4️⃣🟥🌟【2024年7月01日 (月)】
✡️大谷派名古屋教務所議事堂
✡️【第113回尾張講習会本講】
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🔶講習は日程があわずに、受けられませんでしたが、講本を頂きましたので紹介します。
🔷ためになる内容だと思います。
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🌃【配付資料】🌃
宗教がカルト化する時 ⇒ 何が教祖を生み出すのか
瓜生 崇
1️⃣一、カルトの定義
🔷岩波書店の『キリスト教辞典』のカルトの項目では、こう指摘されている。
🔶ある集団をカルトと呼ぶ基準は、その集団の教義や儀礼が〈奇異〉に見えるかどうかであってはならない。
🔷あくまで、その集団が個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしているかどうかであるべきである。
🔶例えば、オウム真理教が「カルト」と言われるのは、教祖の仮面をかぶって踊りながら選挙活動をしたからではない。
🔷憲法に信教の自由が保証されている限りは、どんな奇異な信仰も認められなければならない。
🔶彼らがカルトと言われる理由は、その活動によって信者の財産や人生が搾取されたり、あるいは脱走しようとした信者が命を奪われたり、サリンを撒いて社会秩序を破壊しようとしたことにある。
🔷私はカルトを以下のように定義している。
🟨「カルトとは、ある特定の教義や思想、あるいは人物そのものを熱狂的に崇拝する集団であり、
🟨その組織的目的を達成するために、詐欺的な手法を用いて勧誘したり、メンバーやメンバー候補者に対して、
🟨過度な同調圧力を加えて、人格を変容させたり、精神的肉体的に隷属させたり、経済的に無理な収奪を行うなどをするものをいう。」
2️⃣二、カルトに入るのはどんな人か
🔶小説家の村上春樹氏は、オウムに入っていった人は小説を熱心に読んだ経験がなく、それで現実とフィクションの区別がつかなかったのではないかと語っている。
🔷オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューした時、僕は彼ら全員にひとつ共通の質問をした。
🟨「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」
🟨答えは、だいたい決まっていた。ノーだ。(略)
🟨ご存じのように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実の間に引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
🟨その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。
🟨しかしオウム真理教に惹かれた人々には、その大事な一線をうまくあぶりだすことができなかったようだ。(村上春樹『約束された場所で』)
🔶しかし私の実感では、彼らは平均的な人たちよりも、ずっと小説を読んでいたと感じる。
🔷カルトに入る人は、人生の何らかの大事な経験が欠如しているのではないか、という見方をする人は多いが、
🔶私自身は十数年、この問題に取り組んできて、入信者とそうでない人の間に明確な違いを見つけることはできなかった。
🔷私が感じた入信者の傾向というのは唯一つで、彼らは人間の根源的な救済や教えを求める「核」を持っているというだけだ。
🔶そういう人が自ずから求めて入っていくというのもあるし、そういう人をカルトが勧誘の中で選んで「目覚めさせる」こともある。
🔷それは表面にでている場合もあるだろう。
🔶本人すらも気づかない、内心の深いところに隠されていることもあるだろう。
🔷たとえ教団が虚偽であったとしても、そこで気付かされた人生の根本問題は虚偽とは言えないと思う。
3️⃣三、宗教にニセモノと本物の違いはあるのか
🔶実は「教団そのものがカルト」と言えるような教団はごく限られており、多くは中で、カルト的な隷属や搾取を強いられている、一定数の信者が存在している」という事実が力ルトだと言える。
🔷そうなると実は伝統宗教の一部にも、こうした現象は見られる。
カルトの問題は新宗教特有の問題だと思っている人は多い。
🔶しかし実際には聖職者が児童に対して、性的虐待をしたり、権威主義的なリーダーによる教会のカルト化という事態もある。
🔷伝統的な仏教寺院でも、相談者を脅して、除霊やお祓いに法外なお布施を要求したりする事例も生じており、こうした問題と無縁ではない。
🔶地下鉄サリン事件が起きた時は、多くの仏教者が「オウムなんて仏教ではない」と言ったが、果たして、そうだろうか。
🔷人殺しをするような宗教は仏教とは言えないと思うかも知れないが、私達も過去に幾度も殺し合いをしているし、国家の戦争に協力もしている。
