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サポートライター みけ の独り言

電子書籍のはなし、文章のはなし、ことばのはなし、書く事、話すこと、ゆめのたねで喋っていることなど、言葉にまつわるいろいろなことを中心に、書いてみたいと思っています。

 

前回の文章で習慣について一区切りがつきましたので、今回からは別の話題を取り上げたいと思います。選んだ話題は「やりたいこと」としました。この辺り、若い人たちはかなり真剣に頭を悩ませる問題かもしれません。「やりたいこと」についてはいつでも迷っている、「やりたいことが見つからない」、「何をやりたいのか自分でもよく分からない」、そんな人も多いと思います。この問題は、その人の年齢とまったく関係ありません。特に、ある程度の年齢に達した人たちもこの問題に直面して困惑している例がたくさんあるようです。

とくに、定年を迎えた人がこの先の自分を考えた時に「今まで出来なかった趣味に取り組んで楽しく生きていこう」と思って振り返ってみたら、自分が何をしたいのかが分からなくなったと言う人も多いようですね。仕事先と自宅の往復ばかりで、本の1冊も買って読むことなく、帰宅時に寄り道をするわけでもなく、休日も特にどこかに出かけるわけでもなく自宅でゴロゴロとして過ごしてきた、そんな人がじつはびっくりするくらい多いらしいんです。私と同じ世代の詳細は分かりませんが、私より少し上の世代ではこんな人がとても多く居ました。

結局のところ、「やりたいこと」と言う言葉に振り回されて「迷子」のような状態になっているのでしょう。ひょっとしたら自分でも「やりたいこと」が「無い」のか、それとも「分からない」のか、区別がついていないかもしれません。こんな人は、全くの自由に過ごせるようになったときは、とても困るでしょうね。ただ、よく考えてみると、「やりたいことが見つからない」場合と、「やりたいことが分からない」場合とでは、少し事情が違うようです。調べてみました。

ある資料によると、やりたいことが「見つからない」と「分からない」の違いは、心理的な所にあるのだとか。やりたいことが「見つからない」人は自分の事を自分でもよく分かっていないので探し回っている状態らしいですね。自分はどうなのかが分からないので、「あれでもない、これでもない」と選択に迷って決める事が出来ない状態じゃないかという事でした。

それに対して「分からない」人の場合も、自分の事が自分でもよく分かっていないようなのですが、「見つからない」人は「有るはずだ」と考えて探し回っているのに対して、「分からない」人はそもそも他人任せのような状態でこれまで過ごしてきたので判断そのものがどうすればよいか分からないといったところのようです。だから動けないんですね。

もしも両者にアドバイスをするならば、まずは相手が「見つからないので外を探しまわっている」のか、それとも「分からないので判断も出来ない」のかを見極めたうえでという事になるようですね。

もう少し詳しく書くと、「やりたいことが見つからない」というのは、まず自分の事がよく分かっていないというところから出発しているので、原因は「自分に対する理解不足」に加えて、いろいろ玉石混交な情報が過多であること、失敗したくないという気持ち(恐れ)、周囲をついつい見てしまっては他人と比較して焦ってしまう、心身の疲労などが主なものになります。

まずは「決められない自分、動けない自分」から抜け出すことが必要だと思います。そのためには普段とは異なるような小さな行動(例えば、普段は通らないような違う道を通る、初めての飲食店に入るなり、普段は頼まないようなメニューを頼むなど)から始めて見ませんか。新しいことをやって、その時にどんな感覚になったかといった経験を積み重ねていって、自分の正体(?)を知ることから始めてみてはどうでしょうか。少しずつでも行動しながらやりたいことを「見つけていく」、というよりも「育てていく」という視点に立ってみてはどうでしょうか。

やりたいことが見つからないという事は、やりたいことを見つけたいという気持ちがあるということですから、この問題は完全に自分事ですよね。そうなると自分の中のリソースなどに当たってみる必要も出て来ると思います。それを探すとなれば過去の自分の事を振り返るのが一番確実でしょう。

