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 ある方からのコメントで「いじめ」問題について触れられたので、今回は僕のいじめに関する思い出とその対処について書こうと思います。

 けっしていい対処法だとは思っていません。単なる思い出話として読んでください。

 

<一つ目の事例>まだ若かりし頃の中学担任時。

 当時はたいへん荒れていた時代。

 男子3名がある弱い女子をハダカにしたことがわかった。

 自分のクラスの生徒ではなかったが、僕は教師というより人として腹が立ち、職員室横の印刷室でど叱りながら、その3名を○○○にさせた(※文字にするのはさすがにまずいので伏字にします)。職員室にいた先生方は見て見ぬふりをしてくださったので、自分なりのやり方でとことん指導した。

<二つ目の事例>

 僕の担任するクラスでは、いじめを絶対許さないという信念で学級経営を行っていた。それでも、やはりいじめは起こる。

 担任クラス内で、つけ菌(※ある子の机やその子が触ったものを触りたがらず、触ってしまったときはあたかもばい菌がうつったように他の子にその菌をつける行為)をされている女子がいることを知った際の学級だよりのコメント。

 ふざけてんじゃないぞ このクラスでいじめだと?
 それもクラスの半分以上の奴が‥‥
 それでクラスがまとまってるだと?
 信じてた先生がバカだった
 ひとりを大勢でいじめるようなクラスが
 まとまっているはずがあるもんか!
  ここにこんなことを書かなくてはならないなんて

  情けなくてしかたない
  おまえらはあったかいいい奴ばかりの集団だと

  思っていたのはまちがいだったのか?
  これを読んでいるおまえが自分のとった行為をふりかえり
  もしも汚い行為だということに気づいたなら
  まだ救いはあるが‥‥
 彼女に口で謝ってもしかたない
 じゃあどうすりゃいい?
 そんなこたぁ自分で考えろ!

 

<三つめの事例>

 うちのクラスで、ある男子が不登校ぎみになった。

 本人は理由を言わなかったので、僕は毎朝、部活動の指導後、その子の家に迎えに行って連れて来た。

 一週間ほどしたある日、迎えに行くと、お母さんが泣きながら僕を待っていた。その子は僕が迎えに来る直前にマンションの屋上に上り「学校に行くくらいなら飛び降りる」と泣き叫んでいるそう。僕はすぐ屋上に上り、少し離れたところから本人と話をしながら、出勤したお父さんが戻ってくるのを待ち、二人でその子をつかまえ、抱えてはしごでおろした。

 その日から、僕は無理に連れて来るのをやめた。

 これは単なる不登校ではなく、いじめが原因だと思い、クラスで聞き取りをしたところ、一人の男子の名前が出た。不登校の本人に確認するとやっといじめられていることを打ち明けてくれた。

 そこで、そのいじめっ子を指導したところ、最初なかなか認めなかったが、やっと認めたので家に帰し、その夜、家庭訪問した。

 すると、その母親が玄関先で「うちの子はいじめていないと言っているのに、先生に犯人扱いされた。」と言い、門前払いを食ってしまった。

 そして今度はそのいじめっ子が不登校になった(というより抗議の登校拒否をするようになった)。

 僕と学年主任が何度か家庭訪問を繰り返したが、母親は息子の言い分を信じ切り、家にもあげてくださらず、もちろん本人にもあわせてくれなかった。

 しかし、いじめっ子が来なくなったことを知り、不登校だった子は逆に登校できるようになった。

 これがその年度の3月の出来事。

 その3月末、指導に直接携わっていた僕と学年主任の先生が二人とも転勤することになった。

 すると、翌4月からいじめっ子は登校するようになり、代わりにいじめられていた男子はまた不登校になってしまった。

 ・・・・・この事例は、僕はどう動けばよかったのか、未だにわかりません。

 

<四つめの事例>

 担任クラスに、ほとんどしゃべらず友人のいない男子がいた。

 その子は、無口で小学校時代からいじめに近いいじられキャラが定着していた。

 僕はその子を、常に自分の身近に置きいろいろ手伝わせながら、決してやさしくではなくぞんざいな扱いをしつつも、僕自身がその子を大切にしている「感」を出し続けた。

 と同時に、帰りのスピーチの時間、その子が声を出さないことに対して、他の子同様厳しく指導をし、しゃべるまで絶対に許さなかった(そのために、いろいろな裏手だても取りました。以下参照)

 このパターンは、異なる学校で今までに二例あり、両人とも最終的に、そのスピーチでクラスのみんなを引き付けられるようになった。

 もちろん最初は、両人とも貝のように口を開かない子だったが、やさしくそして厳しく時間をかけてその子の〝おもしろさ”を開拓していった結果、年度後半には、たどたどしいながらも独特な語り口のおもしろいスピーチを皆が期待するようにまでなった。それにつれて、彼への皆のアプローチも変わっていった。

 

P.S.1 二例目のようなちょっとしたいじめに対しては、僕はこんな指導?をすることもあった。

 帰りの会のなか、クラスの皆の前でいじめっ子たちを立たせ、彼らのやってきた行為を一つ一つあげながら、どんな気持ちでそれをやっているかを問い詰めるのだ(被害の当事者は職員室へ用事を頼んで席を外させる)。僕自身が少々いじめっ子気質?だからかもしれないが、これはとても効いたなあ。

 

P.S.2 最後に、ある方のコメントにこたえる形で。

 教師自身が昔いじめられっ子だったら、いじめられる子に寄り添えていい指導ができるかどうか・・・答えは「否」だ。

 いじめられっ子は〝押し”や〝恫喝”に弱い。強く出る者に対して引いてしまう性格なのだ。大人になってもそれは変わらない。

 荒れていた時代を乗り越えてきた僕は、何人かの熱い先輩から生徒指導を学んだ。そこでは、時にはこわもての指導も必要な時があった(例えば以下のようなとき)

 もちろん、力で押さえつけるだけじゃだめ。最後は寄り添い、共に泣くくらいの気持ちで仕上げ。

 

以上、僕の20代、30代の若かりし頃の思い出でした。