当時進歩していた中国(唐)から西方世界に、製紙が伝わったのは、751年タラスの戦いで、ペルシャ軍が唐に勝利し、捕虜の中に紙漉き工がいたから。と言うのが定説である。

これまで、8世紀以前にも西方世界は紙を知っていたが、採用しなかった(つまり紙を漉くほど文字を書く材料を必要としていなかった)タラスの戦いで紙漉きが伝わったというのは伝説に過ぎない、と思っていた。

大筋では変わらないが、先日の、日本とフランスの手漉き紙の交流シンポジウムで増田勝彦先生が、こういう話しをされた。詳しくメモを取っていなかったので、以下の内容の責任は私にある。

中国の軍隊の中で、紙漉きが行われていた。(命令伝達や、給与の支払い、物資の調達と、軍事用にも紙が必要だったのではないか)
これは青い紙が出土していて、青衣は兵士の衣であることから、軍隊の中で兵士の衣服のボロを使って紙が漉かれていたと推定できる。

タラスの戦いにおいても、たまたま捕虜の中に紙漉工がいたのではなく、軍隊の中に紙漉き部門があった。
これを設備とともに捕虜としたから、西方世界には、衣服のボロで紙を漉く方法が伝わったのである、という、お話の一部ではあるが、このような主旨であった。

これは説得力のあるお話でした。私もなんとなく、たまたま捕虜の中に紙漉き工がいたくらいに思っていたのです。

ヨーロッパでの紙漉きがほとんど麻のボロ布を使っていたという事とうまく合致する内容でした。
(中国では、南方のベトナムの方まで行けば雁皮があったと思われる、また竹を用いて竹紙を作った)
麻のボロ布と言ってもこのシンポジウムで紹介されたフランスの手漉き紙職人のストックしている麻布は真っ白で(洗濯を重ねたものか)ボロという語感からは遠いものでした。

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この画像は、タラスと近いサマルカンドで桑の木を使って現代で観光用か、見せている紙漉きの模様。

なお、ボロを使って紙漉きをするようになった背景として、庶民の衣服がボロとなって捨てられるように(新しいものが手に入るように)なった、まあそれだけ豊かになった、それと紙を必要とする時期が合わさったからという見解もあり得る。(でないと、それまでパーチメント、いくら沢山いたとしても、羊や山羊の皮で間に合っていたことの説明がつかない)

また、この戦さ以前から東西の交流はあったはずという意見もある。

聖書の歴史図鑑 書物としての聖書の歴史
クリストファー・ド・ハメル
¥ 16,800

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人類の文化的所産としての聖書が繰り広げてきた変身・進化、そして生き残りについての波乱に満ちた物語を、平易に解説。中世の美しい彩色写本、革命的なグーテンベルク聖書、ルターのドイツ語訳聖書など豊富な図版を収録。
大型本: 350ページ
東洋書林 (2004/01)
ISBN-10: 4887216386
ISBN-13: 978-4887216389
2004/01
25.8 x 22.4 x 3.8 cm

以上はネット上のデータ。出版社の方針(シリーズとして翻訳出版している)
で「歴史図鑑」となっているが、原題は
The Book. A History of the Bible.

最後の章で、近代になっての起源の研究 というように
最初期の聖書を取り上げている。
私としてはこの章に注目。

筆者はケンブリッジのコーパスクリスティカレッジのフェローライブラリアンを長くつとめ、装飾写本研究の専門家であり、現在はサザビー所属のようだが、内容は信頼できる。

原書が、amazonだと2000円台で入手可能なので、写真だけ見ていれば良い人にはお買い得

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一度は行きたい 週刊世界の博物館第40号
2012年5月10日発売

イスラエル国立博物館には、書物の館のような施設があり
死海文書の複製が展示されている事は知っていたのですが
博物館紹介の週刊百科が出ていたのです。たまたま先月見つけました

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これによると死海文書館が作られていて、
死海文書の中でも保存の良い「イザヤ書」の複製が円周上に展示されており、その回りを巡って見られるようになっています。

ミュージアムショップの紹介欄によれば
この「イザヤ書」の縮小版のレプリカと壺のセットが販売されているとのことです。
フランスでの手漉き紙(伝統的なやりかた)は
ほぼ数十年途絶えていたという
にじみ止め(サイジング)をゼラチンで行うという伝統的な方法を
復活させたという方の話を含めて

