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Steve Gadd その2

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毎年、9月頃に「東京ジャズ」という、有名なジャズミュージシャンが出演するイベントがある。


今年の出演者の中にビブラフォン奏者のマイク・マイニエリ(71歳!)を中心とした「L'Image(リマージュ)」というグループが、出演した。


そのメンバーの中に「スティーブ・ガッド」がいて、「東京ジャズ」の後に日本でツアーを行う、という情報がイベンターからのメールで届いた。


スケジュールを見ると、仙台公演の日に参加できそうだったので、「また、スティーブに会えるかもしれない」と思い、早速チケットを手配した。


仙台公演の会場を見ると「小さな」ライブハウスで、「この場所で、立ち見で100人入るだろうか」というぐらいの場所だった。(そこには以前行ったことがあるのでわかっていた。)


グループのメンバーの顔ぶれは世界的に一流の人たちばかりだったので、「ホントに大丈夫かいな?」と思いながらも仙台へ向かった。



会場に着くと、やっぱりすごい数のお客さん。よしんどは先行予約でチケットを取っていたので、優先的に席を選べた。

その場所たるやドラムから3~4m。メンバーが会話しているのも聞こえる距離。
すごい位置で聞くことができた。



このグループでは、スティーブ・ガッドはブラシ中心のプレイ。それでも、十分にすごさは伝わってくる。曲自体も、よしんどの好みの、ちょっとフュージョン寄りのものだったので、よしんどは大満足。

お約束のドラムソロも、しっかりやってくれた。

激しいプレイをするたびに、会場中が「おおーっ」と声を上げていた。

あっという間に時間は過ぎていった。



終演後、「サイン会を行いますので、ご希望の方は一列にお並びください」とアナウンスがあったので、よしんどは「やったー!また、スティーブと話ができる!」と喜んでいた。


順番が来て、「スティーブ」と再会。「また、あなたに会うことができて、とてもうれしいです。」と言ったら、「前はどこで?」と聞かれたので、「ブルーノート東京です。」と答えたら、「そうか、そうか」と言いながらサインをしてくれた。


今回はイベンターから「写真はダメ」とのアナウンスがあったので、それはあきらめた。

「また、次の機会を楽しみにしています。」と言ったら、スティーブは微笑んでくれた。


(スティーブのサイン)

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今回も、嬉しかったなあ。また、会えたらいいなあ。



Steve Gadd

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たぶん、スティーブ・ガッドは、現在生存するドラマーの中で、世界中のミュージシャンからツアーやレコーディングに参加して欲しいと、もっとも望まれているドラマーだろう。

よしんどが最も好きなドラマーは「ジェフ・ポーカロ」だが、もう亡くなってしまったので、会うことはできない。

ジェフの次にお気に入りだったのが、スティーブ・ガッドだ。

彼は、現在64歳だが、バリバリ元気で世界中を飛び回って、そのドラミングを披露している。

よしんどは、いつか彼に会うチャンスはないだろうか、とずっと思っていた。



よしんどが、スティーブを知ったのは「サイモン&ガーファンクル」の「セントラルパークコンサート」の時のドラマーとしてが初めてだった。

その後は、ジャンルを問わず、いろいろなアルバムで、「スティーブ・ガッド」の名前が出ていることに気がついた。

スティーブはジャズドラマーだとずっと思っていたのだが、1995年にエリック・クラプトンのバンドに参加してからは、耳にする機会や目にする機会が増えていった。



2002年にチャンスが来た。「ブルーノート東京」に出演するということがわかったのだ。「ビリー・シーンの件」で、味をしめていたよしんどは、「スティーブに会えるかもしれない」と早速チケットを購入した。


当日、「ブルーノート東京」は「ジョン・トロペイ」というギタリストのライブで、そのバンドにスティーブは参加していた。

間近で見るスティーブは、手足が全くバラバラのリズムを刻みながら、それでもノリは狂わずに演奏できるという、高度な演奏を織り交ぜながら演奏していた。

お約束のドラムソロでも、リズムを外すことなく、複雑だが軽快なドラミングをしていた。



ライブが終了すると、よしんどと同じようにサインをもらおうと「出待ち」をする人が結構いたので、「本当に会えるかもしれない」と楽屋口で待っていた。

しばらく待っていたら、本物の「スティーブ・ガッド」が楽屋から出てきた!

