主イエスキリストに仕えるクリスチャン

主イエスキリストに仕えるクリスチャン

リブログが多いです
聖書の御言葉
いつも神様とともに
すべての人が救われますように
カトリックで洗礼を受けましたが無宗派です

「御霊も花嫁も共に言った、『来てください』」
‭‭(ヨハネの黙示録‬ ‭22:17‬ ‭)

約二千年前にイエス•キリストはこの世に生まれ、私たちの罪を贖うために十字架にかかって死んで下さいました。墓に葬られて、黄泉に下り、三日目に甦りました。
この事を心から信じて、罪を心から悔い改めると、聖霊が心の中に入ってくださり、全てのことを教え導いてくれるようになります。それが「救われる」ということです。

今の時代は、ヨハネの黙示録に書いてある事が起こりつつありますが、まだ産みの苦しみの始まりに過ぎません。反キリストが現れ、人々に獣の刻印を押しますが、惑沈のように知らずに打たれてしまうかもしれません。刻印を押さないと売買ができなくなりますし、迫害にあうかもしれません。
大艱難がありますが、その前に「携挙」があってクリスチャンと幼児が天に引き上げられるかもしれません。惑沈を打ってしまった赤ちゃんは残されるかもしれません。
いつも神様に祈っていることが大事になってきます。

今日は、YouTube「聖書なおっさん」の動画がとても良いのでご紹介したいと思います。

「第46話 UFOが自己を開示する日•ネフィリムパート6」

パート1から見ると理解が深まると思います。

 

 

以前のブログにもUFO宇宙人の記事をいくつか書きましたが、宇宙人というのは、堕天使だったり、遺伝子組み換えされたハイブリッドだったり、悪魔悪霊です。

近い将来に携挙が起こり、真のクリスチャンと幼い子供たちが天に引き上げられます。

(障害のある人たちやホームレスの人なども引き上げられるかもしれません)

その時世界中が大混乱になるでしょう。けれどもすぐにUFOがたくさん現れて、人々は度肝を抜かれてそれどころではなくなり、宇宙人とのコンタクトが始まるのではないでしょうか?

 

 

 

 

動画の内容を少し見てみましょう。

 

今は反キリストの出現を「引き止めるもの(クリスチャンに内住する聖霊)」(テサロニケⅡ 2:7)があって、堕天使や悪魔悪霊の働きがある程度は抑えられています。

悪魔崇拝をしている者たちは「呼び出しを待っている」そうです。

「携挙」によって、聖霊が内住する真のクリスチャンがこの地上からいなくなると、

いつも聖霊によって神と繋がって神や天使たちと協働して世界の平和や安全を祈っていた人たちがいなくなるわけですから、その瞬間から悪いものを引き止めるものがいなくなって、悪魔悪霊たちのやりたい放題になる訳です。

正しい人の祈りには大きな力があって、現実の世界に影響を与えているのです。

利己的な祈りや自己義はダメですが、正しい人の祈りは神に届いて叶えられているのです。

 

 

 

クリスチャンは「この世の光、この世の塩」に例えられます。

塩は防腐剤の役割があります。この世は既に悪が蔓延して腐り始めていますが、塩気を持つクリスチャンがいなくなるとさらに急速に悪くなっていくでしょう。

そして一人ひとり小さな光を灯していたクリスチャンがいなくなると、この世はさらに暗くなるでしょう。

「携挙」というのは人類の歴史の中で最も大きな出来事になると思われますが、それが霞んでしまうような大きな出来事がUFO宇宙人の襲来ではないでしょうか?

 

聖書に書かれている事が実際に目の前で起きるので、神を信じる人が増えてリバイバルが起きる一方で、UFO襲来に気を逸らされて欺瞞を信じてしまう人がたくさんいるでしょう。

 

 

 

「ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。私たちはみな、新しい栄光の体をいただくのです。 終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、たちまち朽ちない新しい体に復活します。次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。」

‭‭コリント人への手紙Ⅰ‬ ‭15‬:‭51‬-‭52‬ ‭JCB‬‬

 

「主は、大号令と、天使の長の声と、神の召集ラッパの響きと共に天から下って来られます。その時、まず最初に復活して主にお会いできるのは、すでにこの世を去っているクリスチャンです。 それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。」

‭‭テサロニケ人への手紙Ⅰ‬ ‭4‬:‭16‬-‭17‬ ‭JCB‬‬

 

「その時、二人の人が畑で仕事をしていると、一人は天に上げられ、一人はあとに残されます。 家事をしている二人の女のうち、一人は天に上げられ、一人はその場に残されます。 主はいつ来られるかわからないのだから、いつ来られてもいいように準備をしていなさい。」

‭‭マタイの福音書‬ ‭24‬:‭40‬-‭42‬ ‭JCB‬‬

 

「よく言っておきます。その夜二人の男が一つの部屋に寝ていると、一人は天に上げられ、一人は残されます。 家事をしている二人の女のうち、一人は天に上げられ、一人は残されます。また、畑でいっしょに働いている二人の男も同様です。」 「主よ。どこでそんなことが起こるのですか。」「死体のあるところに、はげたかも集まるのです。」」

‭‭ルカの福音書‬ ‭17‬:‭34‬-‭37‬ ‭JCB‬‬

 

 

 

UFO現象の目的が携挙と悪魔の正体を隠す欺瞞と考えるのは理にかなっている

 

 

「我々が挙げられた時に彼らは現れるだろう」(L.A.マルズーリ)

 

「携挙の際の混乱から多くの人をUFO内に避難させるというエイリアンの嘘」(ジョー•ジョーダン)

 

「エイリアンの襲来という欺瞞が、イエスの再臨前のサタンの最後の切り札」(I.D.E.トーマス)

 

 

 

終末欺瞞への対策としてチャック•ミスラー牧師は、信仰と神の武具を装備することが大事だと言っています。

 

・信仰

・神の武具の装備(エペソ人への手紙6章)

  

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」

‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭6‬:‭10‬-‭18‬ 新共同訳‬

 

 

 

神の武具を装備する祈りは、一回だけではなく、毎日祈っても良いと思います。

私は毎日朝の祈りの時に、神の武具を付けてくださいと祈っています。

真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の足備え、信仰の大楯、救いの兜、御霊の剣。

それに加えて謙りのマント、見分けの目薬、神様目線の眼鏡も。

私は高慢になりやすい性格なので、謙りが必要なのです。

 

 

 

まだ神への信仰を持っていない人は聖書の福音を信じてほしいです。

約二千年前のイスラエルで、マリアという処女が聖霊によって身籠り、神の子イエス•キリストを産みました。イエスは私たちの罪を贖うために、鞭打たれ十字架に掛けられて死にました。