🔶イニシエーションと称して麻原の精液や血、風呂の残り湯を飲む行為も、かつて浄土真宗教団において、法主の残り湯を信徒は喜んで飲んでいたことを想起させる。
🔷実はオウムに限らず、カルトのやっていることの大部分は、かつて伝統教団が、その歴史の中で経験したことだ。
🔶救済の名の元に人を殺したり、特定のグルに依存したり、神秘体験を救済の証だとして絶対視したりということは、多くの伝統宗教が幾度となく経験しているはずである。
🔷私の手元には多数のオウム・アレフ関係の資料があるが、かつてオウムは経典研究に熱心な教団の一つだっただけあり、テキストはよく練られている。
🔶カルトの教義に全くのオリジナルは少ない。多くの場合は既存の宗教にその原型があるのであって、オウムの教義体系が既存の宗教のそれと比較して、特別に逸脱しているかと言われたら、そうでもない。
🔷つまりカルトの問題とは狂った教祖が常軌を逸した教義で信者を洗脳し、集団で暴走するような単純な出来事とは言えない面がある。
4️⃣四、彼らがカルトを求めた理由
🔶オウム元死刑囚の広瀬健一は、「ポア」(人が悪業を積んで地獄に落ちる前に、殺して転生させる事)そのものは「悪業」だと教えられていたと語っている。
🔷同じく元死刑囚の新実智光は、最後まで遺族に謝罪をせず、サリン散布が救済であることを主張し続けたが、その中で「捨て石でも、捨て駒でも、地獄へ至ろうと決意したのです」と語っているところがある。
🔶サリンを撒いたのは、自分たちのステージを上げる為の身勝手な行為ではなく、地獄に堕ちる覚悟で人を救おうとやったことだった。
🔷多くの手記や証言を読むと、彼らは人間の存在の無意味さから救われたかったから、人を救いたかった。
🔶人を救うことで自らの存在に意味が与えられるからだ。私たちは、正しさをつかみたい。人生は考えれば考えるほど、何が正しいのかがわからなくなるからだ。
🔷人生は決断と後悔の連続だが、何が後悔のない選択であるのかは誰一人わからない。真っ暗な道を手探りで歩いているようなものだ。
🔶そんな時に「正しさ」をつかみたい誘惑に私たちはとらわれる。
明確で白黒ハッキリした説明に惹かれる。
🔷しかし人生で起こることはだいたい複雑に絡み合っていて、こうすれば必ずこうなる、という解決策が存在することは稀である。
🔶その時々で、必死に考えて試行錯誤しつつ、三歩進んで、二歩戻るような歩みでしか、現実は生きられない。
🔷しかし、複雑なものを複雑なままに受け入れることほど苦しいことはない。
🔶真面目な人ほど、一度しか無い人生に間違いのない真理や正義を見つけて、全力でそれに向かって進みたいという衝動を抑えることができない。
🔷カルトは多くの場合、あなたが生きているのは、このためだ、という明確な答えを与える。
🔶あなたの人生は、こういう意味があるのだ、あなたの今まで生きてきたのは、この教えに通うためだったのだ、そして、今後はここに向かって歩んだらいいのだ、と。
🔷こうした疑問に答えを与えることで、 その疑問に向き合う苦しみや迷いを消し去ってくれる。
🔶「もう迷わなくていい」のだ。
これを私は「正しさへの依存」と名付けている。
🔷しかし答えを与えられるということは、問いを放棄させられるということだ。
🔶人生の根源的な意味を求める宗教心は、皮肉なことに、教団から与えられた「正しさ」によって殺されてしまう。
5️⃣五、正しさが人を迷わせる
🔷一九七八年に南米ガイアナで集団自殺事件があった。この事件を起こした教団の名は「人民寺院」。
🔶設立者である、メソジスト教会の学生牧師ジム・ジョーンズは、アメリカ・インディアナポリスという保守的な土地で、あらゆる罵倒と嫌がらせを受けながら、人種差別からの開放を説いていた人物である。
🔷彼が既存の教会から袂を分かつことになったきっかけは、教会に黒人の信者を受け入れようとした時に、長老や古参の信者たちから激しい抵抗を受けたからだった(キルダフ他『自殺信仰』)。
🔶彼は自らの理想を実現する教団として、一九五五年に「人民寺院」を立ち上げ、貧民や弱者の支援、人種差別の撤廃を訴えたが、社会やメディアとの様々な軋轢の末に、ガイアナに教団の本拠地を移し、そこをジョーンズタウンと名付けた。
🔷そこでジョーンズは隔絶された環境の中で、多くの信者と集団生活を始めたが、やがて集団は外部から攻撃を受けていると盲信し、信者への虐待や脱会者への罵りが始まり、自殺訓練がなされるようになる。
🔶この人権蹂躙の調査を行うために派遣された下院議員は教団によって殺害され、それをきっかけにジョーンズタウンの信者たちは、 シアン化合物を混ぜたジュースを飲んで集団自決する。その数は九○九人であった。
🔷どうして、こんなことができたのか。それは「正しかったから」である。
🔶自分たちが絶対的に正しい」と言えるものだった。
🔷正しいと思っているから、従わないものを虐待したり、排除したりできるのだ。
🔶そして少なくとも最初期の人種差別からの解放といった教団の思想は、現代の私たちの価値観から見ても十分に「正しい」といえるものだった。
6️⃣六、宗教と社会性