日本とフランスで和紙あるいはヨーロッパの手漉き紙について
互いに知り合うという試みの2年目の日本でのシンポジウムに行ってきました

ヨーロッパで和紙は紙資料の修理修復に使われているが、実は詳しく知られていない、
日本でもヨーロッパの手漉き紙の事情はわからない。

主にルーブル美術館の素描修復の方々と、フランスで伝統的な手漉き紙を復活させている紙漉き職人らとの交流がはじまっていました。日本人側は修復に携わっている工房の方、紙漉きの方、研究者です。

この第2回発表会が、6日東京で開かれたので聞いてきました。

フランスでは、麻布のボロ(と言っても洗濯を重ねて真っ白)を叩きに叩いて(叩解)
まあそれを紙料にして、紙を漉きます。特に粘料は使わない

にじみ止めは、ゼラチンと明礬で行う。

和紙にとろろあおいなどの粘料を使うのは、紙を漉くときに、繊維の間になるべく水を含ませるのが 目的なんだそうだ。びっくり。なんとなくとろろあおいでくっつくのかと思っていた。
繊維自体が絡み合って着くという事なんだろうか。麻ではそれが必要ないわけだから。

さらに詳しくはのちほど
100人ほどの盛況でした

(すみません、続編が書けていません)
$製本 y のブログ-本と人の歴史事典


書物の文化史を描こうと言う点では、「本の歴史文化図鑑」と同様な意図で日本で書かれた力作である。エピソード的という書き方も若干似ている。
しかし、本書の方がオールカラーでこそないが、内容は充実していると思われる。
聖カスバート福音書も、旧名のストーニーハースト福音書として、ちゃんと取り上げられている。

慶應義塾大学で活躍した高宮利行さんと、原田範行さんの著書。
柏書房 1997

英文学で、写本研究のキャリアが長い高宮さんの見識の結果ではないだろうか。

7月に製本のグループ展でギャラリートークをやらせてもらった。
その直前に、この本が出ている事を知り、見ておかないとと思い購入。
5月刊だから、公共図書館は間に合わない。

$製本 y のブログ-本の歴史文化図鑑


大部のきれいな本だが、内容はやや失望。

日本の蛇腹式本 という章がある。しかも源氏物語、ここの記事ないし日本語訳はめちゃくちゃである。

源氏の折り本自体少ないのではないか。

アリストテレスないしは弟子の著作「アテナイの国制」(岩波文庫にケニヨンの解説がある)のカラー画像は、この本で初めて見たので、これだけはうれしい。パピルス巻子本だと思われる。

紀田順一郎氏の好意的な批評がある。

http://plus.harenet.ne.jp/~kida/topcontents/news/2012/051801/index.html

「生麩糊を電子レンジで焚く煮る」

ネットで検索すると、他の人のブログに私が投稿したものがでてきてしまうので、
改めて書いてみます。(このブログは無料サービスが終了して消滅)

業務用で大量に使う場合の煮方はあちこちに出ているし、そういう人はすでに
教わっている筈なので、ここでは電子レンジで少量作る方法を。
この方法は少量に向いているようなので、最初は生麩糊10-20ccくらいで試してみてください。

生麩糊(粉末です)を体積1に対し、水は体積3から5というところ。
容器に入れて、かきまぜて、電子レンジに
(かけ方は、電子レンジ、正麩糊によって異なるので、
なんどか実験していただくしかない)

例えば大さじ2杯(コーヒー豆を量るスプーンが良いかも、糊専用にしてください)の粉末を入れて、
同じ大さじで水を6-9杯入れれば良いことになります。

水で溶いて(溶けないけれど)一晩置くように(あるいは数日)書かれている事もあります。

最初に30秒から1分
次に20秒
これでもダメなら10秒と細かくかけていきます。
その内、一部に糊の状態のものが浮かんできます。
わっと沸いて半透明になったらできあがりです。
かきまぜられないくらい固くなったら、それはやり過ぎです。

水で冷やして冷蔵してください。
これを適宜薄めて使います。

防腐剤
以前はチモールを使っていましたが、今は使っていません。
チモールは日本薬局方なので、薬局で注文して買う事ができます。
水には溶けないが、アルコールには溶けます。昔の歯医者の消毒のような匂いがします。

