よしんどの「ゆる~い」ブログ -105ページ目

湖畔のペンション

よしんど夫婦が、お気に入りの湖畔のペンションがある。

最近はなかなか行けずにいて残念なのだが。


もともと、そのペンションはバンド仲間が紹介してくれたところだ。

オーナーがジャズドラマーなので、いつも軽快なジャズが流れていて、宿泊客をなごませてくれる。



そのペンションには、ピアノをはじめとした、ひととおりの楽器がそろっているので、そこで演奏もできる。

実際、最初に行ったときはバンド仲間で押しかけて、その場に全くそぐわない「ハードロック!」を演奏してしまったので、近所から苦情が出たそうだ(オーナー後日談。ゴメンナサイ。)。

今度行くときは、ぜひ、アンプラグドで「エリック・クラプトン」などを演奏したいなあ。



よしんど夫婦は、そこに行くといろんな雑事から解放されるような気がして、とてもなごめる。

自分たちは勝手に「別荘」と呼んでいる。


時間が過ぎるのが、とてもゆっくりに感じられて、「いつもはあんなにあくせくしていて、バカな時間の使い方をしてるなあ」と思ってしまう。



人間には、現実からちょっと距離を置いた「時間」を持つことも大事なんだな、とそこに行く度に思うのだが、実際には、そう上手くはいかないんだよなあ。



久しぶりに、あのペンションに行って、「ぼけーっ」としたいこの頃のよしんどなのでした。





(そのペンションとはここです!↓)

http://www.hana.or.jp/~takko/







Michael Schenker


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よしんどがハードロックに目覚めたきっかけが「マイケル・シェンカー」の1stアルバムである。



ギターを始めた頃は「高中正義」のギターが好きで、それを練習していたのだが、いざ、バンドを組むとなったら、メンバー全員の音楽の指向がバラバラ。なんとか演奏するジャンルを一本化しないとバンドにならない。それで、それぞれやりたい曲を持ち寄り、多数決で決めることにした。

結果、なぜか「ハードロック」をやることになった。



ところが、よしんどはそれまで「高中正義」ばっかり聞いていたので「ハードロック」はよく知らなかった。それで、バンドのメンバーがいろいろな「ハードロック」の名曲を数々聴かせてくれたのだが、よしんどには、ピンとこなかった。



ところがなぜか、「マイケル・シェンカー」の1stアルバムの1曲目「アームド・アンド・レディ」という曲だけは、これならやってもいいな、と思ったのである。(今考えても不思議)



それで、「アームド・アンド・レディ」を一生懸命練習し、聞いているうちに、だんだん他のメンバーが持ち寄った曲にも興味を持ち始め、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」など他の曲にも、手を付けるようになった。


というわけで、よしんどは、家では「高中正義」、バンドでは「ハードロック」を弾くという2重生活?が始まったのでした。



「マイケル・シェンカー」の1stアルバムを聞くうちに、だんだん良さがわかるようになってきた。

ヨーロッパのミュージシャンに共通するクラシックに根ざした様式美とか、どこか哀愁に満ちたフレーズとか、独特なものを感じられるようになった。



それから、「ハードロック」にも、いろいろなスタイルがあるんだ、ということに気づき、それぞれに良さがあるんだ、いいと思うものならどんどん取り入れていこう、と考えを改めた。



それからは、ジャンルにこだわらず音楽を、聞くようになり、それがどんなジャンルの音楽であっても自分にとって「良い」か「悪い」かで判断するようになった。



その後、よしんどは楽器屋に行くたび、フライングV(ギターの名前)を試奏しては、そのボディを太ももで挟んで、マイケルになったつもりで悦にいる「変なやつ」になった。

(この写真のスタイル↓)


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Gary Moore


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よしんどが初めて見た外国のミュージシャンが、ゲイリー・ムーアだ。


しかも、よしんどの地元にやってきてくれた。当時、高校生だったので、東京に見に行くなんて、お金はなかった。だから、地元のテレビでコンサートのCMをしていても、「本物か?」「そっくりさんじゃねえの?」とか、かなり疑っていた。



当時、よしんどが引き付けられた「ギタリスト」は、「マイケル・シェンカー」(マイケルについては次回にね。)「ランディ・ローズ」「ゲイリー・ムーア」の3人だった。それぞれ、まったくちがうギタープレイで、ゲイリーはブルースを基本としたスタイルだった。よしんどが、この中で一番影響を受けたのは、たぶんゲイリーだろう。



当時としては、ものすごくスピーディなギターフレーズをマシンガンのように繰り出す一方で、ブルースギターの真骨頂である、いわゆる「泣きのギター」でリスナーを魅了していた。



実際に見たゲイリーを一言で言うと「圧巻」。その音圧に圧倒されてしまった。決してスマートな洗練されたギタープレイという感じではないが、聞く人の心をつかんで離さない、情感あふれるギタープレイにびっくりした。



ゲイリーのおかげで、よしんどはブルースに興味を持ち、そして「エリック・クラプトン」に興味を持つようになったのだと思う。



数年後、よしんどがライブをやった時、聞きに来てくれた人が、「この間、ゲイリー・ムーアのビデオ見たんだけど、よしんどのギタースタイルってゲイリーのスタイルにそっくりじゃねえ?」と言われた。自分では、そうは思ってなかったので、改めてその時の自分のライブのビデオを見た。・・・まさに、そのまんま。そっくりさん状態で、恥ずかしいくらい影響がモロに出ていた・・・。



ゲイリーは、長いこと来日してくれてないので、とても残念だ。誰か、ゲイリーを呼んでくれー。







サンフレッチェ広島


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よしんどを、知る人は必ず「へえ、意外」というのが「よしんどがサッカー好き」ということだ。


