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<パート1>

 今でこそ、11種類の国、延べ33カ国へ旅行し、海外旅行になれてる風な僕も、実はその初体験は、すごく過酷なものだった。おかげで、少々のハプニングは気にならなくなり、それが今に生きている?

 

 僕は、小学校から大学まで、市内から出たことがなく、おまけに就職も市内。そんな“箱入り息子”の僕は、教師5年目のバンコク日本人学校派遣で、はじめて飛行機に乗ったが、これは“海外旅行”ではないので、初の海外旅行と言えるものは、派遣の1年目ラストの27歳の時。バンコク日本人学校の2人の独身先輩教師に誘われた「インド&ネパール14日間の旅」だった。

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 先輩二人は、海外派遣を希望して来るだけあって変わり者。
 (※実際、日本人学校中学部の10名の教師は皆変わり者で、おもしろい人ばかりだった。B型7名、O型2名、A型は僕だけ。これだけでも変わり者の集団ってことがわかる?)
 二人とも、バックパッカーの経験者で、14日間中、予約してあるのは行きと帰りのバンコク・インド間の往復便だけで、泊まる場所は決めてない、全て行き当たりばったりの旅だった。

 

 まず、インドの空港に着いたとたん、先輩たちはこう言った。
「じゃあ、3日後にネパールで会おう。」

・・・そう言って、彼らは荷物を持ち、ばらばらに歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って! 先輩ィィィィィィィ!」   (→※参照;山岳民族を訪ねる旅へ軽トラで!

 僕は二人の荷物を必死に捕まえた。先輩たちが連れてってくれると思ってたから気軽に「行きます」って言ってついてきたのに、ここでおいて行かれたら、100%路頭に迷う。英語のできない僕は、おそらく空港からすら出ることはできないだろう。
 二人は不思議そうに、
「だって、旅行ってそういうもんだぞ」

と、真剣な顔で言う。決して意地悪ではないようだ。この人たち、根っからのバックパッカーなんだ。

 僕は一緒に来たことを後悔した。とにかく、この旅行だけは、一緒に行動してもらわないと・・・。必死で頼むと、なんとか了解してはくれたが、代わりに彼らが「必需品」と呼ぶものを買わされた。それは“洗剤”・・・3人分だからと言って、特大サイズの箱を買わされた。それは僕の旅行鞄を初日からいっぱいにした。(ちなみに、先輩はバックパック一つの身軽な格好だったが、僕はといえば手持ちのスポーツバッグだった…。)

 

 こうして始まった14日間の過酷旅。33年の時を経て、ここに僕の“原点”を紹介します。

(②に続く)