イエスの霊は黄泉に下られて囚われていた霊たちにも福音を伝えました。

遺体はお墓に葬られましたが、三日目に聖霊によって甦り、大勢の弟子たちの前に現れました。

四十日後、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれました。

復活から50日目に、集まって祈っていた弟子たちに約束の聖霊が降りました。

人は神の似姿に創られましたが、悪魔の策略によって神との親しい交わりを断たれ、罪の性質を持ってしまい死ぬことになってしまいました。

人は生まれながらに罪の性質を持っているので罪の贖いなしには天国には行けなくなりました。

しかしイエス様が全ての人の身代わりとなって罰を受けてくださったので、信じて悔い改めれば罪が赦されるようになったのです。

 

聖霊は信じた者たちへの神様からの賜物です。

聖霊の内住するクリスチャンは御霊の実を結び始めます。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭5‬:‭22‬-‭23‬ 口語訳‬

福音を信じて聖霊が内住しても、人の罪深い性質が消えるわけではありません。

生きていく上で罪を孕む肉の思いと戦い続けなければいけないのです。

御霊の実を結びイエスキリストの似姿に近づくにはある程度の年月や努力が必要になるかもしれませんが、神様(父なる神、イエスキリスト、聖霊)に頼ればいつも助けてくださるでしょう。

 

信仰とは?

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭11‬:‭1‬ 新共同訳‬

 

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」

‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭11‬:‭6‬ 新共同訳‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを見に来てくださり感謝します。 

今日は「暗闇の三日間」について書いておきたいと思います。

YouTube「今も語られている主」の「恐怖の夜、三日間の闇」という動画を見て、少し調べてみたら、数百年前からイエス様が信仰者たちに啓示されてきた警告だということがわかりました。


ヨハネの黙示録では患難時代に、太陽や月や星が暗くなる時期が3回位あると書かれていますが、大患難期の終わり近くに、世界中が3日間、恐ろしい暗闇に覆われるそうです。


この暗闇の災いは、ヨハネの黙示録16章10-11節の5番目の鉢の裁きの時に起こるようです。

 

「第五の天使が、その鉢の中身を獣の王座に注ぐと、獣が支配する国は闇に覆われた。

人々は苦しみもだえて自分の舌をかみ、 苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒瀆し、その行いを悔い改めようとはしなかった。」‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭16‬:‭10‬-‭11‬ 新共同訳‬

 

携挙に取り残されてしまったらこの恐ろしい3日間を通過しなければなりません。

あまり考えたくないですが、念のため対処方法を知っておいたほうが良いかもしれません。

 

三日間、地が暗闇におおわれるという災いは、出エジプト記10章21-23節にも出てきますね。

主がエジプトに下された10の災いのうち9番目の災いと似ています。

 

「主はモーセに言われた。「手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい。」 

モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。 人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。」出エジプト記‬ ‭10‬:‭21‬-‭23‬ 

 

 

 

「今も語られている主•携挙は本当だった!」の文中にも「暗闇の三日間」の事が書いてあります。

 

私 は「暗闇の3日間」について調査し、祈ってきました。 暗闇 の3日間は一番最後に来るでしょう。 惑星ニビルが地球に最も近づき、極が急激に変化し始める時です。

数日前に投稿したエゼキエルが見た夢で、奇妙な生命体と、男は呼吸補助器 が作動するように体を逆さまにして、彼らの体液が反対方向 に流れるようにしましたね。 

その後、暗闇の3日間があり、 極が反転することになります。 その後、サタンとテロが全地球に満ちてくるでしょう。しかし、主がシオン山に立つその 瞬間が、まさにサタンの最後の日になるでしょう。 主の天使 たちが地球全体と空気を包み込み、主が、そして主の天使たちがサタンを完全に破壊するでしょう。 または彼らを縛るで しょう。 聖書が言うように、彼らは1000年間縛られるで しょう。 このことは必ず起こります。

このことは暗闇の3日間後に起こるでしょうが、暗闇の3日間 は主が御自分の御使いたちと一緒に来られることによって終わるでしょう。 これが私が信じていることです。

 

 

ニビルという惑星が地球に最も近づいた時に、極が反転し暗闇の三日間がある⁉️

惑星ニビルって名前は聞いたことがあるけど、実在していたとは知りませんでした。

イエス様はニビルについても話されています。

 

「ニビルについて話そう。そうだ。悪魔的な力の本部についてあなたが聞いたことは正しい。それがローマ教皇庁の望遠鏡が存在するもう一つの理由である。人々がその望遠鏡が他 の惑星に存在する生命を発見するためのものだと噂がある が、それは正しいし、嘘ではない。 彼らはこのすべての生命体の性質と、その生命体が地球上で何をするのかについても よく知っている」。

 

*バチカン天文台というのがあり、惑星のことを調べているようです。

少し話がそれますが、その生命体についても話されています。

 

「支配層の間では、いわゆるこれらの「助力者」(「ET」ま たは「柔和なET」を装っているサタンという意味)が地球に 入る入り口を確保するために支配層である自分たちを利用す るだけであり、これらの助力者は最終的に裏切るだろうし、 破滅をもたらすかどうかについての多くの議論が支配層の間 にまだ残っているだろう。

「宇宙人が所有し、開発してきた技術は、奇怪な方法で、破 壊的で残酷なものだ。すべては貪欲、憎しみ、力のための渇 望、そしてすべての善なるものを完全に無視する動機で作ら れている。私はこれらを完全に破壊し、最後の1つまですべて 除去するつもりだ。これらの欺瞞的な悪魔からの影響力と、 私に対抗しようとし、自分たちが生命を創造できると公言す る異常で到着的な技術は消えるだろう。彼らができるのは、 生命を破壊することだけだ。一定期間の間だけだ」。

「あなた方の政府が持ち込んだことで、自分たちは取り返し のつかない代償を払うことになるだろう。彼らの命、彼らの 魂、彼らの子孫。そして二度と彼らが力をもって立ち上がることはできないだろう。全世界はひっくり返り、すべての悪 は排除されるだろう。私が来るとき、このことが見られるだ ろう。暗黑の3日間は、私が来る直前にあるだろう。これは すべての人類が絶望の果てに立ち、もはや何の希望もない時 である。この時、私は私の天使たちを送り、すべての悪者と テロと破壊の議論を縛り、破壊する。」

 

 

 

イエス様はカトリックの信仰者らに「暗闇の三日間」についての警告を与えていました。

キリストの生涯と受難を幻視したことで知られるアンナ•カタリナ•エンメリックも暗闇の三日間の事をイエス様から啓示されました。ネットから転載します。

 

