「自分探し」という言葉をご存じでしょうか。今の時代の人がこのような事をしているかどうかは分かりませんが、私が若い頃にはよく耳にした言葉です。「自分が自分をどこかに探しに行く」というような意味なのですが、その根底にあるのは「自分のことが分からない」というモヤモヤした気持ち、迷い、焦り、いらだち、悩み、そんな感情です。真面目な人の中には「自分探し」に夢中になった人もいたようですが、今の時代はこのような事で考え込む若い人はいるのでしょうか。
「自分のことが分からない」の意味を深掘りすると、たいていの場合は「自分は何がやりたいのかが分からない」という辺りに落ち着きます。まあ、中には別の意味の人もいたとは思いますが、多くの若い人が「自分は何がやりたいのか」が分からなくて悩んでいたようです。大学生くらいの年齢の人になると、中には学業を放り出して放浪の旅に出てしまう人もいました。
なぜ学業を放り出していなくなったかというと、「自分のことが分からない」、そして「何がやりたいのかが分からない」、これでは将来の自分がどのような事を仕事にすればよいかが判断できないので、普段と異なる環境に身を置いていろいろな事を体験するために放浪の旅に出たということのようですね。他の目的の人でも、自分の居場所は何処だろうと探す人、自分の価値を見つめ直す目的の人もいたようです。結局のところ、「自分探し」の中身は「やりたい事探し」や「自分の居場所探し」、中には「生きる目的探し」が多かったようですね。
あの頃は「自分の事は自分の責任で」といった意識が強くあったと思います。自分の事なんだから自分で主体的に決めたい、それが普通でした。また、自分以外の誰かと比べるといったことも少なかったんじゃないかな。むしろ、本人よりも親の方が「〇〇さんは~なのに、あんたは✖✖だから・・・」と、誰かと比較して叱りつけたりするのが当たり前だった気がします。引き合いに出す相手は必ず自分よりも(確実に)上のランクと目される人物、これでは何を言っても勝てません。ですから、それに対する反発もあったのでしょう。
では、自分探しでどれくらいの数の人が「これだ!」というものを見つける事が出来たでしょうか。多くの人が何も見つける事が出来ないまま、仕方なく元の生活に戻っていったんじゃないかな。モヤモヤした気持ちも日常の中でいつの間にか忘れてしまい、毎日仕事に埋もれてしまう過ごし方になったんじゃないでしょうか。
今は当時よりも遥かにたくさんの情報が溢れています。わざわざ当てのない旅に出かけなくても、今いる場所で調べる事が出来ます。もっとも、これでは体験することも経験を積むことも出来ません。せいぜい思いを巡らせるくらい、出来たとしてもパソコン上でのシミュレーションくらいじゃないでしょうか。それでも、有益な情報を集める事は出来ます。
本当はだれでも「やりたいこと」はあるはずです。ただ、現実と自分の思いとの間に大きな落差を感じて諦めたり、すでに名を上げている先達がいて落胆したりで、無意識のうちに避けてしまっているのかもしれません。また、いろいろと目移りをして自分は本当に何をやりたいのか、心の中でフォーカスを当てる事が出来なくなっているのかもしれません。
こんなことって、だれにも相談できないんですよね。今の時代なら違うかもしれませんが、あの頃は「甘えるんじゃない」とか、「何をいつまで夢みたいなことを言っているんだ」、「勝手な事を言うんじゃない」と、頭ごなしに怒鳴られてお終いだったような気が・・・。結局のところ、本人の意向よりも親の意見が優先されてしまう風潮もあったようです。
それから考えると、今はとても良い時代になったと思います(やりたいことを探すという上で、ですよ)。今までになかった仕事もたくさん出て来ましたし、新しいことをどんどん始めていくことも出来るようになりました。今は「やりたいことがあるなら、それを自分の仕事にする」、そんなことも可能な時代です。その「やりたいこと」が何なのかが分からないから困っている人は多いんですが・・・。
こんな事を考えてみてはどうでしょう。自分にとって「やりたいこと」をするなら、何を一番重要視しますか。楽しさですか、周りの人から尊敬されることですか、ラクにできることですか、それとも収入ですか。いろいろと大事にしたいことは出て来ると思いますが、まず何を挙げますか。それを軸にして考えていくというのも、一つの方法だと思います。
あるいは、将来の仕事を想定して考えるなら、今までを振返ってみて何をするのが好きでしたか、何に取り組んでいる時に時間を忘れて没頭しましたか、反対にどうしてもやりたくないことは何ですか。こんなことを考えてみるのも、ヒントになるんじゃないかな。
ただ、やってみないと現実は分かりません。ですから、ちょっとした体験でも構わないので体験する事も必要です。面白そうと感じた事、ラクにできそうな事、興味を持ったモノが有ったら、ちょっとかじってみるくらいの気持ちがあるといろいろなことが分かってくると思います。
ずいぶん昔の事になりますが個人的な事を紹介すると、私も自分探しを始めそうになったことがありました。ただ、ある事に気が付いたのですぐに止めました。何に気付いたかというと、「自分探しは自分の内側のことを知ろうという事じゃないのか? それなら外を探しても見つかるわけがない」、そう思ったんです。外で見つかるとすれば、自分を映す鏡のような存在でしょう。人によってはそこで答えを見つけた人もいると思います。しかしその鏡、曇っていませんか、歪んではいませんか、ちゃんと自分を映していますか、そんな事は気になりませんか。「これだ!」と思って失敗する事があるなら、それは鏡に問題があった事に気が付かなかったという事です。私の場合は周囲の人がアドバイスをくれたので、そこから考えて「やりたいこと」に至る事が出来ました。運が良かったと思います。
今では「やりたいことは何か」を探る手段は書籍やインターネット上の情報などに溢れていますが、最後は自分で決めなければなりません。ただ、あまり急ぐ必要も無いように感じます。今の時代だと仕事の変更は昔ほど大変ではないと思います。一度何らかの仕事に就いてみて、違うと思ったら別の仕事に変えるということも許される世の中だと感じます。短時間で決めようとせずに、じっくりと腰を据えて考えてみるというのも有って良いんじゃないかと思いますが、どう思いますか。