たとえば、何をしていた時に「楽しい」と感じたか、どんな時に時間を忘れるほど夢中になれたか、そんな事を振返ってみるんです。そこまで行かなくても、「周囲の人はなかなか上手くできないようなのに、なぜか自分はスンナリと出来てしまった」、そんな経験があるならその時は何をしていたのかを思い出してみるのもよいでしょう。あの時と同じことをやったら同じように夢中になれるか、スンナリと出来てしまうか、可能なら実際にやってみるのもよいでしょう。

また、先にも書きましたが、「普段やらない選択」を試すというような新しい体験も良いと思います。その体験をしている時に「どんなことを感じたか」を考えてみるんです。心地よいと思ったのか、詰まらないと思ったのか、それだけでもやりたいことに近づくステップになります。

とにかく、何か自分から動くという姿勢が重要です。やりたいことを探して見つけるという姿勢も必要ですが、今やっていることだって楽しくなってくれば、それは「やりたいこと」の一つに化けることもあります。試行錯誤から始まりますが、別に完全無欠でなければならないモノでもありません。やっているうちに上達していけば良いのですから。

 

 

習慣についていろいろと書いてきましたが、今回は習慣は意識していない時でも勝手に発動してしまうというところに注目して考えてみたいと思います。習慣は何らかのきっかけがあると自動的に行動として表れますが、その都度立ち止まって「次に何をしようか」なんて考えなくても身体が勝手に動いてしまう、きっかけから始まる一連の行動を指しているということは、これまでに書いてきた通りです。

勝手に身体が動きますので、効率よく動けるわけなんですね。脳のメカニズムとして捉えれば、とても優秀な自動運転だと思います。これにより、余計な事を考えてエネルギーを消耗しなくても済むわけですし、滞ることなく前に進めるので時間的に見ても効率の良いものですね。

したがって、習慣は無意識に行われる行動と言えます。それが発動する「きっかけ」を考えてみると、ある習慣的な行動が起きる場合はいつも同じ「きっかけ(トリガーと表現するそうです)」からスタートしていることが分かります。あるきっかけ(A)があると一定の行動(B)が発動するということなので、(A)→(B)の流れが出来ているというわけです。習慣になっている場合、(A)の後には必ず(B)の行動が出て来ますが、(C)や(D)の行動が出て来ることはありません。

習慣はその人にとっての「慣わし」「儀式(セレモニー)」と言うようなモノなのでしょう。個人の場合ですから、同じきっかけでも人によって後に続く行動が違ってくるはずです。習慣は個人的は行動パターンだったとして、こんな経験はありませんか。同じ無意識下での行動であっても、あるきっかけの後に集団やグループのメンバーが一斉に同じ行動を取るといった場合です。

集団が一斉に、ほぼ無意識に同じ行動を取るといった場合、習慣と呼ばずに「慣習」と呼びますよね。社会やグループ内で行われる古い習わしやしきたりと言ったところでしょうか。言い換えれば「集団の慣習(クセ)」のようなモノのようです。では、習慣とクセとは何が違うのでしょうか。

共通しているのは「クセ」も「習慣」も無意識に行ってしまうというところでしょう、しかも本人は全く自覚していない点も共通のようです。よく似た言葉ですが、無意識とクセ、他にも人や集団が持つ一定の偏りのようなモノが有る場合に「傾向」といった表現をすることもありますよね。「傾向」もまた、自覚していないにもかかわらず発動してしまいます。言葉が違うので意味や成り立ちにも差があるとは思いますが、いったいどのような違いがあるんでしょうか。

調べてみました。ザックリと表現するならば、その意味する内容の範囲、そしてその具体的な内容において、違いがあるようですね。主な違いを書くと、
・クセは「具体的な行動パターン」、
・無意識は「心理的な状態や領域」、
・傾向は「全体的な方向性や性質」、
こういったところが違うようです。 
このことから、習慣は同じ行動を繰り返しているうちに身についたクセとして考える事も出来るようですね。また、無意識とはここに挙げたすべての底にある状態のようですし、慣習は個人ではなく集団としてクセと言えるかもしれません。また、傾向と言った場合は個人の場合も集団の場合もあるようですが、性質も含むという事なのでクセとは言わないとしても、社風、文化、カラーといった言葉で表現されることもある、一種の偏りと言ってもよいでしょう。