(Anna Katharina Emmerick, 1774–1824)
18世紀末、 ドイツ人の尊者アンナ・カタリナ・エンメリックは、 キリストの生涯と受難を 幻視したことで 知られている。 
 

(1)  全世界が 突然の暗闇に包まれ、 人工的な光が用をなさない 暗黒の日が いつか訪れます。 
(2)  この暗黒の日には 燃え立つ紅い雲が 天をよぎり、 雷鳴が そこら中に轟きわたります。 
(3)  地上では至るところで、 大きな地震が発生し、 海は泡となり、 洪水のように大地に押し寄せるという 現象が起きます。 
(4)  その暗黒の日々には、 これまで 人間の目で見ることのできなかった悪魔が姿を現し、 その忌むべき姿を見た人間は あまりのおぞましさに発狂します。

(暗黒の3日間は 神の聖なる裁きの時ですから、 部屋で祈りつつ、 何が起きようとも決して外を見てはならない。 それを見たものは 死ぬだろうとも 言われている。)

 

 

他にもピオ神父や、ユーゴスラビアの幻視者ジュリアという人も暗闇の三日間の様子を伝えています。

 

(Padre Pio, 1887-1968)
ピオ神父 は、 『暗黒の三日』について、 キリストから 次のようなメッセージを 受けている。 

「天の太陽と 月と 星に 気をつけなさい。 それらの動きが 異常に乱れ、 落ち着きを 失ったようになる時、 その日が 遠くないことを悟りなさい。 その日は 大変に寒い。 風が うなって 吹きすさぶ。 しばらくして、 落雷の音が 聞こえる。 雲の中から 火が暴風雨のようになって出てきて、 全地に くまなく広がるであろう。 嵐と 悪天候と 落雷と 地震が 全地で起こり、 火の雨が 降り続く。」

「この大艱難は 稲妻の閃光のごとく 地上に やってくる。 その時、 朝の太陽は暗い。 暗黒に とって代わる。 この完全な暗黒のために、 大きな混乱が起こる。 全地は 暗闇に 覆い包まれ、 そして 大勢の人が 恐怖と絶望で 死ぬであろう。」

「その日、 完全な暗闇が 始まったら、 誰も外出したり、 窓から 外を見てはいけない。 暗闇は一日と一晩 続き、 さらにもう一日と一晩、 そして もう一日。 家から 一歩でも外に出る者は 死ぬ。 家の窓を 注意深く 覆ってしまいなさい。 外を見たり、 見回してはならない。 神の怒りは 聖なるものだからである。 選ばれた民は わたしの怒りを見ることはない。 わたしを 信頼しなさい。 そうすれば、 わたしは あなたを 守る。」


「多くの霊魂が 救われるために、 腕を広げるか、 床に伏して 祈りなさい。 自分自身の食料を 十分に準備しておきなさい。 家の外にいる者に 話しかけてはならない。 十字架の前に ひざまずき、 罪を痛悔し、 我が母の保護を 請い願いなさい。」



ユーゴスラビアの幻視者ジュリア は、 1960年から1973年にかけて、 キリストから 『暗黒の三日』 について 同様のメッセージを受けている。 

「その時には、 まず初めに 南方から生暖かい強風が吹いてきますが、 この強風はすべての地上で感じられ、 これが激しい嵐の前ぶれとなります。 この後すぐに、 約10回におよぶ雷鳴が全地に轟き、 それによって すべての者が おののき震えるでしょう。 この 大艱難と暗黒の闇が 訪れる時のしるしとなります。 そして、 これらの現象は三日三晩 続きます。」

「これらのことが 始まりだしたら、 すぐに家の中に入り、 戸口や窓を しっかりと締め切り、 聖水で自分自身と家を浄め、 祝別されたローソクを 灯さなければなりません。 外では 言葉に言い尽くせない恐怖が支配し、 それを見ようとする者は 息絶えてしまいます。」

「すべての悪霊が 地上に解放され、 彼らは餌食と思ったものを ことごとく破壊します。 主イエズスが お話しになります。」

 

 

 

↓こちらのサイトからの転載です。

たくさん情報が出ていますが、すべての情報が正しいとは限りません。

携挙の前にも三日間の暗闇があって花嫁が変容して伝道する(花嫁が一度携挙されて戻って来る•秘密携挙)というようなことが書いてありますが、イエス様は否定しています。

ヨハネの黙示録には太陽が暗くなるという場面が3回くらい出てきますが、核戦争によって太陽光が遮られることがあるかもしれません。その時も家の中にいたほうが安全かもしれません。


 

 

 

 

 

「今も語られている主」「恐怖の夜、3日間の闇」でも警告されていました。

 

 

 

一部文字起こししてみました。

 

愛する兄弟姉妹の皆さん、何世紀にもわたって、神様の預言者や使徒たちは、終末の時に3日間の暗闇が来ることを警告してきました。

これらの警告には、自然界と気象パターンの激変、悪魔の力が発動する時期、日光が消える時期などが一貫して含まれています。

これらすべての預言を貫く一貫した教えは、

この期間中、外出せず、窓を覆い、祝福のろうそくを灯し、絶え間なく祈ることです。

もし主の民のペットや動物が外にいれば、主は超自然的に保護してくださるので、彼らの世話をするために外に出る必要はありません。

悪魔は愛する人や、ペットの声や鳴き声をまねるので、彼らの策略に騙されず、祈りの状態で家の中にとどまるべきだと伝えています。

この暗闇の期間は、世の悪が浄化され、地が栄光に生まれ変わることが続くでしょう。

これはノアの時代にも似ており、出エジプト記で九番目の災いが降りかかった時に経験した暗闇にも似ています。

愛する子供たちよあなたたちがこのようなことが起こるとき、準備できるように、次のような兆候と指針を教えよう。

夜はとても寒くなり風が唸るだろう。しばらくすると雷の音が聞こえるだろう。

すべてのドアと窓を閉めなければならない。家の外にいる誰とも話してはいけない。

十字架の前にひざまずき、あなたたちの罪の赦しを求め、わたしの母の保護を求めてほしい。

神の怒りは聖なるものだから、地震が起きている間も外を見ないでほしい。

わたしはあなたたちに、わたしの父の怒りを見ないようにしてほしい。

なぜなら、神の怒りは恐れと震えで黙想しなければならないからだ。

この忠告を無視する者は、すぐに殺されるだろう。

風は有毒ガスを運び、毒は全土に広がるだろう。

苦しんで無実の罪で死ぬ人々は殉教者になり、彼らはわたしの国でわたしと一緒にいるだろう。

この災厄は、稲妻のように光り輝く瞬間に、朝日が黒い闇に変わるだろう。

その瞬間から誰も家を出たり、窓の外を見てはならない。

わたしは雷と稲妻の中に来る。邪悪な者たちは、わたしの聖なる心臓を見つめているだろう。

全土を覆うこの完全な暗闇によって、大きな混乱が起こり、多くの人が恐怖と絶望で死ぬだろう。

わたしの正義のために戦う人々は、わたしの聖なる心から恵みを受けるだろう。

そして叫びがあるだろう。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。

という叫びは、多くの人々を守る盾となるだろう。

しかし、多くの人が枯れた草のように野原で燃え尽きるだろう。

不敬虔な者たちは全滅し、その後、正しい者たちは新たに立ち上がることができるだろう。

その日、完全な暗闇が始まると同時に、誰も家を出たり、窓の外を見てはならない。

暗闇は一昼夜続き、また一昼夜続き、また一昼夜続くが、

次の日の夜には星が再び輝き、次の日の朝には太陽が再び昇り、春の日になる。

 

