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 以前のブログで、僕の海外旅行の原点、バックパッカー先輩に連れられての「インド・ネパール過酷旅」について書いた。しかし、その旅行につながる過酷な旅を、その少し前に2つもこなしていたのだった。今回はその話。

 1つ目は、

バンコク日本人学校の中学部担当者10名での職員旅行
 海外の日本人学校へ希望してくる人はやはり変わっていると常々思ってはいた。中学部教師集団は、血液型でいうと、日本では一番比率の高い、几帳面な日本人の代名詞ともいえるA型はなんと10名中僕一人だけ。次に多いはずの大らかなO型は二人だけで、残り7名が変人の代名詞ともいえるB型(※B型の人、気を悪くしたらごめんなさい。ちなみにうちの奥さんはB型です。)

 その10名で行った職員旅行。タイに来たばかりの僕はすごく楽しみにしていた。この変わった方たちがいったいどこに連れて行ってくれるのだろう、と。
 ところが・・・。

 

 チェンマイ(タイ北部の有名な観光地)へ夜行列車で出かけた。これぞ旅!ってかんじだった。

しかし明朝、チェンマイに着いたとたん、中学部長から発せられた言葉は、
「じゃあ、二日後、またここで会おう。」だった・・・。
ちょ、ちょっと・・・待ってよぉぉぉ・・・。

(これと同じ状況をインド・ネパール旅行でも味わったが、その時はこの経験のおかげですぐに対応できたのだ!)

 四方八方に、ワクワクした顔で散っていく先輩方・・・。誰一人、僕を気にかける人はいない。皆、旅行とはそういうもんだと思っているらしい。すんでのところで一人の先輩を捕まえたら、一緒に行くとは言ってはくれなかったが、トゥクトゥクを貸し切ってそれで乗り切れと助言をしてくれた。
 学校は小中高大、そして教員になって務めた所も、ずっと同じ市内通学(通勤)だった僕にとって、これは実に過酷な二日間だった。
 これについては今回はこれだけでおしまい。

 さて、こちらが本題。
 職員旅行後、上記の中学部長M先生に、
「1月2日から、日本人会機関誌寄稿のための取材で、チェンマイから山の中に入って、山岳民族をいくつか訪ねようと思ってる。運転手兼カメラマンとしてついて来るか?」と誘われた。
 バンコクに来たばかりの独身の僕は、基本、先輩が連れてってくれるとこはどこにでもついていこうと思ってたし(2か月後、この考えは撤回することになる!)まさか今度は置いてきぼりはないだろうと、二つ返事で飛びついた。

 当日は朝早く、学校で集めた寄付のボールや文房具をたくさん持って、出発した。僕の車で9時間かけて、夕方、チェンマイに到着し、西のはずれにあるホテルで一泊した。
 この日、特記すべきことといえば、チェンマイ100km手前で警察に捕まったこと。側道にいた警察に手招きして呼ばれ、一方的に「違反だから400B払え」と言われた。M先生が運転していたのだがスピード違反はしていない。M先生がやっと聞きとったところ(チェンマイ訛りで聞き取りにくかったとのこと)、1km手前で追い越しをしたことを咎められているらしい(別の警官が見ていた)。M先生が200Bにならないかと交渉してみたがダメであった。僕はその交渉風景をずっとビデオで撮っていたのだが、それが交渉決裂の原因だと、M先生に後でしかられた。(※当時1B≒6円)


 翌日からは、M先生の友人というタイ人の校長先生が迎えに来てくれ、山の奥深くに入っていくことになる。(②へ続く)