🔶坂本弁護士一家殺害事件を始め、オウムの多くの犯罪に関わった新実智光は、逮捕後、
🟨「一殺多生、最大多数の幸福のためのやむを得ない犠牲者である」とその行為の正当性を主張し続けた。
🔷この「一殺多生」という言葉、つまり一人の人が殺されることで多くの人が救われるのなら、その殺人は肯定されるという意味の言葉だが、
🟨実は戦前の日本の伝統仏教教団が戦争協力を推進するために使っていた言葉も、この「一殺多生」であった。
🔶これらのことで明らかになるのは、宗教の真偽と社会性に直接の関係はない、ということだ。
🔷そもそも、社会性の基準も時代によって全く異なり、戦時中には国家と戦争に協力することが宗教の社会性そのものであった。
🔶オウムが地下鉄サリン事件を起こした時、少なくない仏教者が「あれは仏教ではない、本来、仏教は人殺しの宗教ではない」と言った。
🔷イスラム原理主義がテロを起こした時も、少なくない専門家が「イスラム教は本来、平和を愛する宗教であり、彼らのようなものとは違う」と言った。
🔶しかし「自分たちの信じる宗教は本来は『正しい』ものであり、教えのもとに人を殺すような事件が起きるのは、その信仰や解釈が間違っているからである」という教義の無謬性を前提とする思想は🟨「教えが正しいのだから人を殺してもいい」という信仰と実は裏表一体の関係にある。
7️⃣七、教祖が誕生する時
🔷どうして「正しさ」からカルト的な教団や教祖が誕生したのか。
🔶なかには最初から人を騙すつもりで誕生したとしか思えない教団もある。
🔷人の不幸を利用し、その不幸を前世の業や先祖の霊障といった反証不能な原因に設定し、高額な祈祷料を請求する古典的な霊感商法や、その派生によるカルト被害は今も少なくない。
🔶しかしすべてが、そうであるとは、もちろん言えない。
🟦🟥🟨
🔷まず浄土真宗親鸞会の会長、高森顕徹について述べたい。
🔶高森の生い立ちは、一九二九年に富山県氷見市の浄土真宗本願寺派の末寺に生を受け、一九四五年、十六歳の時に海軍予科練に入り、特攻隊を志願するが、終戦。
🔷その後は龍谷大学専門部に進み、十八歳の時に「信心決定」(揺るぎない救済の体験をすること)したとされる。
🔶龍大在学中から「死線を越えて」という腕章をし、滋賀や北陸を中心に布教に歩いたが、力強い説教で大勢の参詣者を集め、当初は高森を歓迎していた寺院も次第にその影響力を恐れるようになり、ついには排斥されるようになる。
🔷そうした中、高森は一九五二年、彼を中心とした聞信徒団体「徹信会」を結成。これが後の親鸞会となる。
🔶一九七〇年に、高森は本願寺派の僧籍を離脱し、著書などで本願寺派の批判を繰り返している。
🔷八〇年代には、北陸では、それなりに知られた教団になっており、毎週の高森の法話会には数千人の参詣者が集っていた。
🔶私は富山県や滋賀県など、高森が若い頃に布教に回った寺に行って、高森を説教に迎い入れた僧侶に当時のことを聞いて回ったことがある。
🔷高森は本願寺派の寺院にとっては目の敵とも言える存在であり、おそらく相当、批判的な反応が返ってくるだろうと思っていた。
🔶しかし意外なことに、高森を迎えたことのある僧侶は概ね好意的な反応であった。
🔷なかには高森に本願寺派をやめさせたのは失敗であり、あのくらいの跳ねかえりなら、何らかの役職を与えて教団に取り込むべきだった、という僧侶もいた。
🔶高森が法話する時に、本堂に入りきれないほどの参詣者があったことや、熱心に参詣者と御示談(信仰を語り合うこと)をしていた姿や、寺の周囲を回って法座に誘っていた姿を語る僧侶もいた。
🔷なぜ高森は新しい教団を立ち上げ、そこで絶対権威者になったのだろうか。
🔶元は山口県の本願寺派の末寺の僧侶で、宗派を離脱して鎌倉に月心寺という道場を開き、瞑想指導をしていた小池龍之介氏は、
🟨「早ければ一年強、または七年未満には、解脱するでしょう」といって、二〇一八年に瞑想の旅に出たが、一年も経たずに解脱を断念して帰還している。
🔷小池は、
🟨「修行者が陥りがちな魔境の状態になり、もうすぐ解脱出来るという妄想に支配されていた」と語っている。
🔶彼は瞑想によって様々な救済のビジョンを見て、
🟨「解脱して、みんなを救いに帰ってくる予定だった」という。
🔷オウムの麻原についても、多くの信者の信仰相談に真剣に答え、解脱を目指して修行をしていた姿を伝える元信者の証言は多い。
🟨夜中を過ぎても、智津夫(注・麻原)は床に就くことはなかった。
🟨ほかの会員たちは疲れ果てて、八時か九時には眠りについているのに、
🟨智津夫は、セミナーに来た人びとから悩みごとの相談を受けていた。
🟨癌に苦しんでいる人、会社の経営がうまくいっていない人、不良息子のことで悩みつづけている親などの話を親身に聞いてやり、
🟨そのために智津夫の睡眠時間は、集中セミナーを開催した一週間のうち、平均して、わずか二時間ほどしかなかった。 (高山文彦『麻原彰晃の誕生』)
