可哀想な人だな」と思っていた。
だが、退職したとたんに、「祭りの準備のための町内の会合」に顔を出すようになり、本番の祭りの時には、体力の限界まで山車について回った。
よしんどは、そこで初めて「オヤジも、じいちゃんの血を引いていたのか」と見方を変えた。(じいちゃんは、いわゆる「祭りバカ」系の人だった。)
それがきっかけになったのだろうか、同じ町内の元同級生・同窓生と「GGC」(グランドゴルフクラブの略。またの名を「ジジ(爺さん)クラブ」)を作り、それを理由に、飲みに行くようになった。
他にはトレッキングの会にも顔を出しはじめ、「急にどうしちゃったの?」といいたくなるほど、コロッと人が変わったように、いろんな人と交流を深めるようになった。
仕事をしていたときは、「会社」と「自宅」を往復するイメージしかなかったオヤジが、こういう風になるとは全く思わなかった。
年も年だから、根本的な性格は変わらないとは思うが、いろいろな刺激を受けるようになって、よしんどたちに楽しい話を聞かせてくれればいいなあ、と思っている。
(特に「かあちゃん」とのコミュニケーションについては、もっと考えてくれよ!)
俺の話を聞け!
久々に友人の子供の話をひとつ。
よしんど家を含めた例の3家族の子供たちの中で、登場回数の少なかったT家の次男「T君」をピックアップ。
このT君、一言で言うと「おしゃべり」である。
よしんど家にT家が「おすそわけ」をしに訪ねて来てくれたときに、玄関のドアを開けたとたんに「ぼく、お兄ちゃんになるの!」と、お母さんが妊娠した事を「速攻で」バラしたのがT君である。
本当は、お母さんは我々に自分で報告したかったようだが、T君はそういう空気は読めないし、知っていることは誰かに伝えたくてしょうがない、という子である。
基本的にT君は「我が道を行く」タイプなので、「話し相手」を「自分で」探しに行く。両親の近くにいつもベッタリといる、というタイプではない。
以前、例の3家族でバーベキューをしに行ったときに、近くにフィリピン?出身と思われる数家族がいた。
そのうち、「あれ?T君がいない。」とキョロキョロまわりを見回したら、T君は、その外国の人たちの子供であろう、自分とちょうど同じくらいの年の女の子と「国際交流」をしていた。
子供同士だから、すぐ仲良くなっても不思議ではないが、「度胸のあるやつだなあ」と、よしんどは勝手に思った。
また、T君は、自分の兄(U君)が、そう思っているからだろうが、よしんど達を「自分の友達」として扱う。
ある日、T家を、よしんど達とN家が訪ねた時、ちょうど夕ご飯時だった。
もちろん、よしんど達は、長くいるつもりは無かったのだが、「いつものみんなが揃っているな」、と感じたのか、T君は、N家のK君を誘って、一緒に2階にかけ上がり、小さい体で「自分たちと同じくらいの大きさじゃないか?」というサイズの「ボードゲーム(例・人生ゲーム)」を「うんしょ、うんしょ」と持ってこようとした。
お母さんに、「今日はもう遅いからゲームしないよ!」と「ダメ出し」されると、二人は無言のまま、また、自分たちと同じくらいの大きさの「ボードゲーム」を持って一生懸命、2階へ引っ込めに行った。
T君たちには悪いが、その「どっちが持ってるんだか、持たれてるんだかわからない」ヒョコヒョコとした様子は、とてもかわいらしく、また、とても可笑しかった。
彼の中では「よしんど達が来た=遊び相手が来た」と直結してるらしい。
本当に、子供はみんな「面白い」。
親子会(食事会)のご報告
17日に行われた親子会(食事会)のご報告。
去年、長老の方々は80歳を超えた人も出てきたので、「親子会という一泊旅行はツラくなったし、無理はやめよう」ということで、40年以上続いた「親子会」も、で一応終了(チョン!)になった。
ところが、夏になって、最長老から「昨年、チョンにしたものの、親族みんなの絆が忘れられず、寂しいので、食事会を開いて集まる機会を持とう!」というハガキが来た。
「親子会より負担が少ない形に変えて、みんなが集まれる機会は持てないものか?」と、みんなが思っているような気がしていた。
今回は、わりと急な話だったし、みんながスケジュールをあわせるのは難しいだろうと思っていたが、ふたを開けてみたら、地元に残っているのは、19人なのに16人が集まった!