 

 

なんとも恐ろしい3日間ですね…

携挙に取り残されてしまったら、七年間の大患難を生き延びるのも大変なのに、最後のほうでこのような恐ろしい闇を経験しなければなりません。対処法を知らなければ死んでしまうでしょう。

たとえ死んだとしても真のクリスチャンとして生まれ変わっていれば天に行けるでしょう。


一つ気になるのは、イエス様が「わたしの母の保護を求めてほしい」と言っていること。

カトリック教徒が聖母マリアに祈るとき、天使がマリアに祈りを取り継いでくれるからだという。

もしかしたら私が知らないだけで、本当にそうなのかもしれません。


「今も語られている主」の「抑圧、祈り、戦争、信仰」では、イエス様がこうおっしゃっていました。

「私は私の母に多くの天使たちを配置し、多くの恵みが広がるようにした。

そんなことがどうして可能なのかと問うか?

彼女はただの人間だが、彼女の魂は不滅だ。そして彼女が世にいた時、私から与えられたものに忠実だったので、魂たちを見守ることができるよう、彼女の手にはるかに多くのものが与えられた。

私の母の心は本当に私の心と一つであり、私は私の母を完全に信頼している。」


自分が知らないだけで「これは間違っている」と決めつけないほうがいいということですね。

 

 


イエス様が「ローマ教皇庁の望遠鏡」と言っていたのはバチカン天文台のことでしょう。

ローマ教皇庁も惑星を探していますね。

*バチカン天文台(Wikipediaより)

バチカン天文台[2] (: Specola Vaticana, : Vatican Observatory) は、ローマ教皇庁が支援する天文研究・教育機関。元々はローマのコッレージョ・ロマーノイタリア語版)に本部を置いていたが、現在はイタリアカステル・ガンドルフォに本部を置き、アメリカ合衆国アリゾナ州にあるグレアム山国際天文台で望遠鏡を運用している。

グレアム山国際天文台のVATTでは、以下の研究分野で研究が進められている。

 

 

 

 





 

 

 

 

今日も「今も語られる主・携挙は本当だった!」から転載させていただきます。

主から「聖餐」についてのメッセージです。

 

キリスト教会では聖餐式が定期的に行われます。教会によって毎週だったり月1回だったりするようです。プロテスタントでは聖餐式、カトリックでは聖体の秘跡とか聖体拝領と言うようです。

カトリックでは毎週「聖体拝領」がありました。これは確か洗礼や堅信礼を受けたクリスチャンだけが聖体拝領できたと思います。小さい子供や堅信礼を受けていない人は神父さまから頭に手をのせて祝福を受けていたと思います。誰かが間違って聖体拝領を受けようとした時、神父はその人を脇によけていました。この人はまだ受けられないということを見分けているのかな?と思いました。

 

聖餐を受けられるのは、イエスキリストの福音を信じて霊的に新しく生まれた人でないと受けられないようですね。注意が必要です。

「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、「主は私たちのために死んでくださった」という主の死の意味を、くり返し告白するわけです。主が再び来られる時まで続けなさい。 

ですから、もしふさわしくないままでこのパンを食べ、主の杯を飲む人がいれば、彼は、主の体と血とに対して罪を犯すことになります。 したがって、聖餐に臨む前に、めいめいが注意深く、自分を省みなければなりません。 もしキリストの体を気にもかけず、その意味を考えもせずに、ふさわしくないままでパンを食べ、杯を飲むなら、神のさばきを招くことになります。キリストの死をもてあそんだわけですから。 あなたがたの中に弱い者や病人が多く、また死者も出たのはそのためです。 しかし、食べる前に注意深く自分を省みるなら、さばきや懲らしめを受けることはありません。」

‭‭コリント人への手紙Ⅰ‬ ‭11‬:‭26‬-‭31‬ ‭JCB‬‬
https://bible.com/bible/83/1co.11.26-31.JCB

 

 

聖餐式(聖体の秘跡)で出されるパンと葡萄酒(ぶどうジュース)は、祈りの言葉や信仰によって本当にイエスキリストの体と血に聖変化する❗️

 カトリックや正教会、プロテスタントの一部(ルター派?)はそう信じていますが、パンと葡萄酒はイエスキリストの体と血に変わるわけではなく「象徴」だとする教派も多いようですね。

 

(ウィキペディアから)化体説と共在説

カトリックでは、パン葡萄酒聖別されると、実体的にキリストのからだと血に変化するという「化体説」を公認していたが、福音主義運動の担い手の多くはこれを批判したが、ルターはキリストのからだと血は、聖体拝領のパンと葡萄酒の中に、その下にそれとともに実在するという共在説(両体共存説)をとってカトリック的痕跡をとどめた[1]。これに対し、人文主義の強い影響を受けたフルドリッヒ・ツヴィングリは「象徴説」を採用し、パンと葡萄酒にはいかなる意味においてもキリストのからだと血は実在せず、キリストを象徴する記号にすぎないと主張した[1]。この対立はプロテスタント内部の分裂の一因となった[1]

 

 

聖餐式は基本的に教会に行って受けるのが良いと思いますが、私のようにあまり教会に行かない人は家で聖餐式をしてもいいと思っています。実際に家で毎日聖餐式をするクリスチャンもいますね。

疫病や惑沈💉による体調不良、人工的な添加物や遺伝子操作された食べ物などで健康が脅かされているこの世においては、イエス様のパンと葡萄酒でイエス様と一つの体となり強めていただくのは必要なことと思います。

 

 

 

聖餐

2015年7月30日

主の祝福が本当に皆さんと共にありますようにお祈りしま す。

ユーチューブファミリーの皆さん。主が今日「聖餐」について教えてくださいました。 

主が語られた御言葉を分かち合う前に、私は皆さんにお聞きしたいことがあります。誰が最も良い聖餐を行っているのか、そして どの聖餐が妥当であり、どの聖餐が妥当でないのかについて、人と喧嘩や議論や不一致を経験したことがあるかどうか、お聞きしたいのです。 