<<公開していませんが、知人の専門家に聞いたところ、
容器、その他すべてを良く消毒する事が肝腎なようです>>


私は精製水を弱アルカリにして使っています。
生麩糊によっては、弱酸性(pH6.0)と書いてあるものもある。(紙舗直で売っていたもの)

製品 個人で買いやすいのはニシキ糊の70gパック。
ただ、店頭購入は難しい。これも襖、障子貼り用なので、どこまで信頼できるかわからない。小麦100%無害と書いてはありますが。

生麩糊と検索して最初に出てくるサイト(2024年現在)では、
「ホルマリンを少量加えるとよい」のように書いてある。アップデートされていません!
聖カスバートのヨハネ福音書

 7世紀にイングランド北部で作られたものだが、表紙装飾はケルト的な要素が多く、製本は折りと折りを連結していく形で、コプト的なリンクステッチである。
 ヨーロッパ世界最古のオリジナルな装幀が残っている本とされている。

 聖カスバート

 カスバートは、リンディスファーン修道院長で、ノーサンバーランド(イングランド北部とスコットランドを指す)の宣教に功績のあった人である。生活は質素で、修道院長退任後はさらに小島に移ったとされる。ヨハネの福音書は手元にあったもので、埋葬の際に棺に入れられた。死後10年以上経って、棺を開けた所、遺体がまったく損傷なく、これを奇蹟として、その後カスバートは聖人とされ、福音書も珍重された。

 修復

 20世紀中頃に、製本修復家のロジャーパウエルが、この福音書を手がける。しかし、修理はしなかった。古い構造が残っている事を見て取り、観察し、計測し、写真を撮り詳しい報告を書くに留めた事が有名である。このため、ヨーロッパ最古の装幀が残ったと言われている。
 かつて所蔵していた大学の名前により「ストーニーハースト福音書」と呼ばれたが、現在は聖カスバートのヨハネ福音書と呼ばれている。
 1980年代より、英国のカソリック教会から、英国図書館にレンタルされていたが、昨年夏より、900万ポンドの基金を募って、英国図書館が買い上げるキャンペーンが始まった。今年4月に買い上げに成功した事が発表された。

 福音書

 表紙(表装)の赤い革は1mm厚で、このように装飾されている。(現在は茶色に褪色している)表紙板に革紐などを貼り付けて盛り上げてある。
 中央の文様はブドウをかたどっている。(ヨハネ福音書にあり)
周囲の模様はケルト的組紐文様である。金色に見えるが、まだ金箔装飾は伝わっていないので、染料によるものと考えられる。(図8 表紙)

$製本 y のブログ-聖カスバート福音書表紙

 本文はこの通り。縦130mm 横90mmと、ハガキよりも小さい。ラテン語で書かれている。リンディスファーン福音書とは異なり、本文に装飾はない。個人用の慎ましい本と言える。(図9 本文)

$製本 y のブログ-福音書本文


 裏表紙は、このように線で装飾されているのみである。これは本を立てて置くのではなく、平たく置く時代だったからでもある。(図10 裏表紙)

$製本 y のブログ-裏表紙


 勉強会での製本

 事前に板の穴開け、溝彫りなどを行った。原本の板は樺(カンバ)を使い、厚さ2.5mmであるが、入手が難しく、勉強会ではカエデの3mm厚の板を使った。
 本文には紙を用い、仕上がり寸法に断裁した。実際の制作過程は綴じた後に化粧裁ちしたと考えられる。
 当日の作業は、紙を折って折り丁を作り、刻み目を入れて、糸で綴じ、花布を綴じ付ける事を行った。12折りのリンクステッチは、綴じ方がやや複雑な事もあり、目の疲れる仕事となった。

 裏表紙の模様

 写真が不鮮明な事もあり、裏表紙の文様の意味は不明だったが、リンディスファーン福音書に同様な図があることにより、十字架を表している事が判明した。

 本文詳細

 一葉の縦は130mm、横は90mmである。8葉の折り丁が12あるが、最後の折りは4葉に省かれている。書写した人が、終わり近くで、調整したものと思われる。
 折り丁には、4つの刻み目が入れてあり、穴を二つずつ使って、2本の糸で別々に綴じている。
 本文の途中で、1ページ19行から20行に変更している。これも書写した人が調整したものと思われる。(図11 42Vと43R)