無意識の話題が出ましたので、もう少しこの部分を掘り下げてみたいと思います。以前に「習慣を止める」という文章を書いた時、悪い習慣を止めたい時にこの方法が役に立つんじゃないかと思って、その方法について書いたことがありました。その時は方法にだけ注目しましたので、意志や意識の事はあまり触れなかったと思います。むしろ、別の習慣を上書きすることで問題行動である悪習慣をストップさせようという趣旨でした。

ちょっと(かなり?)残念な話になりますが、悪い習慣は意志や自制心、理性といったものでは変えられないという傾向があるようです。だからでしょうか、悪い習慣ってなかなか止める事が出来ませんよね。これは脳がしっかりと覚えているからなのだとか。ですから、良い習慣で上書きしようとしても、とても長い時間がかかることが多いうえに、悪い習慣の方はすぐに戻ってしまうという難点があるということです。良い習慣はなかなか身につかないのに、困ったものですね。

これは近年の脳科学の研究によって分かってきたことで、それによると「脳における意志や自制心を司る認知の回路と、習慣を司る運動の回路は異なる場所にある」のだとか。ですから、「いったん習慣として形成された行動は意志や自制心の干渉を受けにくくなる」という事なのだそうです。私たちが強い意志を持って、さらに自制心を鍛えて習慣を止めたり置き換えたりしようとしても、習慣を継続しようとする脳の仕組みの方が勝っているようなので、これにはなかなか勝てないということのようです。

それじゃ、習慣による行動のきっかけになるところを排除すればどうなのかという事ですが、こちらもまたかなり難しいようです。人間には五感が備わっていますが、きっかけの方はそれらを通してアプローチしてきますので、そこから逃げるのは容易ではありません。むしろ、気にすればするほど意識してしまいます。

きっかけになるものに出くわしたとき、無意識に行動に移してしまうから習慣なのですが、注意していることで行動が発動しそうになった時に、意識してこれを抑え込もうとした経験はありませんか。一般的に、悪い習慣を発動しようとしている時にその衝動を我慢できる人は、とても意志や自制心が強い人と考えてしまいます。しかし、近年の研究によると、たしかにその人は自制心が強いのでしょうけれども、そういう人は衝動を抑え込む能力が高いのではなく、「自制心を働かせる必要がある状況」にならないようにする、回避する能力が高いんじゃないかということが分かってきました。だから、苦労することは有っても、ヘンな習慣を止めて別の習慣で上書きができるんですね。

また、資料によると、悪い習慣を止めるために「自制心を働かせる必要がある状況」をうまく回避できる人は、ほんのわずかじゃないかと書かれていました。悪い習慣ほど快感のようなモノが有るのでしょうか。たしかに、感情が伴うと強いパワーを持つことになります。理性ではなかなか太刀打ちできないようです。

こんな時、引き寄せの法則のようなモノを活用してみてはどうでしょう。悪い習慣が収まって別の良い習慣に置き換える事が出来て、しかもそれが自分が手に入れたい未来に直接つながっていて、成功した自分がとても喜んでいる、そんなイメージを描いてみるんです。誰だってひと時の楽しい時間よりも成功する未来の方を手に入れたいはずですよね。その成功のイメージを何度も描いて、しっかりと感情を揺さぶるくらい強く味わう事を繰り返せば、良い習慣を上書きすることが出来るんじゃないかと思いますが・・・、どうでしょうか。

 

 

数回にわたって「習慣」について考えて来ましたが、習慣を身につける方法や止めるための方法などについては考えて来たものの、「習慣そのものって、いったいどのようなモノか」についてはまったく取り上げて来ませんでした。そこで、今回はタイトルのように習慣が持つ性質について、もう一度考えてみる事にします。

習慣について何度か書いてきましたが、いつもその中で「習慣は自動操縦のようなモノ」、あるいは「習慣は自動運転システム」といった表現をしてきました。一度身についた習慣は一定の条件が整った時に自動的に(勝手に)発動して身体が動いてしまうという性質がありましたね。自動的に動くのですから、自動操縦とか自動運転システムとか言っても、間違いではありませんよね。