本人は思ったより小柄な人だった。

本当はサイン会をする予定ではなかったのだが、メンバーがOKしたらしく、即席サイン会が始まった。


よしんどの前に並んでいた人たちが、写真をお願いしたら、これもOKしたらしく写真を撮っていた。


よしんどの番になったので「私はあなたの大ファンで、エリック・クラプトンのライブにも行きました。」といって、サインをお願いした。スティーブはニコニコしながらサインしてくれた。

「一緒に写真をお願いできますか?」と聞いたら、「もちろんいいよ」と言ってくれたので、店のスタッフにシャッターを押してもらった。


(右から、スティーブ、ジョン・トロペイ、よしんど)

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よしんどは、「来て良かったー」とメチャクチャ浮かれて、店を後にした。









Paul Gilbert


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Mr.Bigつながりで、ギタリストのポール・ギルバートである。


1970年代の後半は、ハードロックは人気を失っていた。

しかし、1980年代に入ると、人気を失っていたハードロックが再び脚光を浴びるようになった。

それと同時に、ずば抜けたテクニックを持つギタリストが、次から次へと現れたからか、ギタリストに注目が集まるようになった。

特に、スウェーデン出身のインギー・マルムスティーンが、「光速ギタリスト」と言われるくらいの驚異的な早弾きを武器に現れると「インギーより早い?」というギタリストが、ぞくぞくと現れた。そのスピード重視のギタープレイヤーの最後が、ある意味ではポール・ギルバートかもしれない。



しかし、ポールのギタープレイは「超早い、超上手い、独創的」の3拍子揃っているだけでなく、ユニークでポップなメロディを作るギタリストだったので、それまでの「やたらに早いだけ」のギタリストとは明らかに違っていた。

「ドリルにピックを付けて、ギターを弾いてみよう」なんて思う人は、そうそういないだろう。



1990年代以降にハードロックを演奏したギタープレイヤーは、ポールのギタープレイを一度はコピーしようとしたと思う。よしんどもその1人だが「完全にお手上げ」であった。

もともと、彼はギターの学校で講師をしていたくらいだから、基本が違う。

その上、驚異的に早くて正確なプレイをしているので、「ちょっとギターが上手いぜ」レベルではコピー不可能。

初めて彼のプレイする様子をビデオで見たときはショックだったなあ・・・。しかも、よしんどと同い年だなんて・・・。


生のポールを見たときもショックだったなあ。コンサートでは、Mr.Bigの曲自体は楽しめるのだが、ポールのギターソロになると、「バンドでこれをやるなんて、誰も言わないでくれよ・・・」と思っていた。



今年の6月にMr.Bigが再結成し、見に行ったときもびっくりした。ポール自体のギタープレイの質が上がっていたのだ。音は太くなり、説得力を増していた。よしんどは脱帽。


Mr.Bigが再結成してくれたことは大歓迎。楽しみが一つ増えた。

そして、ポールはどこまで行くんだろう。





よしんどの「ゆる~い」ブログ (ポールのサイン)









Billy Sheehan その2

よしんどの「ゆる~い」ブログ (ナイアシン)


よしんどは、2005年からは、トリオのセッションバンドをやっていた。ボーカルがいなかったので、よしんどが歌も歌いながらギターを弾いていた。

その時に、ベースを弾いてくれていたH君は、よしんどより10歳も下で年齢は離れていたが、音楽の趣味が合っていて、楽しくやっていた。


H君は、ビリー・シーンが大好きでMr.Bigの曲を遊びでやったりすると、すごく楽しそうにしていた。

ところが、不思議なことに、彼は生のビリー・シーンの演奏は見たことがなかった。

よしんどがビリーに会ったことがある、というと、「マジですかー!」と驚いていた。



よしんどの「ゆる~い」ブログ (ナイアシン)