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 過去の修理

 リンディスファーン島には修道院の廃墟が残るのみであり、バイキングの来襲により、聖カスバートの棺を含めて、疎開している。
 福音書も各地を移動したため、当然補修の痕がある。13世紀のパーチメント、17世紀の紙で補修されている。
 綴じも一部補強されており、特に第2折の綴じ直しの糸は背革を貫通している。

 化粧裁ち

 本文の綴じが終わったところで、表紙板に沿って化粧裁ちをしたと考えられる。(でないと次の花布が綴じられない)本文の大きさは、表紙板と同じになる。ただし聖カスバートの場合は、革が1mmと厚く、外観は一見チリがあるように見える。

 花布の特色

 花布は失われているが、後のカロリング朝の製本に似ていたものと考えられている。背に補強の革をあて、それを貫通して一度目の花布の綴じを行う。(勉強会では省略した)革で表装してから、補強の革と表装の革を綴じ付けたものと思われる。赤い革に青い糸で綴じ付けられていたとされる。(青糸の残存があったのだろう)

 本文書写の特長

 書写した人は折り丁の最初の葉の表(第1ページ)から書きはじめている。このため、製本者は、この葉を見返しとして表紙板に貼る事ができず、一枚パーチメントを追加して平綴じして結合している。(その後刻み目を入れたと考えられる)
 書写と製本は、別の場所で行われたのではないかという仮説が生じる。
 第12折りは4葉となっており、最後の葉は裏表紙の革の折り返しの下に貼られ、その前の葉は折り返しの上に貼られている。仮綴じしてから書いたが、終わりの直前で12折り目の全てが必要無いことが明らかになり、最後の折りを半分に減らしたのではないか。

 もっと古い時代の3大写本

 シナイ写本、ヴァティカン写本は4世紀に、アレクサンドリア写本は5世紀頃書かれたと考えられている。いずれも皇帝の権威を象徴するような、大写本である。それぞれ、4欄、3欄、2欄で書かれている。2欄の形はグーテンベルクの印刷聖書にまで継承される事になる。
 聖カスバートは1欄で小さく個人の蔵書である。

 リンクステッチの問題

 今回の制作も困難な点があったが、リンクステッチでは、どうしても表紙との接続が弱い。板に何度も巻く必要がある。(この点を大がかりにして改善したのがビザンチン製本の表紙と本文の結合の仕方である。)また、第1折りと最後の折りでは、糸が三重になっている。(中間の折りの糸は二重)
 3大写本もリンクステッチで作られたとしか考えられないが、大写本だけにより難しかったと思われる。
 また、背が逆反りしてしまう傾向がある。このために、次の発展である背綴じ紐を使った製本では、背の丸み出しが行われるようになったという説もある。
 背綴じ紐採用は、イングランドで行われたと考えられているが、確証はない。

 なぜイングランドか

 ローマ法王は6世紀頃にその地位を確立したと言ってよいが、ローマの支配は周辺すべてにおよんでいたわけではない。現在のドイツなどにはゲルマンの侵入やフリースランドのような異教の地も多かった。
 先に信仰が確立したイングランドからドイツへ逆に宣教にくるという流れがあった。背綴じ紐のついた現存最古のコデックスは、イングランドからドイツに布教に来てある程度成功したボニファティウスの所持したコデックスビクターである。(現在はドイツのフルダ修道院所蔵となっている)

 ヨーロッパの成立 

 地中海世界のエジプトで始まった冊子の形が、8世紀頃に背綴じ紐を採用して、近代まで続く形となる。これ以後の改良はなく、むしろ簡素になって普及していく事になる。
 その後、842年のヴェルダン条約により、東フランク王国、西フランク王国、ロタールの領土分割がなされた。それぞれ現在のドイツ、フランス、イタリアの元となる。フランクフルト、フランスの語源はいずれもフランクである。これ以降、現代に通じるヨーロッパが成立したと考えられる。
(図12 ヨーロッパの成立年表)

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補)チリの問題
 触れたように、聖カスバート福音書にはチリがない。綴じてから表紙板に沿って、本文を化粧裁ちしたと考えられる。これはビザンチン製本にも共通している。
 一方、特に初期のコプト製本ではチリがある例が複数ある。これは、綴じが表紙板から始まらないため、表紙板と本文が直接関連しなかったと思われる。
 また、初期のナグハマディコデックスは、パピルス本文を包むように、表紙革が大きくなっており、チリがある。

