離婚の準備は日々進み、そろそろ別居。
離婚するということが決まってからのほうが、私たち夫婦はおだやかに過ごしている気がする。

先日も、夫が外出に遅れそうで、駅まで送ってほしいというので車で送った。翌日今度は私が急いでいたら、駅まで送ってくれた。

相変わらず私には八つ当たりしてもいいことになっているのか、今朝も私とは関係のないことで八つ当たりされたけど、今後は八つ当たりされることも減るなと思ったら、まあいいかと思えた。

離婚することを決めなかったら、今こんなに一生懸命に仕事を楽しもうとしてなかっただろうな。適当に働いて、不満ばかりためていたことだろう。離婚を決めたから変わったというよりはたぶん、自分で自分の人生を生きようと思える自分になったから、離婚を決めることができたのかな。

それでもまだこころの中には夫への怒りが残っているんだよなあ。ギリギリするようなつらさはなくなったけど、ひとを許せない自分であることが少し悲しい。
うちの2番目、小学生は、今年の春から学校が嫌いで嫌いで仕方ない。

夏休み明けは予想通りのギャン泣きで登校を拒否。なんとか今朝も保健室に登校した。以前なら専業主婦だったから付き合えたけど、今は仕事もあるし付き合いきれない場合もある。

担任の先生が苦手のようで、どんどんかたくなになっていって、前までは慣れていた他の先生にもこころを閉じ気味になってきた。

そんなこともあって子育て本を読んだりして、少しでも子どもの負担を減らせるような対応ができたらと思っている。

そんな中、今朝も宿題が少し終わってないとかで朝からぐずぐずだったんだけど、そんな姿を見ていたら、ああ私は今まで立ち位置を間違えていたのかも、と思った。

子どもたちから近い距離で、一緒にものを見て、一緒に遊んでいることは良いことだろうと思うけど、近すぎてしまって対応も子どもじみていた気がする。子どもの不機嫌に対して、同じような不機嫌で対応してしまっていたのかな。もう赤ちゃんじゃないけど、大人みたいな文句も言うけど、子どもたちはまだはっきりと子どもなんだという目線が足りなかった。

もう少し外側から見ること。時々少し高い場所から俯瞰すること。そういうのが足りなかったのだと思う。

そしてこの考えが浮かんだら、夫との関係もやはり立ち位置が違うからつらいのではないかと思った。冷静に対応してるつもりでも、不機嫌に不機嫌で対応したり、怒りに怒りで対応したりしている。だから、同じようなことが繰り返されるのかも。

ふたりで同じ小さい輪の中にいることを選択している感じ。片方が外側の輪に移れば、もう片方もおそらく、この輪以外の輪があることを知る。本来ひと同士が関係の中でお互いを高め合う状態は、少しずつ外側の大きい輪に移っていくことを繰り返すような感じなんじゃないかな、という考えが浮かんで、なんだか気持ちがしんとした。
自分の離婚のことや仕事のことに最近すごく集中してしまっているので、子どもたちのケアがおろそかになってはいけないなと、通勤時間に育児本を読んでいる。

今朝読んでいたらこのページが出て来て、なんだかじっと見つめてしまった。


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そうだよね。
私もそう思います。

このタイミングでこの本に出会えたことにありがとうと思ってしまった。
例えば20代後半で恋愛がおしまいになるとき、ぞわぞわと不安になってすごくつらかったのを覚えている。それより若いときも、終わりのときはつらかった。

結婚が終わるのはもっとつらいかと思っていたけど、あの頃とつらさの種類が違うし、底の部分で前向きな自分がいる。

ふと、何が違うのかなと考えてみたら、子どもたちがいることが違うのだと気づいた。

子どもがいることで生活費はたくさん必要になるし、学校のことや、お友達などご近所への対応もあったりして、めんどうなことは多い。でも、子どもたちがいることの喜びや楽しさは何ものにも代えがたい。

これが例えば、まだハイハイもできない赤ちゃんだったら、きっと私はその子を抱きしめて途方に暮れて泣くんだと思う。

でも私の子どもたちはもうみんな自分の意思を持って、ひとりでも歩いていける。私が子どもたちを抱っこして歩かなくても、彼らが私を引っ張って歩いてくれたり、荷物を持ってくれることもある。

彼らは私の付属品ではないし、重荷でもない。
強いて言うなら、仲間みたいな感じ。
夫と意見が合わないとき、結婚して間もない頃はお互いに言い合いをしていた。でも時間がたつにつれて、夫の表面だけの負けない理論に対抗するのが面倒になっていった。

後からゆっくり思い返せば少しおかしなことを言っていたりするんだけど、自分の理屈こそが正しいと夫は私(だけでなく、自分と意見の合わない相手)を言葉でねじ伏せた。

正しいところは確かにあった。でも全てではなかった。意見の違いも楽しめれば楽になるのに、彼にとっては自分こそが正しかったし、私が同意しないことが許せなかったらしい。今思えば。

では、自分の本意ではない意見に同意すれば良かったのか。そうしたら私たちは仲良く過ごしていけたのか。

そうかもしれない。
でも当時の私にはできなかったし、今もたぶんできない。

夫は自分でも自分の性格の激しさを知っていた。それを改善しようともしていた。少しずつきつさは減っていったように思う。

でも私にはもうすっかりトラウマができていて、ちょっとした意見も、ああまた怒られた、ダメ出しされたと感じて、苦しかった。この苦しいのを減らせたらどうにかできたかな。

いろんな「もし」を考える。
あのときにこうしていたら今…。と考えたりする。もっと良い着地点があったのかもとか。

それでも、いつも思う。

起こったことは、すべて正しい。
今まではいろんなことが起きても、つらくても、結局いつもそう思えた。
これからはどうだろう。
すべて正しいと思えるのか。