2014年10月の3連休を利用して帰国。今回の目的は草津旅行です。
群馬の世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」は4つ。最後は「田島弥平旧宅」に行きました。
と言っても着いたのは日が暮れてから。外観だけ見ました。
最寄り駅はJR伊勢崎駅もしくは本庄駅だが、いずれからもタクシー等で20分ほどかかります。
母屋は総二階建てで間口は約25m、奥行きは約9m、その屋根には「総ヤグラ」と呼ばれる形式の風通し口が設けられている。
養蚕の手法には、原則として火気を用いず、仮に用いる場合にも通気に配慮すべきことが勧められていた。
世界遺産のポイントは「清涼育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、養蚕農家の様式にも影響を与えた人物の住宅であった事。
暗すぎたのでwikiから写真を拝借。夜になっていたので中には入れなかったけど外からでも良かったです。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、2003年以降、富岡製糸場を世界遺産に推す動きから始まったが、群馬県内の様々な養蚕業・製糸業の関連遺産、さらにそれらの流通を支えた鉄道などからも推薦候補が選定された。既存の世界遺産には産業遺産も多く含まれるが、絹産業を価値の中心にすえた物件は存在せず、絹産業の技術交流や技術革新になした貢献は、世界遺産としての顕著な普遍的価値を備えているという判断からの推薦であり、2013年1月に世界遺産センターに正式な推薦書が受理され、2014年4月に「登録」を勧告、6月正式登録された。
歴史的には「田島弥平旧宅」は、伊勢崎市に残る古民家である。田島弥平は『養蚕新論』(1872年)、『続養蚕新論』(1879年)を刊行した島村の養蚕業者であり、「清涼育」を開発した人物である。彼の育成法は明治初期には高く評価されており、当時、島村の養蚕業者が「宮中養蚕奉仕」を命じられたときには、弥平がその指図役を務めたこともある。
蚕業に関する会社としては日本初となった島村勧業会社のその副長(副社長)に就任していた。1879年から1883年まで4度試みられたイタリア直売は赤字続きで、目立った成果を挙げるには至らなかったが、こうした外国との交流は島村にキリスト教や自由民権思想を広めることに貢献した。1869年にイタリア駐日全権公使ラ・トゥール、駐日イギリス公使館書記官アダムズらが相次いで蚕種や生糸の高騰を受けて産地の巡視を行なった際にも、高い評価を受けている。
◇世界遺産の情報
登録名:富岡製糸場と絹産業遺産群
登録区分:文化遺産 登録基準:②④
登録国:日本 登録年:2014年
地図:田島弥平旧宅
URL:HP ※富岡製糸場と絹産業遺産群
URL:HP ※田島弥平旧宅