参考文献
ナグハマディのファクシミリ版 "The Facsimile edition of the Nag Hammadi codices" Leiden,Brill, 1972-1984 12 v.
日本語訳 『ナグ・ハマディ文書』 岩波書店 1997-1998 全4冊
ターナーの統計 "The Typology of the Early Codex" by E. G. Turner, University of Pennsylvania Press, 1977
ストーニーハースト研究 "The Stonyhurst Gospel of St. John" Edited by T. Julian Brown with a technical description of the binding by Roger Powell and Peter Waters. Oxford, Printed for the Roxburghe Club, 1969.
中世の書物構造一般 The Archaeology of Medieval Bookbinding. by John A. Szirmai, Ashgate, 1999
タイムライン "ABC of Bookbinding: An Illustrated Glossary of Terms for Collectors and Conservators" by Jane Greenfield, Oak Knoll Press, 2002
ナグ・ハマディ コデックス
Nag Hammadi codices

 ある図書館員が修理保存の研修で行かれたフランス国立図書館で「次はコデックスを作ろう」と言われて作ったのが、ナグハマディコデックスであったとの事である。いかにもフランスらしいのは、その後、研修生自身が分担して、革を購入したり、パピルスを購入して準備したとのことである。
 このように、冊子の初めと考えられているナグ・ハマディコデックスについて、その位置と制作過程を説明する。グリーンフィールドの"ABC of bookbinding" の製本の歴史の一番簡単なタイムラインというページでも先頭に挙げられている。(図1)

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ナグハマディコデックス

 コデックスとはラテン語のcodexで、初期の冊子を意味する。語源は法典や規準のcodeであるらしい。
 ナグハマディは、エジプトのナイル中流西岸の地名で、対岸のケノボスキオンに聖パコミオスが創設した修道院があり、コデックスはその修道院由来の書物と考えられている。(図2 地図) 

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 1945年の12月頃に、たまたま農夫が甕を発見し、その中から13冊のコデックスが発見された。
 本文はパピルスであり、革で覆われている。コプト語(ギリシア大文字)で、1欄に書かれている。1冊にいくつかの文書が収録されている。福音書などのキリスト教文書の他にプラトンの著作も含まれている。(全冊のファクシミリ版が刊行されている。内容の日本語訳も刊行済である)本文の天地が28cmから30cmくらいで、ページの幅は18cmほどのやや細長い本である。
 表紙の芯もパピルスを貼り合わせて作られている。本文の構造は一折り中綴じである。革紐が全体を貫通しており表紙側で結んで綴じている。
 13冊あるというが、XIからXⅢは痛みが激しく、特にXⅢはパピルスの断片10枚ほどしか残っていない。
 Ⅱは表紙の装飾がきれいに残っている。革に線や円をつなげた模様が引いてあり、インクの痕もある。4世紀後半の本に表紙装飾が確認できるのは、製本をしている人間にとってはうれしい。(図3 コデックスⅡ)

$製本 y のブログ-コデックスⅡ


 Ⅶは全体の保存が良い。Iは二折りであったとされているが、それぞれ別々に表紙と接続していたようである。ここには、まだ折りと折りを連結する発想がない。
 コプトの製本は、やがてパーチメントの複数折りをリンクステッチでつなぐようになり、表紙も木の板になる。初期には、綴じ糸が本文しか綴じておらず、表紙板との接続は、現代の「くるみ製本」のように見返しを貼っているものがある。後期には、表紙板に開けた穴から綴じが始まり、本文を綴じて裏表紙板で終わる綴じ方がある。これを一般的にはコプト製本という。ビザンチン製本に近い方法である。

巻物から冊子へ

 巻物から冊子への流れを考えると、ナグハマディの「一折り中綴じ」と言う単純な構造でも、相当の飛躍がある。
 巻物を切断しても、簡単には一折り中綴じにはならない。東洋では巻物を切断して、二つ折りにしてノド側で貼り合わせた形がある。(胡蝶装ないしは粘葉装)片面書写のままである。
 エジプトなど地中海文明にも、同様の形がある。パピルスを二つ折りにして背に近い部分を平綴じしたものが1点確認されている。一方、一折り中綴じの冊子は4,50冊確認されている。(ターナーの調査による、1977)