🔷高山は、肉親にも憎悪され、二度の逮捕という躓きを経た麻原にとって、こうした修行と献身的な指導により、自他ともに満たされる体験は、彼の生い立ちやコンプレックスを乗り越えるものではなかったかと指摘する。
🔶オウム末期に行われたヘッドギアや、合成麻薬を使ったイニシエーショ ンについても、なかなか神秘体験のできない信者に対して
🟨「絶対に神秘体験をさせてあげなければならない」という
🟨「最後の最後の指示」として行われた、という元幹部の見解もある。(富田隆『オウム真理教元幹部の手記』)
🔷指導者をそうさせるのは、それに従う信者が指導者を「特別な存在」「霊的な存在」であることを期待し、救済を求めるからだ。
🔶そして指導者は、その期待に自分の存在価値を見出し、全力で応えることを宗教的使命とするようになる。
🔷そうなると指導者の生い立ちや生き様について、大げさな伝説が作られるようになり、権威化が行われる。
🔶なぜなら信者の救済を預かる存在が、平凡なものであったら困るからである。
8️⃣八、二世問題がどこから生まれるか
🔷二〇二一年の安倍元首相銃撃事件をきっかけに、二世問題がクローズアップされるようになった。
🔶その問題の内容は体罰や教団活動の強要、進学や男女交際の制限などの明らかな人権侵害が表に出がちだが、伝統教団の継承圧力による苦しみも含まれる。
🔷ローマ・カトリック教会の枢機卿である前田万葉は、五島列島の熱心なカトリックの家に生まれた。
🔶歯科家の近くに教会があり、小学生の頃には雨が降ろうが、雪が降ろうが、毎朝五時過ぎにたたき起こされ、六時からのミサに行くのが日課でした。
🔷これが嫌で「なぜ自分たちだけがミサに行かないといけないのか」「神様っているのか」と、子ども心に不満や疑問を抱いたこともありました。
🔶仮病を使って寝たり、道草を食って遅れて行ったりしたこともありました。と語っているが、
🟨「最近問題になっている虐待や人権侵害というような深刻なものではありません」といい、幼児洗礼についても、
🟨「私は授かって幸せだった」という。(二〇二三 毎日新聞)
🔷しかし、小学生を五時に叩き起こして無理やり、ミサに連れて行くのは、彼がカトリックの信仰を受け入れたからこそ、ポジティブに捉えられているが、普通に考えれば、虐待以外の何物でもない。
🔶宗教は人間を解放することもあれば、苦しめ束縛することもある。この単純な事実は教団の中にいると気づきにくい。
🔷なぜなら、宗教に苦しめられた人の多くは教団を去ってしまい、同じ信仰を共有する人たちだけが残るからだ。
🔶宗教コミュニティの暖かさは、こうした排除のシステムと表裏一体で存在している。
🔷つまり信仰を喜ぶ人は、こうした「生存者バイアス」によって、同じく信仰の苦しみを抱える人が見えにくくなってしまい、
🟨「この信仰を継承するのは間違いなく良いことなのだ」という
🟨「正しさ」を子どもにも押し付けることになる。
9️⃣九、大谷派の二世問題
🔶私は僧侶としての修練の場で、泣きながら
🟨「寺を継ぐのは嫌だったけど、親や周りからの期待を受けて悩み続け、ついに継ぐと決めた」などと泣く泣く語る人を何人も見た。
🔷一人の人間から宗教選択の自由を奪っているこの行為が、なぜか美談のように語られる。
🔶この苦しみを乗り越えた人は評価されるが、越えられず寺を去っていった人たちに目が向けられることは滅多にない。
🔷現在大谷派では、ゼロ歳児を含む未就学児への帰敬式の推進が企画されている。
🟨「自分たちの宗教を親から子へ受け継いでいくことは正しく、素晴らしいことだ」という一種のドグマに囚われているように感じる。
🔶宗教の選択ができない人間に教団への帰依を誓わせるのは、
🟨「自分たちの信仰で苦しむ人なんかいるはずがない」と思っているのかもしれないが、ある意味で無邪気で傲慢であり、私が見てきたカルトの二世問題に繋がるものを感じてしまう。
🔷伝道とは、自分たちの宗教を求め、道を同じくする人を広く地道に探していく行為だと思う。
🔶教団の存続のために、親子関係という権威勾配を使って、子どもに宗教を押し付けていないか、私達も考える必要があるのではないか。
🔟十、カルトを超克する道
🔷一般的に宗教は、救われる人間と救われない人間を分別する。
🔶救済と非救済の間に明確な線を引けば引くほど、
🟨信者は「救われる側」に入ろうと熱心に信仰し、救済のために布教に邁進し、宗教は強い力を手に入れる。
🔷しかし、それは同時に分断を生み、戦争や差別、カルト問題や二世間題の原因ともなっていく。
🔶逆に救済と非救済の分別が弱まると、宗教は習俗化して信仰の力は弱まっていく。
🔷仏教の大乗運動においても、常に「あらゆるものが救われる道」を目指そうとしつつ、非大乗的な存在を「救われざるもの」としなければならなかった。
🔶救済を規定することは非救済を生み出すことに他ならない。
🔷浄土教はこれを超克するために、
🟨「必ず救うというはたらき」と
🟨「絶対に救われざる私」という2つの矛盾した関係を、未解決のまま、並列に存在させることで、これを超克しようとしたと言えるのではないか。
【終了】
✡️大谷派名古屋教務所議事堂
