サポートライター みけ の独り言 -28ページ目

サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

今日のタイトルは矛盾した文言のように聞こえるかもしれませんが、私は大真面目です。日本にはその道の達人と呼ばれる優れた職人の方がたくさんいるのはご存じですよね。一般人の私たちからすれば名も知らない人たちかも知れませんが、その道では知らない人がいないと言うような名の通った人たちも大勢います。私たちが知らないのは「自分がその道のヒトではないから」というだけの理由でしょう。職人の方々は世間的な名誉や名声といったものに価値を置いていない人が多いためではないかと思います。きっと、そんなものに興味がないのでしょう。自分の腕を磨いて技術をどんどんレベルアップさせていった努力の賜物が、今の姿ということなのでしょうね。

何かモノを作る場合、それが家屋であっても工芸品や日用品であったとしても、通常なら常に同じ品質のモノを作り上げることが目標になるかと思いますが、そのために技を極めていくと「今日の温度は・・・、今の湿度ならこのくらい~」というように、素人では判断できないレベルでの細かい調整をして仕事を仕上げる技術にまで至るんですね。仕上がったものは常に同じ、質も常に一定以上の水準を保っている、しかし、それを作り上げるまでの工程が毎回少しずつ違っているという事なのでしょう。このレベルの微調整は、素人では分かりません。きっと同じ技術を持つ人たちの間でも出来るか出来ないか微妙な域になると思います。

また、時代が変わればヒトの嗜好も移り変わっていくでしょうから、昔ながらのモノがそのままだと必ずしも喜ばれるとは限りません。何も時代に合わせる工夫がなく変わったことろも無ければ工夫も無いとすれば、次第に飽きてしまわれるのではないでしょうか。ヒトの好みや要望などが変われば、作り手もそれに応えていかなければ廃れてしまいます。やはり、その時代の嗜好に合わせて変化させていかなければならないと感じます。こんなことを素人の私が書いても、自分でもどこをどのように変えればよいのか全くピンと来ないのですが、技術を持つ人にとってはどこにポイントがあるか、きっと分かるのでしょうね。

そういえばどこかの記事で読んだのですが、長く続く老舗と呼ばれるところもこのような変化を繰り返しているのだそうです。私が読んだ記事は食品関係の老舗の話のようでしたが、昔ながらの変わらない味を届けてくれているお店だそうです。最初、私は「このお店はかなり昔から時代を通して変わらない万人受けのするモノを作り出したんだな」と思っていましたが、その記事を読んで驚きました。実を言うと、昔と変わらないと感じるのは、それを食べた人の感想なのだそうです。作る側はそう感じてもらえるように、時代に合わせた微調整を常に繰り返して行っているのだとか。時代による人の嗜好の変化もあるでしょうし、季節によって嗜好も味覚もまた変わってきます。それに合わせて、いつも試行錯誤を繰り返しながら「変わらない」と感じてもらえるように、微調整を繰り返す工夫をしているのだそうです。老舗の歴史は、じつは微調整の歴史でもあったんですね。

私が知っていることだと限りがありますので、もう少し突っ込んでみるために調べてみました。それによると、老舗も生き残るためにいろいろと工夫をされているとのこと。これはきっと職人の方の場合も通じるところがあると思いますが、それぞれが持つ伝統を守る事は絶対条件ですが、それと同時に常に変化に挑戦していくこと、この継続と繰り返しが重要だという事でした。むしろ、一回の成功で胡坐をかいてしまうと長くは続かないという事の証であると言えるのではないでしょうか。

とくに、昨今はSNSによる情報発信は非常に重要です。いくら古くから続くと言っても、世間的に知名度が低ければ誰も買わないでしょう。これは何も老舗に限った事ではありません。どの企業も店舗も、今はこぞってホームページを作って情報発信をしてどのような仕事をしているのか、どんなものを作っているのか等を公表しています。また、ブログを書いていろいろな知識を知らしめたりウラ話を載せたりもして、読み手の興味をそそる工夫もしています。また、オンライン上に店舗を設けてモノを販売するオンラインショップも溢れています。自分が買い手になったときには、むしろ情報が多くてどれを取ったらいいのか判断に迷うくらいです。

こういった今の時代のツールもどんどん使って、知的財産の情報を発信したり、人材の育成に力を入れて後継者を育てたり、自分たちの強みを発信したりして、知名度をさらに上げていく工夫もされているんですね。

 

 

今回のテーマ、べつにふざけて付けたわけではありません、モノの見方を少し変えて見るだけでずいぶんと違った印象になることがあるというお話です。落語や漫才などのお笑い芸も、このテクニックが基本のように聞いています。どれだけ角度を変えて切り込むか、フレームを違うモノに置き換えて勘違いを表現するか、そういったところに面白みがあるわけですから、私たち(私だけ?)もこの手法を応用して世の中を眺める事が出来れば、もう少しギスギスした人間関係などがソフトになるのではないかと思った次第です。

