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ペンギン好き♡♥


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よしんどは一応、ギター弾きなので音楽に関する話が多いが、今回は「ペンギン」のお話で。



はっきりとは覚えてないが、多分、中学に入る前くらいからペンギンに関するものに、やたら興味を持つようになった。


特に「コウテイペンギン」が好きで、自分の足の上に、生まれたばかりの子ペンギンをのせて抱く、父親ペンギンの姿が、なんとも言えない深い愛情を感じさせてくれて、よしんどの中ではベストである。


実際、中学校の美術の時間だったと思うが、彫刻刀で板を彫って立体的にモチーフを表現する、という授業の際も、迷わず「親子ペンギン」をモチーフに選んだ。(もちろんヘタクソだったが)



ペンギンがモチーフのキャラクターものも好きで「ピングー」とか「Suicaペンギン」も大好きである。

さすがに、キャラクターグッズを集めたりはしないが、テレビや新聞などでペンギンが出ていると、どうしても気になってしまう。


いいオヤジが「ペンギン」を見て喜んでいる様は、他の人から見ると「気持ち悪い」だろうが、好きなものは好きなのだ。



話は変わって、よしんどの嫁さんの兄家族がアメリカのシカゴに住んでいるので、遊びに行ったことがある。


その時、シカゴの水族館に行って、イルカのショーを楽しんだ後、グッズ売り場へ「ペンギングッズ」目的で入ってみたのだが、日本のものと違って「カワユクない!!」


デフォルメされていない、リアルな、まさに生きているそのものの姿をしたものが多く、「アメリカ人は、こういうのをカワイイって思うのかな?」と文化の違いを感じたものだ。



日本人はペンギンに限らず、「カワイイもの」を作るのが、「上手い」と、改めて思ったのでした。







Randy Rhoads



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よしんどが「ギターヒーロー」としてあげる人物の中でナンバー1がこの「ランディ・ローズ」だ。


1981年のこと、FMをなにげなく聞いていたら、ある曲が始まったとたん、よしんどはその曲に引きずり込まれた。

曲名は「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」、「オジー・オズボーン・バンド」の曲だった。


その曲は、クラシックの様式美を取り入れた、展開の激しいドラマチックな曲で、よしんどは「こんな曲を書ける人がいるのか・・・」と驚いた。

しかも、その曲でのギタープレイは、クラシックの影響を強く受けたダイナミックなフレーズのオンパレードで、「ハードロック」の世界では聞いたことのない個性的で圧倒的なギターソロを畳みかけてきた。


「ギタープレイヤーは誰なんだ?」よしんどは音楽雑誌を調べ、「ランディ・ローズ」というギタリストだということを知った。


これはレコードを買うしかない、と少ないお小遣いをはたいて「オジー・オズボーン・バンド」の2枚のアルバムを買った。


アルバムのどの曲の、どのギタープレイも、他の誰とも違う個性的でクラシカルなプレイの連続で、よしんどは夢中になった。

それからは、「オジー・オズボーン・バンド」の曲を練習することに熱中し、ランディのギターフレーズを何とか身につけられないか、と考えるようになった。


ただ、彼はルックスが非常に「美しい」人だったので、それを真似することだけは、最初からあきらめた(笑)。


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いざ、コピーしようとすると、明らかにクラシックに根ざしたフレーズが多く(実際クラシックギターのレッスンを受けていたそうだ)、他のギタリストでは出てこない「指使い」も多く、ちょっとやそっとじゃ太刀打ちできなかった。

それでも、何とか身につけたい一心で、練習した。


1982年になって、「オジー・オズボーン・バンド」が来日するかもしれないという、話が持ち上がった。

自分は見に行けなくても、彼らが日本でプレイし、そのレビューが記事になるかもしれない、ということを考えるだけでワクワクした。


ところが、ランディは乗っていたセスナ機が墜落し、帰らぬ人となってしまった。まだ25歳だった。

その記事を見たよしんどは、呆然としてしまい、数日間へこんでいた。


その後、ライブ盤が発売され、ランディのスタジオ盤とはまた違った魅力に気づかされた。


また、1度だけ出演したテレビ番組のビデオが、海賊版として出てきた。

初めて見る、動くランディ。それだけで涙が出た。


もっと長く生きていてくれたら、もっと成長したギタープレイで、よしんどを楽しませてくれただろうに・・・。


Crazy Ken Band


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某国営放送は、週1回で「今、旬のミュージシャン」を紹介する番組を、持ち続けている。

その番組名やコンセプトは変わりながらも、30分番組で、いろんなアーティストを紹介している。

クレイジーケンバンドもその番組で初めて知った。



平均年齢40過ぎのおじさんバンドだが、「昭和」「アジア」を主なコンセプトとして生み出される音楽は、懐かしくもあり、新しくもあり、とってもユニークで見入ってしまった。