✡️【第113回尾張講習会本講】
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🔶講習は日程があわずに、受けられませんでしたが、講本を頂きましたので紹介します。
🔷ためになる内容だと思います。
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🌃【配付資料】🌃
宗教がカルト化する時 ⇒ 何が教祖を生み出すのか
瓜生 崇
1️⃣一、カルトの定義
🔷岩波書店の『キリスト教辞典』のカルトの項目では、こう指摘されている。
🔶ある集団をカルトと呼ぶ基準は、その集団の教義や儀礼が〈奇異〉に見えるかどうかであってはならない。
🔷あくまで、その集団が個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしているかどうかであるべきである。
🔶例えば、オウム真理教が「カルト」と言われるのは、教祖の仮面をかぶって踊りながら選挙活動をしたからではない。
🔷憲法に信教の自由が保証されている限りは、どんな奇異な信仰も認められなければならない。
🔶彼らがカルトと言われる理由は、その活動によって信者の財産や人生が搾取されたり、あるいは脱走しようとした信者が命を奪われたり、サリンを撒いて社会秩序を破壊しようとしたことにある。
🔷私はカルトを以下のように定義している。
🟨「カルトとは、ある特定の教義や思想、あるいは人物そのものを熱狂的に崇拝する集団であり、
🟨その組織的目的を達成するために、詐欺的な手法を用いて勧誘したり、メンバーやメンバー候補者に対して、
🟨過度な同調圧力を加えて、人格を変容させたり、精神的肉体的に隷属させたり、経済的に無理な収奪を行うなどをするものをいう。」
2️⃣二、カルトに入るのはどんな人か
🔶小説家の村上春樹氏は、オウムに入っていった人は小説を熱心に読んだ経験がなく、それで現実とフィクションの区別がつかなかったのではないかと語っている。
🔷オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューした時、僕は彼ら全員にひとつ共通の質問をした。
🟨「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」
🟨答えは、だいたい決まっていた。ノーだ。(略)
🟨ご存じのように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実の間に引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
🟨その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語だ」と判断することができる。
🟨しかしオウム真理教に惹かれた人々には、その大事な一線をうまくあぶりだすことができなかったようだ。(村上春樹『約束された場所で』)
🔶しかし私の実感では、彼らは平均的な人たちよりも、ずっと小説を読んでいたと感じる。
🔷カルトに入る人は、人生の何らかの大事な経験が欠如しているのではないか、という見方をする人は多いが、
🔶私自身は十数年、この問題に取り組んできて、入信者とそうでない人の間に明確な違いを見つけることはできなかった。
🔷私が感じた入信者の傾向というのは唯一つで、彼らは人間の根源的な救済や教えを求める「核」を持っているというだけだ。
🔶そういう人が自ずから求めて入っていくというのもあるし、そういう人をカルトが勧誘の中で選んで「目覚めさせる」こともある。
🔷それは表面にでている場合もあるだろう。
🔶本人すらも気づかない、内心の深いところに隠されていることもあるだろう。
🔷たとえ教団が虚偽であったとしても、そこで気付かされた人生の根本問題は虚偽とは言えないと思う。
3️⃣三、宗教にニセモノと本物の違いはあるのか
🔶実は「教団そのものがカルト」と言えるような教団はごく限られており、多くは中で、カルト的な隷属や搾取を強いられている、一定数の信者が存在している」という事実が力ルトだと言える。
🔷そうなると実は伝統宗教の一部にも、こうした現象は見られる。
カルトの問題は新宗教特有の問題だと思っている人は多い。
🔶しかし実際には聖職者が児童に対して、性的虐待をしたり、権威主義的なリーダーによる教会のカルト化という事態もある。
🔷伝統的な仏教寺院でも、相談者を脅して、除霊やお祓いに法外なお布施を要求したりする事例も生じており、こうした問題と無縁ではない。
🔶地下鉄サリン事件が起きた時は、多くの仏教者が「オウムなんて仏教ではない」と言ったが、果たして、そうだろうか。
🔷人殺しをするような宗教は仏教とは言えないと思うかも知れないが、私達も過去に幾度も殺し合いをしているし、国家の戦争に協力もしている。
🔶イニシエーションと称して麻原の精液や血、風呂の残り湯を飲む行為も、かつて浄土真宗教団において、法主の残り湯を信徒は喜んで飲んでいたことを想起させる。