笑い話のように聞こえるかもしれませんが、自分が笑う事でフッと肩の力が抜けたら、ゴリゴリに力が入っていた時には思いもよらなかったアイデアが出て来るかもしれません。それによって、取り組んでいる問題の解決につながる可能性も出て来ます。「怒ったら負け」、案外このような場面でも通用する理屈かも知れませんよ。

ヒトはなるべく冷静になって、出来るだけ客観的に物事を見ているつもりになっています。しかし、実際のところは「見たいものだけ見ている」状態になっていませんか。つまり、その気が無くても選んでしまっているんですね、見たいものを。それは同時に、自分に都合のいいものだけを選んで見ようとする意識があるからかもしれません。

自分が物事を見る時のクセや傾向は、自分ではなかなか分かりません。また、教えてくれる人もいません。仮に教えてくれる人がいるとすれば、よほど親身になって考えてくれる人か、喧嘩中の相手くらいでしょう。後者に善意があるとは考えにくいと思いますが・・・。

それならば、自分で気が付いたときくらいはモノの見方を変えるようにしてはどうでしょうか。言うは簡単ですが実際にはそんなときに冷静になれるかどうかですね。気持ちに余裕がある間はまだ見方を変える事も難しくはないと思いますが、切羽詰まってくるとそんなことは言っていられません。しかし、それでも現状をなんとかしようと思ったら自分の見方を変えることは必要でしょう。そんなときのために、自分用のマニュアルのようなものを準備しておくことも考えてみてはどうでしょうか。

マニュアルと言っても、何かの時に広げる程度のちょっとした注意書きをしたカードのようなもので構いません。自分が一度冷静になるための方法、その程度の認識で構わないと思います。

実際にどんな方法があるかをインターネット上で調べてみましたが、それが書かれていた記事によると、著者によって数がまちまちでした。本当はいくつになるんだ、そう文句を言いたくなりましたが、ネットの記事にいちゃもんを付けても仕方がありませんので、いくつかの記事を読んで自分なりに考えてみる事にしました。

先ず共通していることは、「相手の事象は絶対に変わらないので、自分の方が変化しないとダメだ」ということでした。そして二番目に、どのような手法を用いるにしても自分の思い込みや固定観念、偏見などがあると難しくなるということでした。いくらモノの見方を変えるにしても、自分の固定観念が強すぎたりすると「こうはならんやろ」になるかもしれないからです。少なくとも、自分が冷静になってニュートラルな気持ちになることも必要なんですね。

後はそれぞれの著者による意見や採用している方法の違い、解説の仕方による表現の違いなどのようでした。つまり、どれを選んでもよく似たモノばかりのようだったという事になります。似ているわけですから、自分が出来そうな方法をいくつかピックアップして練習してみて、出来そうなものを選んで使えばよいことになりませんか。

方法としてよく見かけた言葉では「フレーム」だったようです。枠組みですね、誰の枠組みかというと、物事を観察しようとする自分の枠組みのことでした。その枠組みを変えるという事で「リフレーミング」という言葉が出てきていましたので、更新するといった意味にもなるのでしょう。

自分の立場が変われば、それに応じて見方や考え方を変えなければなりません。相手の立場、上司の立場、顧客の立場などに変えてみたときに、どんな見方が口をついて出て来るか、これは楽しみかもしれませんね。

さて、見方を変えて世の中を見渡してみると、結構いい加減な世界であることが見えてくる事も多いでしょう。車が多い道のど真ん中を自転車がふらふらと走っているような場合、「危ないからどいてくれ」は普通の対応ですね。ここで笑いが起きるような文句は言えないでしょうか、そんな観点でこの一連の出来事を見てみるもの、面白そうだと思いませんか。少々不謹慎ではありますが、ただ怒鳴るだけでは相手も反発するだけでしょう。まあ、こんな文句などは相手に言う必要もありませんが。

こんな方法はともかくとして、自分の立場を変えてみたり考え方を誰かのモノに似せてみたりしていけば、幅広く相手の言動に対しての理解も出来るようになると思います。視野が広くなるというのでしょうか、それだけ自分が大きくなったという事でもありますし、見聞が広がれば知識も増えます。手駒ともいうべき考え方や解決方法もスムーズに思い浮かんだり取り組めたりすると思います。

今回のタイトルに挙げた言葉、「その目で見れば、世の中は落語の世界」というのも、実際に私が体験したことです。渋滞に近い状態でノロノロ運転しかできない道路で皆がイライラしているときでも、少し見方を変えてみることで周囲の人たちの人間観察が出来るくらいの余裕が出てくれば、落語の世界に出て来る人物のような人が今も時代でも結構いるんだなと実感できます。笑いそうになりますが、そのヒトを指差して笑ったりしてはいけませんよ。