「東洋一のサウンドマシーン」ィ横山剣さんが、歌い上げる楽曲は、見るものを引きつけて放さない。

よしんど夫婦は、その番組の再放送を録画し、「こんな人たちもいるんだなあ」と繰り返し見た。



一番有名な曲は「タイガー&ドラゴン」という曲で、(ドラマにも使われた)ちょっと聞いただけでは「和田アキ子が歌っているのか?」と勘違いするような歌いっぷりである。



このバンドはィヨコハマ・ィヨコスカを中心に活動しているので、そこにまつわる曲も多い。

よしんど夫婦は、物好きにも、「タイガー&ドラゴン」の歌詞に登場する「ィヨコスカ」の三笠公園に足を運んだ後、初めてライブを見た。



彼らは無国籍料理のごった煮みたいな楽曲を次々と演奏し、オジサン、オバサンの比率が高い観客たちを、喜ばせた。

「イイネ!イイネ!!イイーネ!!!」としか言いようのないライブだった。



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その後、よしんどの地元にも彼らはやってきた。

勇んでチケットを手にすると「一列目の右側」ギタリストの「のっさん」の真ん前だった。


まさに目の前で繰り広げられるライブは、よしんどを「おなかめいっぱい」にしてくれた。


よしんども一応ギター弾きなので「のっさん」のプレイを、まじまじと見つめて喜んでいた。



終演後、「のっさん」はステージからの帰り際に、よしんどにピックをくれた。

とても、うれしかったし、びっくりもした。



また、来てくれないかなあ・・・。









Char

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Char(チャー)(本名:竹中尚人)を知ったのは、よしんどが中学に入るか入らないかぐらいの時だったと思う。

その頃はツイストとかサザンオールスターズとかが出てきたときで、世の中の音楽が「歌謡曲」から「ロックの要素を含んだ楽曲」へ移り変わる時期だった。

よしんどがチャーの曲で覚えているのは「闘牛士」と「気絶するほど悩ましい」ぐらいで、チャーの本当のすごさに気付くのは、大学に入るくらいになってからだった。



チャーは「ジョニー、ルイス&チャー」という「トリオのバンド」と「ソロ活動」を並行して行っていた。

その2つは音楽の指向としては。ちょっと方向性が違っていた。

「ジョニー、ルイス&チャー」はシンプルなロック、ソロ活動ではキーボ-ドも取り入れ、ポップスの味も加えたロックをやっていた。



よしんども高校生後半になってくると、「本当にすごいロックとは何か?」に気付き始め、たまたま、あらためてチャーを聞いたときに「最初からここ(日本)にあったじゃん!」と目からポロリとうろこが落ちてしまった。



チャーのすごいところは、「外国人と演奏してもひけを取らないほどロックを理解していること」だろう。

彼は、どんな有名な外国のミュージシャンと演奏しても、「ご一緒させていただき、光栄です」とはならず、「そっちがそうくるなら、こっちはこうだ!」と対等にわたりあって相手に「チャーという存在」を認めさせてしまう。


ものすごく多くの「音楽の引き出し」を持っていて、どんな音楽でも柔軟に対応し、自分を主張できるテクニックと表現力を持っている。

そんなミュージシャンは、ほんの一握りである。

しかもチャーは歌も上手い。まさに鬼に金棒である。



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よしんどが、ギターを弾きながら歌おうとするようになったのも、チャーの影響である。

よしんどが過去にやったバンドの中で、専任のボーカルがいなかったこともあるが、その時は大体チャーの曲をやっていたことが多い。

もちろん、チャーみたいに上手ではないが、なんとかやれる曲を選んでやっていた。

現在も修行中の身である。



よしんども、いつかチャーのようになれたらいいな(夢のままで終わるだろうが・・・)。








Princess Princess


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1988年、当時大学生だったよしんどが、大ショックを受けたのが「Princess Princess」(以下、プリプリ)だ。



TVのCMに使われた「My Will」という曲で初めて存在を知った。プロフィールを見るとメンバー全員「女性」である。プリプリの後は「ガールズバンド」は珍しくなくなったが、この頃はとても珍しかった。



その年に出た「Here we are」というアルバムを聴いて、よしんどはとても驚いた。

「これまでに聞いたことのない『何か』を持ったロックだ」と感じた。


でも、その時はその「何か」とは何なのかは分からなかった。



ほどなく、地元でコンサートがある、というので、見に行った。

その時の衝撃は今でも忘れない。そこにあったロックは、「女性にしかできないロック」だった。

実はこれが、その「何か」の正体だった。


それまでは、女性による「男まさりのロック」はあったと思うが、「女性が女性としてのありのままを表現するロック」は、初めて聞いた。

男性がコピーしようとしても絶対に真似できない音楽。時にはかわいらしく、時にはセクシーにetc・・・。


絶対に男性には表現不可能なロック。

ただただ「すげぇなあ」と思った。



その後、彼女たちの人気は急上昇、武道館でコンサートが開けるようになった。最も売れたシングル「ダイヤモンド」を出した後は、CDはミリオンセラーになり、一躍トップバンドの仲間入りをした。



その頃には、よしんどはプリプリの大ファンになっていて、毎年のように行われるコンサートツアーには、必ず参加した。コンサートを見に行くたび、彼女たちは成長し続けていき、より観客を熱狂させるようになっていった。




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プリプリのコンサートの時は、よしんどは我を忘れてはしゃぐので(他人には迷惑この上ない)、終演後には、いつもTシャツが汗でぐしょぐしょになっていた。そのため、必ず替えのTシャツを持って行かなければならないほどだった。



ラッキーなことに、よしんどがバイトしていたイベンターが、プリプリのツアーを担当していたので、メンバー全員のサインが入った色紙をいただいた。それは今も大事に持っている。



1996年に彼女たちは解散したが、今でも彼女たちを越える「ガールズバンド」は出ていないと思う。

プリプリの曲を聞くたび「あのときは青春だったなあ」と、しみじみ思うよしんどであった。