聖カスバートのヨハネ福音書
7世紀にイングランド北部で作られたものだが、表紙装飾はケルト的な要素が多く、製本は折りと折りを連結していく形で、コプト的なリンクステッチである。
ヨーロッパ世界最古のオリジナルな装幀が残っている本とされている。
聖カスバート
カスバートは、リンディスファーン修道院長で、ノーサンバーランド(イングランド北部とスコットランドを指す)の宣教に功績のあった人である。生活は質素で、修道院長退任後はさらに小島に移ったとされる。ヨハネの福音書は手元にあったもので、埋葬の際に棺に入れられた。死後10年以上経って、棺を開けた所、遺体がまったく損傷なく、これを奇蹟として、その後カスバートは聖人とされ、福音書も珍重された。
修復
20世紀中頃に、製本修復家のロジャーパウエルが、この福音書を手がける。しかし、修理はしなかった。古い構造が残っている事を見て取り、観察し、計測し、写真を撮り詳しい報告を書くに留めた事が有名である。このため、ヨーロッパ最古の装幀が残ったと言われている。
かつて所蔵していた大学の名前により「ストーニーハースト福音書」と呼ばれたが、現在は聖カスバートのヨハネ福音書と呼ばれている。
1980年代より、英国のカソリック教会から、英国図書館にレンタルされていたが、昨年夏より、900万ポンドの基金を募って、英国図書館が買い上げるキャンペーンが始まった。今年4月に買い上げに成功した事が発表された。
福音書
表紙(表装)の赤い革は1mm厚で、このように装飾されている。(現在は茶色に褪色している)表紙板に革紐などを貼り付けて盛り上げてある。
中央の文様はブドウをかたどっている。(ヨハネ福音書にあり)
周囲の模様はケルト的組紐文様である。金色に見えるが、まだ金箔装飾は伝わっていないので、染料によるものと考えられる。(図8 表紙)
本文はこの通り。縦130mm 横90mmと、ハガキよりも小さい。ラテン語で書かれている。リンディスファーン福音書とは異なり、本文に装飾はない。個人用の慎ましい本と言える。(図9 本文)
裏表紙は、このように線で装飾されているのみである。これは本を立てて置くのではなく、平たく置く時代だったからでもある。(図10 裏表紙)
勉強会での製本
事前に板の穴開け、溝彫りなどを行った。原本の板は樺(カンバ)を使い、厚さ2.5mmであるが、入手が難しく、勉強会ではカエデの3mm厚の板を使った。
本文には紙を用い、仕上がり寸法に断裁した。実際の制作過程は綴じた後に化粧裁ちしたと考えられる。
当日の作業は、紙を折って折り丁を作り、刻み目を入れて、糸で綴じ、花布を綴じ付ける事を行った。12折りのリンクステッチは、綴じ方がやや複雑な事もあり、目の疲れる仕事となった。
裏表紙の模様
写真が不鮮明な事もあり、裏表紙の文様の意味は不明だったが、リンディスファーン福音書に同様な図があることにより、十字架を表している事が判明した。
本文詳細
一葉の縦は130mm、横は90mmである。8葉の折り丁が12あるが、最後の折りは4葉に省かれている。書写した人が、終わり近くで、調整したものと思われる。
折り丁には、4つの刻み目が入れてあり、穴を二つずつ使って、2本の糸で別々に綴じている。
本文の途中で、1ページ19行から20行に変更している。これも書写した人が調整したものと思われる。(図11 42Vと43R)
過去の修理
リンディスファーン島には修道院の廃墟が残るのみであり、バイキングの来襲により、聖カスバートの棺を含めて、疎開している。
福音書も各地を移動したため、当然補修の痕がある。13世紀のパーチメント、17世紀の紙で補修されている。
綴じも一部補強されており、特に第2折の綴じ直しの糸は背革を貫通している。
化粧裁ち
本文の綴じが終わったところで、表紙板に沿って化粧裁ちをしたと考えられる。(でないと次の花布が綴じられない)本文の大きさは、表紙板と同じになる。ただし聖カスバートの場合は、革が1mmと厚く、外観は一見チリがあるように見える。
花布の特色
花布は失われているが、後のカロリング朝の製本に似ていたものと考えられている。背に補強の革をあて、それを貫通して一度目の花布の綴じを行う。(勉強会では省略した)革で表装してから、補強の革と表装の革を綴じ付けたものと思われる。赤い革に青い糸で綴じ付けられていたとされる。(青糸の残存があったのだろう)
本文書写の特長
書写した人は折り丁の最初の葉の表(第1ページ)から書きはじめている。このため、製本者は、この葉を見返しとして表紙板に貼る事ができず、一枚パーチメントを追加して平綴じして結合している。(その後刻み目を入れたと考えられる)
