ブログを読んで下さりありがとうございます。
今日も「今も語られる主•携挙は本当だった!」から、
「聖霊のバプテスマを受ける方法」を転載させていただきます。
聖書を読んでイエスキリストの福音を心から信じると、その人の内に神の霊が住まわれます。
それが「救われる」とか「生まれ変わる」ということです。
その時点では神の霊が内住しているけど聖霊に満たされていない状態です。
「聖霊のバプテスマ」というのは聖霊に満たされるということ。完全に聖霊の中に浸かること。
ちょっとおもしろい例えですが、バプテスマを野菜の漬け物に例える人もいます。塩水の中に浸された野菜は塩気が付いて美味しくなります。クリスチャンも「地の塩」だから塩気がなければいけません。「人は皆、火(聖霊)で塩味を付けられる」とも書いてありますね。聖霊に浸されて塩味を付けられるのかもしれません。
たぶん多くのクリスチャンは「聖霊のバプテスマ」を受けないでクリスチャンとしての人生を送り始めるのではないでしょうか?
中には祈りによって聖霊に満たされる人もいるでしょう。
聖書を読むと初期のクリスチャンは皆、聖霊のバプテスマを受けていたようです。
「聖霊のバプテスマ」を受ける方法はそれほどむずかしいことではないです。
イエス様に「聖霊のバプテスマを与えて下さい」「聖霊で満たしてください」と祈るだけですが、自分の罪を十分に悔い改めて、霊的にできるだけ清い状態になっているほうが良いかもしれません。
もしかしたら「聖霊のバプテスマを受けたい」と思った時が、その時なのかもしれません。
聖霊に満たされると、異言を話せるようになったり、喜びが溢れてきたり、大胆になってまわりの人に福音を伝えたくなるでしょう。自分の病が癒えたり人の病を癒せるようになるかもしれません。
(聖霊のバプテスマを受けた人がみんな異言を話せるようになったり、病を癒せるようになるわけではないようです。)
マタイ25章の十人の乙女の例えのように、油(聖霊)が足りなくて花婿に置いていかれない為にも、聖霊を満たしておくと良いのかなと思います。
聖霊のバプテスマを受ける方法
2010年3月23日
'Charisma Magazine'に掲載された文章、J. LEE GRADY
私たちがキリストに出会い、キリストに信頼を置くようにな ると、私たちは「生まれ変わる」ようになります。 (ヨハネ による福音書3章3節)。そして私たちの心に聖霊様を受けま す。 これは私たちができる最も重要な決断です。 このような ことはイエス様の弟子たちに起こりました。
ヨハネによる福 音書20章22節にこう書かれています。「彼らに息を吹きかけ て言われた。『聖霊様を受けなさい』」。
イエス様が天に昇 天される前に、弟子たちにエルサレムを離れないで「父の約 束されたもの」が来るまで待つように言われました(ルカによ る福音書24章49節)。主は、もし彼らが待つようになれば、 彼らは「上から力を与えられる」(使徒言行録1章8節)、そ してイエス様は弟子たちに、弟子たちが「力」を受けて主の 証人になると言われました。それで弟子たちはエルサレムで 神殿の近くで祈りながら数日間待ちました。 イエス様が十字 架で死んだ日から50日目のペンテコステの日に、ある驚くべ きことが起こりました。聖霊様が初代教会に来られ、その上 に注がれました。 この出来事が使徒言行録2章1節から4節に 記録されています。
聖霊様が来られたとき、弟子たちは聖霊 様に満たされた、他の言葉で言えば「バプテスマを受けた」、と聖書は伝えています。
この出来事は私たちに、私たちが神様と関わってできる二つの区別された経験があることを示しています。第一は救いで あり、私たちは救いによって神様の驚くべき赦しを受けま す。聖霊様は私たちの中に宿るために来られます。 そして聖 霊様は私たちの先生、慰める者、助ける者となります。
第二 の経験は聖霊様のバプテスマですが、すでに私たちの中におられる聖霊様が溢れることを言います。 聖霊様のバプテスマ を受けるという言葉は「完全に霊の中に浸ること」を意味し ます。
イエス様は、私たちが働きにおいて私たち自身の力に 頼ることを決して望んでおられません。主は私たちを通して 主の御業を行うことを望んでおられます。 ですから、主は私 たちを主の能力で覆うために、聖霊様で私たちの内面を満た してくださいます。
私たちがこのような経験をするとき、聖霊様の力は私たちの 中に完全に溢れ出します。 また、私たちが聖霊様のバプテスマを受けるとき、一般的な「聖霊の賜物」が私たちの生活に 現れ始めます、(コリントの信徒への手紙一12章8節から10 節)。私たちはイエスの超自然的な性質を経験し始めます。 これらの賜物は、預言、分別、奇跡、癒し、異言を含んでい ます。
初代教会で人々が聖霊様のバプテスマを受けた時、彼らは皆 異言を話したと聖書は伝えています、(使徒言行録2章1節か ら4節、4章31節、10章44節から48節、19章1節から7節を ご覧ください)。多くの人が絶えず異言を発し、普通の人の 目にはそれが不思議なことのように見えました。 しかし、実 際には全く不思議なことではありません。 それはどんなクリ スチャンでも経験できる特別な祈りの形です。