当時、ビリー・シーンは2002年にMr.Bigが解散し、「ナイアシン」や「スティーブ・ヴァイ」、日本の「B’z」(?!)などに参加し、幅広く活動していた。


2006年に、「ブルーノート東京」で「ナイアシン」のライブが行われることになった。

「もしかしたら、大阪の時のように会えるかもしれない」と、よしんどは見に行く事にした。


H君に一緒に行かないか?と誘ってみたが、「仕事の関係でちょっと無理」とのことで、よしんどは嫁さんと行くことにした。



当日、店内に入ると、大阪よりも店内は大きいがステージと客席が、やっぱり「めちゃくちゃ」近い。「あの」ビリー・シーンを間近で見られる!

ビリーは、いつものように気合いの入った超人的なプレイを見せてくれた。

バンドはフルパワーで演奏し、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。



ライブが終了し、メンバーの「出待ち」をしていたが、なかなか出てこない。

店のスタッフに「メンバーはもう帰りましたか?」と尋ねた。そうしたら、「上の階でサイン会してますよ!」という驚きの返事!

よしんど夫婦は、あわてて、上の階に向かった。



もう、メンバーが握手やサインをしていたので、最後尾に並び、また会話できる時を待った。

よしんどの前に並んでいた女性は、順番が来たら感激したのか泣き出してしまった。ビリーは優しく声をかけていた。


さて、よしんどの順番がきた。サインと握手をしてもらった後、ビリーに「私の友人で、あなたの大ファンがいるので、もう1枚サインしてもらえませんか?」とお願いしてみた。すると、「喜んで」と、もう1枚サインしてくれた。さすがに、ファンを大切にするビリー。お礼を言って、店を後にした。


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翌日の朝、H君に電話し「ビリーに会えたし、君のためのサインももらったよ」と話した。

彼は「マジですかー!」と聞いたことがないくらいの声で驚いていた。彼は、ショックで(?)ボーッとしたまま、1日を過ごしたそうだ。

だから、一緒に行こうっていったのに。


今度は、絶対に一緒に行こうね、H君。





姪っ子その後

夜もふけて、日付も変わろうかという時間に、東京の大学に進学した姪っ子から電話が来た。

「どうした?」と聞くと、「プロバイダの申込書の書き方がわからない。」という。

例えば、「捨て印って何?」とか「連絡先電話番号は、どこの家の電話番号を書けばいいの?」とか、この間までシカゴで暮らしていた姪っ子にとっては、わからないことばかりらしい。

よしんどが近くにいれば手伝ってあげられるが、どういう用紙なのか、わからない状態ではどうにもならない。


しかも、申込書が2種類あるらしく、「これは、どういう形の申し込みをしようとしているかわからないから、シカゴから電話してもらうしかないなあ」ということで、結局シカゴの家族に連絡を取り、「困ってるようだから電話してあげてください」と伝えて、後は両親にお任せした。



よしんどは、申込書のことより、彼女が電話してきた時間がやけに遅いことが謎だった。彼女はいつも「早寝、早起き」のしつけをされてきた子だからだ。午後10時半には寝ている子なのだ。

「どうしてこんな時間まで起きてるの?」と、よしんどは聞いてみた。

「同じ寮に住んでる子が、同じ大学だというのがわかって、夢中になっておしゃべりしてたら、こんな時間になった」という返事だった。



「おお、お前もついに大学生の仲間入りをしたか!」と、よしんどは心の中で喜んだ。

よしんどの大学時代と言えば、友人と時を忘れて話をしたり、いろんな出来事に振り回され「泣いたり」「笑ったり」の毎日だった。「学問の勉強」よりも「これから人生を歩いて行くための勉強」をしていた記憶しかない。嬉しいときにも、つらいときにも、いつも友人がいてくれて、お互いに支え合っていた。



よしんどは、彼女にもそういう経験をしてもらいたかったので、嬉しくなった。

これからの4年間、勉強をするのはもちろんだが、友人達との思い出をいっぱい作り、「毎日が充実していた」と言える学生時代を過ごして欲しい。