よしんどが、サッカーを好きになったのは1986年のワールドカップで「マラドーナ」の「5人抜き」や「神の手」ゴールを見たことがきっかけだと思う。

当時、サッカーはマスコミにあまり取り上げられることがなく、どちらかと言えばマイナーだった気がする。

ただ、マラドーナのプレーは繰り返し取り上げられたので、「サッカーってこんなにドラマチックなものなのか」と感じたのだった。



それから、1993年に日本にJリーグができ、同年「ドーハの悲劇」で次の年のワールドカップ出場を逃し、サッカーが急に注目されるようになった。

この頃にはもう、よしんどは「サッカー好き」の仲間入りをしていた。



1994年ワールドカップの決勝を見たことで、よしんどの「サッカー好き」は決定的になる。

決勝はブラジル対イタリアで、PK戦にもつれこんだ。

その大会で最高の選手と言われていたイタリアのロベルト・バッジオがPKを外してしまったことで、ブラジルが優勝した。


ロベルト・バッジオの悲しそうな背中が映し出される画像を見て「これ以上にドラマチックなものはない!」と感じた、よしんどは「かなりのサッカー好き」になっていた。



よしんどはサッカー観戦自体が好きなので、サッカーが上手いわけではない。

特別に応援しているチームもなかったが、結婚して嫁さんの友人のN夫妻と出会ったことで「サンフレッチェ広島」をひいきにするようになった。



N君は出身が広島で、もともとサッカーを見るのもプレーするのも好きで、サッカーについては、かなりアツイ人である。

彼と知り合ったのが2000年で、ちょうどシドニーオリンピックのサッカーに日本が出場していた。

その話で二人で盛り上がったことで、お互いに「サッカー好き」であることを知った。



彼がサンフレッチェ広島のサポーターだったので、よしんどは「サンフレッチェ広島のサポーターのサポーター」になった。

サッカー観戦自体が好きなよしんどは、彼にくっついて行って「サンフレッチェ広島のサポーターのサポーター」として観戦している。



最近ではよしんどの嫁さんも、かなりサッカーに詳しくなり、「C.ロナウド」とか「カカ」とかの有名選手はバッチリ知っている。

しかも、ヨーロッパのリーグのこともよく知っている。

下手な解説者より、よっぽどいい解説をするようになった。



これからも、よしんどは国内では「サンフレッチェ広島のサポーターのサポーター」として応援していきたい。











ピンク・レディ

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1976年にデビューした二人。

アラフォーの人たちは、振り付けを完全マスターしたり、シングル盤を全部持っていたり、というような何かしらの思い出を持っている人が多いと思う。


男の子よりも、女の子が、より熱烈なファンであった気がする。

その頃はビデオなんて、家庭にはなかったので、テレビの前で本人たちの映像を見ながら懸命に踊る女の子たちの姿は、なかなかにすごい風景であった。




よしんどの嫁さんも、「ピンクレディ命」だったようだ。

全盛期の頃、嫁さんが住んでいた町に、ピンクレディがコンサートに来たが、親がコンサートに行くのを許してくれず、本物を見れなかった、という、とても悲しい思い出を持っていた。(ちなみに町の女の子の大半が見に行ったそうだ)




それから、25年が過ぎ、ピンクレディが2年間限定で復活し、コンサートツアーを行う、というニュースが入ってきた。


ちょっとからかうぐらいのつもりで「コンサートに行きたいか?」と聞いたら、嫁さんはちゅうちょせず、即断で「行く!!!」と迫力満点で、言ってきたのである。




二人で一緒に行けそうな日を選び、速攻でチケットを申し込んだ。

割とすぐにチケットは届いたのだが、座席の場所がちょっとわかりにくい会場だったので、「まあ、本物がみれるんだから、どこでもいいじゃないか」ということで、その日を楽しみに待った。




当日、会場で席を探すと「ええっ!!」と声を上げてしまった。


事実上、3列目でミーちゃんの真ん前である。嫁さんは呆然である。

この近さで見ることになるとは・・・。




コンサートが始まり、会場を埋めたオジサン、オバサンの歓声が響いた。

当時の衣装を作って着ている人あり、絶対子供には見せられないような姿で踊り狂う人あり、あんなコンサートは初めてだった。

ただ、そこにいる人たちは、まさに「あの時代」を共有していた。




隣にいる嫁さんを見たら、涙をこぼしていた。いろんな思いがあふれ出たのだろう。「来てよかったな」と改めて思った。




コンサート自体は、まさにヒット曲のオンパレードである。

ただ、25年前より振り付け、演出などは、より進化しており、立派な「エンターテイメント・ショー」になっていた。


25年という年月を経ても、なお進化しているというプロフェッショナルなショーだった。

ただ、あまりに二人に近いので、どこを見ていればいいかわからない状態だったが。




面白かったのが、MCのとき、ケイちゃんがお客さんにやたらツッコミを入れること。

それをミーちゃんが「まあまあ」となだめるという、漫才のような役割分担ができていたことだった。

ケイちゃん、そういうキャラだったのね。




あっという間に最後の曲になってしまった。

それまで、中だるみもなく、お客をあきさせもせず、ずーっと同じテンションを保っていられる二人に「プロだなあ」と改めて思った。


そのためにどれだけのリハーサルを繰り返し、また、どれだけ体調の維持に気を使っていたか・・・。




アンコールの曲も終わり、会場の明かりがついても、よしんど夫婦は放心状態で、席から動けなかった。

これまで見たコンサートの中でも印象度でいうと「ナンバー1」だったと思う。




なぜ、ピンクレディが「あの時代」に、あれほど人々を熱狂させられた存在だったのかを、改めて思い知らされた。