当時進歩していた中国(唐)から西方世界に、製紙が伝わったのは、751年タラスの戦いで、ペルシャ軍が唐に勝利し、捕虜の中に紙漉き工がいたから。と言うのが定説である。

これまで、8世紀以前にも西方世界は紙を知っていたが、採用しなかった(つまり紙を漉くほど文字を書く材料を必要としていなかった)タラスの戦いで紙漉きが伝わったというのは伝説に過ぎない、と思っていた。

大筋では変わらないが、先日の、日本とフランスの手漉き紙の交流シンポジウムで増田勝彦先生が、こういう話しをされた。詳しくメモを取っていなかったので、以下の内容の責任は私にある。

中国の軍隊の中で、紙漉きが行われていた。(命令伝達や、給与の支払い、物資の調達と、軍事用にも紙が必要だったのではないか)
これは青い紙が出土していて、青衣は兵士の衣であることから、軍隊の中で兵士の衣服のボロを使って紙が漉かれていたと推定できる。

タラスの戦いにおいても、たまたま捕虜の中に紙漉工がいたのではなく、軍隊の中に紙漉き部門があった。
これを設備とともに捕虜としたから、西方世界には、衣服のボロで紙を漉く方法が伝わったのである、という、お話の一部ではあるが、このような主旨であった。

これは説得力のあるお話でした。私もなんとなく、たまたま捕虜の中に紙漉き工がいたくらいに思っていたのです。

ヨーロッパでの紙漉きがほとんど麻のボロ布を使っていたという事とうまく合致する内容でした。
(中国では、南方のベトナムの方まで行けば雁皮があったと思われる、また竹を用いて竹紙を作った)
麻のボロ布と言ってもこのシンポジウムで紹介されたフランスの手漉き紙職人のストックしている麻布は真っ白で(洗濯を重ねたものか)ボロという語感からは遠いものでした。

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この画像は、タラスと近いサマルカンドで桑の木を使って現代で観光用か、見せている紙漉きの模様。

なお、ボロを使って紙漉きをするようになった背景として、庶民の衣服がボロとなって捨てられるように(新しいものが手に入るように)なった、まあそれだけ豊かになった、それと紙を必要とする時期が合わさったからという見解もあり得る。(でないと、それまでパーチメント、いくら沢山いたとしても、羊や山羊の皮で間に合っていたことの説明がつかない)

また、この戦さ以前から東西の交流はあったはずという意見もある。