 パピルス冊子の制作過程

 パピルスは、縦30cm長さ150cmくらいのシートがまず作られた。このシートを糊で貼り合わせて行き、長いロール(巻物の形)にして、流通したと考えられる。
 冊子の制作の際は、この長いロールを本の大きさに合わせて切断して使ったようだ。
 保存の良いコデックスⅦのパピルスの観察からこの事が確認できる。パピルスは片面縦、片面横にパピルスを貼り合わせている。「紙」とは違って、パピルスの茎それ自体が観察できるので、切断される以前のつながり具合が推定できる。
 このように切断したパピルスを重ねて二つ折りにし、一折り中綴じに仮綴じして、書写したものと思われる。
 書写に際して、パーチメント冊子のように、界線、罫線を引いたり、規準の穴を開けたとは思えない。しかし、本文は整って書かれている。(図4 本文)

$製本 y のブログ-本文


 カルトナージ

 表紙の芯(カルトナージ)は、パピルスの反故を貼り合わせて作られている。何枚か糊で貼り合わせるとしっかりしたものになる事が勉強会でも確認できた。
 本文には書写の日付が書かれる事はないが、パピルスの反故には、領収書、手紙などが使われているため、日付が分かる場合がある。ここでも穀物の領収書に300年代の日付がいくつか確認できる。パピルス文書(もんじょ)が破棄されるまでの年数は平均して30年という統計もあり、コデックスⅦは4世紀後半の書写とほぼ確定できる。ファクシミリ版でも1冊がカルトナージに当てられているほど重要視されている。(図5 コデックスⅦのカルトナージ)

$製本 y のブログ-コデックスⅦのカルトナージ


 表装

 表装は革である。地中海、ヨーロッパ世界を通して書物は革で覆われているのが通常の形である。
 表紙には、装飾の確認できるコデックスもある。残っているものでは、表紙側にフラップがあり、革紐で巻いて固定するようになっている。
 このフラップの形も明らかに巻物の形を継承している。日本でも同様で、最初の冊子、空海の三十帖冊子も同様の形をしている。

 解体して保存

 現物は、カイロ旧市街のコプト博物館にある。コデックスはすべて解体され、ガラスに挟んである。すでにファクシミリ版も刊行されているが、テキスト研究は充分にできても、構造は現状では確認できないのが難点である。
 写真は発見直後のものであり、痛みの激しいコデックスもある事が確認できる。フラップの形もいくつかあることもわかる。(図6 発見当時の写真)

$製本 y のブログ-発見直後


 コデックスⅥを広げた写真により、前小口の化粧裁ちをしていることがわかる。(図7発見直後、広げた写真)

$製本 y のブログ-コデックスⅥ見開き

 コプト文化

 コプトは、ギリシア語でエジプトを意味するアイギュプトスの転と言われるが、エジプトのキリスト教徒を意味する。現在もエジプトの人口の10%はコプト教徒と言われている。
 古代中世のコプト文化の意義は、三点ある。
1)ギリシア文字(表音文字)の採用
2)冊子(コプト綴じ)の採用
3)中世から現代にいたるキリスト教の修道院文化の始まり

補) 地中海世界では、紙の必要がなかったと考えられる。パピルスからパーチメントへ変わったとして、羊の皮で間に合ったという事は、書物の需要が少なかった事を意味する。家畜は夏の間に太らせて秋に屠り食用とした。余った革を書物に回したと考えると、季節的にしか生産できない。同時期の中国は文化が進んでおり、すでに紙を漉いている。
 ナグハマディコデックスとほぼ同時代に、シナイ写本、ヴァティカン写本のようなパーチメントの複数折りの大写本も作られており、冊子の発展は一様ではなかったと考えられる。

St.Cuthbert Gospel of St.John と呼ばれている書物が、ヨーロッパで最古の、当時の装幀を残している製本という事になっているのです。

今、この綴じを再現するべくいろいろ試しています。

幸いにも詳しい研究書があり、Roger Powell という製本家にして修復家が、昔この本を調べて、
何もしなかった(現状のまま留めた)という事でも有名なのです。

製本 y のブログ
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この紹介は翌年の記事と、勉強会に結実?しました。