🔷実はオウムに限らず、カルトのやっていることの大部分は、かつて伝統教団が、その歴史の中で経験したことだ。
🔶救済の名の元に人を殺したり、特定のグルに依存したり、神秘体験を救済の証だとして絶対視したりということは、多くの伝統宗教が幾度となく経験しているはずである。
🔷私の手元には多数のオウム・アレフ関係の資料があるが、かつてオウムは経典研究に熱心な教団の一つだっただけあり、テキストはよく練られている。
🔶カルトの教義に全くのオリジナルは少ない。多くの場合は既存の宗教にその原型があるのであって、オウムの教義体系が既存の宗教のそれと比較して、特別に逸脱しているかと言われたら、そうでもない。
🔷つまりカルトの問題とは狂った教祖が常軌を逸した教義で信者を洗脳し、集団で暴走するような単純な出来事とは言えない面がある。
4️⃣四、彼らがカルトを求めた理由
🔶オウム元死刑囚の広瀬健一は、「ポア」(人が悪業を積んで地獄に落ちる前に、殺して転生させる事)そのものは「悪業」だと教えられていたと語っている。
🔷同じく元死刑囚の新実智光は、最後まで遺族に謝罪をせず、サリン散布が救済であることを主張し続けたが、その中で「捨て石でも、捨て駒でも、地獄へ至ろうと決意したのです」と語っているところがある。
🔶サリンを撒いたのは、自分たちのステージを上げる為の身勝手な行為ではなく、地獄に堕ちる覚悟で人を救おうとやったことだった。
🔷多くの手記や証言を読むと、彼らは人間の存在の無意味さから救われたかったから、人を救いたかった。
🔶人を救うことで自らの存在に意味が与えられるからだ。私たちは、正しさをつかみたい。人生は考えれば考えるほど、何が正しいのかがわからなくなるからだ。
🔷人生は決断と後悔の連続だが、何が後悔のない選択であるのかは誰一人わからない。真っ暗な道を手探りで歩いているようなものだ。
🔶そんな時に「正しさ」をつかみたい誘惑に私たちはとらわれる。
明確で白黒ハッキリした説明に惹かれる。
🔷しかし人生で起こることはだいたい複雑に絡み合っていて、こうすれば必ずこうなる、という解決策が存在することは稀である。
🔶その時々で、必死に考えて試行錯誤しつつ、三歩進んで、二歩戻るような歩みでしか、現実は生きられない。
🔷しかし、複雑なものを複雑なままに受け入れることほど苦しいことはない。
🔶真面目な人ほど、一度しか無い人生に間違いのない真理や正義を見つけて、全力でそれに向かって進みたいという衝動を抑えることができない。
🔷カルトは多くの場合、あなたが生きているのは、このためだ、という明確な答えを与える。
🔶あなたの人生は、こういう意味があるのだ、あなたの今まで生きてきたのは、この教えに通うためだったのだ、そして、今後はここに向かって歩んだらいいのだ、と。
🔷こうした疑問に答えを与えることで、 その疑問に向き合う苦しみや迷いを消し去ってくれる。
🔶「もう迷わなくていい」のだ。
これを私は「正しさへの依存」と名付けている。
🔷しかし答えを与えられるということは、問いを放棄させられるということだ。
🔶人生の根源的な意味を求める宗教心は、皮肉なことに、教団から与えられた「正しさ」によって殺されてしまう。
5️⃣五、正しさが人を迷わせる
🔷一九七八年に南米ガイアナで集団自殺事件があった。この事件を起こした教団の名は「人民寺院」。
🔶設立者である、メソジスト教会の学生牧師ジム・ジョーンズは、アメリカ・インディアナポリスという保守的な土地で、あらゆる罵倒と嫌がらせを受けながら、人種差別からの開放を説いていた人物である。
🔷彼が既存の教会から袂を分かつことになったきっかけは、教会に黒人の信者を受け入れようとした時に、長老や古参の信者たちから激しい抵抗を受けたからだった(キルダフ他『自殺信仰』)。
🔶彼は自らの理想を実現する教団として、一九五五年に「人民寺院」を立ち上げ、貧民や弱者の支援、人種差別の撤廃を訴えたが、社会やメディアとの様々な軋轢の末に、ガイアナに教団の本拠地を移し、そこをジョーンズタウンと名付けた。
🔷そこでジョーンズは隔絶された環境の中で、多くの信者と集団生活を始めたが、やがて集団は外部から攻撃を受けていると盲信し、信者への虐待や脱会者への罵りが始まり、自殺訓練がなされるようになる。
🔶この人権蹂躙の調査を行うために派遣された下院議員は教団によって殺害され、それをきっかけにジョーンズタウンの信者たちは、 シアン化合物を混ぜたジュースを飲んで集団自決する。その数は九○九人であった。
🔷どうして、こんなことができたのか。それは「正しかったから」である。
🔶自分たちが絶対的に正しい」と言えるものだった。
🔷正しいと思っているから、従わないものを虐待したり、排除したりできるのだ。
🔶そして少なくとも最初期の人種差別からの解放といった教団の思想は、現代の私たちの価値観から見ても十分に「正しい」といえるものだった。
6️⃣六、宗教と社会性
🔶坂本弁護士一家殺害事件を始め、オウムの多くの犯罪に関わった新実智光は、逮捕後、
