僕の好きな歌に「先生」というのがある。その歌詞の中に、
「子どもを守りかばうだけではダメだけど 子どもの命守れなければ先生にはなれない」
なんていうところがある。
生徒の命を守ること・・・こんな場面は普通は訪れないが、昔の中学校はいろいろあった。ときには、教師の覚悟を問われる事件も。今日は、そんな思い出話から・・・。
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僕は右腕に貫通創以外に(←この話はまた今度!)、ノコギリで切られた傷がある。のこぎり傷は、ナイフや包丁と違って“互い違いの2枚刃”なので、傷跡がいつまでも残る。
35年前にできたこの傷は、教師3年目の僕にとってまさしく教師の覚悟を問われた出来事であった。
当時、学校は荒れていた。喫煙はもちろん、シンナーもちらほら。自転車で校舎内を走る者、先輩から後輩への暴力が横行し、その指導に毎日追われていた。
初めて担任をした1年生の教室に、牛乳が向かいの3年校舎から降ってきたとき(“牛乳爆弾”と呼んでいた)は、3年生の全ての教室に犯人捜しに怒鳴り込んでいった。1年生を守る姿勢を生徒たちに示したかったからだ。
その翌年、その出来事が起こった。
荒れていたため、渡り鳥(←若い先生、これ知ってる?)はもちろん、空き時間の教師は校舎を見回っていた。廊下でのノート点検などとんでもない。教師がいないときに、机と椅子が蹴散らされるからだ。
春だったと思う。2年生の教室を見回っていたとき、突き当たりの教室で、生徒の悲鳴と机の倒れる音が・・・。
何事かと僕はすぐにその教室に飛び込んだ。そして、思った。
「しまった。気づかないふりをして通り過ぎればよかった・・・」と。
そこには、すぐキレるY男がノコギリを持って立っていた。それを取り巻くようにしていた生徒が、一斉に僕を振り向いた。全員がすごく期待する眼で見つめてきたのを今でも覚えている。
担当の若い女の先生は、ただ呆然と立ちつくすのみ。
僕 「や、やめろ、Y男、ど、どうしたんだ」
Y男 「うるせー」
細かい会話は覚えていないが、ノコギリを振り回しわめいているY男を止めようと、怖さにひるみそうになりながらも、期待の眼に押されつつ進むしかなかった。
僕 「とにかくのこぎりを置け」
Y男 「うるせー」
生徒の期待の眼の力は大きかった。僕は前に進み続けた。振り回すのをやめるだろうと、安易な期待をしながら・・・。そして・・・
僕 「いてっ!」
ノコギリが右腕に当たった。見ると血がにじみ出している。
Y男もそれでひるんだかどうかはわからない。その後はあんまり覚えていないからだ。
とにかく彼を組み敷き取り上げ、隣の教材室へ連れ込み、指導をした。荒れていたY男を、最後には泣いて反省するまでもっていけた。
同窓会の電話が久しぶりに来た。Y男からだった。
「先生、お久しぶりです。○○です。」 「えっと・・・」 「ノコギリのYです。」 「ああ。久しぶりだなあ。」
今は、こんな関係だ。あの後も、卒業までいろいろあった子だったが、ああいう暴れ方はもう二度としなかった。
今も腕にあるこの傷は、僕の生徒指導のプライドとなっている。