悠釣亭のつぶやき -576ページ目

靖国神社

先の大戦を考える時に忘れてはならないのが靖国神社。
戦争遂行のための1装置として機能したことは明らかである。
「死ねば神様として祀られる」、「靖国で会おう」を合言葉として
死地に赴かせた。


大戦での軍人軍属の戦死者230万人のうち213万柱と、その
殆んどがが祀られている。
もちろん遺骨や遺留品もない人がほとんどで、いわゆる名前だけ
の合祀という事である。

また、国を守るために戦い、国を憂える立派な遺書を残した一握りの
人を英霊として崇めるのは、後々までも戦争を美化しようとする意図
と言えなくもない。

もちろん本人の、国を憂え、家族の無事を祈り、国の役に立ちたい
というお気持ちを粗末にするものでは無いが、国家目的のために
有無を言わせぬ洗脳や動員が行われたのは確かであり、それを
殊更に奉る必要はまったく無い。。


戦死者の大半は飢えや病気で亡くなっており、戦地に赴く船が
沈められて亡くなった方も多い。
一般の多くの召集兵たちは、老父母を危惧し、妻子に思いを馳せ
ながら、遺書すら残さずに無念の死を遂げた。

また、靖国神社には国内での一般国民の死者や海外での死者は
祀られていない。
満蒙開拓の名のもとに移住したが、敗戦のどさくさで亡くなった
方々は英霊ではないんだな。


もちろん、祀られている人達に罪があろうはずはない。
そういう装置として有効に活用した行為が責められるべきだが、
未だに政府の役職にある人達が崇めるのは大きな問題だ。

戦争で亡くなった方々の慰霊はシッカリとやらねばならないのは
当然の事だ。
2度と同じことを繰り返さぬ決意としても必要な事だ。
ならば、宗教色のない追悼施設を作り、軍人軍属の戦死者と
国内で犠牲になった方々、海外で無念の死を遂げた方々の霊も
同様にお慰めするのが妥当であろう。


靖国は特別な存在ではなく普通の1神社として存続するのが適当
であろう。
少なくとも、国家やその僕が関与してはならない。
それでも靖国に参拝したい方々はそうすればよい。

大戦以前に国に殉じた沢山の英霊もお祀りされている事もあるから。
それは個人の、信仰の自由だから。