🟨「一殺多生、最大多数の幸福のためのやむを得ない犠牲者である」とその行為の正当性を主張し続けた。
🔷この「一殺多生」という言葉、つまり一人の人が殺されることで多くの人が救われるのなら、その殺人は肯定されるという意味の言葉だが、
🟨実は戦前の日本の伝統仏教教団が戦争協力を推進するために使っていた言葉も、この「一殺多生」であった。
🔶これらのことで明らかになるのは、宗教の真偽と社会性に直接の関係はない、ということだ。
🔷そもそも、社会性の基準も時代によって全く異なり、戦時中には国家と戦争に協力することが宗教の社会性そのものであった。
🔶オウムが地下鉄サリン事件を起こした時、少なくない仏教者が「あれは仏教ではない、本来、仏教は人殺しの宗教ではない」と言った。
🔷イスラム原理主義がテロを起こした時も、少なくない専門家が「イスラム教は本来、平和を愛する宗教であり、彼らのようなものとは違う」と言った。
🔶しかし「自分たちの信じる宗教は本来は『正しい』ものであり、教えのもとに人を殺すような事件が起きるのは、その信仰や解釈が間違っているからである」という教義の無謬性を前提とする思想は🟨「教えが正しいのだから人を殺してもいい」という信仰と実は裏表一体の関係にある。
7️⃣七、教祖が誕生する時
🔷どうして「正しさ」からカルト的な教団や教祖が誕生したのか。
🔶なかには最初から人を騙すつもりで誕生したとしか思えない教団もある。
🔷人の不幸を利用し、その不幸を前世の業や先祖の霊障といった反証不能な原因に設定し、高額な祈祷料を請求する古典的な霊感商法や、その派生によるカルト被害は今も少なくない。
🔶しかしすべてが、そうであるとは、もちろん言えない。
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🔷まず浄土真宗親鸞会の会長、高森顕徹について述べたい。
🔶高森の生い立ちは、一九二九年に富山県氷見市の浄土真宗本願寺派の末寺に生を受け、一九四五年、十六歳の時に海軍予科練に入り、特攻隊を志願するが、終戦。
🔷その後は龍谷大学専門部に進み、十八歳の時に「信心決定」(揺るぎない救済の体験をすること)したとされる。
🔶龍大在学中から「死線を越えて」という腕章をし、滋賀や北陸を中心に布教に歩いたが、力強い説教で大勢の参詣者を集め、当初は高森を歓迎していた寺院も次第にその影響力を恐れるようになり、ついには排斥されるようになる。
🔷そうした中、高森は一九五二年、彼を中心とした聞信徒団体「徹信会」を結成。これが後の親鸞会となる。
🔶一九七〇年に、高森は本願寺派の僧籍を離脱し、著書などで本願寺派の批判を繰り返している。
🔷八〇年代には、北陸では、それなりに知られた教団になっており、毎週の高森の法話会には数千人の参詣者が集っていた。
🔶私は富山県や滋賀県など、高森が若い頃に布教に回った寺に行って、高森を説教に迎い入れた僧侶に当時のことを聞いて回ったことがある。
🔷高森は本願寺派の寺院にとっては目の敵とも言える存在であり、おそらく相当、批判的な反応が返ってくるだろうと思っていた。
🔶しかし意外なことに、高森を迎えたことのある僧侶は概ね好意的な反応であった。
🔷なかには高森に本願寺派をやめさせたのは失敗であり、あのくらいの跳ねかえりなら、何らかの役職を与えて教団に取り込むべきだった、という僧侶もいた。
🔶高森が法話する時に、本堂に入りきれないほどの参詣者があったことや、熱心に参詣者と御示談(信仰を語り合うこと)をしていた姿や、寺の周囲を回って法座に誘っていた姿を語る僧侶もいた。
🔷なぜ高森は新しい教団を立ち上げ、そこで絶対権威者になったのだろうか。
🔶元は山口県の本願寺派の末寺の僧侶で、宗派を離脱して鎌倉に月心寺という道場を開き、瞑想指導をしていた小池龍之介氏は、
🟨「早ければ一年強、または七年未満には、解脱するでしょう」といって、二〇一八年に瞑想の旅に出たが、一年も経たずに解脱を断念して帰還している。
🔷小池は、
🟨「修行者が陥りがちな魔境の状態になり、もうすぐ解脱出来るという妄想に支配されていた」と語っている。
🔶彼は瞑想によって様々な救済のビジョンを見て、
🟨「解脱して、みんなを救いに帰ってくる予定だった」という。
🔷オウムの麻原についても、多くの信者の信仰相談に真剣に答え、解脱を目指して修行をしていた姿を伝える元信者の証言は多い。
🟨夜中を過ぎても、智津夫(注・麻原)は床に就くことはなかった。
🟨ほかの会員たちは疲れ果てて、八時か九時には眠りについているのに、
🟨智津夫は、セミナーに来た人びとから悩みごとの相談を受けていた。
🟨癌に苦しんでいる人、会社の経営がうまくいっていない人、不良息子のことで悩みつづけている親などの話を親身に聞いてやり、
🟨そのために智津夫の睡眠時間は、集中セミナーを開催した一週間のうち、平均して、わずか二時間ほどしかなかった。 (高山文彦『麻原彰晃の誕生』)
