悠釣亭のつぶやき -157ページ目

憲法記念日特別記事

憲法記念日にはマスコミによる特集が放送されるが、長年の
不改定の結果、齟齬が生じている部分について、改定が必要
だけれど、改定のハードルが高すぎるというものが多い。

ワシ的には、身近な問題から俎上に上げるのが良いと考えるが、
まともに憲法議論をする機運も無いし、組織も無い状況下では
それも困難なのかな。

そして、もう一つの議論は、連合国に押し付けられた憲法という
被害者論。
また、たった1週間で作り上げた ad hoc なものだったとする
憲法軽視論。


戦後の連合国による統治において、日本国が2度と戦争を
起こさぬようにするために、憲法改定は必須と考えたのには
ある程度の合理性があったのは当然の事。
そのためには新しい憲法を起草することが必須だった。

連合国は日本国に対して、民主的な憲法の素案を求めた。
それに対して、日本国が提出した憲法素案は帝国憲法を
殆ど踏襲したものであった。
連合国としてはそれは受け入れがたく、激しいやり取りが
あったが、最後には連合国が素案を作成する事となった。


戦中から米国内では日本国の民主化の考えを議論してきた
有識者があったが、その中から10人ほどを選び、日本での
憲法素案の作成を行った。

彼らは殆ど徹夜で作業し、既に考えて来ていた大筋を文章化
していったという。
そうして出来たのが今の憲法の素案で、その後それをベースに
日本国政府との間で様々な議論が交わされた。

最終的に、日本国政府が新憲法を受け入れることで決着。
連合国の占領期間中は新憲法に沿った統治が行われている
事の検証期間でもあった訳だ。
その卒業式がサンフランシスコ講和条約と言ってよいのかな。


新憲法に盛り込まれた、財閥の解体、農地解放、労働組合設置、
男女平等、不戦の決意、婦人参政権、等々が、もし、日本国が
憲法を作ったとした時に盛り込まれたか?

もちろん、連合国の憲法素案は国連憲章に基づく理想主義の
塊ではあるけれど、当時の情勢からして崇高なものであったのは
確かな事だった。
日本の民主化はこれによって一気に推進されたと言ってよい。

押し付けられた論はまさに、上級国民の意図が挫かれたこと
への不満や怒りの現われであって、一般国民が声高に叫ぶのは
心得違いも甚だしいものだったと思われる。


ワシの考えは昔から一貫していて、それは過去記事に書いた
通りである。
もちろん齟齬のある所は変えるべきとは思うが、まずは、どんな
理由で、何が不都合で、どう変えたいのかの国民的議論が先
だろうが、極端な反対論と、不十分な説明の対立する改定議論
では噛み合う筈もないな。
冷静な議論がなされる場所がない限り、憲法改正は至難だろう。