書写と製本は、別の場所で行われたのではないかという仮説が生じる。
第12折りは4葉となっており、最後の葉は裏表紙の革の折り返しの下に貼られ、その前の葉は折り返しの上に貼られている。仮綴じしてから書いたが、終わりの直前で12折り目の全てが必要無いことが明らかになり、最後の折りを半分に減らしたのではないか。
もっと古い時代の3大写本
シナイ写本、ヴァティカン写本は4世紀に、アレクサンドリア写本は5世紀頃書かれたと考えられている。いずれも皇帝の権威を象徴するような、大写本である。それぞれ、4欄、3欄、2欄で書かれている。2欄の形はグーテンベルクの印刷聖書にまで継承される事になる。
聖カスバートは1欄で小さく個人の蔵書である。
リンクステッチの問題
今回の制作も困難な点があったが、リンクステッチでは、どうしても表紙との接続が弱い。板に何度も巻く必要がある。(この点を大がかりにして改善したのがビザンチン製本の表紙と本文の結合の仕方である。)また、第1折りと最後の折りでは、糸が三重になっている。(中間の折りの糸は二重)
3大写本もリンクステッチで作られたとしか考えられないが、大写本だけにより難しかったと思われる。
また、背が逆反りしてしまう傾向がある。このために、次の発展である背綴じ紐を使った製本では、背の丸み出しが行われるようになったという説もある。
背綴じ紐採用は、イングランドで行われたと考えられているが、確証はない。
なぜイングランドか
ローマ法王は6世紀頃にその地位を確立したと言ってよいが、ローマの支配は周辺すべてにおよんでいたわけではない。現在のドイツなどにはゲルマンの侵入やフリースランドのような異教の地も多かった。
先に信仰が確立したイングランドからドイツへ逆に宣教にくるという流れがあった。背綴じ紐のついた現存最古のコデックスは、イングランドからドイツに布教に来てある程度成功したボニファティウスの所持したコデックスビクターである。(現在はドイツのフルダ修道院所蔵となっている)
ヨーロッパの成立
地中海世界のエジプトで始まった冊子の形が、8世紀頃に背綴じ紐を採用して、近代まで続く形となる。これ以後の改良はなく、むしろ簡素になって普及していく事になる。
その後、842年のヴェルダン条約により、東フランク王国、西フランク王国、ロタールの領土分割がなされた。それぞれ現在のドイツ、フランス、イタリアの元となる。フランクフルト、フランスの語源はいずれもフランクである。これ以降、現代に通じるヨーロッパが成立したと考えられる。
(図12 ヨーロッパの成立年表)
補)チリの問題
触れたように、聖カスバート福音書にはチリがない。綴じてから表紙板に沿って、本文を化粧裁ちしたと考えられる。これはビザンチン製本にも共通している。
一方、特に初期のコプト製本ではチリがある例が複数ある。これは、綴じが表紙板から始まらないため、表紙板と本文が直接関連しなかったと思われる。
また、初期のナグハマディコデックスは、パピルス本文を包むように、表紙革が大きくなっており、チリがある。
参考文献
ナグハマディのファクシミリ版 "The Facsimile edition of the Nag Hammadi codices" Leiden,Brill, 1972-1984 12 v.
日本語訳 『ナグ・ハマディ文書』 岩波書店 1997-1998 全4冊
ターナーの統計 "The Typology of the Early Codex" by E. G. Turner, University of Pennsylvania Press, 1977
ストーニーハースト研究 "The Stonyhurst Gospel of St. John" Edited by T. Julian Brown with a technical description of the binding by Roger Powell and Peter Waters. Oxford, Printed for the Roxburghe Club, 1969.
中世の書物構造一般 The Archaeology of Medieval Bookbinding. by John A. Szirmai, Ashgate, 1999
タイムライン "ABC of Bookbinding: An Illustrated Glossary of Terms for Collectors and Conservators" by Jane Greenfield, Oak Knoll Press, 2002