🔷高山は、肉親にも憎悪され、二度の逮捕という躓きを経た麻原にとって、こうした修行と献身的な指導により、自他ともに満たされる体験は、彼の生い立ちやコンプレックスを乗り越えるものではなかったかと指摘する。
🔶オウム末期に行われたヘッドギアや、合成麻薬を使ったイニシエーショ ンについても、なかなか神秘体験のできない信者に対して
🟨「絶対に神秘体験をさせてあげなければならない」という
🟨「最後の最後の指示」として行われた、という元幹部の見解もある。(富田隆『オウム真理教元幹部の手記』)
🔷指導者をそうさせるのは、それに従う信者が指導者を「特別な存在」「霊的な存在」であることを期待し、救済を求めるからだ。
🔶そして指導者は、その期待に自分の存在価値を見出し、全力で応えることを宗教的使命とするようになる。
🔷そうなると指導者の生い立ちや生き様について、大げさな伝説が作られるようになり、権威化が行われる。
🔶なぜなら信者の救済を預かる存在が、平凡なものであったら困るからである。
8️⃣八、二世問題がどこから生まれるか
🔷二〇二一年の安倍元首相銃撃事件をきっかけに、二世問題がクローズアップされるようになった。
🔶その問題の内容は体罰や教団活動の強要、進学や男女交際の制限などの明らかな人権侵害が表に出がちだが、伝統教団の継承圧力による苦しみも含まれる。
🔷ローマ・カトリック教会の枢機卿である前田万葉は、五島列島の熱心なカトリックの家に生まれた。
🔶歯科家の近くに教会があり、小学生の頃には雨が降ろうが、雪が降ろうが、毎朝五時過ぎにたたき起こされ、六時からのミサに行くのが日課でした。
🔷これが嫌で「なぜ自分たちだけがミサに行かないといけないのか」「神様っているのか」と、子ども心に不満や疑問を抱いたこともありました。
🔶仮病を使って寝たり、道草を食って遅れて行ったりしたこともありました。と語っているが、
🟨「最近問題になっている虐待や人権侵害というような深刻なものではありません」といい、幼児洗礼についても、
🟨「私は授かって幸せだった」という。(二〇二三 毎日新聞)
🔷しかし、小学生を五時に叩き起こして無理やり、ミサに連れて行くのは、彼がカトリックの信仰を受け入れたからこそ、ポジティブに捉えられているが、普通に考えれば、虐待以外の何物でもない。
🔶宗教は人間を解放することもあれば、苦しめ束縛することもある。この単純な事実は教団の中にいると気づきにくい。
🔷なぜなら、宗教に苦しめられた人の多くは教団を去ってしまい、同じ信仰を共有する人たちだけが残るからだ。
🔶宗教コミュニティの暖かさは、こうした排除のシステムと表裏一体で存在している。
🔷つまり信仰を喜ぶ人は、こうした「生存者バイアス」によって、同じく信仰の苦しみを抱える人が見えにくくなってしまい、
🟨「この信仰を継承するのは間違いなく良いことなのだ」という
🟨「正しさ」を子どもにも押し付けることになる。
9️⃣九、大谷派の二世問題
🔶私は僧侶としての修練の場で、泣きながら
🟨「寺を継ぐのは嫌だったけど、親や周りからの期待を受けて悩み続け、ついに継ぐと決めた」などと泣く泣く語る人を何人も見た。
🔷一人の人間から宗教選択の自由を奪っているこの行為が、なぜか美談のように語られる。
🔶この苦しみを乗り越えた人は評価されるが、越えられず寺を去っていった人たちに目が向けられることは滅多にない。
🔷現在大谷派では、ゼロ歳児を含む未就学児への帰敬式の推進が企画されている。
🟨「自分たちの宗教を親から子へ受け継いでいくことは正しく、素晴らしいことだ」という一種のドグマに囚われているように感じる。
🔶宗教の選択ができない人間に教団への帰依を誓わせるのは、
🟨「自分たちの信仰で苦しむ人なんかいるはずがない」と思っているのかもしれないが、ある意味で無邪気で傲慢であり、私が見てきたカルトの二世問題に繋がるものを感じてしまう。
🔷伝道とは、自分たちの宗教を求め、道を同じくする人を広く地道に探していく行為だと思う。
🔶教団の存続のために、親子関係という権威勾配を使って、子どもに宗教を押し付けていないか、私達も考える必要があるのではないか。
🔟十、カルトを超克する道
🔷一般的に宗教は、救われる人間と救われない人間を分別する。
🔶救済と非救済の間に明確な線を引けば引くほど、
🟨信者は「救われる側」に入ろうと熱心に信仰し、救済のために布教に邁進し、宗教は強い力を手に入れる。
🔷しかし、それは同時に分断を生み、戦争や差別、カルト問題や二世間題の原因ともなっていく。
🔶逆に救済と非救済の分別が弱まると、宗教は習俗化して信仰の力は弱まっていく。
🔷仏教の大乗運動においても、常に「あらゆるものが救われる道」を目指そうとしつつ、非大乗的な存在を「救われざるもの」としなければならなかった。
🔶救済を規定することは非救済を生み出すことに他ならない。
🔷浄土教はこれを超克するために、
🟨「必ず救うというはたらき」と
🟨「絶対に救われざる私」という2つの矛盾した関係を、未解決のまま、並列に存在させることで、これを超克しようとしたと言えるのではないか。
【終了】