それらのすべては、主にとって単に嫌なことです。

主はちょうど今日、主の司祭たちに一つの シンプルなメッセージを与えてくださいます。このメッセー ジは「聖餐」についてのメッセージです。 このメッセージは 主にとって非常に重要であり、特に私たちの環境がますます 暗くなっているため、私たちは聖餐にもっともっと強く集中 しなければならないからです。

 

私は私の生涯において、毎日聖餐を通して、主は私を力強く作ってくださいました。 そして、主への回心においても決定的な役割を果たしました。

偉大な伝道者であるSmith Wigglesworthも毎日聖餐を受けていました。 彼の証言は驚くべきものです。これは主が私たちに示されたい方法であり、 その過程を通して主の花嫁たちを力強くされることを望んで おられます。 そして主はこの方法を通して主の花嫁たちと一つになることを望んでおられます。聖餐を通して肉体的にも一つになることを望んでおられます。

主は言われました。「私は聖餐について話したい」

あらあら、それはデリケートなテーマです。一種の「立ち入り禁止区域」のようなテーマです。だから、多くの人が真の聖餐が何であるかについて議論しています。

 

「私は聖餐について完全で明白に言わなかったか? 聖書で少なくとも7回は言った。もしあなたの心に信仰があるなら、 そしてあなたの唇で本当に告白するなら、私は聖餐を通して 奇跡的な方法であなたに近づくだろう。これが、あなたが生きているこの時代、この世で私が私を供給する方法だ。

これは私が考える理想的な方法ではないが、しかし、あなたが生きているこの時代はあまりにも悪質であるため、この方法を 通して私はあなたたちに供給するのだ」。

「私が本当にパンとぶどう酒の中に存在することに対する疑 念を払拭するために、納得できる聖書の言葉をすでにあなたたちに与えた。あなたにはただのパンとぶどう酒にしか見えないかもしれないが、私はその中に臨在している。あなたの人生の旅に必要な栄養を供給するために、私がそこに存在するのだ」。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたし の内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。 (ヨ ハネによる福音書6章56節)

 

「聖餐についての異なる信仰に関する議論するつもりは全くない。このYouTubeチャンネルは議論のような目的を持って いない。すべてのクリスチャンは『これは私の体と私の血 だ』と私が宣言した言葉を信じている。たとえ聖餐に対する考えや聖餐のテーブルに向かう方法は異なるかもしれないが。

しかし、私の花嫁たちよ、あなたたちは必ず私の体と私の血で栄養を与えられなければならない。これが私との肉体的な結びつきの要点だ。 そのパンは肉体的にあなたたちの一部となり、それによってあなたたちと私は一つになる。そうしてあなたたちは実を結ぶに値するようになり、霊的な子供たちを産み、あなたたちの人生の旅のために力強くなっていくのだろう」。

「もしあなたたちが形式が重視される教会の出身で、司祭あるいは神父から聖餐を受けるなら、この言葉をしっかりと心 に刻んでほしい。『真に、イエス様、これは主の体だ。真に これは主の血だ。』

こうして、崩壊した教会と信仰の中で、 欠けている真の心の中の意図を回復し、補償することができるだろう。ただあなたの心の中の真実な告白を通して再び建てられるだろう。そうだ。あなたの深い敬意とあなたの心の中の聖なる宣言が、不足している信仰を再び完全に回復するだろう。このような誠実な信仰の祈りを私は尊敬する」。

 

主がここで暗示されているのは次のようなことです。今日、 この世代にはあまりにも多くの働き者や司祭がいますが、彼らはこう言います。 『これは主の体であり、主の血だ」。し かし、彼らは本当にその意味を知らないことが多いのです。 彼らは本当に信じていない。 だから、あなたの忠実な信仰の 告白、すなわち「これは本当に主の体と血だ」という告白が 彼らの信仰の不足を補うことになると主は言われるのです。

 

「私はいつも信仰を持った忠実な祈りを尊敬している。たとえ私があなたの望むように答えられないとしても、そうだ。 聖餐の問題においても、私はそうしてあなたの信仰の告白を誉める。あなた方全員が私のこの意志に同意するとは限らな い。あなたがたは私に同意しない権利を持っているからだ。 しかし、この時代を生きるあなたたちが、外見上は真理であるように見えるが、内面的には真理が欠けている状態にあるものについて、もう一度考えてみてほしい。あなたたちが教会で受けている聖餐がこれに含まれる。聖餐は、贖いと救いの神秘であり、あなたたちを永遠に聖化する神秘だ」。

 

そして、主がこのみ言葉を引用されました。

 (ヨハネによる福音書6章53節)「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなけれ ば、あなたたちの内に命はない』」。

「私は、あなた方がそれぞれの指示に従って、最後の晩餐のような聖餐を準備することを望む。あなたがたが信じる程度まで、その程度まで、私はあなたがたに私を現わす」。

 

そして、私はさらに言いたいのだが、もし皆さんが本当にそれがイエス様の体と血であると信じるなら、皆さんは聖餐の後に残ったものを非常に丁寧に廃棄しなければならないのです。残ったものをすすぎ、観葉植物に与えてください。水に溶かして植物や他の場所に注げば、残り物を侵すことはないでしょう。絶対にそれ(残り物)を鳥の餌に与えないでください! 残り物をとてもとても丁寧に処分してください。下水道に捨てないで、観葉植物や他の特別な場所に注いでくださ い。

 

「物事が日に日に暗くなっていくので、私はあらゆる可能な方法であなたたちを強くしたいのだ。

私の体と血を受けることは、多くの方法の一つだが、聖餐は私にとって言うまでも なく重要だ」。

(ヨハネによる福音書6章47〜51節) 「はっきり言っておく。 信じる者は永遠の命を得ている。 わたしは命のパンであ る。 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って來たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って來た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永 遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 

「あなたがたのほとんどは、ある一つの伝統に属する人々だから、あなたがたの行っていた伝統に従って聖餐を受け続けているだろう。しかし、もし迫害のために聖餐ができなくなったら、尊敬の心と信仰をもって個人的な聖餐を行うようにしてほしい。そうすれば、私は特別な方法であなたたちに近づく。

私の花嫁たちが心で私を受け入れることを私は切望 している。私はあなたたちとこの聖餐を分かち合うことを切 望している。私たちが可能な限りの方法で一つになることを切望する。聖餐を通して私があなたの体に近づくことを否定してはならない。あなたがたが罪を犯したからといって、私を受け入れることを避けてはならない。

