よしんどの「ゆる~い」ブログ -107ページ目

S子ちゃんが来るの!

よしんど夫婦と家族ぐるみのお付き合いをしているT家、N家の話は、以前に何度か書いているが、これまではT家のお話しだったので、今回はN家のお話しを書いてみようと思う。



N家には、K君という「一人息子ちゃん」がいるが、この子はとてもシャイな子で、近所に子供があまりいなかったため、子供同士で遊ぶことがほとんどなかった。これで幼稚園に行って集団生活になじめるか、よしんどはちょっと心配していた。



しかし、「案ずるより産むが易し」。幼稚園にもすぐに慣れ、子供同士で遊ぶことにも抵抗なく「すっ」と入っていったそうだ。毎日、園バスで元気に幼稚園に行っている。



ある日、K君が帰りの園バスの中で幼稚園の先生に、「今日、家にS子ちゃんが来るの!楽しみだあ!」とアピールしまくっていたそうだ。先生は「そう、それは良かったね。おうちに帰るの楽しみね。」とあいづちをうってくれていた。思うに先生は「K君位の年の女の子」を想像していたと思う。



いざ、家に着いてみると、玄関先で待っていたのは「よしんどの嫁さん」の「S子」であった。たぶん、幼稚園の先生はビックリしただろう。K君は普段「よしんどの嫁さん」のことを「S子ちゃん」と呼んでいるのだ。



幼稚園へ帰る園バスの中で幼稚園の先生はどんな表情をしていたのだろう。きっと、けげんな顔をしていただろうなあ。






地元の祭り


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よしんどの地元の祭りが昨日から行われている。

400年近い歴史を持っていて、地元の人間はこの2日のために生きているようなものだ。

2日目の午後8時からの「戻り曳山」(各町内へ曳山を戻すのでこう言う)が盛り上がりのピークで、各町内へ戻った後は深夜まで踊り続ける。はっきり言って、祭りの後は、燃え尽きて「真っ白な灰」になっている。


どこの祭りもそうだと思うが、昼間から酒をあおり、ナチュラルハイになった状態で曳山をしている様子は、よくいえば「ワイルド」、悪く言えば「クレイジー」である。でも地元の人間は、これ無しではいられないのだ。


お囃子の音を聞いただけで「血がたぎる」「じっとしていられない」状態になってくる。地元の人間には、そういう「血」が脈々と引き継がれている。


うちのオヤジさんは定年前は、祭に参加することはなかったので、「あんまり好きではないのかな?」と思っていたが、定年になったら、「祭りバカ」に大変身してしまった。やはり、400年引き継がれてきた「血」を抑えることはできないのだろう。


この祭りの2日間は、地元の小学校は「休み」になってしまうのだから、大したものである。


この2日間は、大人も子供も「バカ」になりきれる貴重な日なのだ。

高中正義


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よしんどの年代でギターを始めた人は、高中正義氏には、多かれ少なかれ何らかの影響を受けていると思う。