習慣は身につける時も止める時もそれぞれに苦労がありますが、習慣とは「学習された行動を繰り返すうちに、いつの間にか自動的にその行動を実行してしまうようになった、その行動そのもの」と言えるようです。最初の頃は未だ身についてはいませんので「意識しながら自分から行動を行なう」ことになりますが、やがて何も意識もせず考えずに、自然にその行動が出来るようになっていきます。意識せずに行動できるわけですから、無意識にやっているという事になりますよね。

そんな行動、普段の生活の中では知らず知らずの間にかなり入り込んでいるようです。一説によると、生活の中の40%から50%ほどの行動が習慣に相当するのだとか(80%から90%という説も存在します)。ただ、習慣は勝手に身体が動いて行動してしまうものだとしても、一定の条件が揃った時にだけの話だとは思いませんか。何か「きっかけ」になることがあれば、その後に続く行動としての一連の動作や行為が勝手に現れてくるんですよね。

そのきっかけについて考えてみると、これは特定の状況や場所と行動がセットになっているようです。朝の歯磨きを例にとると、起床(特定の状況)後、先ずトイレに行くことで近くの水場である洗面台(場所)に立ち寄ること(その状況になる)で、条件反射のように行動(朝の歯磨き)が誘発されています。

しかも、それは後天的に身についたモノ、あるいは身につけたモノですね。必要があって身につけたのか、それ以外に理由かは別にしても、過去の経験や反復によって身につけた行動のはずです。

どうにか行動が身について習慣になると、今度はその行動を変えたり止めたりすることが困難になります。止めたくても止められなくなってしまうという性質もあるのは、皆さんも経験済みでしょう。しかもこの行動、その後に気持ちよく感じたりスッキリしたりといった報酬に当たるものが無くても、やってしまうという性質も持っているんです。だから「勝手に身体が動く」という状態になるんでしょうね。

習慣はきっかけさえあれば勝手に発動するということですから、逆に言えば「きっかけが無ければ何も発動しない」という意味でもあります。習慣として身につくまでの段階では、この後に満足感のような報酬が有る方が習慣は身につけやすいのですが、いったん身についてしまうと報酬はなくても行動してしまうということですね。

なぜ習慣化するとよいのかを考えてみると、習慣化することによって勝手に身体が動いて行動するわけですから、いちいち立ち止まってどうするかを考えて選択する、そんな負担がかからなくなるメリットが出て来ます。その分、他の作業に意識を向ける事が出来ますので、習慣化は脳の省エネのためのモノという考え方が成り立つんですよね。

なぜ省エネが必要かというと、物事を考えて行動を選択するのは脳の中でも前頭葉の部分です。この場所でいろいろな事を考えたり判断したりしますので、とても負担がかかるんですよ。 それを少しでも減らしたいということで、いったん習慣として身についた行動に関わる場所が脳の中の前頭葉から移動して大脳基底核という場所に変わるそうです。ここは、より自動的な事に関与する場所だということでした。こうして前頭葉の負担を軽くすることで、別の事を考えたり判断したりするためのリソースに当てるということなんですね。

だからこそ、無意識に、反射的に行動してしまうということなんですね。 

そうやって身につけた、あるいはこれから身につけたい習慣を考える場合、何を基準に考えれば良いのでしょうか。結局のところ、目指す目標があるならば、それに近づく事につながるなら良い習慣でしょうし、不健康や不摂生等につながるなら悪い習慣と考えればよいと思います。良い悪いはその人の価値観によって決まりますので、出来れば一つの習慣が他の方面、例えば生活全般に良い影響を及ぼすような、そんな習慣を身につける事が出来れば最高ですね。

習慣の性質を理解することによって「良い習慣」を身につける事も、反対に「悪い習慣」を止める事も、やり易くなるんじゃないでしょうか。いくら無意識に反応するかのように身体が動いてしまうような習慣であっても、工夫すれば習慣そのものを改善する事がやり易くなると思います。以前に書いたような「習慣を止める」とか「習慣を変える」とか、そういった事がやり易くなれば、その後の生活も未来も、明るくなるんじゃないかな・・・。