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(①の続き) 翌早朝、M先生の知り合いという5人のタイ人が軽トラで迎えに来てくれた。

 

 この旅は、山の中の“ヤンムーン”という村の子どもたちに、日本人学校で集めたスポーツ用品や文房具を寄付しに行くのが主目的だ。そのついでに、M先生が日本人会機関紙から依頼されている寄稿「山岳民族を訪ねて」のための取材を兼ねている。
 今回、そのヤンムーン村にある学校の校長先生が、M先生の知り合いだそうで、寄付のお礼として、山岳民族の村をいくつかいっしょに訪ねてくれることになっていた。
 だから僕らは、同行者は校長先生一人だと思っていたら、軽トラで来たのは、校長先生以外に、ヤンムーン村の村長さんと、学校の用務員さん、そして隣村の校長先生、そしてその友人の軽トラ運転手役の、総勢5名であった。軽トラでってのも驚いたが、5名ってのにも驚きだった(みんな暇なの?)
 僕の車はホテルに置いて、これから山へはその軽トラで入っていくという。こうして、僕ら2名を含めた7名での「軽トラ旅」が始まった

 

 運転手役とガイド役が座席に座り、M先生や僕を含む5名は荷台に乗った。日本ではありえない形の“冒険旅行”に最初はわくわくしたが、山に入ってすぐに、これからの3日間、この乗車はきついとすぐに悟ったのだった。

 9時過ぎに出発した。途中、屋台でおやつを買い込み、軽トラの上で食べながら走った。
 国道から外れてから3時間は、半年前にできたばかりだというブルドーザーでならしただけの道を走って山を登っていった。この道ができたことでずいぶんチェンマイが身近になったと、村長さんは言ってみえたが(僕はまだタイ語が堪能ではなく、M先生から聞いた話)、午後に入っていく山奥の道は思った以上に険しく、けっして、チェンマイは身近ではないだろうと、僕は一人(日本語で)突っ込みを入れていた。

 半年前にできた道が終わり、昼頃、山の頂上付近に近づくと、メオ族の小さな村があったので寄った。そこで印象的だったのは、独身の男女が正月の正装で、互いにボール?を投げあう光景だった。日本でいう羽根つきのようなものか。M先生の話では、女性がボールを落とすと、両親にその男性を紹介することになるらしい。
 その後、山の頂上にある、校長先生の知り合いのメオ族の大きな村へと移動し、そこで昼食をごちそうになった。もちろん手で直接食べる形だったが、正月だけあって普段よりかなり豪勢だということだった。
 ずいぶん歓迎してくださり、食事のあと、民族楽器の演奏を踊りを加えて見せてくれたり、棒の付いた紐を使ったコマ回しもやらせてもらった。その村は25名ほどの男女で、先ほどのボール投げをしていた。


 午後は、途中何度も降りて車を押したり、車がギリギリ通れるだけの丸太橋を渡ったり、なんと川の中を走ったりと、本当に日本ではありえない道のりだった。

川の中走行中

 他にも、作業中の象と出会ったり、放し飼いの牛の集団が道をふさいだり、けしの花がきれいに咲いている場所も通った。けしの花は近くのリソー族が育てているそうで、タイ政府からは取り去るよう指導が入っているらしいが、満開だった。枯れていたが大麻もあった。

 夕方遅くに、やっと遠くにメーホンソンの町がみえてきた。
(※メーホンソンは、ビルマとの国境にある町。ミャンマーはこの時はまだビルマと呼ばれており、この2年後、英語表記がミャンマーに変わった。)
 メーホンソンを見下ろす山の中に、目的地の「ヤンムーン村」はあった。(③へ続く)