聖餐が最も必要なのは、病気の人だまず、あなたたちの犯したことを私に告白し、誠実に心から悔い改めれば、あなたたちは私を受け取ることができる。

 

私は、あなたたちに自分の心の確信に従うことを望む。もしあなたたちが司祭から聖餐を受けるならば、 信仰の中で私の臨在を告白しなければならないことを覚えて、受け続けてほしい。

もしあなたたちが他の形の教会で聖 餐を受けるなら、あなたたちの良心が証言する限り、受け続けてほしい。しかし、信仰の中で私の臨在を告白することを 確実にしなければならない」。

 

「多くの教団が教えることには誤りが多く、そして人間の傲慢と自我のために、この時代に、真の真理は天国でのみ完全に知られるようになった。宗教の霊が聖餐に対するあなたの考えを支配しないようにし、宗教的伝統について議論しないでほしい。私が言いたいことがある。私は人々の議論を憎む。論争は私の目にはとても汚い嘔吐物だ。むしろ静かに兄弟間の連合を維持する方が良いことを知らないのか。そして、お互いに不完全な知識を持って自慢して争うよりも、 謙って謙遜な心で愛する方が良いことを知らないのか。言い争いで達成することは何だろうか。恨みや敵意だけだ」。

 

「参考までに、私はあなたたちの心に私の真理を教えよう。 しかし、あなたたちは他の人にそれを強制してはならない。 私はパウロに属する者、その方法がよりよい、私はペトロに 属する者、彼の方法がよりよい、と言ってはならない。天使たちの目には、あなたたちがどれほど愚かに見えるか知って いるか? むしろ、お互いのために祈ってほしい。そうすれば、その真理はより強くなり、残りは私の時に私が満たしていく。その間、私があなたたちを愛したように、互いに愛し合いなさい」。

 

 

 賛美

John Michael Talbot 「The Bread of Life」 (命のパン) https://www.youtube.com/watch?v=vrCN2sJpfvY

 

 

(転載ここまで)

 

 

 

John Michael Talbot 「The Bread of Life」 (命のパン)

 

 

 

 

‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭11‬:‭23‬-‭34‬

【主の晩餐の制定】

「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 

また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。 

 

【主の晩餐にあずかるには】

従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。 だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。

 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。 そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。 

わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。 裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。 

わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。 空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。

‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭11‬:‭23‬-‭34‬ 新共同訳‬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを読んで下さりありがとうございます。

 

今日も「今も語られる主•携挙は本当だった!」から、

「聖霊のバプテスマを受ける方法」を転載させていただきます。

 

聖書を読んでイエスキリストの福音を心から信じると、その人の内に神の霊が住まわれます。

それが「救われる」とか「生まれ変わる」ということです。

その時点では神の霊が内住しているけど聖霊に満たされていない状態です。

「聖霊のバプテスマ」というのは聖霊に満たされるということ。完全に聖霊の中に浸かること。

ちょっとおもしろい例えですが、バプテスマを野菜の漬け物に例える人もいます。塩水の中に浸された野菜は塩気が付いて美味しくなります。クリスチャンも「地の塩」だから塩気がなければいけません。「人は皆、火(聖霊)で塩味を付けられる」とも書いてありますね。聖霊に浸されて塩味を付けられるのかもしれません。

たぶん多くのクリスチャンは「聖霊のバプテスマ」を受けないでクリスチャンとしての人生を送り始めるのではないでしょうか?

中には祈りによって聖霊に満たされる人もいるでしょう。

聖書を読むと初期のクリスチャンは皆、聖霊のバプテスマを受けていたようです。

「聖霊のバプテスマ」を受ける方法はそれほどむずかしいことではないです。

イエス様に「聖霊のバプテスマを与えて下さい」「聖霊で満たしてください」と祈るだけですが、自分の罪を十分に悔い改めて、霊的にできるだけ清い状態になっているほうが良いかもしれません。

もしかしたら「聖霊のバプテスマを受けたい」と思った時が、その時なのかもしれません。

聖霊に満たされると、異言を話せるようになったり、喜びが溢れてきたり、大胆になってまわりの人に福音を伝えたくなるでしょう。自分の病が癒えたり人の病を癒せるようになるかもしれません。

(聖霊のバプテスマを受けた人がみんな異言を話せるようになったり、病を癒せるようになるわけではないようです。)

 マタイ25章の十人の乙女の例えのように、油(聖霊)が足りなくて花婿に置いていかれない為にも、聖霊を満たしておくと良いのかなと思います。

 

 

 

  聖霊のバプテスマを受ける方法

2010年3月23日

'Charisma Magazine'に掲載された文章、J. LEE GRADY

 

私たちがキリストに出会い、キリストに信頼を置くようにな ると、私たちは「生まれ変わる」ようになります。 (ヨハネ による福音書3章3節)。そして私たちの心に聖霊様を受けま す。 これは私たちができる最も重要な決断です。 このような ことはイエス様の弟子たちに起こりました。 

ヨハネによる福 音書20章22節にこう書かれています。「彼らに息を吹きかけ て言われた。『聖霊様を受けなさい』」。

イエス様が天に昇 天される前に、弟子たちにエルサレムを離れないで「父の約 束されたもの」が来るまで待つように言われました(ルカによ る福音書24章49節)。主は、もし彼らが待つようになれば、 彼らは「上から力を与えられる」(使徒言行録1章8節)、そ してイエス様は弟子たちに、弟子たちが「力」を受けて主の 証人になると言われました。それで弟子たちはエルサレムで 神殿の近くで祈りながら数日間待ちました。 イエス様が十字 架で死んだ日から50日目のペンテコステの日に、ある驚くべ きことが起こりました。聖霊様が初代教会に来られ、その上 に注がれました。 この出来事が使徒言行録2章1節から4節に 記録されています。

聖霊様が来られたとき、弟子たちは聖霊 様に満たされた、他の言葉で言えば「バプテスマを受けた」、と聖書は伝えています。

 

この出来事は私たちに、私たちが神様と関わってできる二つの区別された経験があることを示しています。第一は救いで あり、私たちは救いによって神様の驚くべき赦しを受けま す。聖霊様は私たちの中に宿るために来られます。 そして聖 霊様は私たちの先生、慰める者、助ける者となります。

第二 の経験は聖霊様のバプテスマですが、すでに私たちの中におられる聖霊様が溢れることを言います。 聖霊様のバプテスマ を受けるという言葉は「完全に霊の中に浸ること」を意味し ます。

イエス様は、私たちが働きにおいて私たち自身の力に 頼ることを決して望んでおられません。主は私たちを通して 主の御業を行うことを望んでおられます。 ですから、主は私 たちを主の能力で覆うために、聖霊様で私たちの内面を満た してくださいます。