私たちが天の祈りの言葉で祈るとき、私たちは神を賛美し、 自分自身を霊的に強くします。 霊の中で強くなるために、異 言は私たちを助けてくれます。初代教会の真の聖人である使 徒パウロは、コリント教会の信者たちに、「わたしは、あな たがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝し ます。」と言いました。聖霊様のバプテスマを受けること は、あなたが何らかの資格を持つことではありません。 誰でも求めることができ、イエス様は聖霊様のバプテスマをあな たに与える準備ができています。あなたは自分で祈ることが できますし、あなたのために誰かに祈ってもらうこともでき ます。
あなたが聖霊のバプテスマを受けるための簡単な手順がここ にあります。
1。あなたの心を準備してください。聖霊様は聖なる方です。聖霊様は火に例えられます(マタイによる福音書3章11 節)、この言葉の意味は、聖霊様が罪を清め、私たちの生活 の中でキリストに似ていないものをすべて焼き払うというこ とです。
あなたが知っているすべての罪を確実に告白し、聖霊の満たされるためにあなたの心を準備しなければなりませ ん。
2。イエス様に聖霊のバプテスマを求めなさい。あなたはイエス様の注意を引くために苦労をする必要はありません。 イ エス様はあなたの要求に喜んで答えてくださいます。イエス 様は、聖霊で私たちにバプテスマを与えてくださる方です。 そして、主からの応答が来ることを期待してください。
3。聖霊に満たされてください。この奇跡に感謝し始めてください。聖霊様の力はあなたの人生を満たします。もしあなたの心に疑いの兆候を感じたら、まず主を賛美してくださ い。あなたの心をあなたではなく、主に集中してください。
4。声を出して祈ってください。あなたが聖霊様に満たされた瞬間、あなたは天の祈りの言葉で話す能力を与えられま す。 あなたはあなたの内面から湧き出る言葉を感じるでしょ う。 あなたは心の中でその言葉を聞き始めるかもしれません。主がこの新しい超自然的な言語を与えてくださったことを信頼し、口を開いて話し始めてください。
ある人は私に、 「私は必ず異言で話さなければならないのですか」と尋ねま す。間違いなく、神様はあなたがそうすることを強制されているわけではありません。 そして、救いとは何の関係もあり ません。 しかし、神様は、望む人には誰でもこのような賜物 を与えられます。 異言の賜物は、賜物の中で最も小さな賜物 だと思われるかもしれません。しかし、異言は超自然的な領 域に入る入り口の役割を果たし、あなたを神様のより深いと ころに導くのに役立ちます。
5。大胆に進みましょう。あなたが聖霊のバプテスマを受け た後、あなたが最初に気づくことの一つは「大胆さ」です。 聖霊様は、隠れることを好まれません。 聖霊様は、あなたが イエス様について周りの人々に話すことを望んでおられま す。 そして、聖霊様はあなたに驚くべき勇気を与えてくださ います。
(転載ここまでです)
神の霊によって生まれる
「イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」ヨハネによる福音書 3:5
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」コリントの信徒への手紙二 5:17
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」コリントの信徒への手紙一 6:19
「イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
ヨハネによる福音書 14:23
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」ルカによる福音書 11:9-13
「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。使徒言行録 2:38 新共同訳
ペテロから初めて福音を聞いた異邦人たちに、いきなり聖霊が降って異言を話し始めた。
聖霊を受けるために何時間も祈ったり、先に水の洗礼が必要といったことは関係ないことを示唆している。
「ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。 異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。 そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。使徒言行録 10:44-48
聖霊の賜物
「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」
コリントの信徒への手紙一 12:3-11