政府の自殺対策の誤りは、その統計から顕れています。

自殺者数の集計方法と分類に、不備があるのです。

 

集計方法の誤りは、

自殺者を「発見場所」の都道府県ごとに集計していることです。

自殺者は自殺の動機とは関係なく、自殺する場所を選びます。

たとえば、東尋坊(福井県)とか、青木ヶ原(山梨県)などです。

動機とは関係ないので、これらの場所で対策を取るとすれば、

「(その場所で)死なせないようにする」だけになります。

 

私は5年前に自殺しようと思って東尋坊に行きました。

結局「死ぬ気力すらない」ということに気づいて、現地の警察のお世話になったのですが、開口一番に言われたことは、

 

なんで東尋坊なんだ。ほかにも三段壁(和歌山)とかあるだろう

 

ということです。

つまりは「ここでは死ぬな。ほかならいい」ということです。

そんなことを言われたら絶望しかありません。

 

東尋坊には心に響く文集・編集局というNPO法人があり、

自殺企図者の保護を行ったりしています。

その事務局長である茂幸雄さんが、活動を始めたきっかけが、

http://toujinbou4194.com/do.html

に書いてあります。

茂さんが警察署副署長として、せっかく金沢市と連絡をとって、福祉(生活保護)の手に渡そうとしたのに、実際は、隣の市に行けと言われ、その連続で、とうとう長岡で自殺してしまったのです。

 

茂さんは、警察官としてできるだけのことをしましたが、私が出会った警察官のように、「ここでは死ぬな」というだけという場合が多いのは、その方が長岡まで来たいきさつを読んでいただければわかります。

各地の福祉課も「うちの保護(予算)を使わせない」という対応だったのです。現在は、生活保護予算は減額が続いています。したがって、おなじことは起こりえます。

 

「ここでは死なせない」「ここの福祉予算は使わせない」

という対応がなくならないかぎりは、同じことが起きます。

そういう対応が起きる原因は、集計の方法にあります。

自殺者数、生活保護者数ともに、地域別の発表をして、人口あたりの割合なども発表しているので、対策もその部分に集中してしまうのです。

これでは本当の対策になりません。

 

自殺対策の難しさは、

対策を考える人が「自殺したいと思ったことがない」ということも、

大いに関係していると思います。

 

さて、お子さんでもいい、生徒さんでもいい、友人でもいい、

とにかく、周囲の人に「死にたい」と相談されたら、

どう答えるでしょう?

一般的な答えと、それが自殺を予防する言葉ではないことを、

列挙していきます。

それぞれの応答に対するコメントは、

「死にたい」と言った人の心の中の声です。

 

(1)馬鹿なことを考えるな 
   ・・・どうせ馬鹿だもん 
(2)早まったことをするな 
   ・・・遅いくらいだと思う 
(3)生きていればいいことがある 
   ・・・そう思えるくらいなら死のうとは思いません 
(4)本当に死にたい奴はそんなことを言わない 
   ・・・俺を受け入れてくれる人は居ないんだ

(5)もっと図太くなろうよ 
   ・・・なれたら苦労しません 
(6)そんなことしたら迷惑かけるよ 
   ・・・今まで迷惑掛けられてきたんだし、最後ぐらい許してよ 

それに対して新潟青陵大学の碓井真史氏が書いているのは、

次の言葉です 

「あなたが死んだら私は悲しい」 

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/jisatu/2003/soudan1.html 

これは上に書いた6つの応答よりもいいものです。

ある程度、思いとどまらせる力があります。
でも、ただ「悲しい」と言われても、

その人にも生活がありますから、 
自分を守って貰える人ではありません。 
自分が損しても守ってあげるという人は少ないでしょう。

昨年連載が終了した、漫画「総務部総務課 山口六平太」には、 
就職の面接中に、面接室の窓の向こうに、

自殺しようとしている友人を見つけ、 
面接の途中で面接室を飛び出していくというシーンがあります。 
(第1集第7話「面接試験」)

自分の就職を棒に振るかもしれない選択をしたのですが、 
そういう選択をするひとがどれだけいるでしょう。 

 

「悲しい」と言って、言いっ放しだとしたら、

死にたくなった人は、余計に孤独感を味わいます。

 

いじめられている友人に「自分は味方だ」と伝えたとしても、

その人間がいじめっ子に対して何もできないのでは、

言葉が上滑りになります。

 

そのあたりも、自殺対策の難しさを表しています。

いじめ対策に関しては、いじめ予防対策推進法が制定されました。

この法律の規定通りに運用されていないという部分も報道されている通りですが、それ以前に、この法律の規定自体が、いじめ対策として不備があることを、いじめられっ子だった私は感じます。

 

個別のいじめ事案に対して、

(1)いじめの事実確認

(2)いじめを受けた児童生徒又はその保護者に対する支援

(3)いじめを行った児童生徒に対する指導又はその保護者に対する助言

をすることになっています。

 

けれども、一番重要なのは「第三者」(傍観者)への指導です。

傍観者がいなくなれば、いじめはなくなります。

そもそもイジメというのは、

(1)少数のいじめっ子

(2)少数のいじめられっ子

(3)多数の傍観者

によって成り立っています。

傍観者はイジメをやめさせようとすると、

今度は自分がイジメられると感じて、黙っています。

でも、一人ではなく、イジメをやめさせるために、

多数の第三者が団結して傍観者であることをやめれば、

いじめっ子が少数であるため、いじめができなくなります。

 

ところが、政府はこの部分には手をつけません。

私は財界との繋がり(献金など)が大切なためだと考えています。

「勇気を出して、団結してイジメをやめさせよう」

ということが広がると、

大人の世界でのイジメ(サービス残業など)にも波及します。

諦めて傍観者でいてくれたほうが、都合が良いのです。

 

9月1日は児童・生徒の自殺が多くなる日です。

最近では夏休みを短縮する学校も出てきていますので、

明日(日付が変わって今日ですが)始業式という学校もあります。

 

虐められて自殺する人がいなくなるように、

本当の対策をとることが必要だと感じます。

 

同じようなことをmixiに以前書きましたので、

リンクを張っておきます。

ブラック企業問題の問題点