私たちがこのような経験をするとき、聖霊様の力は私たちの 中に完全に溢れ出します。 また、私たちが聖霊様のバプテスマを受けるとき、一般的な「聖霊の賜物」が私たちの生活に 現れ始めます、(コリントの信徒への手紙一12章8節から10 節)。私たちはイエスの超自然的な性質を経験し始めます。 これらの賜物は、預言、分別、奇跡、癒し、異言を含んでい ます。

初代教会で人々が聖霊様のバプテスマを受けた時、彼らは皆 異言を話したと聖書は伝えています、(使徒言行録2章1節か ら4節、4章31節、10章44節から48節、19章1節から7節を ご覧ください)。多くの人が絶えず異言を発し、普通の人の 目にはそれが不思議なことのように見えました。 しかし、実 際には全く不思議なことではありません。 それはどんなクリ スチャンでも経験できる特別な祈りの形です。

 私たちが天の祈りの言葉で祈るとき、私たちは神を賛美し、 自分自身を霊的に強くします。 霊の中で強くなるために、異 言は私たちを助けてくれます。初代教会の真の聖人である使 徒パウロは、コリント教会の信者たちに、「わたしは、あな たがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝し ます。」と言いました。聖霊様のバプテスマを受けること は、あなたが何らかの資格を持つことではありません。 誰でも求めることができ、イエス様は聖霊様のバプテスマをあな たに与える準備ができています。あなたは自分で祈ることが できますし、あなたのために誰かに祈ってもらうこともでき ます。

あなたが聖霊のバプテスマを受けるための簡単な手順がここ にあります。

 

 

 

1。あなたの心を準備してください。聖霊様は聖なる方です。聖霊様は火に例えられます(マタイによる福音書3章11 節)、この言葉の意味は、聖霊様が罪を清め、私たちの生活 の中でキリストに似ていないものをすべて焼き払うというこ とです。

あなたが知っているすべての罪を確実に告白し、聖霊の満たされるためにあなたの心を準備しなければなりませ ん。

 

 

2。イエス様に聖霊のバプテスマを求めなさい。あなたはイエス様の注意を引くために苦労をする必要はありません。 イ エス様はあなたの要求に喜んで答えてくださいます。イエス 様は、聖霊で私たちにバプテスマを与えてくださる方です。 そして、主からの応答が来ることを期待してください。

 

 

 3。聖霊に満たされてください。この奇跡に感謝し始めてください。聖霊様の力はあなたの人生を満たします。もしあなたの心に疑いの兆候を感じたら、まず主を賛美してくださ い。あなたの心をあなたではなく、主に集中してください。

 

 

4。声を出して祈ってください。あなたが聖霊様に満たされた瞬間、あなたは天の祈りの言葉で話す能力を与えられま す。 あなたはあなたの内面から湧き出る言葉を感じるでしょ う。 あなたは心の中でその言葉を聞き始めるかもしれません。主がこの新しい超自然的な言語を与えてくださったことを信頼し、口を開いて話し始めてください。

ある人は私に、 「私は必ず異言で話さなければならないのですか」と尋ねま す。間違いなく、神様はあなたがそうすることを強制されているわけではありません。 そして、救いとは何の関係もあり ません。 しかし、神様は、望む人には誰でもこのような賜物 を与えられます。 異言の賜物は、賜物の中で最も小さな賜物 だと思われるかもしれません。しかし、異言は超自然的な領 域に入る入り口の役割を果たし、あなたを神様のより深いと ころに導くのに役立ちます。

 

 

5。大胆に進みましょう。あなたが聖霊のバプテスマを受け た後、あなたが最初に気づくことの一つは「大胆さ」です。 聖霊様は、隠れることを好まれません。 聖霊様は、あなたが イエス様について周りの人々に話すことを望んでおられま す。 そして、聖霊様はあなたに驚くべき勇気を与えてくださ います。

 

 (転載ここまでです)

 

 

 

 

 神の霊によって生まれる

 「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」ヨハネによる福音書‬ ‭3‬:‭5‬ 

 

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」コリントの信徒への手紙二‬ ‭5‬:‭17‬ 

 

 

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」コリントの信徒への手紙一‬ ‭6‬:‭19‬ 

 

「イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭23‬ 

 

 

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」ルカによる福音書‬ ‭11‬:‭9‬-‭13‬ 

 

 

「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。使徒言行録‬ ‭2‬:‭38‬ 新共同訳‬

 

 

ペテロから初めて福音を聞いた異邦人たちに、いきなり聖霊が降って異言を話し始めた。

聖霊を受けるために何時間も祈ったり、先に水の洗礼が必要といったことは関係ないことを示唆している。

「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。 異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。 そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。使徒言行録‬ ‭10‬:‭44‬-‭48‬ 

 

 

聖霊の賜物

「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 

賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。

 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 

これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」

コリントの信徒への手紙一‬ ‭12‬:‭3‬-‭11‬ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も「今も語られている主・携挙は本当だった!」の文章をシェアさせていただきます。

ダウンロードすると406ページにもなりますが、読んでいると途中で「かたき縛り付け祈り」というのが何回か出てきます。どんな祈りかなと思っていたら、387ページに詳しく載っていました。

とても強力な祈りです!

罪の悔い改めから始まり、イエスキリストの御名によって、敵である悪魔悪霊を縛り付ける祈りです。

そしてイエス様の血潮や天使の力で保護していただきます。

父なる神さまとイエス様、聖霊様に賛美と感謝を捧げてから、心の中で祈ったり、声に出して祈ると良いかもしれません。

特に悪魔悪霊に対して命じる祈りは声に出して祈ってください。

クリスチャンでない方はまず福音書を読んでイエス様がどんなお方なのかを理解して、信じてから祈ってください。

 

 

 

かたき縛り付け祈り

 

  準備

聖霊の祝福が私に油を注ぐように注がれるように。

主のもとに幼子のように参りますので、主をよりはっきりと見て聞くことができるように教えてください。私の心の中を探り、私が悔い改めることができるように助けてくださり、この祈りの道を導いて、祈りの実を結ばせるように助けてください。 

敵に開かれた扉が私の中にあるかどうかを私に見せてくださ い。 

イエス様、どうかその敵を*底なしの淵に追いやってくださり、私がこれ以上罪を犯さないように助けてください。。

 

 

  開かれた扉

私は心の中で判断したり、批判したりしていませんか? 

偽り の判断、噂話、誹謗中傷をしていませんか?

私が奪ったり、 騙したり、嘘をついたり、他に使うべきお金を使ったり、他 人のものを奪ったりしていませんか? 

