
100年という歳月
この9月1日で、関東大震災から100年となる。
大正12年という時期は日本国はまだまだ貧困で、社会インフラも
整ってはいなかった。
それゆえなのか、そんな状況だったにも拘わらずというべきかは
分からないが、死者・行方不明者は約10万5千人に上った。
そのうち、火災による死者は約9万2千人で圧倒的に多いが、
強い揺れで住宅が全潰したこ とによる死者数は約1万1千人と
これも非常に多い。
で、あの時と今の違いを考えると、
当時は木造家屋が多かったから、倒壊も多かったろうし、火事が
起こると瞬く間に燃え広がったことは容易に想像がつく。
現代社会でも、都心を除けば木造家屋は多いから、大火災に
なってしまう恐れは十分にあると思われる。
高層ビル群については、倒壊までは行かないかも知れないけど、
大きな損傷を受けるだろうし、落下物被害は相当に増えそうだ。
長周期地震動はあろうけれどもこれは大被害にはなり難いのか。
しかし、一方で、当時は車の数は圧倒的に少なかったわけだ。
それに伴う道路整備も行われているけど、大地震となれば、
行き場を失った車が至る所に放置されようから、これらが燃え
始めたら、手が付けられぬ状態になるのは自明だな。
そうでなくても道路は寸断されてるし、至る所で火災が発生すれば、
消火活動なんて出来る筈も無く、燃えるものが一杯あるから、
火災による損害は当時よりも大きくなる可能性もありそうだ。
発災に伴ったデマの発生も酷かった。
「朝鮮人が飲み水に毒を入れる」なんてデマで、多数の朝鮮人達が
殺されたり怪我を負ったりした。
今はSNSの世の中。
デマの蔓延速度は当時の比じゃない。
事があれば、それを面白がって、あらぬ話をデッチあげて流す輩
が必ず出る。
世相を見れば、それは少数には留まらないだろうし、拡散速度は
100年前の何百倍だろう。
一時的にネットを凍結し、緊急連絡などの必須情報以外を遮断
するような処置も必要なんではないのかな。
非常事態下では公共の福祉が最優先で個人の自由はある程度
制限されてもやむを得ないと思うんだが、こんな議論は為されてる
のかな?
当時と比べると、防災対策や減災準備は相当に進んだと思う。
非常用備蓄は各家庭や自治体で盛んに行われてるし、津波の
恐さも身に沁みてる。
しかし、例えば東京を例に取れば、昼間人口は当時の10倍
以上になろうし、交通網は何十倍になってると思われる。
あらゆる空間に人が溢れてる状態なんだな。
土地勘のない場所で大災害に見舞われ、どこに居るかも分から
ないような状態で、冷静な行動が取れるんだろうか?
もしワシが上京してる時に発災したら、どうして良いか分からず、
右往左往するだろう事は明らかだな。
関東大震災や東日本大震災の教訓は生きるんだろうけど、
時代の違いや都市構造の違いや人口密度の差や情報量の違い
など、様々な違いがある筈で、それらを勘案して対策が為され
ないと、とんでもない失策となる可能性も高いんだろう。
これらの対策は各自治体に任されているんだろうから、日々
考えて対策してるんだろうとは思うが、個人個人でも、発災時に
何が出来るか、何をすべきか、何をすべきでないか等々、
少し深く考えておくことが必要なんじゃなかろうか。
9月1日、防災の日はそんな事を真面目に深く考える日にしたい。