何人かは、食事会が始まった18時を過ぎてからでも、仕事などが終わり次第、都合を付けてかけつけてくれた。
「恐るべし!親族の絆!」
これだけ揃ってしまえば、今までと同じ「歌ったり踊ったりのバカ騒ぎ」「エンドレスのおしゃべり大会」である。
よしんどは、昨年は出席できなかったので、「どうなるのかな?」と思っていたが、何も変わらなかった。
「なーんだ。結局、みんなやりたいんじゃん」ということである。
今回の言い出しっぺの最長老から「来年もやりたいかー?」という声が上がったら「やりたい、やりたい。」の声ばかり。
ただ、メンバーが高齢化しているので「親子会より(体力的に)負担を少なくして、みんなが集まれる機会」というのはどういう形がいいか、考えなければならない、今後検討しましょう、ということになった。
そしてその後は、やっぱり、2次会へなだれ込んだのでありました。
親子会
よしんどの母ちゃんは、4姉妹の末っ子である。ありがたいことに、4姉妹全員存命で、たまに遊びに行ったり来たりしている。
40年以上前のことだが、よしんどのオヤジが、かあちゃんと婚約した際、母ちゃん側の家族一同が、オヤジの歓迎会(というより品定め会)を開いた。これが、「親子会」の始まりだったそうだ。
初期の「親子会」は「よしんどの母ちゃん側の親族」が「年に1回一同に集まる」会で、メンバーはじいちゃんとばあちゃん、4姉妹とその旦那さん、および、その子供たち(いとこ同士)だった。
なので、よしんどは、この時のメンバーでは一番チビ、ということになり「親子会」は、いとこに遊んでもらえる楽しい機会だった。
そのうち、「毎月積み立てをして、一泊の旅行にしようか!」という話になり、「親子会」は「よしんどの母ちゃん側の親族」が「年に1回一同に集まる1泊2日の旅行!」になった。それが、ずーっと去年まで!続いたのだった。
よしんどが、中学生になると「いとこの年長組」が結婚し始め、その旦那さんやお嫁さんも「メンバー入り」し、「20人を超えるメンバーが年に1度集う会」(歌ったり踊ったりのバカ騒ぎとも言う。)に拡大した。
よしんどは、生まれたときから「親子会」があったので、「年に1回、親族が一同に集まること」が、「すごいこと」だとか、「珍しいこと」だとか思うことはなかった。あって当たり前のことだったので「今年はみんなでどこに行くのかな」と楽しみにしていた。
そのうち、「いとこの年長組」に子供たちが生まれ、気がついたらメンバーは32人!になっていた!!
一組の夫婦(よしんどのじいちゃん・ばあちゃん)から、数十年たって32人の親族になった。そして、こうやって、年に1回仲良く集まれる。それだけで、すごいことだ、と今は思う。
基本的には、地元に住んでいる20人くらいの人数で行ってきたのだが、2007年に一度だけ32人!全員が集まった。
初めて顔を見る子もいれば、何年かぶりの人もいる。
上は80歳から下は小学生である。
この機会を逃すまいと、全員が揃った写真を写真屋さんにとってもらった。
その写真に写ったみんなの表情は「笑顔」だった。よしんどの嫁さん曰く「そこにいることが、嬉しくてしょうがなかった」そうである。よしんども同じ気持ちだった。
さすがに、80歳を超えた方々も出てきたので、「無理はやめよう」ということで、40年以上続いた「親子会」も、去年で一応終了(チョン!)になった。
ところが、夏になって、最長老から「みんなが集まる機会がないのは、やっぱり寂しいので、食事会をやろう!」というハガキが来た。
よしんども40年以上続いた「親子会」がない、ということで何かが足りない感じがしていた。
その「食事会」は17日に行われる。

