先日、チャットで話をした相手の女性から
「堅い話をしていたのに、和やかな雰囲気で笑いあり真面目あり」
という感想をいただきました。
聞き上手な方で、私が色々しゃべらされました(^^;)
そのときに話していた内容は「死」について、
特に「自死」についてです。
そんな話題なのに「笑い」もあるというのは、
不思議だったようです。・・・・あたりまえか(笑)
私にとっては「死」はいつも隣にあるモノで、
幼児期は大病を患って、死ぬかもしれないと言われ、
児童期はいじめに遭って、死のうと思っています。
中学で開き直って、「圧力(いじめ)に屈しない」
つまり、いじめを受けても、使いっ走りなどにはならない・・・・
という立場になるまでは、「いつ死ぬか」をいつも考えていました。
開き直ってからは、
「まぁ、ダメだと思ったら死ねば良いんだから、思いっきりやろう」
と思ったので、死ぬことはとりあえず考えないようになります。
開き直ったのは親鸞の思想と出会ったからで、
「来世では仏になれるんだから、思いっきり生きよう」
という発想をしたのです。
(下の写真は、直江津にある、念仏発祥の地の碑です)
そんな私にとって「死」というのは、
“この世”(=穢土)から、“あの世”(=浄土)への引っ越し、
または
“講師”から、“衆生済度”への転職
というだけの話です。
ですから、自死も「引っ越そうか」程度のことなので、
あまり深刻にならずに話ができます。
もし本当に私が自死をしたとしたら、
警察の統計上は生活苦とか職場の人間関係とか、
そんな古典的な「原因」になるでしょう。
でも、私にとっては転居であり、転職であるだけなのです。
古典的という言葉も生活苦という言葉も
「暮らしっ苦」という共通点があるな
・・・なんていうから、笑いが出てくるんですね(笑)