 

 

今回は少しスピリチュアル的な内容になるかもしれませんが、書いた内容を読み返してみても「その通り」と感じましたので、そのままアップしたいと思います。

運命って、いったい何でしょうね。クラシック音楽の世界にそんな名前の交響曲がありましたが、それと別物だという事は明らかです。また、似たような言葉として「宿命」というのもあります。いったい何が違うのでしょうか。

先ずは運命と宿命の共通点ですが、どちらもヒトの一生に関わるものですね。どんな出来事が起きるか、自分の一生がどのような流れになるのか、そんな事を表す言葉として捉えればよいでしょう。

では違う点ですが、宿命は自分が生まれた時から定められた人生の流れを指すようです。持って生まれた自分の一生の流れということでしょうか。予め決まっているということで、どこかを変更したくても出来ないという認識でよいでしょう。まるで敷かれたレールの上を走る電車のように、変える事の出来ない手続きの流れみたいですね。

それに対して運命の方はというと、大筋の流れは宿命が受け持つようですが、この辺りをもっとよくしたいと思ったら変更が可能なもののようですね。ということは、自分の選択によって変わる事もありますし、変えることも出来るという事になります。自分の選択ですから、その後の行動によっても変わってくるという事も含みます。それが上方修正になるのか、それとも下方修正になるのか、この辺りは自分が行った選択や決断、そして行動といった要素が大きく関係してきそうです。

ある講座を受講した時の個人的な経験ですが、以前に「宿命鑑定体験セミナー」に参加したことがありました。その時に教わった話なのですが、自分の一生を左右したり決めたりする要因として、宿命、環境、自分の努力、この3つの要素に分ける事が出来ると聞きました。その中で、変える事が出来ない自分の宿命として持って生まれたものの影響が1/4、生まれた環境、これには家庭環境や地域の文化、交友関係なども含むという事でしたが、これによる影響もまた1/4、そして自分の努力が残りのすべて(1/2)になるとのことでした。この話に当てはめて考えると、自分の一生は宿命の影響が1/4、運命の部分の影響が残りのすべてという事になりそうです。環境について考えると、子供の頃は親の影響が大きいでしょうからどうにもできませんが、ある程度の年齢や成人になってしまえば、住む場所や付き合うヒトを選ぶことができますので、これもある程度ではあるでしょうが変える事が出来る要素になるでしょう。そうなると、宿命よりも運命の方がはるかに大きいことになります。これが本当なら、これでは言い訳も文句も言う事が出来ません。

逆に考えれば、運命の部分で人生を変える事が出来るのであれば、自分なりのサクセス・ストーリーを作る事も出来るという事ですね。どんな人生を歩みたいかを考えてそのようになるよう行動(努力)をすれば、自分のサクセス・ストーリーを作るのも可能なわけです。それがどの程度の努力を必要とするのかはケースバイケースでしょうが、やってみる価値はありそうだと思いませんか。

世の中には様々な本が出回っています。成功する為のノウハウを書いた本も山ほどありますが、多くの人はそれらを読んでも確実に成功に至るわけではありません。それは本を書いた人にとっての成功に至るストーリーだからです。本の著者と自分とは別人です。個性も違えば考え方や行動も違います。自分が置かれた環境も境遇も、仕事だって違うでしょう。ですから、全部同じように真似をしたら成功するかと言われても、それは無いと思いませんか。別人なのですから、著者のサクセス・ストーリーを自分用に合わせてカスタマイズしなければならないはずです。そこを忘れてしまうと、うまくいきません。その結果、あの人の方法ではうまくいかない、この人の方法でもうまくいかないといった失敗の連続になってしまいます。

誰かの成功に至った方法は、参考程度にしておいた方がよいと思います。大事なポイントはしっかりと身に付けるようにして、自分なりの方法を編み出していくことが必要ですし、その方が確実ですね。

さて、宿命は変える事が出来ないとしても運命の方は変える事が出来る、これが分かったうえで本日のこの文章のタイトル、「運命はいつ決まる?」のかを考えてみると、答えは「いつでもよい」になりそうです。「自分がそうなりたいと思った時」に運命が変わると思ってよいのではないでしょうか。もちろん、これは絶対の決定事項ではありません。この後の行動や努力によって、あるいは段取りやペースにもよるでしょう、どれくらい強い決意かにもよりますが、その内容もどんどん変化していくでしょう。上方修正も下方修正も、いつでも受け付けてもらえます。自分にそのつもりが無かったとしてもドンドン更新され、変更されて行きます。この辺りは昔のパソコン教室などでインストラクターさんからよく言われた言葉が参考になるでしょう、「思う通りにならないのではありません、やった通りになるんです。やった結果が思う通りでないなら、別のやり方をやってみてください」。

パソコンも自分の一生も、結構な暴れ馬のようです・・・。