「フュージョン」という音楽ジャンルも、このころ出てきたと記憶している。

よしんども、高中氏に憧れた一人である。あの「ラグーンブルーの青いヤマハSG」が欲しくて欲しくてたまらなかった。



「フュージョン」という音楽は、シンガーが歌う代わりに、メロディを楽器で表現する音楽だ。

主にリード楽器として使われたのは「サックス」と「ギター」だった。

高中氏はリード楽器として「ギターを歌わせる」のがダントツに上手かった。

ギターの音もメロディも、とても綺麗で、ギター小僧に「この曲を弾いてみたい!」と思わせる曲を連発していた。


代表曲として「ブルーラグーン」や「レディ トゥ フライ」などがあった。1980年代の初めから半ば頃が高中氏の人気のピークだったと思う。



その頃、よしんどはバンドでは「ハードロック」、家では「高中」を練習していた。

二つをこなしていくのは、なかなかに大変だった。

しかし、特に「ブルーラグーン」は、どうしても弾けるようになりたかったので、夢中になって練習した。

練習の甲斐あって、弾けるようになったときは、レコードがすり切れるくらい「ブルーラグーン」ばかりを繰り返し弾いていた。



高中氏の使っていた「ラグーンブルーの青いヤマハSG」は、彼のための「特注品」だったので、当初販売されなかった。

限定で「青いヤマハSG」は販売されたものの「ラグーンブルーのヤマハSG」は販売されなかった。


高中氏と同じ「ラグーンブルーのヤマハSG」が販売されたのは、よしんどが「オッサン」になってからである。

出すなら、もっと早く出してよお、とヤマハにグチリたくなった。



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実は、よしんどは高中氏に会ったことがある。

大学時代にイベンターのバイトをしていた時、高中氏のコンサートの裏方をすることになった。

しかも、空港に本人を迎えに行くから一緒に来い、と言われたのだ。

イベンターのバイトをしていて、あれほど緊張したことはなかった。

その頃のよしんどにとっては「神様」である。


到着ロビーに本人が現れたとき、自分が何を言ったか、さっぱり覚えていない。

何か会話したことは覚えているが、どんな内容だったかは、さっぱりである。

一応、バイトとはいえスタッフなので、いきなり「サイン下さい」と言うわけにもいかなかった。

ああ、残念。でもいい思い出だ。



高中氏は、活動のペースは遅くなったが、毎年定期的に活動している。

これからもいい曲を出して欲しいものだ。








U君の決断

以前ご紹介したとおり、よしんど夫婦は、T家、N家と家族ぐるみのおつきあいをさせてもらっている。

T家の長男、U君は、赤ちゃんの頃から、この3家族に囲まれて育ったので、よしんど達を「僕の友達」と思ってくれている。



この3家族の中に「6月生まれ」が何人かいたので、「お誕生会」を開こう、ということになった。

U君もとても楽しみにしてくれていた。



ところが、その「お誕生会」と同じ日に、U君が入っているサッカー部の「ミーティング」も開かれる事になった。

つまり、U君は「ダブルブッキング」状態である。



よしんどは「U君も4年生だし、サッカー部の集まりに出ないというわけにはいかないだろう。もし、U君だけが参加しなかったとなったら、いくら子供同士でも次の練習に行きづらいだろうし・・・。」と考えていた。



ところがである。U君はある「決断」をした。


「サッカー部の集まり」には行かないで、「お誕生会」に出たい、3家族と一緒にいたい、というのである。



これにはさすがに驚いた。

U君は「サッカー部の友達」よりも「よしんど達3家族といっしょにいる時間」を選んだのだから。

おかあさんも何回か確認したらしいが、彼の決断は変わらなかったそうだ。



「よしんど達3家族といっしょにいる時間」が、彼にとっては、それだけ大切なことなんだろう。

よしんどは「うーん」と考えさせられてしまった。



当日、彼は我々と4時間も遊んで過ごした。本当に楽しそうだった。



後日、お母さんに聞いてみたら、サッカー部の練習へも、何事もなく、ちゃんと行ったそうだ。

よしんどの心配は、取り越し苦労で終わってくれた。



U君、また、みんなで遊ぼうね!












Jeff Porcaro


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よしんどは、実はドラムも叩く。あんまり上手くはないが、楽器で何が一番好きか?と聞かれたら、1番・ドラム、2番・ギターと答える。それは、このジェフ・ポーカロというドラマーが大好きだからだ!



ジェフは、前に紹介した「TOTO」のオリジナルドラマーであり、かつ、超人気セッションドラマーであった。


彼が参加した曲や、セッションしたミュージシャンのリストを作ると、とんでもない曲数のリストが出来上がる。日本人のミュージシャンとも、数多くセッションしている。とにかく、「ぜひセッションしたいドラマー」のナンバー1だった。



よしんどがジェフを知ったのは、TOTOのファーストアルバムが最初だが、一番印象的だったのは、「ボズ・スキャッグス」というシンガーの「JOJO」という曲のイントロだ。


イントロでジェフは、「タカトン」というフレーズでスタートしているのだが、その「タカトン」だけで曲のリズム、テンポ、グルーブを他のミュージシャンが理解できるほど、表現しきっている。

歌のじゃまにならず、かといって引っ込みすぎず、その曲が求めるグルーブを、「これしかない」と思えるほど、絶妙なドラミングで、きっちりと表現していた。

「歌うドラム」という表現が、最も当てはまるかもしれない。



それ以来、ジェフが参加したアルバムを聞きあさり、そのたびに彼の表現力に驚かされていた。

もちろん「TOTO」のアルバムは、特に聞きまくった。

ジェフはシャッフルが特に上手く、あのノリをみんなが真似しようとしていた。


なかでも「ロザーナ」という曲のドラムパターンは、彼ならではの独特なカッコよさを持っていて、みんなが真似しようとしていた有名なフレーズだが、ちゃんと叩ききれる人を、よしんどは見たことがない。



ジェフは1992年に突然亡くなった。まだ、38歳であった。まさにミュージシャンとしての絶頂期を迎えようとしていたときだった。

よしんどは結局一度もジェフを生で見ることが出来なかった。


しかし、CDから流れるジェフのドラミングは、いつでもよしんどを気持ちよくさせてくれている。


たぶん、こんなドラマーはもう出てこないだろう。