悠釣亭のつぶやき -578ページ目

棄民?あの時日本は

8月は日本人にとって特別な月なんかな。
敗戦を受け入れた月だから、色々と戦争に関する記事が踊る。
ワシも少々、その辺に言及してみたい。

 


先の大戦で世界中で夥しい人数が亡くなった、というか、殺された。
その総数は5,000万人以上になるが、国別の差が大きい。
大きな被害を受けた国々の恨みつらみが残るのもムベなるかな。





日本人の死者は310万人といわれている。
内訳は軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡
30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人
以上が無くなった訳だ。

軍人軍属は戦争の当事者であるから、多数が亡くなった訳だが、
その多くは召集兵であった。
「国を守る」という大義の元に戦地に赴いたわけだが、大陸の奥地や
南洋諸地域にまで戦線拡大する必要があったのか?

国内の死者50万人の大半は東京大空襲、広島長崎の原爆、
沖縄戦、各地への爆撃等によるもので、軍需産業、軍事基地、
大都市に集中している。
民間人への無差別攻撃という、あるまじき蛮行が行われたのも
第2次大戦の特徴だった。


本稿はもう一つの事案、国外での民間人死亡30万人に言及する。
国外で、民間人が何故こんなに多く死んだの?って思うのが普通の
感覚なんだろうか。

当時、日本国は満州に傀儡国家を建設し、その広大な土地を開発
すべく、多数の入植者を送り込んでいた。
満州国の総人口4,000万人ほどのうち166万人ほどが日本人
だったという。

45年8月9日、相互不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が
満州に攻め込んだ。
ソ連軍と、それまで虐げられてきた中国人が日本人に襲い掛かり、
多数の死者が出たわけだ。
その数およそ17万4千人と言われている。


多くの日本人は命からがら中国や朝鮮の港へ逃げ、日本へ
引き上げたわけだが、幼子や少女を伴った人の中には、一緒に
逃げられぬと見て、現地の中国人に子供を預けて逃げた人も多い
(3万人ほどで、内数)。
いわゆる残留孤児だ。

ソ連軍は満州や中国の軍人を捕虜にしたうえ、シベリアなどへ
連行して強制労働につかせた。
その数57万人に及び、極寒と飢えで5万人以上が亡くなっている。

他にも朝鮮半島や東南アジアへの入植者が同様な状況で、日本へ
帰還できずに亡くなっている。
それらをすべて合わせると、30万人に及ぶ日本の民間人が海外で
亡くなったという事になる。


敗戦のゴタゴタの中での混乱ではあるけれど、日本政府や軍は
海外に居た日本人を守る事はほとんどできなかった。
軍人が真先に南に転進したという話もあるし、武装解除され無力に
なった軍隊に出来る筈も無かったから、実態は棄民状態だったと
言って過言ではない。

大戦での死者数に占める海外民間人の死者の比率は日本が
一番多い。
他国では国内での死者数は多いが、国外に出ていた人数が
圧倒的に少なかったからである。


海外の占領地に日本人を入植させ、日本化するのが日本国の
施策だったからだろう。
ならば、一朝事ある時にはその人達の安全を保護するのも
日本国の責務であるはずだが、その発想すらなく、その活動は
皆無で、逃避は各自の自己責任、ヤバイとなった時点では既に
為す術がなかった。

戦後、厚生省による引き上げ作戦が行われたが、港湾までの
輸送に当たる駅までの逃避行で多くの人が亡くなった。
そこまで細部にわたる手当は出来かねたという事だろう。
そんな中でも、多数の日本人が引き揚げてきた。
その総数は630万人、うち、民間人は320万人に上る。





大東亜共栄圏や五族共和の名のもとに、占領地を日本化する
施策は当時の日本国としては国策だったから、多数の日本人が
新天地を目指したわけだが、そんな広い地域を守備できるとでも
考えてたんかねぇ。

狭い日本の領土を拡大したいという野望だけが先行して、統治や
広義の安全確保の考えは無かったように見えて仕方が無い。
結果的に、最終的にはそういう多数の人達を棄民するしか無かった
という事になるのかな。


半島有事や台湾有事の際に在留日本人の救出云々が取り沙汰
されているが、当時の日本人在留者数に比べりゃ屁でもない数字。
昔と比べりゃ命の値段が格段に高くなってるとはいえ、大型船数隻
で済むお話でしょってなもんだな。