私の欲が過ぎたり、食 べ過ぎたり、欲に従ったり、罪のものを見たり聞いたりしま せんでしたか? 

私の配偶者や両親に失礼な態度をとったこと はありませんか? 

私が傲慢になったり、慢心に陥ったり、主 に不従順になったりしませんでしたか? 

主よ、私を許してく ださい! どうか私を許してくださり、傲慢、怒り、欲、嫉妬、 吝嗇(ケチ)、淫乱、怠け者、このような悪から救ってください。

 

父よ、私を反対し、苦しめる者たちを赦し、心の奥底から祝福します。 

あなたの愛で彼らを癒し、治してくださることを 望みます。彼らは自分がしていることを知らないので、彼ら を赦してください。 そして、私によって他の人が罪を犯さな いように私を導いてくださり、私によって彼らを祝福し、あ なたに導くことができるように私を導いてください。

 

全能の神の子として、聖なる世話と戦争に⻑けた天使たちを 求め、このように祈ります。

宣言します、私達と呼ばれるす べての人々、私の配偶者、私自身、子供たち、私達を助ける すべての人々、私達のミニストリーとケアの対象者、主のた めの私達のミニストリーを主の保護の翼で覆ってください。 

王の王である権能の御名、イエス・キリストの御名によって 命じます

私たちに対するすべての攻撃は退け

イエス様の血潮私たち全員が洗い流され、覆われるように

私たち一 人一人に強力な天使の保護聖霊の導きがありますように。

 

 

  お祓い

イエス・キリストの権能の御名によって命じる、私たちに敵対するすべての敵は去りなさい。

私たちから離れ、底なしの 淵に去り、二度と戻って来るな。

命のエネルギーをかじるす べての悪魔たちをイエスの御名によって縛るから、私たちか ら奪ったものを取り戻し、底なしの淵に退け。再び戻ってく ることができず、他の代替勢力も来るな。

私たちを敵対する すべての悪の武器、エネルギーコーラル、ブロック、障壁 は、王の王、イエス様の御名によって崩れ落ちよ。

これらの ものを作り、私たちを苦しめる悪の勢力、悪のリーダーた ち、増援軍、報復しようとする勢力、すべてをイエスの御名 によって武装解除せよ。

主よ、戦争に⻑けた天使たちを呼ん で、これらを火の穴に投げ込み、二度と解き放たれないようにしてください。

 

私たちに立ち向かって許されたすべてのものを、すべての名 より優れた名前、イエス・キリストの力によって消滅させ る。私はすべての悪を打ち砕き、永遠にその機能を喪失させ る。私たちとつながった次元間、霊的、肉体的、感情的、精 神的な悪のつながりを打ち破り、その機能を永遠に消滅させ る(3回)。

私たちに逆らう悪の配置と駐留、悪の投影/投射、 悪のつながり、悪の隠蔽物、誹謗中傷、呪い、悪の欲望、誘 惑する魔力と呪文、悪に覆われたもの、圧迫する悪、邪悪な 偽り、悪の本拠地イエス・キリストの権能の御名によって 打ち砕き、その機能を消滅させる(3回)。

 

聖書に)書いてあるように、 

「どのような武器があなたに対して作られても、何一つ役に 立つことはない」(イザヤ書54章17節)。

主よ、主が許され たこれらの悪を主の恵みで踏みつぶし、勝利することができ るように祈ります。

主よ、あなたを信頼します。

 

 

  保護

主よ、あなたの聖なる天使たちを送って、私たちを守り、私 たちの領域と大切なものから悪に⻑けた者たちとすべての悪 魔を取り除き、完全に掃き清めてください。

すべての投射を 遮断し、呪われたすべてのものと悪の道具の機能が消滅さ れ、私たちを狙ったすべての力に介入して遮断してくださ い。

私たちがどこへ行っても、私たちを包む天使の保護幕が 強固で破られないように助けてください。

主がくださった大 切なものの上に存在するすべてのポータル、空、地、火、水、 次元間の悪の通路をイエス様の血潮遮断し、封印する

主 の聖なる天使たちを送ってくださり、敵と呪われたものを阻 止し、動けなくされ、悪のどのような勢力もこの通路に入らないようにしてください。

聖霊様、真理で私を教えてくださ い。敵が与える混乱と偽りと争いを遮断してください。 

この 祈りをつかんで強力にしてくれる聖なる天使たちに感謝しま す。

主は私たちを悪から救い出し、私たちを苦しめるすべて の声を静め、記憶という暴君を押しつぶし、悪者の声帯と投 射を切り落とされる。

 

 

    私たちの罪と攻撃からの癒し

聖霊様、私たちの上に宿ってください。霊と魂と体にあなた の栄光で共にいてくださり、神と隣人に対する私たちの愛が さらに大きくなりますように。

敵と世界と私たちの肉体に よって損なわれたもの、つまり私たちの考え、信仰、記憶、 健康、情熱、忍耐、集中力、穏和、勇気、平安、喜び、愛、 寛大さ、知恵、優しさ、感謝、憐れみ、明朗、正直、我慢、 謙遜、同情、節制、尊重、満足、悲しみ、許し、誠実、従順 が直され、癒されますように。

主よ、主が直されなかったも のは、失われた魂の救いと、恵みを必要としている人々の回 復のために、犠牲の供え物としてあなたに捧げます。

 

 

  栄光

主よ、謙って主に求めます。悪と戦う私たちの天使たちに強 力な恵みを注ぎ、守ってくださり、さらに強くしてくださ い。

 イスラエルの⺠が行く先々で火の柱として共におられた 栄光を私たちにも現してくださり、私たちを守ってくださ い。敵が私たちから奪ったすべてのものを七倍にして治して ください

 

 

  恵み

聖なる、天に属している奇跡的な恵みが、恵みの上に加えら れた恵みが、予想外の恵みが、豊かで豊かな恵みが、より深 く、より広い恵みが、私たちの天使たちと、私たちと、主の ための私たちの働きに降り注ぐことを祈ります。

 

イエス様、私はあなたを信頼します。 (3回)

 

 

(転載ここまでです)

 

 

 

 

*イエス様の血潮

「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭9‬:‭14‬ 口語訳‬

 

*聖霊

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭26‬ 口語訳‬

 

*底なしの淵 

「そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。」‭‭ルカによる福音書‬ ‭8‬:‭31‬ 

 

*天使・御使い

「主の使は主を恐れる者のまわりに 陣をしいて彼らを助けられる。」

詩篇‬ ‭34‬:‭7‬ 口語訳‬

「主はあなたのために、御使いに命じて あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。」

‭‭詩編‬ ‭91‬:‭11‬ 新共同訳‬

「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。」

‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭1‬:‭14‬ 新共同訳‬